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第四話 彼らの写真

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 一週間経ち、私は更に二回の出撃を経験した。
 戦闘の内容は同じようなものだったが、地殻獣は変形して身を守っている事が分かったので、兵士たちはより精密に射撃をするようになった。それと同時に、動きながら撃つという鉄則を遵守するようになった。
 練度の低い兵士は射撃に苦労するようになったが、しかし負傷する兵士の数は目に見えて減少した。結果として戦闘が楽になり、拡散態地殻獣の掃討に要する時間は平均で二割ほど短縮されていた。
 三回目と四回目の出撃では特に新しい発見はなかった。しかし地殻獣はいずれ進化するだろうと言われていた。進化というか、有用な特別変異が伝播していくのだ。表面の傾斜の度合いが増すとか、動きが早くなったり予測しにくいパターンになったり。普通は何万年をかけて起きる現象が、地殻獣においてはかなり早い速度で起こっているようだった。
 私の記録する映像は、それらの変化を分析する貴重な資料となっているらしい。だったらもっと近くで撮れるように、義手の中年などではなく、もっと若く動きの俊敏な兵士にやらせるべきだ。しかしそういう兵士は前線に回され、どこにも余ってなどいない。どこにも人員の余剰などないから、消去法で私のような者が任されることになっているようだ。
 ひょっとすると、私が思っている以上に戦況は思わしくないのかもしれない。毎日戦ってはいるが、地裂が起きるたびに地表は汚染され、人間の生息限界はだんだんと北上していく。移動不可区域が広がっていく。毎日のように地殻獣撃退の報が流れるが、かつての戦争時のように、歪められた情報なのかもしれない。
 そのようなことを思い、私は自分のやっている戦場の録画という行為が、いったいどれほどの意味を持つのか分からずにいた。役には立っているらしい。しかしそれは局所的なことで、人類全体で言えばどれほどの意味があることなのだろうか。
 日本には十四の基地があった。日本で最初に発生した最大の地裂、糸魚川静岡構造線に沿った日本を分断する地裂を起点に、西日本に六つ、東日本に八つの基地があった。
 西日本の戦況はよく分かっていない。九か月前の時点では五つの基地が残っていたが、恐らく富山県から石川県の辺りまで侵食され、石川基地はもう存在していない可能性がある。だから多分、西日本に残っている基地は四つだけだ。
 そして東日本は、つくば、新潟、酒田、仙台、秋田、弘前、札幌、旭川の八つだったが、つくばは地裂に負けて壊滅し、住民は仙台ベースの管轄まで北上した。新潟ベースも壊滅したが、車両等は影響を受ける前に撤退したため、現在は新潟市ではなく村上市周辺に基地を構えている。旭川ベースも危険な状態にあるらしいが、情報がないのでわからない。
 私は福井県出身だが、福井は初期に大きな地裂が発生し南北に分断され、県全域にわたって侵食を受け、今ではもう人の住めない状況になっていることだろう。両親と兄弟がどこに逃げたのかは分からない。逃げることができたのかどうかも。
 私は新潟ベースにいるが、帰る場所を失い、基地とともに生きることになった。しかしここでの生活も長くはないかもしれない。新潟ベースは放棄し、山形県の酒田ベースまで撤退するという噂が流れている。向こうでは今でも毎日、白いご飯が食べられるという話だった。
 いつまで生きていられるのか。生きていても、一体何の意味があるのか。毎日世界は青く染まっていく。地殻獣の代謝により生成されるクラストブルーは、地裂による侵食が広がるごとに生産量が増えていく。我々は密閉された施設内で、酸素を節約しながら生きている。もう地上のほとんどは生物の住める環境ではない。
 世界のルールが変わってしまったのだ。植物が光合成し、酸素を吸い、生きていく。酸素がブルーガスに変わり、そのブルーガスに適応した生物にとっては楽園になるのだろう。このまま数億年たてば、恐らく新たな動植物が地上に現れるはずだ。
 そして私たちと同じように発見するはずだ。数億年前には猛毒の酸素が地上を満たしていたが、地殻獣の繁殖により我々の住める環境になった、と。
 これは運命なのだろうか。どうあがいても、逃れることのできない運命なのだろうか。恐竜が絶滅したように、人間も絶滅してしまうのだろうか。
 そんなことを考えていると、自分の生きている意味や、やっている仕事の意味まで考えてしまう。やがて滅びるであろう世界で、俺は何をやっているのかと。
 私はカメラの三脚を準備しながら、手を止めてぼうっとそんなことを考えていた。誰もいない部屋で、私は壁を見つめて立ち尽くしていた。
 廊下で人を呼ぶ大きな声が聞こえ、ふと我に返った。
 時計を見ると午後二時三十七分。三時から開始だから、それまでに準備しなければならない。私は三脚を据える作業を再開した。
 まったく、誰が思いついたのだろうか。兵士の写真を撮ろうなどと。後方の非戦闘員にも広く兵士の活躍を知ってもらうために、兵士それぞれの写真に一言を添えて広報誌に掲載するのだという。
 そのうち武運長久の千人針でも始めるんじゃないか。馬鹿馬鹿しいとは思ったが、戦場記録班の仕事だと言われれば、是非もない。撮る以外の選択肢はなかった。
 しかし……どう撮ればいいんだ?
 三脚を据え、カメラを設置する。白い壁をバックに撮ると使いやすいというので、空いているこの会議室を場所に選んだ。カメラのファインダーを覗くと、白い壁が映る。これで一応準備はできたが、普通に撮るだけでいいのだろうか。
 参考に古雑誌の中からファッション誌などを持ってきた。こういうのに載っている写真は、きっと格好よく写っているに違いない。これを参考にすればいいと思っていたが……何がどう違うのかわからない。
 試しにセルフタイマーで撮った自分の写真と比べると、そりゃあ違うのは違うのだが、そもそもモデルも来ている服も違う。どう頑張っても、雑誌に載っているような写真にはならなそうだった。
 イメージでは、周りにたくさんのライトやレフ版みたいなのを置いて撮っている感じだが、あいにくそういう機材はないので、結局このカメラで普通に撮るだけになりそうだ。
 広報用の写真だし、奇をてらったようなものより証明写真みたいな方がいいのだろう。そう思うことにして、格好よくとるのは諦めた。
 五十五分になり、戸をノックする音が聞こえた。
「はい、どうぞ」
「失礼します」
 戦闘服と帽子をかぶった若者たちが部屋に入ってくる。九人だ。皆第四部隊の兵士だが、訓練や当直などの関係で全員は揃わなかった。残りの人は明日撮る予定だ。
「第四部隊の者ですが……ここで写真を撮ると聞いたのですが」
 先頭になって入ってきた男の兵士が聞いてきた。もらった名簿では顔までは分からないが、恐らく彼が隊長の帯刀だろう。
「はい、ここです。私が撮らせてもらいます。一応私も第四部隊所属で、田所と言います。車両ではいつもご一緒させてもらってます」
「はい、存じています。では……一人ずつ行けばいいですか?」
 壁の方に目をやりながら、彼が聞いた。
「はい。一人ずつ名前を呼ぶので、そこの壁、足元に線がありますが、そこにつま先を合わせて立ってください」
「分かりました」
「ではあいうえお順で……上山さん」
「はい」
 はっきりとした返事で答え、上山が壁の前に立つ。女性だった。二十代前半だろうか。薄く化粧をしているように見える。戦闘が始まってしまえば化粧をするなどという余裕はないのだろうが、写真を撮るとなれば、やはり女性としては化粧をするのだろう。一応禁止ということにはなっているが、それほど強く言われるものでもないし、私も特に言うつもりはなかった。
 私はファインダーを覗いて、彼女の顔にピントを合わせる。
 こうして改めて見ると、どうもこの部屋の照明は暗いようだった。いや、暗いのは軍帽のつばのせいか。顔に影が落ちてしまっている。しかし帽子をかぶった状態で撮れとの事なので、帽子を脱いでもらうわけにもいかない。まあデジタルデータなら、後で何とかできるのだろう。気にしないことにした。
「三枚撮ります……行きます」
 三回シャッターを押す。そのまま撮った画像を背面液晶に表示させ、目をつぶっていないか確認する。顔は暗いが、三枚ともちゃんと撮れていた。
「はい、撮れました。では次の、柿崎さん」
「はい」
 そのまま順調に写真撮影は進んでいった。もっとも、立ってもらって三枚撮るだけなので、時間のかかりようもない。
 最後の一人、輪島の写真を撮る。
 顔にピントを合わせる……こちらを見る輪島の目が、睨んでいるように見えた。人相が悪いというか、険のある顔なのか。怒っているようにも見えるが、しかし、撮らないわけにもいかない。
「……撮ります」
 三枚撮り、どれも撮れている。これで今日は終わりだ。
「では、これで終わりです。ありがとうござーー」
「津山と堀川はどうなるんですか?」
 輪島が壁の前に立ったまま言った。
「津山……と、堀川?」
 覚えのある名前だった……名簿に目をやると、津山と堀川があった。しかし斜線が引いてあった。備考欄には負傷、治療中とあった。
「彼らは負傷中とある。写真を撮る予定は……聞いていない」
 輪島の視線は、私を非難するかのようだった。しかし写真撮影を決めたのは私ではないし、誰を撮るかを決めたのも私ではない。怒りの原因はなんとなくわかったが、私にどうこうできる話ではなかった。
「小早川も……ないんですね」
「ああ……ない」
 小早川は、私が第四部隊の戦場記録班として出撃した前の日に死んだ兵士だった。血を洗い流して生乾きだった椅子を思い出す。あの時感じた血の匂いは、彼の血だったのかも知れない。名簿では小早川の名前にも斜線が引かれ、死亡とあった。
「何の意味があるんですか、こんな写真に。毎日のように欠員が出て……遺影にでもするんですか?」
「やめろ輪島」
 帯刀の声で、輪島は口を閉じた。だがその目は私を相変わらず睨んでいる。怒り……とても悲しい怒りに感じられた。私には、彼が満足するような答えを与えられる自信がなかった。
「……これは、後方の人に私たち前線の兵士の事をーー」
「あんたは俺達とは違うだろ! あんたは兵士じゃない! 戦ってなんかいない!」
 当たり障りのない事を答えようとした私を、彼はまた遮った。
 彼は怒りに震えていた。その瞳から目をそらすことはできなかった。彼の言うとおりだ。私は……兵士ではない。地裂に近づいてこそいるが、戦っているわけではない。命を懸けて、何かを守っているわけではない。
「いい加減にしろ、輪島! 行くぞ。失礼しました」
 帯刀が輪島の腕をつかみ引っ張っていく。他の者も気まずそうな顔をして帰っていく。
「お疲れさまでした」
 私は彼らの背中に声をかけた。ひどく空疎な言葉だった。私は本当に、ここで何をやっているのだろうか。
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