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しおりを挟む「団長って何がしたいんです?」
「なに急に」
火花を散らしながら刃が何度も噛みあう剣戟の音を聞いていたヴィスタは、藪から棒に問われたことが理解できずに柳眉を寄せた。
魔導師ではなく魔導士である彼らは、歴とした戦闘職である。今日は国王お抱えの騎士団と合同訓練を組んだおかげで、訓練場所があまり馴染みのない大広間となっている。使っていいのは剣術体術のみで、騎士団も魔導士も魔力の使用は一切禁止だ。
いたる所から響いてくる剣戟の音は、いくら殺傷能力の低い模造の剣を使っているとはいえ重々しく、どちらも本気だということが伝わってくる。
元々、魔導士師団と騎士団は折り合いが悪い。理由は簡単だ。騎士団側は戦闘に用いるほど魔力の有り余っている魔導士が嫌い。魔導士側は脳筋な騎士団が嫌い。だからこそ、たまの合同訓練でその鬱憤を晴らそうとどちらも本気で斬りかかる。
魔導士のひとりが騎士の剣を跳ね飛ばしたのを横目で捉えながら、ヴィスタは隣に腰を下ろした部下を見やった。部下と言っても、ヴィスタより年上だ。彼より年少の部下は片手で足りるほどしかいない。
「いやー、だって。ルレイン殿と離婚したんですよね? それなのになんか距離近くありません? 昨日だってお持ち帰りしてましたし。元夫婦ってもっとぎくしゃくしてもいいもんじゃないですか?」
「夫婦以前に幼馴染だから」
「いやいや、その前提からおかしいです。普通の幼馴染はあんなに近くないです。そもそもアンタら、五年以上離れててたんですよね? で、再会したのがルレイン殿が宮廷薬剤師になったひと月前でしょう。なんで再会して即結婚できるんですか。普通はこう離れてた間に開いた距離を徐々に詰めて・・・って感じじゃありません?」
「直に再会したのはひと月前だけど、それまでほぼ毎週会ってたし」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・はい?」
さらりと言った言葉に団員の目が点になった。
「え、ちょっと理解できません。アンタらの故郷って皇都リルグからは遠いんでしょう?」
「そうだね」
「簡単に会える距離じゃないですよね?」
「国境沿いだから馬で休みなく駆けたとしても二週間以上かかるけど」
もっともそれが出来るのは体力があり、かつ馬に乗り慣れている人間だけだ。ルレインにはまず無理だろう。
ぽかんと口を開けて間抜け面を晒す部下から視線を外し、合同訓練に目を向ける。激しく肩を上下させながらも互いに負けたくないのか休むことなく打ち合っている面子は、少なからず怪我を負っていた。
(そろそろ薬室に応援頼むべきか)
怪我をした者は各自で手当てできるように救急箱の準備は万端だが、半ば意地になっている彼らの頭には手当てなんて単語はないだろう。
腕を組んで思案していると、隣で唖然としていた部下の体が小刻みに震え始めた。何故か俯いている。
そんな彼に特に声をかけるわけでもなく一瞥して思考を戻そうとすれば、がばりと顔を上げた部下が吠えた。
「どんな手段使ったんですか! まさか黒魔術とか言いませんよね!?」
「いや普通に水鏡だけど」
「はっ・・・?」
(顔が忙しいな、こいつ)
間の抜けた顔に戻った部下は一体何が聞きたくてこんな話を振ったのだろうか。
無表情で部下の顔を眺める。ルレインという例外はいるが、実は彼も表情筋が死滅気味の幼馴染と同じくあまり人前で表情を変えることはしない。この部下のように考えていることがすぐ顔にでるということは、不利な状況に陥りやすいということだからだ。
「・・・みず、かがみ?」
「うん」
「あの、どれだけ距離があっても姿を見て会話できるっていう幻の?」
「・・・幻?」
「だってあれ弊害があるでしょう、魔力の異常消費っていう弊害が! アンタどんだけ規格外なんだよ!」
叫んだと思えばまるで火が消えたように大人しくなる。どうやら忙しいのは顔じゃなく、彼自身だったらしい。
全身から力を抜いて弛緩した体がずるずると長椅子から滑り落ちていく。そのまま地面に落ちた団員は「本題に入りますけど」と座面に頭を預けてヴィスタを見上げた。
「なんで離婚したんです?」
「俺がお前にそれを言う必要性はどこにあるの」
「だって気になります。みんな気にしてますよ、藪蛇っぽいから怖くて聞けないだけで。・・・・・・だってアンタ、離婚してるくせにルレイン殿を手放す気ないでしょう」
ぼそりと落とされた呟きにヴィスタはぱちぱちと瞬きをした。
「なに、ルレのこと狙ってるの?」
「正直良いなーとは思ってます。俺だけじゃないですけど、俺だけじゃないですけど!」
「何で二回も言うの」
「言っとかないと消されそうなんで」
「お前は俺をなんだと思ってるわけ?」
「悪ま・・・ごほんおっほん! ・・・・・・なんでもないです」
あからさまな咳払いで目を逸らされる。なんともまあ、白々しい。
(何で離婚したのか、か。夫婦って縛りじゃなくてもルレが隣にいてくれればそれでいいからなんだけど)
結婚したのは、彼女が当たり前に傍にいてくれるようにだ。幼馴染という関係性は昔から一緒にいたという過去を表すもので、これからも一緒だと言う未来を保障するものではない。
友人にせよ恋人にせよ基本的に来る者拒まず去る者追わずのヴィスタがあの元妻にして幼馴染に対してだけは拒まないどころか自ら追いかけるほどである。それなのに夫婦という〝縛りの鎖〟をひとつ、解いてしまった理由を、誰も口にしないだけで誰もが気にかけている。
「・・・一年前くらいまでは団長だってそれなりに遊んでたでしょう。離婚したからそれが元に戻るかと思えばそうでもないし」
それはそうだ。だって彼は気づいてしまった。彼の中の優先順位の、何よりも誰よりも上にいる幼馴染へのこの執着が何なのか。
「何で離婚したんです? 正直アンタが離婚に応じるとは思いませんでしたよ」
「・・・強いて言うなら泣かれたから、かな」
「泣かれた?」
「まあ、嘘泣きだったんだけど」
「はあ? アンタ騙されたんですか」
ありえないという顔をする部下に、ヴィスタは不敵に口角を持ち上げてみせる。その意図を正確に読み取った彼は「知ってたんかい」と呆れ顔になった。
「嘘泣きって知ってて縛りを緩めるようなタマですか、アンタ」
「嘘泣きだからこそだよ。本気で泣いてたんなら多分、意地でも離婚はしなかった」
人前で感情を表すことをしない彼女は、人に弱みを見せることを良しとしない。さらに言えば、異性に対して女が持つ武器を使うことも好まない。
涙を見せる、なんてどちらにも当てはまる常套手段だ。
(嫌ってる行為をしてまで離婚してってお願いされたら、しないなんて選択できるわけないだろ)
彼女が望んだ離婚はした。だからと言って、手放す気はない。
(憂いは絶って、また捕まえればいい)
模造の剣を取ってヴィスタは立ち上がる。
一年前に気づいてしまったこの感情が、──恋でないことは確かだ。
***
それが訪れたのは、ちょうど昼過ぎ。整理のために広めの机に資料を広げていたときだった。
「ルレイン=ノスコルグはいるか」
ノックもなく無遠慮に開かれた薬室の扉。布地の多く取られた動きにくそうな紺の服を纏い、フードの下から険しい表情を覗かせるその男に対して、ちょうど入ってすぐの椅子に座っていたルレインは振り向きざまに言い放った。
「そのような者はここにはおりません」
それはもう、無表情で淡々と。
ぴしりと固まった男を放置して、彼女はそのまま作業に戻る。それが気に入らなかったのか、正面に回ってきた男は机を挟んで眼差しを鋭くした。
「いるだろう、ここに」
「おりません」
「ならば君は誰だ」
「さあ? 自ら名乗れぬ方に名乗る名はありませんので」
一顧だにせず手を動かす。見ず知らずの相手だ。着ているものからして魔術師のひとりだとは思うが、生憎とルレインに魔術師の知り合いはいない。
取り付く島もないルレインに、相手は少しむっとしたらしい。
「魔術師長のウォズリト=ハルバンだ。僕は名乗った、君も名乗れ」
不満を隠しもしない声音で名乗り、不遜な態度で促してくる。
(・・・なんだこの人。面倒くさい)
変なのに絡まれた。大きく溜息をつき、渋々答えてやる。
「ルレインと申します。お見知りおかなくて結構ですので、手短に用件をどうぞ」
「やはり君がルレイン=ノスコルグではないか」
「違います」
「だが今ルレインと名乗っただろう」
「ええ、ルレインですが」
「? 薬室にはルレインという名がふたりもいるのか?」
「はあ、そうなんじゃないですか」
返す言葉はどうやっても投げやりになってしまう。
首を傾げて不思議そうな顔をするウォズリトが、ふいにフードを取り払った。癖のない若草の髪がさらりと零れでる。「よく見えん」という小さく呟いて身を乗り出した彼に、ルレインは呆れ顔になった。
「あの、仕事の邪魔です。ルレイン=ノスコルグという人間は薬室にはいないのでどうぞお引き取りください」
「いいや、君だろう」
「だから違いますって言っ」
「実践したと報告は受けたがここまで綺麗に道ができているとは。・・・・・・相変わらず末恐ろしい男だ」
性格は気に喰わんが実力だけならうちに欲しい。
ぶつぶつと口の中で何かを喋りながら眼鏡のレンズ越しにルレインの眸を覗いてくる。何の話をしているのかまったくもってわからないルレインの頭には疑問符が飛び交うばかりだ。
「何の話です?」
「ヴィスタ=ノスコルグが規格外過ぎて気に喰わんという話だ。君はよくあんなのと結婚できたな、僕なら無理だ」
「すでに離婚済みですし、ノスコルグ師団長が気に喰わないという話はご本人に直接どうぞ」
「何故離婚したんだ?」
「っ」
思ってもみなかった質問に一瞬呼吸が止まる。ついでに、話ながらも動かしていた作業の手も止まった。
「・・・・・・私がそれをあなたに言う必要性はどこにあるんですか」
「どこにもないな。気になったから聞いてみた、言ってみればこれは僕個人の興味だ。だが僕と同じように疑問に思っている人間は少なからずいる」
「・・・何故」
随分お暇なんですね、と皮肉ることは出来なかった。
「君とヴィスタ=ノスコルグは離婚したんだろう、二週間前に。それなのに君たちの距離は離れるどころか何ら変わらない。・・・いや、むしろ傍から見れば夫婦だった時より近い。そして皆、君の元夫があれだけ溺愛していた君を手放すとは思っていなかったんだ。気になる理由としては十分だろう?」
「・・・・・・」
「なるほど、野次馬根性ってことね。相変わらずいい趣味をしているわねウォズリト」
割って入った声に、ルレインははっと顔を上げた。一度ぱちりと瞬いたウォズリトの唇から「ファイ殿か」と抑揚に欠けた音が零れ落ちる。
「君だって気になっているはずだろう」
「デリケートな部分に土足で踏み入るアンタみたいな根性はしていないわよ。ルレイン、今大広間で魔導士師団と騎士団の合同訓練が行われているの。怪我人も少なからずいるみたいだから、私たちも応援に行きましょう。ナーシェには先に向かってもらったから」
慈愛に満ちた優しい眼差しに促されて立ち上がる。そこに、いささか険を孕んだ声が飛んだ。
「僕と彼女は今、話の途中だが。腰を折るつもりか」
「話? 興味本位で相手の触れられたくない部分をつついておいてよく言うわ。アンタのやっていることは善悪のわからない子どもが蝶の翅をむしるのと何ら変わらない」
「離婚したにも関わらずずるずると離れないでいることに何の意味がある。どちらかの為になるのか? 互いに利益なんてないだろう。触れないでいてあげることだけが優しさだとはき違えるな。怪我は放置していたらいつかは化膿する。そうすればもう手遅れだ。痛かろうがなんだろうが、傷口に薬を塗り込んだ方が治りは早い」
「利益があるかないかなんて外野が口出すことじゃないわ、なんでも損得で決まると思わないで。時間が解決することだってある。小さな傷は放っておいても治るものよ。むやみやらたにいじくり回すと余計に悪化する」
睨み合うふたりは剣呑な空気を隠そうともしない。やがて先に視線を逸らしたウォズリトが「埒が明かん」と肩を竦めた。
「当ててみようかルレイン殿、君がヴィスタ=ノスコルグと離婚した理由を。この国生まれの国民はほとんどの者が魔力持ち。その弊害として魔力のない人間は持ち得る生涯の時間が短い。魔力がからきしの君はせいぜい長く生きて四十年ほどだろうな。甚大な魔力を持つヴィスタ=ノスコルグとはどう足掻いても持っている時間の長さが違う。──君はいずれ、彼を置いて逝く」
「・・・・・・やめなさい、ウォズリト」
何の感動もない琥珀の眸が、魔術師長を映し出す。感情の抜け落ちた表情に焦ったファイが制止するが、ウォズリトはルレインの眸を見据えたままやめることはしない。
「君が彼にノスコルグの姓を返したのはそれが原因だろう。君は、最後までともに在れないならと離婚を切り出した。別にヴィスタ=ノスコルグが嫌いだったわけではない。いや、むしろその逆だな。嫌うどころか君にとってヴィスタ=ノスコルグは唯一無二。だからあの男がどれだけ距離を詰めようと拒むことができない」
「・・・・・・憶測で語られることがここまで不愉快だとは思いませんでした」
何もかもを見透かしたような目をするウォズリトから視線を逸らして、ルレインは編み上げのブーツの踵を鳴らしながら扉へ向かう。「ルレイン、どこに行くの?」と不安げに飛んだファイの言葉に、彼女は一度足を止める。
「・・・・・・少し頭を冷やしてきます。ウォズリト=ハルバン魔術師長、──私は、そんなに綺麗な人間じゃないです」
そのまま振り返りもせずに部屋を後にしたルレインには、ファイがウォズリトに詰め寄る声が届いていなかった。
「何をしにきたの、ウォズリト=ハルバン。掻き回しに来ただけと言うなら本当に最低な男ね」
「僕はヴィスタ=ノスコルグから報告を受けて確認しにきただけだ。聞いて驚けファイ殿。あの男、ルレイン殿に魔力を持たせる気だぞ」
「は?」
にやりと愉し気に口角を上げたウォズリトとは反対に、ファイはぽかんと呆気にとられる。
「ルレインは先天的に魔力を持たない人間よ。魔力を持たせるなんてそんなの」
「道はすでにできていた、後は門を開いて流し込めばいい」
「待ってウォズリト、わかるように説明しなさい。ノスコルグ師団長は何をしようとしているの」
ファイは胡乱に眉根を寄せる。先ほどまで対立していたのが嘘のようにふたりの間からは剣呑な空気が消えていた。
「召喚の魔術の応用だ。召喚の魔術自体、空間と空間に道を繋げるという高度な技ゆえに高位の魔術師しか扱えない。あの男はそれを、自らの体とルレイン殿の体に仕掛けた。つまり、自らの持つ魔力をルレイン殿に流そうとしている」
「流すって・・・ルレインの体にノスコルグ師団長の魔力が合わなければ最悪どちらも死ぬわ! 無謀な賭け過ぎる!」
「本来ならな。だが忘れたのか、ファイ殿。あのふたりは幼馴染、さらに言うなら離れている間はヴィスタ=ノスコルグの魔力を使って水鏡で会話していたという。言うなれば、ルレイン殿の傍らには常にあの男の魔力があった。合う合わない以前の問題だ、彼女の体はすでにあの男の魔力に慣らされている」
召喚魔術は魔力の消費と技の難しさから高位の魔術師にしか扱えない。それを応用し、人体間に道を繋ぐのは繊細で、それこそふたつの空間を繋ぐことより遥かに難しい。
(本当にやってのけるとは思ってなかったが・・・。あの男、昨日僕のところへ従来のものより確実に展開できる術式の話をしにきておいて、まさか即日実践するなんてな)
昨日の夕刻、ウォズリトのところに来たヴィスタ=ノスコルグは過去に見たことのない術式を描いて見せた。確かに確実性は従来のものより高い。だが実践できるとは思っていなかった。確実性を上げるということは、それだけ膨大な魔力を消費するということだ。甚大な魔力を持つヴィスタ=ノスコルグにしか成し得ない。
(やつの魔力の属性が道を作るのに適していたというのもあると思うが。なんにせよ代償が大きすぎる。・・・改良が必要だな)
そして今回のことでよくわかったことがある。
「・・・あの男、最初から逃がす気なんてなかったらしい」
歴代最強魔導士の溺愛の幼馴染は、再び彼に捕らわれる。
それはもう、確定事項だ。
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