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第5章
15 幻覚
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シャドウは、足元に蔓延るゴビバウムビルムという沈下苔に身動きを封じられていた。葉は1ミリにも満たないが表面には無数の棘があり、物が近づくと葉を閉じて食いついて来るのだ。 食虫苔とも言い、地中に染み込む養分が足りなくなると人でも獣でもおかまいなしに襲いかかる。踏み付けると噛まれるぞと、子どもの頃から注意喚起はされていたのにも関わらず踏みつけてしまったのだ。葉の表面がから滲み出てくる酸に靴の底からじわじわと侵食されていった。皮膚が焼けるような痛みと、それに伴う痒みが徐々に体中に蔓延していった。
シャドウは回復の呪文を唱えた。力任せに足を苔から剥がせば皮膚ごと持っていかれるからだ。ここは慎重に対処しなければならない。
「汝 縛を解き放て」
体はゴビバウムビルムの酸に侵されて熱を帯びていた。
「こんなことに時間を費やしているわけにはいかない」
シャドウは焦り、冷静な判断ができなかった。詠唱に粗が見える。呪文の効力が行き渡るまでじっと耐えていられなかった。額から脂汗が落ちた。少しでも動くものならピリピリと皮膚が裂けたような痛みが靴底から感じた。たかが苔とは侮れない。酸が体内に入り込めば、強靭な体を持つシャドウとてひとたまりもないのだ。
時間がない!
シャドウは冷静さに欠けていた。脳裏にちらつくのは1人だけではなかった。自分の代わりに靴を取りに行ってくれたソイン。未だ行方のわからないディル。決着をつけねばならないチドリ。呪歌に翻弄されているマリー。そして何より、雪の安否が気がかりで仕方がなかった。国花の開花で巫女が目覚め、影付きの消滅が執行される。それがいつなのか、今なのか、何時間後なのか、全く時間が読めなかった。そんな時に己れの体のことなど考えられなかった。たとえ骨が折れても、出血をしても、現状を打破できるのであれば己が身などどうでもよかった。ゴビバウムビルムは獲物に噛み付いたら葉を自らがちぎり、種子を残していくのだ。酸は毒ではないが、長く皮膚に触れていると神経を麻痺させ、幻聴を聞いたり、幻覚を見るようになる。得体の知れないモノに体の中を掻き混ぜられているような感覚に落ちた。幻覚の始まりか。蔓草が生き物のように動き、絡み合ってシャドウに巻きついて来た。腕や足をがんじがらめにした。行かないで行かないでと泣いてしがみついてくる子どものようだった。
「くっ」
シャドウは低い声で唸る。締め付けて来るのは悲しみか妄執か。
泣いているのはマリーか?
シャドウは意識だけは失わないように唇を噛み締めた。
噛んだ跡から血が滲み、錆びた鉄の味がした。
「シャーオ、どうして帰ってきてくれないの?」
幼い女の子の声がした。俺をシャーオと呼ぶのはマリーだけだ。
「ずっと待っていたのに。マリーのこと嫌いになっちゃったの?」
ーー違う。そうじゃない。
「マリーが下界に行きたいなんて言わなければよかったの?」
ーー違う。それを望ませたのは俺の方だ。
「ごめんね。ごめんね」
ーーお前が悪いわけじゃない。謝るのは俺の方だ。お前を傷付けたまま離れてしまった。謝罪も慰めも出来ずに去ってしまった。お前を1人にし、悲しませた。
「マリーのおともだちもいなくなった。モーリーもエンゼルも」
マリーと一緒に過ごしていた同世代の子ども達。当然ながら皆年を重ねて成長していった。
「みんなおっきくなっているのに、どうしてマリーだけ子どものままなの?」
禁呪が解けて外見の成長が進んでも、精神は子どものまま動かない。周りの変化について行けてない。
「…それは」
チドリの自分勝手な行動だとは言えない。チドリを暴走させたのは俺だから!子どもは1日1日を積み重ねて成長していく。その過程を踏みにじったのは紛れもなくシャドウなのだ。理解を得られなかった末のチドリからの制裁。禁呪に触れたのは間違いだったとしても、追い込んだ事実は変わらない。
シャドウは口に出せず硬く唇を噤んだ。ただ頭を下げるしかなかった。赦しを願っても、赦してくれとは言えなかった。
「シャーオ」
悲しげに嘆く声。溢れ落ちる涙に植物は反応した。ざわざわと大きく成長し始めた。
「マリー…」
身動きが取れずにいるシャドウの体を蔓草は何重にも巻きついてきた。手足に絡んでは動きを止め、上体を木に括り付けられた。
「ぐっ」
皮膚にめり込んで血が出ても、シャドウはやめろとさえ言えずにいた。開きかけた口も閉ざしてしまった。
「マリー、嘘はきらい。嘘はダメだってみんな言うのに」
柳の葉に似た細い枝の葉が、首をだらりと下げてシャドウの顔の前に出た。長い髪を分けるかのように、葉の間からマリーは顔を出した。蜂蜜色の髪は輝きを失っていた。光沢の艶は見る影もない。表情も曇ったままだ。瞳は赤く腫れ上がり、頬は青白い。涙の筋の跡が消えずに残っていた。
「どうしてみんな嘘をつくの?」
頬と同じ色をした細い両腕が伸びて来た。か細い指先はシャドウの輪郭をなぞった。
「マリーはいい子にしていたのに、シャーオもサリエもマリーを置いてった!」
ヒーグの赤茶けた蔓が地中から飛び出して来て、シャドウの首に巻きついた。体を締め付けて来た蔓草とは種類が異なり、枝木ほど頑丈だ。家具の材料などに使われていて、特殊な刃物でないとなかなか切れない代物だ。
「チドリも嘘ばかり!お花の歌を歌っても全然咲かなかった!」
下界を選んだ者への制裁か。神はマリーの能力を封じてしまった。挙句、チドリには塔にも閉じ込められ存在そのものを封じられた。
「それにマリーがだいすきだったおねえちゃんもいじめた!いっぱいこわがらせてかなしませた!!」
ヒーグがきゅうっとシャドウの首を締め付けてきた。
「チドリきらい。やさしくしたって、もうゆるさないんだから!!」
マリーの血の気の引いた頬が紅潮して行く。頬に当てた指先に力が入り長く伸びた爪がシャドウの頬を傷付けていった。背後に生い茂った植物たちがガサガサと揺らめいた。虚ろな瞳はピントが合わないまま、怒気がこもった。今までマリーの中には生まれもしなかったどす黒い感情が、悪鬼となって現れた。悪鬼は植物を飲み込み、おどろおどろしい気を放った。
「マリー!!」
シャドウは我慢しきれずに叫んだ。思いもよらない情景に面食らっている場合ではなかった。
マリーが口ずさむ歌は呪文のように宙に浮かんだ。
「舞え舞え花の芽。散れ散れ花の芽」
成長を促すかと思えば、次の節には枯れろと歌う。
「やめろ!」
巫女の歌は祝福だ。歌によって大きく育ち、美しい花を咲かす。散れと命じられれば、文字通り消滅する。生気を奪われて萎れていく植物たち。マリーの背後でぼたぼたと花が地面に落ちた。踏み付けられた花はぐしゃりと無残な姿を見せた。
「マリー!やめろ!目を覚ませ!」
少女から女へと変貌した顔つきは、怒りそのものだ。髪の毛1本1本にも侵入した悪鬼は、ニヤニヤと不敵な笑みを浮かべた。雪の時とは違った悪鬼の姿に、シャドウは愕然とした。指先にまで宿る悪鬼。ヒーグの蔓の上からシャドウの首に巻きついて来た。
「マ、マ、リ」
成長したとはいえ、か細い指だ。大の男の首を素手で締められるほどの力はない。だが、今は悪鬼に取り憑かれた女の指だ。皮膚に突き立てた爪が刺さり血が滲んで来た。喉元を締めつけてくるヒーグに、シャドウは身動きが取れなかった。呪文も念じられない。振りほどけない。これがマリーの妄執か。長年苦しんで来た妄執の姿だとしたら、俺には受け止める資格がある。シャドウは抵抗をやめた。
「…おまえが望むなら」
決していい判断ではない。これでシャドウが命を落としたら、マリーには一生消えない傷が残る。だが、頭ではわかっていても振りほどくことができなかった。
「ていのいいこと言ってんじゃねーよっ!」
突然、吹き込んで来た一迅の風に、ヒーグの蔓もろとも愚かな思考は真っ二つに両断された。白銀に輝く疾風だった。
「バカなこと言ってないでとっとと立ちなよ!」
ディルだ。獣の姿から一転、人の姿に変わっていた。腰から抜いた短剣でシャドウに巻きついた蔓草をばさばさ切っていった。
鬱血した喉元が解放され、空気の通り道ができた。流れ込んでくる空気にシャドウはひどく咳き込んだ。めまいで足元も覚束ない。
「…マリー、マリーはどこだ」
虚ろな瞳で辺りを見回した。ぼんやりした視界には青々しく密集した緑しかなかった。
「コビバウムビルムにやられたんだろ」
ディルはシャドウの足を掴み、足の裏にくっついた苔を無造作に剥ぎ取った。
「シャドウは幻覚を見たんだ。ここにマリーはいないよ」
酸が抜けた後のゴビバウムビルムは、ただの苔だ。触っても無害だ。ディルは腰に下げた袋から小さな丸いケースを出した。軟膏だ。皮膚炎や切り傷、火傷などにも効く万能薬だ。
「足はこれ塗っときゃ治るだろうけど、体内に入った酸は消えるまで時間はかかるだろうな。横になる?」
酒でも盛るかとディルの頭によぎった。
「…いや」
シャドウは会話もままならない状態だ。幻覚と言っても納得できてない。未だマリーを探すようにキョロキョロと辺りを見回していた。
「もうしっかりしろよ!マリーがシャドウを襲うとかないから!」
「いや、しかし。俺はあいつにひどいことばかりして来た。恨まれるのは当然なんだ」
「んなわけないって!あんな純真無垢なやつに人を呪うとか恨みを晴らすなんて考えないよ!あいつぼくのことわんわん、わんわんて、何度も説明してるのに!犬じゃねーってーの!うるさくて、人懐っこくて、大変だったよ」
わあわあと喚き散らすディルの声に、シャドウはだんだんと頭がはっきりしてきた。目の前にいる人物にピントが合ってきた。白銀の髪の大人びた少年の姿。
「…ディル…か?」
「そーだよ!」
やっと目が覚めたか!とニヒヒと笑うのは、買い物帰りにお釣りをくすねるいたずら小僧だ。お互いを理解し、信頼し合える相棒であり、良きパートナーだ。
シャドウはずっと探していた人物の登場に、深い安堵感を覚えた。そして崩れるように、ディルの肩に顔を沈めた。
「ニヒヒ。肩貸し1回500リム!」
「…払わんぞ」
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