大人のためのファンタジア

深水 酉

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第2部 第1章

4 休息

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 「予定より早いな。もうユキダヨリが満開になってしまった!」
 しまったー!と、花見の席がまだ用意出来てない!と慌てふためくナユタをよそにナノハはいつも通りですよと呆れた声を出した。
 「ほら。嘆いてないでちゃっちゃと手を動かす。今日中に草むしりを終わらせて柵を取り付けてくださいね」
 「わ、わかってるよ」
 ナユタが焦るなか、ナノハは黙々と草を抜いていた。
 村の子ども達が遊びに来ては、花の苗木を踏みつけてしまうので、花壇を囲むように柵を取り付けようとしていた。
 せっかく花をつけたのに、咲かずに踏まれてしまうのは悲しさの比ではない。子ども達にとってはとるにたらない花でも、季節を彩る飾りにはもってこいだ。小さな花弁のユキダヨリとは違い、赤子の手のようなぷっくりとした蕾をつけるメロニムウスは、赤と黄色の花が咲く予定だ。
 「あとはキプターとリップスね。キプターは茎が弱いから添え木をしましょう。リップスは淡色と濃色で分けましょうか」
 キプターは背の高い花だ。大人の身長もゆうに越す。太い茎だが折れやすいのが難だ。藍色で羽根を広げた蝶のような形をしている。リップスは春の代名詞とも言える花だ。背丈は低いが大ぶりな花を咲かすのが特徴だ。
 ナノハはそれらを見てはにんまりと笑顔がこぼれた。
 ナノハは花が好きだ。花壇の手入れから、植え替えもテキパキと手が進む。三角巾にエプロン、軍手、長靴。ふくよかな丸いフォルムは、かの有名な森の妖精を彷彿させる。
 「…何か?」
 いや何もないよとナユタは首を横に振った。じろじろ見ていたのが感づかれてしまったようだ。
 ナユタは、ナノハの仕事ぶりを尊敬していた。よく動いてよく働く。頼もしい存在だ。縁の下の力持ち。ナユタと同い年。人のいいナユタがどんなにひどい目に遭っても折れない精神力でいるのは、ナノハのおかげだと村人達は囁いていた。内助の功。信頼が厚く、頼り甲斐がある人だ。
 「まあ確かに。気温は高くなった分、花の成長が早まったかもしれませんね。日差しが暖かいのはいいことです。洗濯物が早く乾いて助かります」
 ナノハはひと息つく。うーんと両手を上げて背中を伸ばした。軍手を外して肩のあたりをさすった。
 「そうだな」
 ナユタも真似して腕を回した。
 時折、耳元を通り過ぎていく風にはまだまだ冷たさは残るが、着実に春の訪れを感じられるようになっていた。
 その証拠に、新しい花の芽や軽やかに歌う鳥の声などが見て取れる。

 ふと、キアの所在を確かめたくなった。洗濯物を畳むと言って部屋に戻ってから音沙汰がない。
 「キアは?」
 「洗濯物を畳み終わったから、アーシャと森に行きましたよ」
 アーシャは村の子どもだ。共働きの夫婦から預かっている。
 「えっ!もしかしてキハラのところ?」
 「ええ。ちょっと休憩をあげたの。キハラの側は落ち着くんですって」
 湖の木陰で休むのが毎日の日課になっていた。
 眠ったり、本を読んだり、お茶を飲んだり。仕事の合間のほんのひとときの休息だ。
 「何をそんなに驚くことがありますか?あなただって、番の時はキアラ神に呼ばれては、ほいほい通っていたじゃありませんか」
 「…言い方悪いなぁ」
 「同じですよ」
 ナノハはぷいとそっぽを向いた。棘が付いた物言いをしてしまうのは仕方ないのだ。それがお役目だとはわかっていても、自分の夫が他の女性と長時間一緒にいるのはあまり面白くはなかった。相手が神であってもだ。
 あの頃を思い出すと今でも胸が痛む。モヤモヤと醜い渦が起きる。
 「…そうか。まあ…そうなるよな」
 呼ばれたら無視はできない。
 「何がですか?」
 「ムジが気にしてるんだよね。キアのこと。森…というかキハラに近づき過ぎだって。変に警戒している。波風立つ前に少し控えてもらおうと思っていたけれど…」

 「番」はよくても、「贄」は困る。

 「それ、あなたが言うことじゃないでしょう?」
 ナノハは、はぁとあからさまにため息を吐いてナユタを睨んだ。
 「あなたは何を言ってるんですか。あなたは自分のことは棚に上げてキアには行くなと言うんですか?」
 あの頃の情景が浮かんで苛立ちが募る。内助の功とか言われていて、あまり感情を表に出して来なかったが、内心気が気じゃなかった。
 「棚上げなんてしないよ。そりゃ呼ばれたら行くしかないよ。行かないといつまでもうるさいしね。俺もそうしてたから、それはわかるんだけど…。誤解を招くようになってしまったら話が別だよ。ただでさえ、キアはまだ村の中では孤立している。余計なことには足を突っ込ませたく無いのはナノハだって同じだろう?知ってるかい?彼らが俺達に触れることはあっても、こちらからは彼らに触れることはできないんだ」
 ナノハは何話しをすり替えているんだと思った。論点はそこじゃない。
 「…すでに接着していれば触れてることになるんじゃないの?」
 「うん。そうは言うんだけど、」
 ナユタはナノハの頭に止まっていた羽虫にフッと息を吹きかけてよそに飛ばした。
 「彼らは触れられることをひどく嫌がる」
 「何故?」
 「さあ。自分の領域に入らせたくないのかもな」
 「番なのに?」
 「うん。番でも神と人だから種族の違いから、一線は越えさせたくないのかもしれない」

 神と人との境界線。
 そのキハラが出会ったばかりのキアに一線を崩した。寄り添うように二人でいたという。
 どう許しを得たのか気になるところだけど、きっと何も教えてはくれないだろう。
 誰よりも一番近くにいることを許されてはいたけど、肝心なところはいつもだんまりを決め込むんだ。キアラがそうだった。きっとキハラも同じ考えだろう。
 望むのは日々の安穏な暮らしと森の浄化。この先も森が絶えぬよう安定した自然界を保つこと。それが願いだった。
 ムジが言うように、二人の関係が番以上の意味を持つことになるなら、キアの立場は今よりもっとひどくなるかもしれない。未だに村人から不審がられてるのは可哀想で見てられなかった。ナユタは頭を悩ませた。ムジの言うことも一理あるのかもしれない。
 「番」はよくても、「贄」は困る。
 必要以上に「贄」に固執したら…。二人の関係が変化してしまっていたら…。
 ナユタは考え事をしながら黙り込んでしまった。
 
 「何が困るものですか!」
 ナユタの横っ面を叩きつけるような鋭い声がした。
 あのヒゲダルマ!!とナノハはムジを皮肉る。ボサボサ頭の無精髭には散々文句を言ってきたのだが、一向に改善しないスタイルに主婦達は苛立ちを隠せなかった。いつか取っ捕まえて散髪してやろうと皆々考えている。
 「どういうつもりか知らないけれど、キアとキハラの仲を割くなんてことは許しませんよ!」
 ナノハは我慢ならずにナユタの腕を掴んだ。
 キアは私とは違うのだ。陰湿な感情などありはしないのだ。
 爪が皮膚にぎゅっと食い込む。髪を振り乱し大股で森の方向へ歩き出した。
 「入りますよ!」
 ナノハは森の入口でそう声を上げ一礼をし、大股のままドスドスと中に入った。踏みしめるたびに想いが弾ける。
 「ナノハ。ど、どうした?」
 急変した妻の態度にナユタはついていけなかった。
 「どうしたもこうしたもないわよ!あなたは何を心配しているのか知らないけど、キアの休息を奪うなんてことは絶対に許しませんよ!」
 
 キハラが棲む湖の木陰にちょうどいい岩がある。その岩の奥に水を汲む場所がある。それを背にして本を読んだり、お茶を飲んだりしていた。背に当てるとちょうど良い冷たさでほっとするのだ。モヤモヤも吹っ飛ぶ。かけ足気味の呼吸もなだらかになる。
 キハラは気配でキアがいることを察していたが、アーシャを気にしてか顔を出すことはなかった。騒がれるとうるさいからか、単純に子どもを毛嫌いしているかどちらかはわからない。アーシャはキアにくっついて気持ち良さそうに寝息を立てていた。

 「この姿を見てもあなたはキアとキハラを邪推するの?とんでもない勘違いをしているとは思わないの?」

 自分にも向けられる言葉だ。声に出してまた、胸にしまう。

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