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第2部 第1章
3 疑念
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「あの女は駄目だ!」
庭に出しているテーブルの上で、ナユタは料理の下準備をしていた。豆が入ったさやの前と後ろにある筋を丁寧に取り除いていた。サッと茹でた後に塩を振って食べる。シンプルだが野菜本来の甘味が感じられて、よく箸が進む。
「…なんだい藪から棒に」
見上げると無精髭を生やした体格の良い男がいた。宿屋組合の代表のムジだ。
「いつまであの女を置いておく気だ」
ムジは鼻息荒く突っかかって来た。手をついた下の辺りからギシィとテーブルが鳴いた。
「…キアのことかい?」
「そうだ!あんな生っ白い肌で青髪の人間なんざ見たことない!あやかしかもののけの類じゃないのか?記憶を無くしてるというが俺らを油断させて食っちまう気じゃないか?」
まるで異質者だと決めつけている発言にナユタは眉をひそめた。
「人を外見だけで判断するなんて良くないぞ。記憶を無くして困っているんだ。少しは親身になってくれ。
いつまで水の受け取りを拒否するんだ?生活には必要不可欠だろう。1人で何十軒も回って大変なんだから協力してくれよ」とナユタはいい大人たちがいつまでも臍を曲げている態度にうなだれていた。
村人が受け取ってくれないので、汲み上げた水は大樽に入れて村の中心部の広場に置かれている。キアからは受け取りたくない村人達は、キアの不在時を見計らって水を取りに行っていた。今日もダメでしたと肩を落とすキアを毎朝見ていて、ナユタ自身も参っていた。
「おっまえがそんなんだから、いつまでも居座っているんじゃないか!とっとと追い出せ!」
ムジにはこちらの悩みなど何も伝わってないようだ。
「…ひどいこと言うなよ。献身的に働いてくれてこっちは大助かりなんだ。俺も番から外されて、ようやく宿屋の仕事を再開できる。雨樋の修理と壁塗りがまだ残ってるし、庭の手入れも後回しにしてきたから早くやりたいんだ」
「そんなことしなくても客なんざ来やしねえだろ」
外観の美しさと比例してナユタの宿には今日も閑古鳥が鳴いていた。
「失礼なこと言うなよ!これからだよこれから!!もうじきユキダヨリの花が満開になる。そうすれば花見客で賑わうだろう。宴の準備ほど楽しいものはないからな」
腕がなるとナユタは腕まくりをした。自慢の庭を解放して花見客用にテーブルセットを置く。酒も出して賑やかにしたい。
若芽のフライと野菜の和え物と卵焼きと煮物と甘露煮…
パンに肉を蒸したのを挟んでソースを二種…
焼き菓子なんかもいいなあ。子ども達に配るんだ。アンジェに頼んで木の実を分けてもらうか。
ナユタの頭の中の重箱には色とりどりの料理が詰められていく。
「妄想より現実見ろよ!まあ、おまえの料理は美味いからうちに出してくれてもいいけどな」
「水の森の宿の料理と宣伝してくれるなら頼もうかな」
「ちゃっかりしてやがる」
「へへん。きみの宿屋はこの村の中では一番人気だからな。きみのところで料理を出せたらいい宣伝になる」
客人に対応する気合いが料理に注がれている。ナユタの料理は、村の宿屋の中でも一番うまいと評判だった。
「…話は戻るが」
「またぁ?あの子を悪く言うのはやめてくれよ。ナノハがえらく気に入ってるんだ。娘ができたみたいだと喜んでるのに水を差さないでくれ。あんまり邪魔をすると頭突きをされるよ」
ナノハはナユタの妻。小柄ながら力持ち。
「ナノハの奴、すげえ石頭だからな…っじゃなくて!真面目な話だ」
下から突き上げるよう飛んでくるナノハの石頭には誰も勝てない。体格の良いムジでさえ後ずさりしてしまうほどだ。
「なんだい」
「あの女、キハラ神に近付きすぎやしないか?昨日も一昨日も森にいったぞ」
「水汲みを任せてるからなぁ」
キハラの住処の側に湧き水が出ている。毎日出かけていても不思議じゃない。
「そうじゃねえよ!午後も何度も通ってるってことだよ!」
「ん?」
「日に何度も通う必要があるのかって話だ。俺たちだって送迎の時間にならなきゃそう滅多に森に入ることはないのに。あの女は時間などお構いなしだ。あの深い森に共もつけずに女1人で出入りするものじゃないだろう」
「…それは知らなかったな。でも問題はないだろう。キアはキハラの番なんだから。俺もよくキアラに呼び出されてたよ。彼らは話し相手が欲しいんだ」
「話し相手だけで済むのか?」
「どういう意味だい?」
「俺にはキハラ神があの女に寄り添っているように見えた。女も同じだ。身を寄せ合って心も任せているようだ。情に流されて贄になるとか言い出す可能性はないか?」
「考え過ぎだ。彼らは食事はしない。側に置くのは信頼している証だ」
ムジの発言に、ナユタは首を振った。
「味を占めて村の人間を求めるようになったら大問題だぞ!」
「だから、そんな心配はいらないと言ってるだろう!ムジは大袈裟すぎる」
いつもの踏ん反り返った横柄な態度はどこに行ったのか。ナユタは呆れた顔でムジを見上げた。
「あり得ない話ではないと思うぞ!」
「…はいはい。君の心配は胸に置いとくよ。キアにもそれとなく注意しておく」
増幅した不信感はあらぬ方向に飛散する。被害が出る前に食い止めなければならない。
「俺はあの女がどうにかなるのは構わないが、この村の人間が被害に遭うのは御免だ」
「なら、他所の国の人間なら構わないとでも言うのか?」
「…ぬ」
「折しもここは国境だ。色々な国から流れてくる人間を贄として捕まえるのか?それが自分の宿屋の客でも差し出すというのか?」
「…」
ナユタに睨まれてムジは固まってしまった。声のトーンがどんどん低くなる。
「言葉に気をつけてくれ。宿屋組合の代表のきみがそんなことを言わないでくれ。俺たちはキハラキアラ神の加護があるからここで商売をしていられるんだ。そんな態度でいると罰が当たるぞ」
「わ、わかっているわい!」
ボサボサの無精髭に焦りの表情が浮かんだ。普段温和な性格のナユタだが、目の奥に滲み出る威圧感にムジは冷や汗をかいた。
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