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第2章
7 カウントダウン
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雲を裂き 雨を呼べ
大地を濡らせ
風より生まれ
花よ芽吹き
行く道を照らせ
リュペシュの町に入った。ここはルオーゴ神殿の隣にあたる。外交の町として他国の人間が多く行き来していた。ちょっとした市場のようだ。食料品や剣や盾などを扱う武器屋や革製品の小物などが軒を連ねていた。行商人が駱駝や馬に荷物を乗せて行き交う人と話をしていた。
「わあ!人がいっぱいいる」
雪は少しテンションが上がった。こちらの世界に来てからまだ数人にしか会ってないからだ。人種の違いに隔りがないのに気がついた。顔つきも目の色も違うのに言語は統一されていた。こちらの世界の言葉だ。幸い、雪にもわかるようインプットされていた。
「ちょうどいい。食料も尽きてきた頃だ。買い足ししよう」
「やったー」
ディルは少年のような声を出した。スーパーのお菓子売場ではしゃぐ子どもみたいだ。
「干し肉と魚、あと豆。水は…まだ高いな」
シャドウはディルにお金を渡した。何枚かの紙幣とコイン。
「シャドウさんは行かないんですか?」
「俺はいい。雪はディルと一緒に行け」
返事をする前にシャドウは雪に背中を向けて歩き出していた。市場とは反対の方に。
「お釣りもらっていい?」
おつかいの常套句だ。こちらの世界でもあるんだ。雪は可笑しくなって口元を綻ばせた。ディルの呼びかけにシャドウは手を振って応えた。背は向けずに。
「あんたやっと笑ったね」
「え?」
ディルは雪の手を引いて歩き出した。
「朝からずっと辛気臭い顔してさ、重いんだよ」
「…」
そんなことはないと言えるはずもなく、雪は黙ってしまった。
ナイトメアの一件からディルの過去を知り、ディルと顔を合わせるのが辛いと嘆いていた。そんな雪をディルはすぐに気づき制裁をしたのだった。案の定、むぎゅうと掴まれた両の頬は赤く腫れ上がっていた。
「痛痛痛いっ!もうちょっと手加減してください」
頬をさすりながら雪はディルを睨んだ。虫歯を悪化させて歯医者に連れ込まれた子どものようだ。
「あんたがしみったれた顔をしてるからだよ」
ニヒヒと笑う顔はいつものディルで、雪をほっとさせた。
ふと、シャドウが言った言葉を思い出した。
「耐え難き過去は誰にでもある」と。その通りだ。私にもディルさんにもシャドウさんにも過去はあり、皆それぞれに痛みを持っている。自分ばかりが不幸だと嘆いていたのが恥ずかしくなった。
「あんた顔ブスなんだから、悩むともっと不細工になるよ」
「ちょっと!」
ディルの揶揄う態度に雪はカチンと来て追いかけ出した。
雪のディルへの気遣いが、逆に雪を元気づけさせていた。
「…神殿の話は何か入ってないか?」
市場の外れに行商人が多く集まる酒場があった。
水もあるが、行商人同士の裏取引でかなりな高値で、わずかながら備蓄されてあった。市民の多くは酒を水代わりに飲んでいた。酒はガリウというアルコール度数のかなり高いものしかなく、あまり飲む者はいない。あとは軽いつまみしかない。中には葉巻を咥えている者もいた。外には駱駝や馬車が繋がれていて、一服した後にすぐに出発が出来るようになっていた。
シャドウは外套のフードを被ったまま、数人の行商人と話し込んでいた。フードと長い髪のおかげで罪人の証である黒いチョーカーは隠れた。何も飲まずに行商人達のテーブルに肘をついて聞いていた。飲まずにいてもガリウの強い香りが辺りに充満していた。
「もうじき婚礼の儀式があるんだが、肝心な花が足りねえってんで町中の花屋が大騒ぎしてるよ」
「こんなに干上がってちゃな。咲くものも咲かねえよ」
花屋も農家も商売にならないとお手上げだ。
「花がなくちゃ儀式は無理だろう」
「花嫁は可哀想だなぁ」
「花嫁は巫女下がりだと聞いたぞ。きっと、神殿側が禊明けに早く済ませたいのだろう」
「巫女下がりを娶るとは神官様も出来た人だなぁ」
巫女下がりとは、見習い中に神殿の行いに背いた者に対する蔑称だ。本来なら神に対する冒涜罪で追放もあり得るのだが、長年神殿に尽くしてきた事もあり、神官とも懇意にしていた為、それは免れた。
儀式には、国花でもあるリュリュトゥルテが必要不可欠だった。
リュリュトゥルテの花冠に花束。ドレスにも花が付き、乾杯の酒にも使われる。儀式の後には集まってくれた観衆への感謝のフラワーシャワー。無数の花弁を雪のように舞い散らすのだ。そのシャワーを浴びた者は幸せな花嫁になれると語り継がれていた。母から子へ。必ず聞かされる物語だ。
「長年、神殿にいた娘だというのに。なんでまた巫女下がりになんてなったんだ?」
巫女の名前はマリー。
孤児同士、シャドウと神殿で暮らし、朗らかに育まれた。性格は明るく素直。時におてんばで、時に泣き虫。シャドウとは兄妹のように暮らしてきた。
10歳から巫女の修行に勤しんできたが、純白の世界で生きてきただけのマリーには、たった一度の下界の煌びやかで華やかな世界に心を奪われてしまったのだ。このひとつの歯車がずれたことで、すべてが狂い出した。
巫女下がりなどと不名誉な称号を与えてしまったのは、他でもないシャドウだった。
兄として、時に父として。シャドウはマリーを大切にしてきた。
一点の曇りもない白の世界で生きて来たマリーが、初めて感じた下界の空気。煌びやかな華やかさと、反面、埃っぽく燻んだ世界。素直に純真無垢な笑顔が初めて苦痛に歪んだ。
良かれと思って見せた世界に、マリーは原型を止める間も無く溶け込んでいった。
「巫女をそそのかした男がいたと聞くぞ」
行商人達の会話がフードを通り抜けてシャドウの耳に突き刺さって行く。
「でも、その男は神殿から追放されて処分を受けているのだろう?」
店の主人と思しき中年の男がシャドウの前に小さなグラスを置いた。中に薄い黄緑色の液体が入っていた。目にしみるような強い香りが鼻を抜けた。
「新しい酒だ。シャンシュールの実を搾ったものだ。あんたみたいな下戸の奴にも楽しめるんじゃないかと思ってな」
主人に勧められてシャドウはグラスに鼻をつけた。甘酸っぱい香りが鼻腔をくすぐる。シャンシュールは柑橘類の中で最も小さな実だ。黄緑色の果皮の中に果肉がぎっしりと詰まっていた。果汁が多いので、水代わりに子どもに食べさせている家庭も多い。
「うまいだろ?」
「…わざわざ酒にしなくてもいいんじゃないか?」
シャドウは口を付けるのはやめて、香りだけ感じた。
「酒屋に酒がなきゃ、やってけねえだろうが!」
店主はガハハと大きな声で笑い声をあげた。シャドウとは顔見知りのようだ。
「…お前がここに来たということは式には出るのだろう?」
「…ヴァリウス王の使いで来ている。私情は挟まん」
「そこは挟めよ。きちんと見届けてやれ」
二年間の禊が晴れて、マリーはチドリと結婚する。相手にとって不足はない。
チドリは幼い頃から俺とマリーと衣食住を共にしてきた。頭脳明晰、運動神経抜群、性格は温厚。神官の修行も難なくこなし、修行生トップの成績を修めた。トップになったとはいえ、俺への態度は変わらず親友として接してくれた。でも、マリーが巫女下がりになり、俺が神殿を追放された時に発せられた言葉が今も忘れられない。
「何故お前なんだ!一番近くにいたお前が!何故止められなかった!何故だ!?」
何故かと問われて、何も答えられなかった。
シャドウが酒場から外に出てきた時には、だいぶ日が落ちてきていた。長くいるつもりはなかったのに気がつけばもう何時間も過ぎていた。ディルと雪を放ったらかしにしてしまっていた。
心配をよそに、市場の方向からディルが雪の手を引いて歩く姿を目にした。
「…なんだあいつら、いつの間に仲が良くなったんだ」
話す会話は聞こえはしないが、とても楽しそうだった。
俺がこんなにも辛く悩んでいるときにヘラヘラと。
唯一の家族の幸せを祝福出来ない不甲斐さを笑っているのか。お前達から見たら、俺など、さぞ滑稽に映るのだろうな。
“さあ 目を閉じて 祈ろうか想いを込めて
手を合わせるの 心も閉じて
感じるのよ 草の息吹を 花の呼吸を
さあ 祈るのよ 願いを込めて”
背中をトントンと指先でノックされている振動で目が覚めた。囁くように紡がれていく歌声が妙に耳に馴染んだ。
祈りや願いのフレーズが神殿にいた頃を思い出させていた。
「…何だその歌は」
「わっ!お、起きてたんですか!シャドウさん」
無意識に口ずさんでいた鼻歌を聞かれたのは、ものすごく恥ずかしい。
「…歌声が聞こえて目が覚めた。…それにしても何で俺はお前の膝の上で寝てるんだ?」
「あ、うるさかったですね。すみません。シャドウさん、お酒の匂いで酔っ払っちゃったんですよ。覚えてないですか?」
ディルさんと一緒に運んだんですよ。
「…何となくそんな気もしてきたが、でも何故」
酔い潰れて倒れかかってきたシャドウを受け止めきれずに潰されたから…とは言わないでおこうか。
「まあ、別にいいじゃないですか。この方が楽でしょう?」
硬い土の上で寝るよりマシだと言えばそうなる。人肌の温もりと弾力が心地よくて確かに楽だった。いや、でも。
「気にしないでいいですよ」
心を読まれたかと思った。確かに移動しろと言われても、体の自由がきかない。未だにガリウの香りでめまいがする。
「…悪いな」
「大丈夫ですよ」
クスクスと笑う雪の顔は見れずにいた。気遣いが恥ずかしく、または慣れているような姿勢が胸をざわざわと鳴らした。胸のざわつきは倒れる前にも感じたような気がしたが、どうしてかはわからん。
「さっきの歌は何だ?」
「えーっと、タイトルは特になくてですね。昔、おばあちゃんが種蒔きの後に、早く芽が出ますようにっておまじないみたいな感じで歌ってたんです」
詩も曲も即興。だから毎回メロディも歌詞も違う。
「…良い歌だ。お前の声も優しくて」
「いえいえいえ!そんなことは!」
ないと両手を振って照れを隠した。面と向かって褒められるということなんて、今までの人生であまりない。しかもシャドウから褒められるとは思いもしなかった。頬の火照りを冷ますように手で仰いだ。
熱が引くまで、今日の出来事を掻い摘んで話した。ディルに揶揄われて頬を抓られたことや、二人並んでいたら市場の人に兄妹に間違えられたこと。
干し肉屋さんからおまけに塩を貰えたことや、ディルが貰ったお釣りで駄菓子屋さんみたいな小さなお店で、携帯用の飴や泡の出るラムネを買った。
「あれ、おいしかったですよね。口の中でシュワーッとして爽やかで。私、気に入りました。って、あれ?シャドウさん、寝ちゃったんですか?」
リズムよく寝息を立てる姿に雪はホッとした。お酒が飲めないと聞いた時はまさかと驚いたけれど、酒好きな私でもガリウとかいう酒は飲める気がしなかった。ひと舐めで目が回りそうだった。
「あと、この曲は子守歌でもあるんです。田舎で弟妹達によく歌ってました」
だから、膝枕も慣れっこ。右か左か取り合いになることもあった。
雪はシャドウの背中にそっと触れた。まだ火照りが冷めないようで温かかった。自分の掛布を肩からずらしてシャドウの背中にかけた。ディルは足元で丸くなっていた。
雪は、今日は色々なことがあったなと反芻しながらシャドウの髪を梳いた。
髪の間からチョーカーが見えた。自分がしているものとは色違い。色が違えば意味も変わる。シャドウさんは罪人だと城にいた兵士が言っていた。その意味をいずれは教えてくれるのだろうかと雪は待っていた。
雲を裂き 雨を呼べ
大地を濡らせ
風より生まれ
花よ芽吹き
行く道を照らせ
リュペシュの町に入った。ここはルオーゴ神殿の隣にあたる。外交の町として他国の人間が多く行き来していた。ちょっとした市場のようだ。食料品や剣や盾などを扱う武器屋や革製品の小物などが軒を連ねていた。行商人が駱駝や馬に荷物を乗せて行き交う人と話をしていた。
「わあ!人がいっぱいいる」
雪は少しテンションが上がった。こちらの世界に来てからまだ数人にしか会ってないからだ。人種の違いに隔りがないのに気がついた。顔つきも目の色も違うのに言語は統一されていた。こちらの世界の言葉だ。幸い、雪にもわかるようインプットされていた。
「ちょうどいい。食料も尽きてきた頃だ。買い足ししよう」
「やったー」
ディルは少年のような声を出した。スーパーのお菓子売場ではしゃぐ子どもみたいだ。
「干し肉と魚、あと豆。水は…まだ高いな」
シャドウはディルにお金を渡した。何枚かの紙幣とコイン。
「シャドウさんは行かないんですか?」
「俺はいい。雪はディルと一緒に行け」
返事をする前にシャドウは雪に背中を向けて歩き出していた。市場とは反対の方に。
「お釣りもらっていい?」
おつかいの常套句だ。こちらの世界でもあるんだ。雪は可笑しくなって口元を綻ばせた。ディルの呼びかけにシャドウは手を振って応えた。背は向けずに。
「あんたやっと笑ったね」
「え?」
ディルは雪の手を引いて歩き出した。
「朝からずっと辛気臭い顔してさ、重いんだよ」
「…」
そんなことはないと言えるはずもなく、雪は黙ってしまった。
ナイトメアの一件からディルの過去を知り、ディルと顔を合わせるのが辛いと嘆いていた。そんな雪をディルはすぐに気づき制裁をしたのだった。案の定、むぎゅうと掴まれた両の頬は赤く腫れ上がっていた。
「痛痛痛いっ!もうちょっと手加減してください」
頬をさすりながら雪はディルを睨んだ。虫歯を悪化させて歯医者に連れ込まれた子どものようだ。
「あんたがしみったれた顔をしてるからだよ」
ニヒヒと笑う顔はいつものディルで、雪をほっとさせた。
ふと、シャドウが言った言葉を思い出した。
「耐え難き過去は誰にでもある」と。その通りだ。私にもディルさんにもシャドウさんにも過去はあり、皆それぞれに痛みを持っている。自分ばかりが不幸だと嘆いていたのが恥ずかしくなった。
「あんた顔ブスなんだから、悩むともっと不細工になるよ」
「ちょっと!」
ディルの揶揄う態度に雪はカチンと来て追いかけ出した。
雪のディルへの気遣いが、逆に雪を元気づけさせていた。
「…神殿の話は何か入ってないか?」
市場の外れに行商人が多く集まる酒場があった。
水もあるが、行商人同士の裏取引でかなりな高値で、わずかながら備蓄されてあった。市民の多くは酒を水代わりに飲んでいた。酒はガリウというアルコール度数のかなり高いものしかなく、あまり飲む者はいない。あとは軽いつまみしかない。中には葉巻を咥えている者もいた。外には駱駝や馬車が繋がれていて、一服した後にすぐに出発が出来るようになっていた。
シャドウは外套のフードを被ったまま、数人の行商人と話し込んでいた。フードと長い髪のおかげで罪人の証である黒いチョーカーは隠れた。何も飲まずに行商人達のテーブルに肘をついて聞いていた。飲まずにいてもガリウの強い香りが辺りに充満していた。
「もうじき婚礼の儀式があるんだが、肝心な花が足りねえってんで町中の花屋が大騒ぎしてるよ」
「こんなに干上がってちゃな。咲くものも咲かねえよ」
花屋も農家も商売にならないとお手上げだ。
「花がなくちゃ儀式は無理だろう」
「花嫁は可哀想だなぁ」
「花嫁は巫女下がりだと聞いたぞ。きっと、神殿側が禊明けに早く済ませたいのだろう」
「巫女下がりを娶るとは神官様も出来た人だなぁ」
巫女下がりとは、見習い中に神殿の行いに背いた者に対する蔑称だ。本来なら神に対する冒涜罪で追放もあり得るのだが、長年神殿に尽くしてきた事もあり、神官とも懇意にしていた為、それは免れた。
儀式には、国花でもあるリュリュトゥルテが必要不可欠だった。
リュリュトゥルテの花冠に花束。ドレスにも花が付き、乾杯の酒にも使われる。儀式の後には集まってくれた観衆への感謝のフラワーシャワー。無数の花弁を雪のように舞い散らすのだ。そのシャワーを浴びた者は幸せな花嫁になれると語り継がれていた。母から子へ。必ず聞かされる物語だ。
「長年、神殿にいた娘だというのに。なんでまた巫女下がりになんてなったんだ?」
巫女の名前はマリー。
孤児同士、シャドウと神殿で暮らし、朗らかに育まれた。性格は明るく素直。時におてんばで、時に泣き虫。シャドウとは兄妹のように暮らしてきた。
10歳から巫女の修行に勤しんできたが、純白の世界で生きてきただけのマリーには、たった一度の下界の煌びやかで華やかな世界に心を奪われてしまったのだ。このひとつの歯車がずれたことで、すべてが狂い出した。
巫女下がりなどと不名誉な称号を与えてしまったのは、他でもないシャドウだった。
兄として、時に父として。シャドウはマリーを大切にしてきた。
一点の曇りもない白の世界で生きて来たマリーが、初めて感じた下界の空気。煌びやかな華やかさと、反面、埃っぽく燻んだ世界。素直に純真無垢な笑顔が初めて苦痛に歪んだ。
良かれと思って見せた世界に、マリーは原型を止める間も無く溶け込んでいった。
「巫女をそそのかした男がいたと聞くぞ」
行商人達の会話がフードを通り抜けてシャドウの耳に突き刺さって行く。
「でも、その男は神殿から追放されて処分を受けているのだろう?」
店の主人と思しき中年の男がシャドウの前に小さなグラスを置いた。中に薄い黄緑色の液体が入っていた。目にしみるような強い香りが鼻を抜けた。
「新しい酒だ。シャンシュールの実を搾ったものだ。あんたみたいな下戸の奴にも楽しめるんじゃないかと思ってな」
主人に勧められてシャドウはグラスに鼻をつけた。甘酸っぱい香りが鼻腔をくすぐる。シャンシュールは柑橘類の中で最も小さな実だ。黄緑色の果皮の中に果肉がぎっしりと詰まっていた。果汁が多いので、水代わりに子どもに食べさせている家庭も多い。
「うまいだろ?」
「…わざわざ酒にしなくてもいいんじゃないか?」
シャドウは口を付けるのはやめて、香りだけ感じた。
「酒屋に酒がなきゃ、やってけねえだろうが!」
店主はガハハと大きな声で笑い声をあげた。シャドウとは顔見知りのようだ。
「…お前がここに来たということは式には出るのだろう?」
「…ヴァリウス王の使いで来ている。私情は挟まん」
「そこは挟めよ。きちんと見届けてやれ」
二年間の禊が晴れて、マリーはチドリと結婚する。相手にとって不足はない。
チドリは幼い頃から俺とマリーと衣食住を共にしてきた。頭脳明晰、運動神経抜群、性格は温厚。神官の修行も難なくこなし、修行生トップの成績を修めた。トップになったとはいえ、俺への態度は変わらず親友として接してくれた。でも、マリーが巫女下がりになり、俺が神殿を追放された時に発せられた言葉が今も忘れられない。
「何故お前なんだ!一番近くにいたお前が!何故止められなかった!何故だ!?」
何故かと問われて、何も答えられなかった。
シャドウが酒場から外に出てきた時には、だいぶ日が落ちてきていた。長くいるつもりはなかったのに気がつけばもう何時間も過ぎていた。ディルと雪を放ったらかしにしてしまっていた。
心配をよそに、市場の方向からディルが雪の手を引いて歩く姿を目にした。
「…なんだあいつら、いつの間に仲が良くなったんだ」
話す会話は聞こえはしないが、とても楽しそうだった。
俺がこんなにも辛く悩んでいるときにヘラヘラと。
唯一の家族の幸せを祝福出来ない不甲斐さを笑っているのか。お前達から見たら、俺など、さぞ滑稽に映るのだろうな。
“さあ 目を閉じて 祈ろうか想いを込めて
手を合わせるの 心も閉じて
感じるのよ 草の息吹を 花の呼吸を
さあ 祈るのよ 願いを込めて”
背中をトントンと指先でノックされている振動で目が覚めた。囁くように紡がれていく歌声が妙に耳に馴染んだ。
祈りや願いのフレーズが神殿にいた頃を思い出させていた。
「…何だその歌は」
「わっ!お、起きてたんですか!シャドウさん」
無意識に口ずさんでいた鼻歌を聞かれたのは、ものすごく恥ずかしい。
「…歌声が聞こえて目が覚めた。…それにしても何で俺はお前の膝の上で寝てるんだ?」
「あ、うるさかったですね。すみません。シャドウさん、お酒の匂いで酔っ払っちゃったんですよ。覚えてないですか?」
ディルさんと一緒に運んだんですよ。
「…何となくそんな気もしてきたが、でも何故」
酔い潰れて倒れかかってきたシャドウを受け止めきれずに潰されたから…とは言わないでおこうか。
「まあ、別にいいじゃないですか。この方が楽でしょう?」
硬い土の上で寝るよりマシだと言えばそうなる。人肌の温もりと弾力が心地よくて確かに楽だった。いや、でも。
「気にしないでいいですよ」
心を読まれたかと思った。確かに移動しろと言われても、体の自由がきかない。未だにガリウの香りでめまいがする。
「…悪いな」
「大丈夫ですよ」
クスクスと笑う雪の顔は見れずにいた。気遣いが恥ずかしく、または慣れているような姿勢が胸をざわざわと鳴らした。胸のざわつきは倒れる前にも感じたような気がしたが、どうしてかはわからん。
「さっきの歌は何だ?」
「えーっと、タイトルは特になくてですね。昔、おばあちゃんが種蒔きの後に、早く芽が出ますようにっておまじないみたいな感じで歌ってたんです」
詩も曲も即興。だから毎回メロディも歌詞も違う。
「…良い歌だ。お前の声も優しくて」
「いえいえいえ!そんなことは!」
ないと両手を振って照れを隠した。面と向かって褒められるということなんて、今までの人生であまりない。しかもシャドウから褒められるとは思いもしなかった。頬の火照りを冷ますように手で仰いだ。
熱が引くまで、今日の出来事を掻い摘んで話した。ディルに揶揄われて頬を抓られたことや、二人並んでいたら市場の人に兄妹に間違えられたこと。
干し肉屋さんからおまけに塩を貰えたことや、ディルが貰ったお釣りで駄菓子屋さんみたいな小さなお店で、携帯用の飴や泡の出るラムネを買った。
「あれ、おいしかったですよね。口の中でシュワーッとして爽やかで。私、気に入りました。って、あれ?シャドウさん、寝ちゃったんですか?」
リズムよく寝息を立てる姿に雪はホッとした。お酒が飲めないと聞いた時はまさかと驚いたけれど、酒好きな私でもガリウとかいう酒は飲める気がしなかった。ひと舐めで目が回りそうだった。
「あと、この曲は子守歌でもあるんです。田舎で弟妹達によく歌ってました」
だから、膝枕も慣れっこ。右か左か取り合いになることもあった。
雪はシャドウの背中にそっと触れた。まだ火照りが冷めないようで温かかった。自分の掛布を肩からずらしてシャドウの背中にかけた。ディルは足元で丸くなっていた。
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