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第4章
42 最後のお願い(1)
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「そんな急に言われたって…」
あれこれと矢継ぎ早に捲し立てられたばかりだ。納得するには時間があまりにも足りない。
「なら、この話はなしだな。忘れろ」
零か百か。イエスかノーか。どちらでもいいは聞かない。
「ま、待ってよ!」
踵を返すキハラにキアは必死に呼び止めた。振り上げた腕が水をかいて飛沫が頭まで上がった。
「何だ?」
キハラは怪訝な顔つきでキアを見下ろした。
「お前の答えなど当に出ているだろうが」
「えっ」
「お前はオレの番だ。オレから離れられると思うのか?」
キハラはぬっと首を伸ばし、キアの顔に近づき影を落とす。
「何を悩む必要があるのか」
「……さっきと言ってることがちがう…」
「…お前は仕事を放り出して行くヤツだったのか」
キアは冷静にキハラを見つめ返した。揚げ足を取られてキハラは顔を顰める。チッと舌打ちが静かに響いた。
「キハラ…」
キアはそっとキハラの体から手を離した。答えなんて言わなくてもわかっていてくれていると思っていた。こんなふうに責め立てることなく、見守ってもらえると思っていた。多少のいじわるはあれど、いつものことだと流せるぐらいに思っていた。
私は、本当の自分のことを知りたいと何度も悩みを吐いていた。その都度キハラは、気にしないと何者でも構わないと言ってくれていた。その言葉には感謝しかない。右も左もわからなかった私を何度となく助けてくれた。村に住まわせてくれ、尚且つ、番にしてくれて私に仕事をくれた。この村にいてもいい理由を作ってくれた。そんな大役を素性のわからない人間に任せていいのかと何度も尋ねた。自問自答ももう何十回としてる。泣いても悩んでも答えが出ない。落ち込んでいると、しまいには、
「いちいちうるさい」だの、「細かい」だの、はぐらかされた。
「オレが決めたんだ。誰にも文句は言わせない」
キハラの間髪なく差し込まれる言葉にはぐうの音も出ない。少しずつ村人たちにも認識されて、打ち解け始めて来ると、次第に自分自身も「これでいい」のだと納得し始めていた。
「何者でも構わない」
この言葉の持つ力が強すぎて、みな口を閉じてしまう。主神が決めたことだ。きっと間違いはないだろうと。みんな口をつぐむ。仲良くしてくれるのは、本当にありがたいことだけれど、私は誰にも本当の姿を知られていないのだ。まあ、いいじゃないの。深く考えないでと話を流される。なあなあにされていている気がする。
「オレなりに認めているのに、お前には響いてないようだな」
これ以上にない賛辞に、これ以上何を望むと言うのか。
「強欲なやつだな」
上げて落として、褒めて貶す。キハラのいつもの常套句。いつもなら丸め込まれていたかもしれない。でも今は、言葉を止めてはいけない気がした。今しかないのだと逸る気持ちを抑えられなかった。
「ちがう…。自分自身を知ることの何がいけないの?私は知りたいよ。私が誰なのか、どこから来たのか、私は誰を待っているのか。私のことを、誰が迎えに来てくれるのかを知りたい」
キハラの言うことは正しい。何にもなかった私に居場所をくれた。
だけど、
「私のことを転移者だと言う人がいたの。どこか別の世界から移されてきたんだって。本当かな?ちょっと突飛な話で信じ難いけど、私の記憶に繋がる言葉だと思うの。本当かどうかは調べないとわからないから、今度ムジさん達と買い出しに町に行くでしょう?大きな町だというから、何か、手掛かりになるものがないかなって探したいと思ってる」
「………遠くに、行く…のか?」
行き先のザザはこの辺りではかなり大きい港町だ。内陸や外海から色々な人種が行き交い、交易も盛んだ。人探しというなら顔のきく輩はいくらでもいるだろう。
キハラは声を詰まらせた。声に張りがなく、いつになく挙動不審だ。目玉がきょろきょろと回る。まさかの事態に気持ちが追いつかない。
「門所を出て行くのははじめてだから、なんだか緊張しちゃう」
今からそわそわすると手のひらの汗を拭った。指の間まで汗が流れていた。
「…キハラお願い。次の儀式まで時間をください」
キアは拳を握り、ぎゅうっと力を込めた。
「……次の儀式までに戻ると言うのか」
本当に戻って来るのか?こんなにも意気揚々に新しい道に突き進もうとしているヤツが。
「ちゃんと戻ります!だから、お願いします!」
キアは深々と頭を下げた。反動でパシャパシャと水面が鳴る。
キハラは未だにぽかんとしていた。
こいつが必死なのは何でだ?
自分のため?オレのため?
自分から出て行くだの言うヤツじゃなかったのに!誰の入れ知恵だ!?
オレの許から、自ら離れて行くだなんて考えもしなかった。しかも期限付きだなんて勝手に決めやがって!何様のつもりだ!!
「お前が、自分の意思を貫き通すなど…」
親なら子の成長を望むのだ。自らの意思で新しい道を切り開こうとしているなら、快く送り出してやるものだ。…普通なら。
「普通ってなんだ?」
オレは親じゃない。こいつも子どもじゃない。神と番の主従関係だ。番の分際で神に逆らうなどあってはならないことだ。
「キハラ!お願い!!」
だが、こんなにも自分のことに必死になる姿は初めて見る。他人のことばかり気にかけていたこいつが、初めて自分を優先している。これも成長か。
「……気に食わねえ…な」
喜ばしい気持ちが芽生えたのも束の間、キハラは自分の心情を無視して誰かの入れ知恵を受け入れたことに苛立ちを覚えた。
「誰の仕業だ。余計なことを覚えさせやがって」
自分以外の言葉を優先したことに腹が立ってきた。
「お前の必死のアピールも薄っぺらく思えてきた」
「な!なんで、私が自分で決めたのよ!」
キアはしどろもどろになった。
「どうだかなぁ。また見知らぬ者もいるようだしなあ。そいつが何か言ったんじゃないか」
「ちがうよ!」
「違わねえよ」
「最近森の中が騒がしいのはそのせいか?まったくお前が来てから騒々しいことばかりだな」
「そんな…」
「お前が連れて来たんじゃないのか?」
「ええ…?」
「次から次へとぞろぞろと。お前に関係のあるヤツばかりじゃねえか」
ロイ、ディル、シャドウ。ロイは獣人を探しに。獣人のディルも仲間を探しに。そして現れたシャドウは、誰を探しにきた?
「そんなことないよ」
「言い切れるのか?わからねえだろうが」
「それは…わからないけど、自分の本当の姿を探したいのは私自身だから、他の人は関係ないよ」
風の音も水の音も止み、静寂だけが残った。
髪の毛から滴る雫が波紋を作る。キハラはその様をじっと見つめていた。
「私が、私を探しにいきたい。その許可を私にください」
キアは両手を重ねて深々と頭を下げた。
「キア!!」
静まった空気をかき消すように、高く、その声は響いた。声の主は、ロイとシャドウに挟まれて嬉々として跳び上がっていた。二人よりは小柄で、銀色の髪をした細身の若い男だった。男はキアに飛びつく仕草を見せていた。四つん這いになろうと腰を落とす。両隣の男たちはギョッとして止めにかかっていた。
キハラは彼らを睨みつけ、大きく弧を描くように飛沫を上げて湖の底に体を沈めた。
「キハラ!待って!!」
キアの静止も聞かずにキハラは姿を消した。大粒の雫が水面とキアたちを激しく叩きつけた。
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