大人のためのファンタジア

深水 酉

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第4章

12 届かない想い

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 「馬鹿な話をするな。そんなことあるわけがない。だいたい、その怪我は雪が呼んだ悪鬼にやられたのだろう?」
 チドリの体に刻まれた復讐の刃。圧迫された首には今も指の跡が残る。はち切れた血管からは血が溢れ、目の中を海にさせた。

 「何だ。やっぱりわかってたんじゃないか。言ってくれないなんて意地悪だな」
 チドリは気まずい表情を見せた。虚勢を張っていたのがバレバレだった。自分が手をかけた相手に反撃される間抜けな首謀者に成り下がったのだ。神官のすることではない。無論誰であっても、あってはならないことだ。

 「おかしな靄もいた。あれは何だ?あの影付きと顔見知りのようだった。いやに慣れ親しんでいた」
 ぼくの首を締め上げてきたのもあの靄の仕業だ。
 影付きの中からぼくを睨んでいた。嘲笑うようにも見えた。おまけに顔に印までつけられた。

 (…ナイトメアだ。あいつが雪を助けたと言っていたのは本当だったのだ。その助けがあと一歩早かったならよかったと望むのはお門違いだ…)
 シャドウは頭を抱えた。髪の毛をぐしゃぐしゃにかき混ぜた。
 自分の無力さを痛感せざるを得なかった。情けない。雪を憐れんでいるのは俺自身だった。チドリから真実を引き出す事が目的だったが、事実が明らかになったからと言って、雪が救われるわけじゃない。

 「嘘をついたことは謝るよ。あんな若い子に反撃されるなんて思ってなかったからね」
 まったく、悪鬼を呼びだすなんて想定外だ。拐かして甘い夢をなんて浅はかだった。今も体中が悲鳴を上げている。軋む骨。裂傷のせいで熱も出てきた。

 「軽く言うな!お前は最低なことをしたんだぞ!!」
 また胸ぐらを掴み上げた。先の戦闘でのせいで衣服もボロボロになっていて、掴まれた襟ぐりが広く伸びた。
 最低なのは俺自身もだ。自分の無力さをチドリのせいにしている。
 シャドウは深い溜息をついた。心の底からチドリを憎んでも、雪を救うことにはならない。

 「…悪かったよ。シャドウがそんなに大事にしている子だとは知らなかったから、悪ふざけが過ぎた。でも所詮、影付きだ。いずれ影(記憶)を抜かれて放り出される。シャドウとは添い遂げられるわけがないんだよ」
 チドリは、肩を落として俯くシャドウにそっと声をかけた。シャドウはその声を振り払うように体を動かした。チドリに言われるまでもない。わかっているのだ。
 チドリは心配をよそに口元は緩んでいた。沈着冷静な男が、たった一人の女のことでこうも取り乱すのか。弱点を握れて優位に立った気分になった。

 「…同じようなことを前にも何処かで聞いた」
 ディルだ。旅に出てすぐに、雪にそんな話をしていた。元の世界に帰ることが前提なのだから、好きな人は作るなと忠告していた。
 俺には関係のない話だったからつい流していたが、今は大いに関係がある。
 俺が雪を好きになってしまった。いつからそう思ったのかは定かではないが、神殿で再会した時に自覚した。抱きしめた時に、懐かしさに似た温もりを感じ、愛しさを覚えた。
 
 今は傍にいたい。
 傍にいて欲しい。手の届く範囲にいて欲しい。声が聞きたい。離したくない。…帰したくない。
 こんな風に想いを馳せることなど、自分の中にあるとは考えつかなかった。マリーを思うのとは違う感覚。愛しくて、心配で。
 
 決して添い遂げられるわけがないのに。想いだけが募る。俺に出来ることはただ想うことだけなのか。
 シャドウは憤りが隠せずにいた。自分の手を払った雪の姿が拭いきれない。影付きというだけで、元の世界にも帰れず記憶を奪われる。こんなにも悲惨な目に遭わす意味がわからない。
 過去との清算。救済を求めてもいないのリスクが高すぎる。

 「…何故、影付きの記憶を消す必要があるんだ」
 根本的なことをまだ理解してなかった。雪はこの国の基盤になるのだとか言っていたが、真実味がない。

 「国家機密を知り過ぎたからだよ」

 「そんなの建前だろう」

 「ヴァリウスは、対抗勢力は早めに摘んでおかないと心配なんだよ。あの人、態度は人一倍でかいくせにビビりだから。
 獣人は抑えがきくけど、影付きはどこの誰かもわからないだろう?どんな知識と経験を持って攻めて来るかわからない。得体の知れない術でもかけられたら太刀打ちできない。だから反撃される前に、武器となる記憶を奪ってしまえばいいいだろうと考えているんだよ」

 「滅茶苦茶だな」
 何だその考えは。
 シャドウは顔をしかめた。

 「王様の申入れに大抵は膝をつくけど、あの子は影付きになるのを拒んだんだろう?だからヴァリウスは余計に躍起になっているんだよ」

 ヴァリウスは、歯向かう勢力を捻り潰すのが楽しくてたまらない最低のクズ野郎だ。そのクズにこうべを垂れたぼくは何者だろう。同じ系統に入るのかな?

 シャドウにはぼくはどう映るのかな。同級生に上から見下ろされるのは嫌だな。生まれ育ち、環境の違い、能力の差だとしても、ほんの10年前は一緒に過ごした家族なのだ。

 たった10年。されど10年。

 月日の流れは人を美化し、汚していくものだ。
 理想をかがげてもどこにも引っかからず朽ちていくものもあれば、一歩一歩コツコツと苦労を重ねて、達成していくものもある。
 道を違えた10年の時間の中で、ぼくとシャドウの間には深い溝が出来てしまった。それがとても寂しい。
 罪人となったシャドウが賞賛され、ぼくは神官には不適格と罵倒された。
 シャドウには大事な人ができて、ぼくの周りには誰もいなくなった。ぼくを担ぎ上げていた多くの信者達も、サリエも、マリーも、両親でさえも。誰もがいない。
 
 「…国花はいつ咲くんだ?」
 シャドウは唸るような低い声でチドリに問いた。
 花の開花で雪の人生が左右する。シャドウにとってはとても重要なことだった。

 「さあね」
 チドリはまたうそぶいた。焦るシャドウを見て意地悪な心が動く。焦れば焦るほど、クールな顔が苦悩に歪んでいく。その変化を見るのが楽しくなってきた。
 苦悩と焦燥で苛まれていく。

 「滑稽だね。シャドウ」

 「な…に?」

 「君みたいなタイプの人間が愛だ、恋だなんてギャップが大きすぎるよ。たかだか一人の女に振り回されて笑えるんだけど」

 その姿が、羨ましくも思える。本能のままに悲しみ、嘆く。取り繕うともしないストレートな表現に胸を打たれた。

 「…お前にはいないのか?身を案じる相手は」
 反論を買う気でいたのに一気にトーンダウンした。シャドウの声に、

 「…いたら、何かが変わっていたかな。ぼくも」
 チドリは素直に受け答えをした。

 振り返っても誰もいない。もう誰の声も聞こえない。ぼくを慕っていたマリーの姿さえ、見えない。
 離れて欲しいと願ったサリエの姿もない。願ったのだから、いないのは当然だ。なのに、誰もいない背中はひどく寒い。

 「花は潰させてもらうぞ」
 シャドウはチドリをきつく睨んだ。
 もはや花のことなど関係なくなってきている。ヴァリウスにとって、障害となる影付きは駆逐対象には変わりない。いつ、執行されるかを待っていては遅い。

 「好きにしなよ。もうどうでもいい」
 チドリは覇気のない返事をした。誰かを想うことも忘れることもできない。ただ、シャドウを羨ましく思うだけだった。
 
 チドリが返事をしたのと、花卉農家のソインが走り込んで来たのはほぼ同時だった。
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