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第5章
4 リュリュトゥルテ
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「お、お待ちくださ~い!」
息を弾ませながら、どすどすと重い足止りでソインが走ってきた。
シャドウは訝しげに振り返った。後ろには膝を押さえながら肩で息をする花農家の男がいた。
「さっきの話は、あなたは、何なんですか!?国花をどうするおつもりですか!」
「なんだお前は?」
「わ、私はリュペシュの町の商人です。花農家のソインといいます。サリエ様に頼まれて、国花の世話をしています」
「サリエに頼まれた?」
懐かしい名前を聞いたなとシャドウは頷いた。
「はい。国花の成長が悪いので、結婚式に間に合うよう咲かせてくれと頼まれました」
花嫁不在の結婚式など、やる意味があるのか?
「…体力なさすぎじゃないか?」
先を急ぎたいシャドウは、心なしか言葉が冷たい。
「す、すみません。荷物運びなんかは得意なんですが、どうも走ったりなんだり運動は苦手で…」
ソインは、口で息をせわしなく吐きながら、恰幅の良い腹を撫でた。
シャドウは、ソインの息が整うのを待って口を開いた。
「国花の場所を教えろ。どうしても確認したい」
「それはダメです!国花を育てる場所は門外不出です!それに、あなたは…」
ソインは恨めしそうにシャドウを見上げた。
「…もう摘み取るなんてことは言わん」
花には意味がないと聞かされたばかりだ。ただ、意味がなくとも存在だけは確認しておきたい。国花とはいえ、今となれば悪物に過ぎない。
「…あれはとてもデリケートな花なんです。気難しいというか気位が高いというか。そのくせ、花びらは繊細なレースのようで」
素人が下手に触って傷でもついたら大変だとソインは慌てふためく。
「面倒だな」
「そんな一言で片付けないでください!繊細なんですよ!日照不足で、蕾を覆う殻が固いから一枚一枚がなかなか外れない。思うように外に出られない。深層のお姫様みたいな感じでしょう?」
ソインはやや興奮気味に国花の説明をした。両手で花の形を作ってみせた。
「…子どもの頃から神殿にいたが、国花が咲いてるところを見たことがないな」
シャドウは頭を捻るもイメージが沸かずにいた。
「儀式以外では摘むことも許されない花ですから、見たことがないのは不思議ではないですよ。神殿の方でも栽培場所を知っている方はごく一部だと思います。現にあんな場所ですから、目に止めることはほとんどないと思います。しかも、扱いはとても難しい。一般には流通してない花ですから、花農家の私達ですら一苦労です」
ソインはシャドウを先導して歩いた。迷路のような白壁を抜けて、神殿の裏手に出た。白亜の美しさからは真逆の切り立った崖が、シャドウを迎えた。
「こんな場所が…」
幼少の頃に、神殿の中は広いから迷子にならないよう気をつけてと大人達に言われていたのを思い出した。森の中で遊ぶときは一人にならずにみんなでと。迷い込んだら帰れなくなるぞと脅かされてきた。確かに、背丈の高い草に囲まれては行きも帰りも道はいっしょくただ。前後左右、足を取られたら身動きできない。
「賊除けとも聞いたな」
神殿に侵入してくる盗賊も少なからず存在していた。だが、この崖を登るのも一苦労だ。
「ほら、あそこ。わかりますか?」
ソインは腰にロープを巻きつけ、残りを木に結んだ。崖を下りるための命綱です。これがないとおっかなくって行けませんと、はにかんだ。ソインは崖の下を指差した。
シャドウもつられて崖下を覗き込んだ。
「白い蕾が点々としているでしょう」
崖の下から、かすかに水音が聞こえた。
川と言うには細い。だが、用水路とまではいかない。
水の量が少なすぎる。そこから根を伸ばして崖を這うように植物の枝が広がっていた。なけなしの水を全て吸い込んだような枝は、太くて硬そうだった。
「あれが」
国花・リュリュトゥルテ。小さな手毬のように、丸っこいフォルム。丸みのある白い花びらが、幾重にも重ねられていた。
「一つの花に花びらは100~200枚もあります」
無限に重ねられた可憐な花びら。
ソインは自慢気に話し出した。
「切り立った崖の下から、吹き上げる風に乗って花は舞い、上空に吹き飛んで四方に花びらが散ります。城下に届く頃には散り散りになっていますが、それはもう、とても美しい光景なんですよ。そうですね。例えるなら、風花ですかね」
「風花?」
「晴れた日に、上空の寒気に吹き飛ばされてくる雪です。微量だから掴もうと手を伸ばしても、触れる頃には溶けてなくなる。それと同じで、脆くて儚いんです」
地上に降りてくる頃には跡形もない。
力説するソインを横目に、シャドウは国花から目を逸らした。
(あいつを形容する例えと同じだな。
雪とか雲とか。
触れられず、消えてなくなる。
国花と同じだ。しかも、国花はあいつの命を脅かすものだ)
シャドウは木に寄りかかり、空を見上げて一息ついた。
閉じた瞼の裏に雪の姿を見た。
(怪我の具合はどうだ?
探していた人物は見つかったか?
ディルと合流できたか?
一人で耐えてないか?)
思い浮かべることは心配事ばかり。
単純に笑った顔が出てきたためしがない。
風がシャドウの髪を揺らした。首元をすり抜け、黒いチョーカーがあらわになった。螺旋を描きながら耳元にも吹き込んできた。
「シャドウさん」
ぎこちなく、遠慮深く、
寂しそうで不安げで、
いつも感情を押し殺している。
そんな声で、呼ばれた気がした。
「…呼んだか?」
シャドウは耳を峙てて振り返った。後ろにいたのはソインだけだった。
「は?いいえ。呼んでませんよ」
ソインは困ったような顔をして、首を横に振った。
「…そうか。呼ばれたような気がしたんだがな。…悪いな」
シャドウは辺りを見回しながら、声のなる方を探した。
俺を呼ぶ声がしたのだと思った。いつだったか、同じことがあった。あいつの声ならば良かったとずっと思っていた。俺はあいつに名前を呼ばれるのをずっと待っている。
「…神官様と揉めていたようですが、何かあったのですか?」
ソインは、腰に巻いていたロープを解き、荷物の中にしまった。額にいくつもの汗の粒を付けていた。それを手拭いで押さえてはシャドウを見た。
「神官様は変わられてしまった。あんな風に笑う方ではなかった」
ソインはチドリの発言に我慢ができなかった。国花を蔑ろにし、結婚式を踏みにじろうとしていた。国民の期待も無視し、人を傷つけることも何も厭わない。
「あなたと親しげでしたけど、あなたは何者なんですか?」
「俺はシャドウ。…昔ここで世話になっていた。あの神官…チドリとは幼馴染だ」
「そうだったんですか…」
ソインは気不味そうにシャドウを見た。
「といっても会うのは随分と久しぶりだが」
10年以上の歳月を経た今、ソインが言うように昔の面影など全くなかった。神殿の未来の為に、人々の幸せの為に前進あるのみと息巻いていた。将来有望な頼もしい存在だった。
いずれ大神官になるものと信じて疑わなかったのに、俺がいなかった10年の間に予想だにしない展開になっていた。大神官の素質がないと放り出されて自暴自棄になっていた。あろうことかヴァリウスにひれ伏して影付きの処断にまで手を染めていた。信じがたいが全て本当のことだ。
雪を救う為には、チドリと対戦することになる。
チドリのしたことは許せない。話し合いで済むことじゃない。だからといって、手をかけることができるのだろうか。シャドウは答えが出ずにいた。
「それはそうと、お前は巫女を見たか?」
悩みの種はまた一つ増えていた。
「花嫁の巫女様ですか?」
「そうだ。金髪の17,8歳くらいだ」
「花嫁の巫女様は、禊の間からまだ出ていないと聞いてます。結婚式の有無も今となってはわかりませんし、それに私は見たことがありませんので、どんな方かも知らないのです」
「…巫女が」
禁呪にかかり、時間を巻き戻されて若返ったのだとむやみに口に出すものじゃないな。
シャドウは言葉を飲み込んだ。
「巫女様は見たことはありませんけど、祭壇の横の部屋で、若い娘さんと小さな女の子を見ました。こんな場所になんでかなあと思いましたが、神官様もちょくちょく顔を出していたので特に心配はしていませんでした」
若い娘とは雪のことだ。
シャドウは固く歯を噛み締めた。
「小さな女の子はどんな風だった?」
「どんなって…、鳥の巣みたいな頭に、薄汚れた服を着て、大声で歌っていました。イタズラして罰ゲームみたく塔に入れられていたんですかね?」
「金髪だったか?」
「ああ、まぁそんな感じでしたね」
「それが巫女ということはないか?」
「ち、違うでしょう!花の巫女様というなら、もっとおしとやかで可憐なイメージがあるでしょう!そんな風には、到底見受けられませんでした」
「何故だ?聞いたわけではあるまい」
「それはそうですけど!とてもじゃないけど、巫女様と言えるような感じはしませんでした。もじゃもじゃですよ?もじゃもじゃ!」
ソインは身振り手振りで力説するも、シャドウは皮肉っぽく笑った。
(鳥の巣頭は健在か)
「お、お待ちくださ~い!」
息を弾ませながら、どすどすと重い足止りでソインが走ってきた。
シャドウは訝しげに振り返った。後ろには膝を押さえながら肩で息をする花農家の男がいた。
「さっきの話は、あなたは、何なんですか!?国花をどうするおつもりですか!」
「なんだお前は?」
「わ、私はリュペシュの町の商人です。花農家のソインといいます。サリエ様に頼まれて、国花の世話をしています」
「サリエに頼まれた?」
懐かしい名前を聞いたなとシャドウは頷いた。
「はい。国花の成長が悪いので、結婚式に間に合うよう咲かせてくれと頼まれました」
花嫁不在の結婚式など、やる意味があるのか?
「…体力なさすぎじゃないか?」
先を急ぎたいシャドウは、心なしか言葉が冷たい。
「す、すみません。荷物運びなんかは得意なんですが、どうも走ったりなんだり運動は苦手で…」
ソインは、口で息をせわしなく吐きながら、恰幅の良い腹を撫でた。
シャドウは、ソインの息が整うのを待って口を開いた。
「国花の場所を教えろ。どうしても確認したい」
「それはダメです!国花を育てる場所は門外不出です!それに、あなたは…」
ソインは恨めしそうにシャドウを見上げた。
「…もう摘み取るなんてことは言わん」
花には意味がないと聞かされたばかりだ。ただ、意味がなくとも存在だけは確認しておきたい。国花とはいえ、今となれば悪物に過ぎない。
「…あれはとてもデリケートな花なんです。気難しいというか気位が高いというか。そのくせ、花びらは繊細なレースのようで」
素人が下手に触って傷でもついたら大変だとソインは慌てふためく。
「面倒だな」
「そんな一言で片付けないでください!繊細なんですよ!日照不足で、蕾を覆う殻が固いから一枚一枚がなかなか外れない。思うように外に出られない。深層のお姫様みたいな感じでしょう?」
ソインはやや興奮気味に国花の説明をした。両手で花の形を作ってみせた。
「…子どもの頃から神殿にいたが、国花が咲いてるところを見たことがないな」
シャドウは頭を捻るもイメージが沸かずにいた。
「儀式以外では摘むことも許されない花ですから、見たことがないのは不思議ではないですよ。神殿の方でも栽培場所を知っている方はごく一部だと思います。現にあんな場所ですから、目に止めることはほとんどないと思います。しかも、扱いはとても難しい。一般には流通してない花ですから、花農家の私達ですら一苦労です」
ソインはシャドウを先導して歩いた。迷路のような白壁を抜けて、神殿の裏手に出た。白亜の美しさからは真逆の切り立った崖が、シャドウを迎えた。
「こんな場所が…」
幼少の頃に、神殿の中は広いから迷子にならないよう気をつけてと大人達に言われていたのを思い出した。森の中で遊ぶときは一人にならずにみんなでと。迷い込んだら帰れなくなるぞと脅かされてきた。確かに、背丈の高い草に囲まれては行きも帰りも道はいっしょくただ。前後左右、足を取られたら身動きできない。
「賊除けとも聞いたな」
神殿に侵入してくる盗賊も少なからず存在していた。だが、この崖を登るのも一苦労だ。
「ほら、あそこ。わかりますか?」
ソインは腰にロープを巻きつけ、残りを木に結んだ。崖を下りるための命綱です。これがないとおっかなくって行けませんと、はにかんだ。ソインは崖の下を指差した。
シャドウもつられて崖下を覗き込んだ。
「白い蕾が点々としているでしょう」
崖の下から、かすかに水音が聞こえた。
川と言うには細い。だが、用水路とまではいかない。
水の量が少なすぎる。そこから根を伸ばして崖を這うように植物の枝が広がっていた。なけなしの水を全て吸い込んだような枝は、太くて硬そうだった。
「あれが」
国花・リュリュトゥルテ。小さな手毬のように、丸っこいフォルム。丸みのある白い花びらが、幾重にも重ねられていた。
「一つの花に花びらは100~200枚もあります」
無限に重ねられた可憐な花びら。
ソインは自慢気に話し出した。
「切り立った崖の下から、吹き上げる風に乗って花は舞い、上空に吹き飛んで四方に花びらが散ります。城下に届く頃には散り散りになっていますが、それはもう、とても美しい光景なんですよ。そうですね。例えるなら、風花ですかね」
「風花?」
「晴れた日に、上空の寒気に吹き飛ばされてくる雪です。微量だから掴もうと手を伸ばしても、触れる頃には溶けてなくなる。それと同じで、脆くて儚いんです」
地上に降りてくる頃には跡形もない。
力説するソインを横目に、シャドウは国花から目を逸らした。
(あいつを形容する例えと同じだな。
雪とか雲とか。
触れられず、消えてなくなる。
国花と同じだ。しかも、国花はあいつの命を脅かすものだ)
シャドウは木に寄りかかり、空を見上げて一息ついた。
閉じた瞼の裏に雪の姿を見た。
(怪我の具合はどうだ?
探していた人物は見つかったか?
ディルと合流できたか?
一人で耐えてないか?)
思い浮かべることは心配事ばかり。
単純に笑った顔が出てきたためしがない。
風がシャドウの髪を揺らした。首元をすり抜け、黒いチョーカーがあらわになった。螺旋を描きながら耳元にも吹き込んできた。
「シャドウさん」
ぎこちなく、遠慮深く、
寂しそうで不安げで、
いつも感情を押し殺している。
そんな声で、呼ばれた気がした。
「…呼んだか?」
シャドウは耳を峙てて振り返った。後ろにいたのはソインだけだった。
「は?いいえ。呼んでませんよ」
ソインは困ったような顔をして、首を横に振った。
「…そうか。呼ばれたような気がしたんだがな。…悪いな」
シャドウは辺りを見回しながら、声のなる方を探した。
俺を呼ぶ声がしたのだと思った。いつだったか、同じことがあった。あいつの声ならば良かったとずっと思っていた。俺はあいつに名前を呼ばれるのをずっと待っている。
「…神官様と揉めていたようですが、何かあったのですか?」
ソインは、腰に巻いていたロープを解き、荷物の中にしまった。額にいくつもの汗の粒を付けていた。それを手拭いで押さえてはシャドウを見た。
「神官様は変わられてしまった。あんな風に笑う方ではなかった」
ソインはチドリの発言に我慢ができなかった。国花を蔑ろにし、結婚式を踏みにじろうとしていた。国民の期待も無視し、人を傷つけることも何も厭わない。
「あなたと親しげでしたけど、あなたは何者なんですか?」
「俺はシャドウ。…昔ここで世話になっていた。あの神官…チドリとは幼馴染だ」
「そうだったんですか…」
ソインは気不味そうにシャドウを見た。
「といっても会うのは随分と久しぶりだが」
10年以上の歳月を経た今、ソインが言うように昔の面影など全くなかった。神殿の未来の為に、人々の幸せの為に前進あるのみと息巻いていた。将来有望な頼もしい存在だった。
いずれ大神官になるものと信じて疑わなかったのに、俺がいなかった10年の間に予想だにしない展開になっていた。大神官の素質がないと放り出されて自暴自棄になっていた。あろうことかヴァリウスにひれ伏して影付きの処断にまで手を染めていた。信じがたいが全て本当のことだ。
雪を救う為には、チドリと対戦することになる。
チドリのしたことは許せない。話し合いで済むことじゃない。だからといって、手をかけることができるのだろうか。シャドウは答えが出ずにいた。
「それはそうと、お前は巫女を見たか?」
悩みの種はまた一つ増えていた。
「花嫁の巫女様ですか?」
「そうだ。金髪の17,8歳くらいだ」
「花嫁の巫女様は、禊の間からまだ出ていないと聞いてます。結婚式の有無も今となってはわかりませんし、それに私は見たことがありませんので、どんな方かも知らないのです」
「…巫女が」
禁呪にかかり、時間を巻き戻されて若返ったのだとむやみに口に出すものじゃないな。
シャドウは言葉を飲み込んだ。
「巫女様は見たことはありませんけど、祭壇の横の部屋で、若い娘さんと小さな女の子を見ました。こんな場所になんでかなあと思いましたが、神官様もちょくちょく顔を出していたので特に心配はしていませんでした」
若い娘とは雪のことだ。
シャドウは固く歯を噛み締めた。
「小さな女の子はどんな風だった?」
「どんなって…、鳥の巣みたいな頭に、薄汚れた服を着て、大声で歌っていました。イタズラして罰ゲームみたく塔に入れられていたんですかね?」
「金髪だったか?」
「ああ、まぁそんな感じでしたね」
「それが巫女ということはないか?」
「ち、違うでしょう!花の巫女様というなら、もっとおしとやかで可憐なイメージがあるでしょう!そんな風には、到底見受けられませんでした」
「何故だ?聞いたわけではあるまい」
「それはそうですけど!とてもじゃないけど、巫女様と言えるような感じはしませんでした。もじゃもじゃですよ?もじゃもじゃ!」
ソインは身振り手振りで力説するも、シャドウは皮肉っぽく笑った。
(鳥の巣頭は健在か)
応援ありがとうございます!
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