大人のためのファンタジア

深水 酉

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第5章

5 花の巫女

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 へぷしゅっ
 ぷしゅっ
 リリンリリンッ

 くしゃみに合わせて体が跳ねる。
 靴につけた鈴も合わせて奏でる。

 「おはなでた~」

 マリーは、両の鼻から滴る鼻水を袖の先で拭った。

 「ちょっとやめてよ!」

 「だあって~おはなズルズルするんだもん!」

 ああもう!と、サリエは鼻紙を取り出し、マリーに渡した。
 「チーンっしなさい!チーンって!」
 マリーの鼻の下に紙を当てて、流れている鼻水を拭き取った。

 ぷしっ
 マリーはもう一度くしゃみをした。

 「もう!体が成長しても中身が変わらないじゃ意味ないのよ!」

 「ふぇぇ」

 サリエのマリーに対する態度は、我が子を案じ愛しむ母親のようだ。生意気な態度を取られてもいじらしく思う。ついつい、構ってしまうのだ。
鼻をかんだ後の鼻の下は赤く色がついていた。

 「全部出た?」

 「出た~」

 「よし」

 「にひひ」

 マリーにも言えることがある。長く仲違いしていたサリエにも、今は正面から向き合っている。叱られていてもなんだか嬉しそうだ。

 「喉乾いてない?ガロンのシロップがあるわよ。飲む?」

 「飲む飲む!」

 ぴょんぴょんと跳ねた。その度にリンリンと可愛らしい鈴の音が聞こえてきた。

 「動かすと聞こえるね!」

 「あなたはちょこまかと動くでしょう。迷子になってもどこにいるかわかるように目印よ」

 「目印?」

 「離れていても音がわかるように。1番音の出るのを選んだわ」

 「わあい」

 マリーはシロップが入ったグラスを両手で抱え込み、ぐびぐびと飲んだ。ガロンは、柘榴の実のように小さな実に種が詰まっている。そのままでも食べれるがシロップに漬けることで角が丸くなり種が柔らかくなる。甘酸っぱい味と香りが喉を潤してくれた。

 「あっま~いっ!おいしぃっ」
 マリーは上機嫌になり、踵についている鈴を、飛んだり跳ねたりして存分に楽しんだ。

 「これ鈴鳴草だよね?」

 「そうよ」

 鈴鳴草は名の通り、鈴の形をした花だ。開花の時にリンリンと音を出す。鈴にする方法は、花に蝋を薄く塗り乾燥させる。日中は太陽の光に当てて、時折、風を入れて乾かす。夜は室内に入れる。この手順を花が完全に乾くまで繰り返す。出来上がった鈴は、装飾品や調度品に飾られたり、神殿を訪れた信者達に配られたりしている。

 「うふふ。かわいいねー」

 「でもちょっとうるさいわ。しつこいわよ」

 「ふぇぇ」

 マリーはサリエの言葉に一喜一憂だ。表情もころころ変わる。そこには、わだかまりなどというものはない。母親に注意をされて、しょぼくれる子どもの姿しかない。こんなのはよくある光景だ。

 「で、でも、かわいいよね?」

 マリーはサリエの腕を取り、体を寄せて来た。
 見上げてくる顔は小動物のようなつぶらな瞳だ。

 「もう…。わかったわよ。かわいいわよ」

 根負けするのはわかっていた。いくら憎らしく思う時があっても、子どもの態度と言動にはいじらしく思ってしまうものだ。

 「ほんとにかわいい?」

 「はいはい、かわいいかわいい」

 サリエは腕にしがみついてくるマリーの髪をくしゃくしゃに撫でくりまわした。半ばヤケだ。子どもの意見の押し売り。一度飲み込まないと、延々と続く。折れるのも必要だ。

 「かわいいかわいい」

 「やん。ぼさぼさにしないでええ」

 マリーが頭に手を置くと、蜂蜜色の髪がするんと背中の中頃まで伸びた。鳥の巣状態だった髪質も、直毛に変化した。
 手足も背丈も、ぐんと伸びた。
 鼻水垂らして、靴の鈴に大喜びしていた6歳の子どもの姿ではなくなっていた。

 「あれぇ?なんだか手が大きくなってるよ。足の曲げるところも痛い。腕も」

 「関節痛よ。急速に体の変化を遂げたから神経が追いついてないのよ。しばらく痛むだろうけど心配いらないわ」

 「痛いのやあ」

 「…成長している証よ。黙って受け取りなさい」

 サリエは変化していくマリーの姿を黙って見つめていた。そうだ。本来なら18歳の女の子なのだ。とっくに修行を明けて、花の巫女に就任しているはずだったのだ。

 無駄にしていた時間が長すぎた。チドリの自分勝手な振る舞いは許せない。しかし、彼の痛みを感じ取れなかった自分も悪い。マリーの成長を妨げたのはチドリだけのせいではない。
 私とて、マリーを憎らしく思い、邪険にして来た。時には手も上げていた。
 チドリやシャドウはこの子ばかり気にかけ、初対面の影付きにもすぐに懐いた。なのに私のことは選ばなかった。
 選ばれなかった私の惨めな嫉妬心でこの子を傷付けた。

 世話をしてきたのは、誰よりも私なのに!

 罰を受けるなら私もだ。

 サリエは目尻を抑えた。溢れて来そうな涙を止めるためだ。可哀想な事をした。許してとこの子に縋って泣くわけにはいかない。謝罪ならもっと公の場でするべきだ。
 サリエは窓から外を見た。査問委員会のメンバー達が待っていた。処罰は公平であれ。チドリだけでなく自分もと名乗りを上げたのだ。

 今のマリーの成長速度なら、このまま結婚式は挙げられるはずだ。国花が完全に咲くのは多分もうすぐ。最後の追い上げは自らの手でやり遂げて欲しい。
 せっかくの晴れ姿を見られないのは残念だ。でもそれが罰なら、私は甘んじて受ける。

 「ほら立って。着替えるわよ」

 神殿を背負しょって立つ花の巫女に、いつまでもボロ着を着せておくわけにはいかない。
 晴れの日のためのとっておきの衣装だ。白いキャミソール調の肌着の上に、淡い緑色のオーガンジー素材のドレスを着せた。

 「緑色!すきすき!」

 縁取りと刺繍は全て金糸を使用している。神殿の加護を余す事なくめいいっぱい詰め込んで、一糸、一糸に祈りを込めた。
 腰に巻いたリボンは大地と幹を想像させるかのような濃い茶色だ。

 「他国では花嫁は白いドレスを着るそうよ」

 「えー!白ばっかじゃつまんないよ」

 ここでは平服も白。バリエーションのない服に毎日うんざりしていた。

 「そうね」

 「これはなよめさんのふくなの?」

 「そうよ」

 「マリーはなよめさんになるの?」

 「そうよ」

 サリエはマリーの髪を梳き始めた。クセが取れ、スッと櫛が入るのは快適だった。

 「花詩典は覚えてる?」

 「覚えてるよー」

 「リュリュトゥルテも?」

 「言えるよ!」

 「そう。なら、後でしっかり歌っておきなさい。花がまだ咲かないのよ。花がないと結婚式はできないからね」

 「マリーは誰のはなよめさんになるの?」

 「…さあ、誰かしらね」

 「サリエの知らない人?」

 「そうね。知り合いかもしれないし知らない人かもね」

 「えー、だれだろ?マリーはわんわんがいいなぁ」

 「わんわん?」

 「あっ、わんわんて言っちゃダメなんだ!えっと、なんだっけ、」

 「誰のこと?」

 「えっと、さっきまで一緒にいた人。おねえちゃんと一緒にいる人。えーっと、」

 「ディルくんのこと?」

 「そう!ディルだ!ディルディル!はなよめさんになるなら、ディルがいい!」

 「…食い気味ね」

 「マリーにすごくやさしいよ!おんぶしてくれたし、髪なでてくれたし、おうたもほめてくれた」

 「いい子なのは見てればわかるわよ。口は悪いけど。礼儀作法はちゃんとしてるわ」
 年齢のことを弄られたのを未だ根に持っていた。

 「マリーはディルのことだいすきだけど、ディルはマリーのことすきかなあ?どう思う?」

 「答えづらい質問をしてくるやつは大抵嫌われるわよ」

 「ふぇぇ」

 「気をつけなさい」

 「う、うん。マリーのおうたね、最初はほめてくれたけど、やっぱり嫌だって言うの。昔のこと思い出すから嫌だって」

 「昔?」

 「ディルはわんわんなんだって。じゅ…うじんていうのなんだって」

 「獣人?へぇ、あの子が!全然気がつかなかった…」
 初めて見たわとサリエは目を丸くした。獣人の存在は知っていても、王城に管理されているものと思っていた。自由に動いてるのは不思議に思った。

 「獣人を悪く言う歌だから、やめてって言われた」
 マリーは知らなかったのよ、としょぼくれた。

 「獣人の歌なんてどうして知ってるの?」

 「お祈りしに来た人が歌ってたの。辛い事があっても、この歌以上に辛い事などないからげんきだそうって。じゅうじんは辛いことばかりなの?」

 「…詳しくは知らないけれど、王城では一定期間生きた獣人は獣人狩りに遭うと聞いたことはあるわ」
 言葉にするだけでもおぞましい。子どもに聞かせる内容ではなかった。

 「わんわんも?痛くされちゃう?」

 「分からない」

 「やだやだ!わんわんが痛くされるのはいやだ!」

 「そうね。獣人であることが罪みたいに言われたくないわね」

 「わんわんを悪く言う人は許さないんだから!」
 マリーは、またパッと表情を変えた。眉間に皺を寄せた決意の表れだ。

 「あなたはちゃんと善悪の区別がついて、人を思いやる気持ちがある。間違いに気付けるわね。もう…大丈夫ね」

 サリエはマリーの頭を抱え込むように、後ろから抱きしめた。しゃなりとドレスが音を立てた。

 いつまでも、子どもではいられないと口ではよく言うけれど、実際に子どもでなくなろうとしている姿を目の当たりにすると辛い。まだまだ自分の手の中で守らせていてほしいとついつい願ってしまう。
 このふっくらした頬を指でつつくのも、伸ばすのも、もうできない。長い髪を編み込んだり、好みの服を選んだり、料理の手伝いを教えたり、掃除の仕方を教えたり、勉強も読書も、植物の育て方も色々とまだまだ教えてあげたいことが山のようにある。
 それを教えきれなかったのは、全部私のせいだ。

 「サリエ?どしたの?おなかいたいの?」

 「…平気よ。いい子ね。マリーはいい子」

 ごろにゃんと猫を真似た口調で、マリーはサリエに頭を擦りつけた。

 「その言葉遣いどうにかしないとね。いつまでもそんな口調ではダメよ。一人称は私。誰かに名前を聞かれたらこう言うのよ。しゃんと背筋を伸ばして、私は花の巫女です」

 サリエの手は、優しくマリーの髪を梳くように撫でた。
 マリーもじゃれるようにサリエの腕に寄りかかった。

 「わ、あたしは花の巫女?…むにゃ。なんかねむいかも」

 「…仕方ないわね。今のうちに寝て起きなさい」

 ガロンのシロップに眠りの呪文を唱えておいたのは、良い選択だった。眠ればさらに成長速度は早まる。私も先に行ける。

 「にゃあ。サリエここにいてね。どっかいっちゃやだよ」
  
 瞼が下がってきて瞬きができない。

 「ねえ、ぜったいだよ」

 「…うん。でもね私が仕事があるのよ。行かなきゃいけないのよ」

 「やあ…よ」

 マリーはうとうとと体を揺らし始めるも、サリエの腕を掴んだままだった。

 「眠るまでそばにいるわ。だから安心して」

 うん…

 「マリー。馬鹿な大人達のせいで、だいぶ遠回りしちゃったけれど、まだまだやり直せるから、頑張って生きていってね。あなたには花の巫女としての素質が十分にある。花と会話して、理解して、共に成長していってね」

 うん…

 「私が戻るまで歌を歌いなさい。それより先に迎えが来るかもしれないけどね。きっとその人がマリーのおむこさんになるかもしれないね。…おやすみ。私の大事な子」

 サリエはマリーの手をほどき、そっと下においた。



  ”さあさ歌えよ 喜びの歌よ 集え星よ
  花の目覚めを 願い聞けよ 示せ道を”



 扉を開けると、査問委員会のメンバーが揃っていた。二言三言話をして、サリエを連れて行った。
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