大人のためのファンタジア

深水 酉

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第5章

6 意地

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 誰かが呼んでいる。
 深淵の奥から私を探している。
 
 泣かないで。
 あなたが悪いわけじゃない。




 仕切られた空間。さっきまで見えてなかった現実との境目が今は見える。四隅に線があり、六畳ぐらいの透明な箱の中にいるみたいだった。ナイトメアの姿は見えない。
 体に力が入らなくて横になったままだ。激しい倦怠感が今も続く。動悸と息切れ。大量の汗。横になれば楽かもと思ったけれど、大して変わらなかった。あと、足首にもどこそこに引っ張られている感覚が続いていた。

 「仕事サボって昼寝とはいいご身分ですね!ご主人!」
 
 突如、毛足の長い羽箒みたいなもので肘の辺りをパシッと叩かれた。

 (…え?私のこと怒ってるの?こんなに凹んでるときに口撃しないでよ。余計凹むよ…)

 うまく声が出なかった。口は動かしていても音が出てない。一人芝居の無声映画みたいだった。

 「おや?私のご主人はいつの間に女になったのでしょうか」

 (…誰?というか、私の声が聞こえているのね。字幕でも出ているのかな?)

 「ああ…あなたですか。ご主人の新しい欲しいものは」

 毛の長い動物が、頭の側で雪を覗き込むように話していた。雪は声のする方向に目線だけを動かした。

 ピンっと伸びた髭、まんまると見開いた琥珀色の瞳。
 猫だ。羽箒の正体は尻尾か。かなりの長毛種。赤毛なんて珍しいな。サイベリアンかラグドールかノルウェージャンフォレストキャットか。フサフサした長い毛の尻尾が影に映る。

 (…欲しいもの?)

 「珍しいんですよ。人間嫌いのご主人が人間のあなたを側に置きたがるなんて。わたしとて側にいるのは不思議がられる。あ、わたしはあの人の使い魔なんですけどね。使い魔だから側にいるのは当たり前だと思うでしょうけど、中には用事の時だけ呼びつける野郎もいるんですよ。あの人は、わたしに面倒くさい出てけとかよく言ってますけど、本気で追い出されたことはありません。あんな悪人顔ですけど、優しいところもあるんですよ」

 (は、はあ、、)
 
 おしゃべりな猫が延々と話しまくる。雪は押され気味だ。

 (…あなた誰ですか?)

 「猫です。敬語はいりませんよ。あなた影付きでしょう?」

 (…猫…で使い魔って、ナイトメアの?確か、ククルって名前の)

 「はい。ククルです。ご主人は、ああ、いまはそんな呼ばれ方をされてるんですね。夢占い師が夢魔ですか。皮肉なもんですね。堕ちてもなお、夢に縛られているなんて。
 ヴァリウスの夢占いで、不吉な話ばかりするから罰を受けたのですよ。嘘は言わないだなんて聞こえはいいけど、だだの要領が悪いおっさんですよ。良いことだけ並べて、言うこと聞いてれば処罰などされなかったのに。本当不器用な人ですよ」

 猫は、はぁーっと人間のように深い溜息をついた。

 (…ああ。良いこと言うフリとか頭を下げる選択はなかったみたいね。でもそう言う人だから、あなたはあれが好きでずっと離れなかったんじゃない?)

 「うーん。好きとかよくわかりませんが、側にいるのは悪くないですね。決まった寝床があるということは人生の喜びですよ。猫は狭いところが好きと言われがちですが、大きなベッドで寝るのも快適なんですよ。お日様の匂い最高です。
 ごはんもね、あの人は酒飲みだから酒のアテがまたおいしくて。干した魚やチーズ、炙った肉。よそ見している間によく横取りしてました」

 猫は前足をペロペロ舐めた。

 (ああ。そんな話はしてたわ。仲良しだよね。楽しそうな光景が目に浮かぶよ)

 「さて昔話は置いといて。本題に入りましょうか。影付きさん」

 ペロリと舐めた前足で顔の周りを綺麗にした。グルーミングだ。喋っても体の本質は猫なんだなと、雪はまじましと見つめた。

 (本題…って?)

 「ご主人の目論見を潰していただきたいんです」

 (え)

 「ご主人はあなたを使ってわたしを復活させようとしてますね。でもわたしはそんなこと望んでませんの。
 長く眠ってるとだんだんと意識が戻るんですよね。生前の記憶というか…なぜ自分がこんな目に遭ったのか、ふと思い出す。別に粗相したとか仕事でミスしたとかじゃないんですよ。一年に一度、必ず行われる粛清を受けただけなんだって」

 (だけって…)

 「ヴァリウスにとっては年間行事です」

 「隣でね、無残に引き裂かれた獣人なかまたちの核が嘆くんですよ。一緒に薬液に浸されてるとね、彼らの悲しみや苦しみが妄執となって染み込んでくるんです。無念な気持ちはわかりますが、わたしには、そこまで恨みはなくて。城に呼ばれた以上、粛清からは逃れられない。覚悟ができていたんですね。だから彼らの妄執を宥めるのが今の仕事なんです。
 冷静でいられてるのわたしだけなんで。
 生きし者が、死した魂のために復讐などすべきではないのです。そんなことをしては新たな憎しみを生むだけ。
 そんなことにあの人を巻き込みたくない」

 (…愛されてるなぁ。ナイトメア。ちょっと羨ましいな)

 「わたしの話聞いてました?」

 (聞いてたよ。ナイトメアのこと好きすぎて辛いって話でしょう?)

 「そんな話してませんよ」
 ククルは呆れた声を出し、ひとの話聞いてませんねと雪を睨んだ。

 (そう聞こえたよ。でも。
 …悪いけど、ナイトメアを止めるのはあなたがして。私は今の状況に抗うだけで精一杯。それもちょっと力不足だし。結構やばいし)

 雪の呼吸は荒くなっている。汗も相当量かいている。

 「あなたを助けたら、ご主人を止めることになりますね」

 (助けてくれとは言ってないよ)

 「助かりたくないんですか?」

 (そりゃ、助かりたいけど…)

 「けど?」

 (あなたもナイトメアと同じく話が通じそうにないから、借りは作りたくないだけだよ。後で何されるかわからないもの)

 「脅したりしませんよ」

 (すでにあなたの飼い主に脅されたわよ)

 「あの人は口が悪いから。ああいう言い方しかできないんですよ。なんでも本気にしてたら会話など成り立ちませんよ」

 (どうでもいい)

 あれに真っ当な人間性など求めていない。むしろ人ではない。

 「だとしても、わからないことがあります」

 (何?)

 「あなたがそこまで自分自身に固執するのはなぜですか?過去のあなたを見てると、上手いこと人生歩めてなさそうですよね。
 自分を生んでくれた親への感謝とか思ってません?
 親への愛情と感謝の意を忘れないのはいいことですが、人生を歩んでいくのは親ではなくあなた自身ですよ。失敗や成功を、慰めてもらったり褒めてもらったりしてもらったことありますか?愛情不足を嘆いてるあなたが親を大切に思うなんて不毛なこととは思いませんか?
 いっそのこと記憶を消して新しく人生を始めた方がよくありませんか?

 親のことも自分のことも忘れてもいいじゃないですか。
 嫌なものから逃げてもいいと思いますよ。あなたは十分苦しんだ。楽な道を選んでもいいんですよ。安易な決断だなんて誰も思いませんよ。
 かの勇者や冒険者などと言っている輩も大抵その道を選んでいるものです。
 あなたは、未練や記憶という名の影を付けて、こちらに来た。それを脱ぎ捨てて生き直すことが使命であるのですよ。与えられた使命を全うすることが新しく人生のスタートなのです」

 (うるさい)

 「は?」

 (うるさいって言ってるの!他の人が選んだ道なんて知らない。関係ない。
 人の生き方を勝手に決めないで。
 ナイトメアを止めたいとか言って、結局は私を消そうとしているじゃない)

 「ご主人を止めたいのは本当ですよ!バカなことはやめろと言いたい!
 ただ、わたしの意見としてあなたのことを心配して言っているだけです」

 (大きなお世話よ)

 「むーん。怒ったのですか?それはごめんなさい。でもぉ…心配ですよ。あなたの生き方は」

 「…いつだって親に感謝は当然。愛情不足を恨んでも見切れないのも当然。会いにいくのを躊躇ってるのは事実だけど、捨てていいものなんかじゃない。

 いまを生きてるのは私!
 今まで得てきた経験や知識を奪われるなんて冗談じゃない!それを得るまでにどれだけ苦労してきたと思ってるの!他人に生き死を決められるなんてまっぴら!生きて行くことは義務!最後まで足掻いてみせるよ!」

 振り絞って出した声は、本心そのもの。

 「…今にも死にそうな顔をしてる人に啖呵切られてもねぇ。
 知りませんよ。そんなんじゃ今すぐにでも死んでしまう」

 (無理やり奪おうとしているやつに言われたくない)

 「これでも心配してるんですよ!もー、あなたはご主人より手がかかる!!」

 沸騰した蒸気を、頭から飛ばして猫が怒っている。キィーキィー叫ぶ様ってこんな感じなのね。
 雪はホッとした。自分の命が尽きようとしているのに、笑える余裕がなんだか嬉しかった。


 「決めた!あなたが新しい生を受けて、この世に下りた時にはわたしがあなたの使い魔になる。あなたの軌跡を辿って迎えに行きますよ」

 (いらないよ)

 「そんなこと言わずに!そばにいさせてください!あなたおもしろいから一緒にいたいです!」

 (ナイトメアはあなたを待ってるのに)

 「じゃ、ご主人と一緒に」

 (やだよ)

 「ひどい!もっと嫌われた!」

 (何度も言うけど、人の人生設計を勝手に決めないで)

 (私は私でいたい。
 他の誰かになりたいわけじゃないのよ)
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