底辺奴隷の逆襲譚

ふみくん

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第二章 逃亡編

英雄の娘①

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 私のお父様は、現代の英雄だ。

 剣聖や刀神と並ぶ剣の実力に、賢者や大神官に負けない魔法の実力。
 間違いなく王国で最強の人間だ。

 お父様がすごいのは、人間で唯一、四魔貴族とも単身で戦えるのではないかという戦闘力だけではない。

 民や使用人からの信頼も厚い人格。
 領地を豊かに経営する能力。
 魑魅魍魎の跋扈する貴族社会を生き抜く社交力。
 そして家族に対する暖かい愛。

 この世界に、お父様以上の人間が存在するとは思えなかった。

 私は、そんなお父様を誰よりも愛し、誰よりも尊敬していた。

 もちろん、お父様は才能だけでそんな人間になれた訳ではない。
 忙しい公務の合間に、己を鍛えるためにどれだけ努力をしているかを私は知っている。

 お父様のようになりたくて、私も誰よりも努力するよう心がけた。
 時間さえあれば剣を振り、腕が上がらなくなれば、魔力を増やすための精神修行を行い、それさえ限界になったら、嫌いな座学で魔法や歴史、領地経営等について学んだ。

 小さな頃から友達と遊んだ記憶はほとんどない。
 遊ぶ時間があれば、己を鍛えるために費やした。
 自分を磨き、少しでもお父様に近づくこと。
 それが私の願いであり、全てだった。

 だが、そこにもう一つ、私の使命が加わることになる。

 その出来事は、唐突に訪れた。

 家族で馬車に乗っての移動中、突然、馬車の壁に大きな穴が空き、お父様が吹き飛ばされた。
 何が起きたか分からないお母様と私。

 お父様の代わりに馬車に残ったのは、一見ただの優男に見える魔族だった。
 そしてその魔族は、私達が声を上げる間も無く、お母様の胸を右腕で貫いた。
 お母様の胸から真っ赤な血が飛び散る。

 魔族はそのまま腕を引き抜くと、返り血も気にせず、右手に掴んだお母様の心臓を一飲みし、そのままお母様の首に食らいつく。

 優しく、美しく、教養も備た、大好きなお母様。
 そのお母様が、体をピクピクさせながら、魔族の餌と成り果てていく。

ーーピチャッ、ピチャーー

 滴り落ちる血の音。

ーーガブッ……クチャーー

 肉を噛む咀嚼音。

 そんな音が耳から離れない。

 吹き飛ばされた父が飛ぶように戻ってきた時には、お母様は半分ほどの大きさになっていた。
 血だらけの車内で激昂する父。
 それを見て不敵に笑う若い男の魔族。

 私はその間、何もできなかった。
 お母様が貪られている間、ただ震えて、失禁するだけだった。

 お父様にも勝る圧倒的な魔力。
 それなりに鍛えているからこそ分かる、私とその魔族との絶望的な実力の差。
 禍々しい魔族の魔力の前に、私は何もできなかった。
 魔族の意識がこちらに向かないよう、祈ることしかできなかった。

 魔族とお父様の戦いは苛烈だった。

 魔力の量でこそ魔族の方が勝るものの、戦いの技術は、お父様の方が上だった。

 お父様の気持ちを表すかのように、荒れ狂う炎と雷が、魔族を襲う。
 魔族もそれに応戦するが、徐々に押されているように見えた。
 しばらくは魔法の応酬を繰り広げていたが、分が悪いと判断したのか、魔族は舌打ちをすると、私の方へ手を向け、指差す。

「うまい飯も食えたし、今日はここまでだ。そっちのガキが食いごろになった頃、また来てやる」

 魔族はそう言い残すと、私に対して無詠唱で氷の矢を放つ。
 私は魔法障壁を張ろうとするが、間に合わない。

 お父様は仕方なく、腰の剣を抜くと私の方へ剣を伸ばし、魔法でできた氷の矢を叩き落とす。
 魔族はその隙に、戦闘の結果、もはや荷台だけになっていた馬車を飛び降り、あっという間に遠ざかっていった。

 お父様は深追いはしない。
 追いたくて仕方がなさそうな顔をしていたが、私の顔を見て優しい笑顔になる。

 追いかけなかったのは、私のためだろう。
 初めて見る上位魔族に恐怖し、失禁して震える娘を一人残してはいけなかったのだろう。

 誰よりもお母様を愛し、誰よりも仇を討ちたかったはずなのに。

 私はその日以来、甘えを一切捨てた。
 二度と魔族の前で恐怖することなどないよう、それまでにも増して、徹底的に己を鍛えた。

 他の貴族の子供達が、遊びにうつつを抜かす中、剣と魔法の修行に明け暮れた。
 思春期に差し掛かり、他の貴族の少女達が、色恋沙汰にうつつを抜かす中、毎日のように魔物狩りへ出かけ、戦い方を覚えた。

 それでもまだ、お父様が私のことを認めていないのは分かっていた。
 お父様の部下である刀神ダインや、私の魔法の先生であり、未来の賢者との呼び声も高いリンも、心の底では私を認めていないのも分かっている。

 だからこそ私は焦っていた。

 お父様が、領地で人を食べた上位魔族を狩りに行くと聞いた時、私も志願したのは、その焦りもあったのかもしれない。

 今回の討伐対象の魔族は、かつてはお母様を殺した魔族にも匹敵するくらいの大物魔族だったらしい。
 だが、最近はなぜか、魔族の力の源である人間をほとんど食べず、力が落ちているとのことだった。

 そのこともあり、私が同行することについて、何とかお父様を説得することができた。
 上位魔族と戦うまたとない機会に、無理をしないという条件付きではあるが、私も連れていってもらうことになった。

 魔族の所在地を特定し、その住処の近くへ行くと、そこには中級魔族に毛が生えた程度の魔力しかない魔族と、その手下と思しき、人間が二人しかいない。

 ダインに教わった魔力と気配を消す方法で潜みながら、私達は魔族達の様子を伺う。
 耳に魔力を込め、特殊な魔法式で聴力を強化すれば、ある程度離れた距離の会話も聞くことができる。
 そこから聞こえる、魔族達の仲の良さそうな談笑の声に、私は嫌悪感を抱く。
 人類の敵たる魔族に仕え、心を許す人間がいるということに反吐が出る。

「お父様。相手の実力は恐らく私と同等であると推測します。ぜひ一人でいかせてください」

 今回同行しているのは、お父様の他に、刀神ダインのみ。
 お父様はダインの方を見る。

「お嬢様の実力なら確かにいい勝負になるのでは? 油断さえしなければ、即殺されるようなこともないでしょう。この距離であれば、いざという時、私達も間に入れますし」

 私のことを見下していると思っていたダインの言葉を、私は少しだけ意外に思う。
 お父様は少しだけ考えるそぶりを見せた後、ダインの言葉もあってか、首を動かさないまま答える。

「分かった。過保護なだけでは成長できないからな。レナ一人で行ってみろ。但し、少しでも危ないと思ったら、すぐに私達を呼べ」

「は、はい!」

 私は元気よく返事した。

 上位魔族と一人で戦う機会など滅多にない。
 しかも、私のような子供が戦う機会は皆無といっていいだろう。
 もし倒せたら、お父様だって認めてくれるはずだ。
 だからこそ失敗出来ない。

 私は火の中位魔法を静かに詠唱する。
 魔法を放った瞬間、ダインによる魔力と気配を消す方法の効果は切れる。
 私は気持ちを落ち着かせながら、右手を伸ばした。

『爆炎!』

 呪文を発した瞬間、右手から放たれた魔力がその力を熱に変え、魔族が暮らす家の扉を、暴発によって破壊する。

ーードッゴーンーー

 大音量とともに、魔族の家の扉が爆散した。

 私は、魔法を放つと同時に魔族の家へと駆ける。
 全身に魔力を込めて走れば移動は一瞬だった。
 視界が開ける時には、私は家の前へとたどり着いていた。

 私は魔族の家の中を覗き込む。

 そしてそこで私は出会った。
 いや、出会ってしまった。

 私の運命を大きく変える少年と。
 強く、優しく、そして残酷な奴隷の少年と。

 この日、私がもし、お父様について行かなかったら。
 私が一人で戦いを挑まなかったら。

 私の人生はどうなっていたのだろうか。

 それは考えても無駄なことだ。
 過去は変えられない。
 事実として、私は彼に出会ってしまったのだから。
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