底辺奴隷の逆襲譚

ふみくん

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第二章 逃亡編

元英雄の娘⑤

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 死を覚悟した私だったが、エディの手は、すぐに私の口から抜かれた。

 ヒナが、嘔吐物で汚れた私の口を布で拭う。

「胃の中のものは全部出せたか?」

 見下すように私を見ながら、そう尋ねるエディ。

 私はヒナを押しのけ、エディの首元を掴む。

「何のつもり? 冗談でもただじゃおかないわよ?」

 そんな私の言葉を聞いたエディは、ヒナの方を向き、発言を促す。

「先程の飲み物に異物が混ぜられておりました。私は人間より鼻が効くのですぐにそれが分かったのです。相手の目を盗んでエディ様には伝えましたが、貴女には伝えることができませんでした。手荒な対応になったのは申し訳ございませんが、その異物が毒だった場合、吸収されてからじゃ間に合いませんので」

 私は理解が追いつかない。

 ヒナが言っていることは分かる。
 でも、心が理解しない。
 感情が理解を妨げる。

 なぜ飲み物に異物が?

 ……考えたくないが、おじ様の奥様が入れたのだろうか?

 呆然とする私に、エディが語りかける。

「とりあえずここは危険だ。すぐに立ち去ろう」

 エディの提案を聞きながら、ヒナが長い耳に手を当てる。
 周囲の様子を、音で探っているようだ。

「どうやら手遅れのようです。かなりの人数がこの建物の周りを囲んでいるようです」

 ヒナの言葉に、エディの顔が深刻なものになる。

「そうか。魔力は感じないから、全く魔力のない普通の人間か、高度に訓練を積み、魔力を抑えられるようになった精鋭のどちらかだろう。レナの実力や、追っ手を殺したことはバレているだろうから、恐らく後者かな」

 なぜおじ様の奥様がこのようなことをしているか分からない。
 優しかったおじ様の奥様が、こんなことをするわけがない。
 もしかしたら脅されているのかもしれない。

 そこまで考えて、私は強く首を横に振る。

 考えても仕方ないことを考えるのをやめる。
 大事なのは、どうやってこの状況を打破するかだ。

 改めて思い返してみると、おじ様の奥様の言動は怪しかった。
 仮にもこの街の長の屋敷で、客室が一つしかないわけはない。
 そんな屋敷で、主が不在にも関わらず客室が満室なのはおかしい。

 少しだけ冷静さを取り戻した私は、エディの方を向く。

「恐らく相手の狙いは私達をこの部屋に集めること。あわよくば薬で眠らせるか殺すかして戦力を減らした上で、一網打尽にするつもりだったのでしょうね」

 私の言葉にエディは頷く。

「多分そうだ。敵の戦力は分からないが、この部屋に全員で止まるのはまずい。さっきも言ったが、すぐに脱出しよう」

 エディの提案に、私とヒナは頷く。

 最低限の荷物だけ手に持った私達は、すぐに窓から外へ出た。

 ……でも、やはり手遅れだった。

 外に出た私達を感知した敵は、私達が外に出ると同時に、光の魔法で私達を照らす。

 すでに真っ暗になっていた夜の庭で、私達は、劇場のスポットライトを浴びたように照らし出される。

「完全に魔力を消したはずだが、それでも気配を感じて飛び出そうとするとはな。今は魔族がいないとはいえ、クリス達を殺した実力は伊達じゃないようだ」

 全身に白銀の鎧を纏いった、先頭に立つ大柄の騎士がそう呟く。
 その後ろには数十人の騎士と兵士。
 さらにその後ろにも屋敷を囲うように兵士が配置されている。

 全部で百人ほどの騎士と兵士。
 私達が姿を現したことで抑えることをやめた魔力から察するに、その全てが精鋭といっても過言ではなさそうだ。

 絶望的な戦力差。
 
 しかし、そんなことなど全く気にしていないように、エディはまっすぐ先頭の騎士に視線を注ぐ。

 私はその隣に立つおじ様の奥様に気づく。
 私はそんなおじ様の奥様を見つめる。

「どうしてこんなことを……」

 私は思わず尋ねてしまった。

「黙りなさい、裏切り者。お前の父親が私達を騙し、魔族と組んで王国を滅ぼそうとしていたからよ。主人はそれでもお前の父親を信じ、家に迷惑をかけないよう、家督を息子に譲った上で、一人で王都に向かった。そしてそこでお前の父親を擁護し、……すぐに処刑された。お前達を信じたせいで主人は死んだ。お前達みたいな、人間に対する裏切り者を殺すのに、理由なんているものですか」

 おじ様が処刑された?
 お父様を助けようとして?

「お父様は人間を裏切ってなんて……」

「黙りなさいと言っているでしょう!」

 おじ様の奥様は私を怒鳴りつける。

「お前達が魔族と手を組んでいるのは事実ではないの? ここにいるアルベルト様は、アルベルト様のお仲間を殺したのは、間違いなく魔族だとおっしゃっているわ」

「それは……」

 私は何も言い返せない。

 魔族であるカレンが追っ手を殺したのは事実だ。
 今はもう魔族はいない、と言ったところで何も解決しないだろう。

「お前達のせいであの人は……誰よりも家族想いだったあの人が……」

 おじ様の奥様はそう言って泣き崩れる。
 思わずおじ様の奥様の方へ駆け寄りそうになるのを、私は何とか堪える。

「レナ。考えるのは後にしろ」

 完全に動揺している私の肩に手を置き、エディはそう声をかけた。

「今はこの場を切り抜けるのが先決です。敵はおよそ百人。私は戦闘経験がなく、魔力の使い方を覚えたばかり。あなたの力がこの場を切り抜ける鍵になります」

 ヒナも震えを隠しながら私に言葉をかける。

 そうだ。
 この三人の中で、実戦経験が一番あるのは私だ。

 私も、魔物や盗賊相手でしか経験がないとはいえ、実戦経験の殆どないエディやヒナよりはマシだ。
 それに、座学でなら、誰よりも勉強してきたつもりだ。
 今ここで私が考えなければ、全滅は必至だろう。

 私は知らず知らずのうちに俯いていた顔を上げ、エディとヒナの顔を見る。
 二人とも全く諦めた様子はなく、真っ直ぐ私を見返してくる。

 悔しいけど、私たちの中の最高戦力は、間違いなくエディだ。
 エディをどう活かすかが生死の境目だ。
 残念ながらヒナは戦力としてカウントできない。
 数ヶ月後ならいざ知らず、今はただ脚力が強いだけで戦闘には役立たないだろう。

 相手の先頭に立つのは、剛腕の二つ名を持つアルベルトという騎士。
 大柄の体格に、鎧を着ていても分かる筋肉の塊のような鍛え抜かれた肉体。

 子供の私でも知っている有名な騎士で、十二貴族や剣聖・賢者を除けば、王国でもトップクラスに位置する実力を持っている。
 一対一で戦えば、エディならもしかすると勝てる可能性があるかもしれないが、周りの邪魔が入る可能性がある今の状況では、苦戦は間違いない。

 私は相手の顔を見回す。
 少なくとも、私が知っている高名な騎士や魔導師はいないようだ。
 顔の隠れている小隊長と思しき人物だけ少し気になったが、魔力量は大したことがない。
 アルベルトさえ抑えればどうにかなるはずだ。

「エディ」

 私はエディの名を呼ぶ。

「アルベルトは私が抑える。その間に突破口を作って」

 エディは無言で、でもしっかりと頷く。

 高名な相手がいないとはいえ、相手は百近い精鋭の騎士や兵士だ。
 一番難しい役どころにも関わらず、エディならやってくれる、そう思わせるような返事だった。

 私も小さく頷き返し、今度はヒナの方を向く。

「……あなたは突破口が出来次第、すぐに抜け出し、先行して退路を確認して。無理に戦闘する必要はないから、罠を察知したら引き返して私達に知らせて」

 ヒナも無言で頷く。
 これまで家畜同然の扱いを受けてきた彼女は、戦闘どころか人と相対する機会すら殆ど無かっただろうが、それでもヒナは自分の役割を果たすべく、力強く頷く。

「アイツはかなりできると思う。アレス様やダイン師匠には及ばないにしろ、俺でも勝てる自信はない。お前に抑えられるのか?」

 エディは真っ直ぐ私の目を見ながら尋ねる。

 私は力強く頷き、自分にも言い聞かせるように返事する。

 相手は格上もいいところ。

 魔力も相手が上。
 剣の腕も相手が上。
 経験も相手が上。

 私が勝っている要素など、何一つない。
 それでも私がやらなければならない。

 この場にカレンがいれば、これくらいの窮地、エディと二人で簡単に切り抜けるだろう。

 そのカレンは、ここにはいない。
 私が殺そうとしたせいで、ここにはいない。

 だから私はやらなければならない。

 カレンを追いやった責任を果たす為。
 エディのパートナーとして認めてもらう為。

「もちろん。こんな所で躓くようじゃ、お父様の救出など夢のまた夢よ」

 そう言って私は剣を抜き、アルベルトと対峙する。

「……あなたの相手は私よ」

 震えそうになる膝を、何とか抑えながら、私はアルベルトへそう告げる。

「……死んでも後悔するなよ」

 真顔で私にそう返すアルベルトに、私は笑みを返す。

「あなたの方こそ」

 戦い方は決めている。

 私は、中級レベルながらもこれまで最も多くの機会で用い、数知れぬ魔物を葬ってきた呪文を唱えた。

「剣よ。その身に光を宿し、闇を切り裂く灯火となれ。『烈光剣』」

 その呪文が、その光が、戦闘開始の合図となった。
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