底辺奴隷の逆襲譚

ふみくん

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第六章 絶望編

魔王の娘⑩

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 魔王決定の儀の予選にあたる大規模乱戦、現代日本風に言うところのバトルロイヤルが始まる前日、驚きの報告がもたらされた。

「……明日の戦いは中止だそうです」

 師団長が残念そうに告げる。

「なぜかしら?」

 質問する私に、落胆した様子の師団長が返事する。

「貴女のお兄様に恐れをなした他の参加者が皆、棄権したためです。今の魔王様は、貴女のお兄様に敵わないことを喧伝されており、既に辞退済み。せっかく我々が役に立つところをお見せしようと思っていたのですが……」

 師団長には悪いが、私としては願ったり叶ったりの状況だ。

 シトリは普段から一緒に訓練しているので実力は分かっていたし、師団長もそれなりの実力なのは事前に試したので分かっていた。
 でも、正直、他のメンバーたちが実力不足なのは否めなかった。

 四魔貴族たちは、それぞれ複数の将軍を含むかなり強力な戦力を擁している。

 そんな相手と戦わずして、確実に挑戦権を得られたのは大きい。
 最悪、今回は予選で敗退し、次回まで挑戦できないことも覚悟していた。

 安堵する私に、シトリが告げる。

「それだけミホ様のお兄様が強いということです。もちろん魔王様は、これまでの最強の名に恥じない実力者。四魔貴族の皆様も、魔王様に引けを取らない実力者たち。その皆様が恐れをなして辞退するのです」

 シトリは深刻そうな顔で私を見る。

「ミホ様。ご無礼を承知で申し上げますが、やはり今回は辞退し、次回に備えませんか? 確かにミホ様はこの百年で見違えるほど強くなられました。四魔貴族にも劣らない実力をお持ちでしょう。それでもなお、貴女のお兄様にはまだ届かないと思われます。昨日からミホ様のお兄様について調べてみましたが、この百年で、想像を絶する強さを身に付けられたようです」

 私は、シトリの目を見返して答える。

「前にも言った通り、その選択肢はないわ。今回私は、お兄様に敵対する姿勢を見せた。そんな私をお兄様がそのままにしておくわけがない。もし今回逃げれば、何かしら理由をつけられた後、魔族総動員で私は殺されるはず」

 それだけ言った後、私はシトリと師団長へ笑顔を向けて告げる。

「ただ、あなたたちは、お兄様につきさえすれば、たとえ私が負けても殺されるようなことはないと思うわ。多くの魔族がお兄様に服従しようとしている今なら、あなたたちも迎えられるはず。手遅れにならないうちに、お兄様のもとへ行きなさい。私が勝ったなら、その時に改めて私の配下になってくれればいいわ」

 そんな私の言葉に、シトリと師団長は揃って笑う。

「ミホ様。私は貴女だけの配下です。例え殺されようともそれは変わりません」

 シトリは誇らしげにそう言った。

「私も貴女に従うと決めました。シトリさんと違って仕えてからの時間は短いかもしれませんが、貴女に忠誠を誓う決意は負けていないつもりです」

 師団長は少しだけ胸をそらしてそう言った。

 すると、どこで聞いていたのか、数人の魔族たちがすっと前に出てきた。

「わ、我々も微力ながら応援させていただきます。次期魔王様の配下として、力不足なのは承知しておりますが、是非お側にいることをお許しください」

 彼らは師団長の配下の者たちだった。

 確かに、戦闘力という点では心許ないメンバーだったが、劣勢な私を、命を賭して応援してくれるという点については、ありがたい限りだった。

 私を応援し、私が敗れれば、この場にいる者は、殺されてしまうかもしれない。
 それはみんなも分かっているはずだ。

「ありがとう。私が魔王になったら、みんな幹部にしてあげる」

 私の言葉を聞いた師団長が真面目な顔で答える。

「魔族の社会は実力主義です。決して贔屓はなされないようにお願いします」

 そんな師団長の言葉に、思わず私は笑ってしまう。

「ふふふっ。貴方、真面目すぎるわ。そんな性格だと、せっかく強いのに、もてないでしょ?」

 私はひとしきり笑った後、みんなを見渡す。

「安心して。その辺の魔族になんか負けないよう、私が直々に鍛えてあげるわ」

 私の言葉を聞いたシトリの顔が青ざめる。

「み、皆様。寝返るなら今ですよ。ミホ様の訓練は、地獄に行くより辛いですから」

 百年間、私の訓練に付き合ってくれた経験者の言葉に、みんなは引き締まった顔をする。

「強くなれるなら大歓迎です。是非我々を鍛えてください」

 私は笑顔を作り、頷く。

「楽しみにしてなさい。みんな今より二階級は強くしてあげるから」






 魔王決定の儀は、魔族における最大のイベントだ。

 その日、国中の魔族が次の魔王の誕生に立ち会おうと、魔族の国の王都の外れにある、闘技場へ集まっていた。
 数千人は収容できるであろう、古代ローマのコロッセオ風の闘技場は満席で、闘技場の周りも、大勢の魔族たちで溢れている。

 熱気で空気が歪みそうな闘技場の真ん中に、私と兄は、二人でポツンと立っていた。

 魔族の戦いに審判はいない。
 ルールは特になく、どちらかが降参するか、戦闘不能になるまで戦いは続く。

 ……そして、多くの場合、戦闘不能は死を意味する。

 この会場の殆どの魔族は、私が惨たらしく死ぬ姿を想像しながら観戦しているだろう。

 現役の魔王が引退を表明し、四魔貴族全員が出場を辞退するという異例の事態。
 その要因となった兄が負ける姿を想像する者など、いるはずがなかった。

 私は、後ろを振り返る。

 そこには、圧倒的に不利なはずの私を信じてくれている、数人の魔族が、固唾を飲んで見守ってくれていた。

 私はこの世界で、自分以外の誰かに頼るつもりはなかった。
 だが、完全なアウェイの中で、ほんの僅かでも、応援してくれる人がいるというのが、こんなに嬉しいことだとは思わなかった。

 私は、右手を少しだけ上げ、彼らの想いに応える。

「……降参するなら今だぞ。この場に臨んだ唯一の存在として、その勇気に免じ、今降参するなら殺さずにおいてやる」

 遙か高みから地を這う虫けらへ向けられたような尊大な言葉。
 だが、それが許されるだけの強さと風格が兄にはあった。

 そんな兄に、私は笑みを向ける。

 ……自分を奮い立たせるように気持ちを込めながら。

「それはこちらの台詞です。お兄様ほどの実力者を殺すのはもったいないので。できれば私の右腕として働いてくださりませんか?」

 私の言葉に対し、勤めて冷静さを保とうとしながら兄が答える。

「愚か者が。勇気のある者は好ましいが、それ以上に、己の分を弁えない者は容赦ならぬ。今この場で余が裁断してやろう」

 その言葉と同時に、兄の纏う雰囲気が変わる。

 その場を支配する圧倒的な魔力。

 魔力そのものには、本来害はないはずなのだが、圧倒的強者の魔力は、その理を時に覆す。

 百年前の私なら、この魔力を浴びただけで気を失っていたかもしれない。

 観客席は、四魔貴族やその他の有力な魔族たちの幾重にも及ぶ魔法障壁により、ある程度の攻撃は防がれる。
 だが、その殺人的な魔力は、障壁越しでも観客にも伝わったようだ。

 ざわついていた会場が、一気に静かになる。

 そんな魔力を直で受けている私は、立っているだけでも辛い状況だった。

「顔色が悪いぞ。さっきまでの威勢はどこへ行った?」

 少しだけ勝ち誇った顔の兄。
 私は無理やり笑顔を作って答える。

「……別に。多少魔力が多いだけで勝った気になっている馬鹿な兄を見て、妹として残念に思っているだけよ」

 私の言葉に、心底失望した顔をする兄。

「この魔力差を感じても引かぬとは。引き際も分からぬ愚か者には死あるのみだ」

 兄の言葉と共に、熱を帯びたように感じる兄の魔力。

 魔力そのものには特に性質はないはずなので、これは錯覚だと分かっていてもそう感じざるを得ない。

 兄の瞳の色は燃え盛る赤。
 その魔法は全てを焼き尽くす地獄の炎。

「灰塵と帰せ」

 兄がそう告げると、今度は本当に熱を帯び始める兄の魔力。

 膨大な魔力が炎と化して私を襲う。

 熱で空気を膨張させ、視界を歪めながら唸りを上げて迫ってくる炎。

 そんな炎に対し、私は冷静に右手を前に出す。

『紅蓮(ぐれん)』

 魔族の魔法には、魔法式も呪文も必要ない。
 それに伴い、魔法名を唱える習慣もない。

 だが、私は学んだ。

 魔法を効率化し、効率化された魔力の流れを式化して記憶することで、その威力は大きく変わると。

 魔力に満ち溢れている魔族だからこそ気付かないその事実を私は利用する。

 込めた魔力は兄の半分程度。

 だが、その威力はほぼ同等だった。

ーーゴウッーー

 二つの猛火がぶつかり、そしてお互いが消失した。

 騒つく会場。

 それもそのはずだ。

 炎の権化であるはずの赤い瞳の兄に対し、私の瞳は黒。
 本来、炎の魔法同士で、私が対抗しうるはずがない。

 でも兄は顔色一つ変えなかった。

「貴様のことを見縊り過ぎていたようだな。思ったよりはやるようだ。……だが、それだけのことだ」

 そう話した兄の魔力がさらに膨れ上がる。

 先ほどまでの魔力でも私を凌駕していたのに、今の兄の魔力は、もはや比較することすらおこがましい程に圧倒的だった。

 私の魔力も、四魔貴族に劣らない程度にはあるはずだ。
 兄一人が、魔族の中でも群を抜いているのだろう。

 私は兄の魔力に身を焼かれるような暑さを感じながら、魔力を練る。

 炎の化身たる兄に、炎の魔法で挑むのは正直言って愚かだと思う。
 だが、そんな兄を炎でねじ伏せることができれば、きっと全ての魔族が私を認めざるを得ないはずだ。

 半分人間の私が魔王としての資質を示すためには、ただ倒すだけではなく、私自身の力を効果的に見せて倒さなければならない。

 だが、単純な炎の魔法では、先ほどの魔法が今の私の限界だ。

 私は、一つめの切り札を切ることにする。

 炎に酸素を供給する、炎と風の複合魔法。
 基本的に瞳の色に合った一つの系統のみを鍛える魔族には使えない魔法。
 化学をかじったことがある者なら、誰でも知っている基本知識が、魔法の世界では革命となる。

「今度こそ消えろ」

 兄の言葉と同時に、先ほどとは比べものにならない熱量の炎の渦が私に迫る。

 そんな炎へ、私も再度右手を向ける。

『劫火(ごうか)』

 膨大な熱をまき散らしながら迫りくる兄の魔法に対し、私の魔法は周りへ熱を逃さないよう収束させながら酸素を送り込み続けることで、兄の魔法と同等の威力を保っていた。

 恐ろしい熱量を秘めた兄の魔法と拮抗し続ける私の魔法。

 お互い、魔法の維持には、大量の魔力が必要だ。

 特に私の場合は、系統の違う二つの魔法を同時行使している。
 その消費は、兄の比ではない。

 そもそもの魔力量も兄の方が多いのに、消費も私の方が多ければ、近いうちに破綻するのは目に見えている。

 本当はここまでで倒したかったが、流石にそれは兄を舐め過ぎていたようだ。

 兄も、このまま行けば私の方が先に魔力切れになるのは気付いているだろう。

 ただ、兄としても半分人間の私との決着が、私の魔力切れということでは、周りへの示しがつかないと感じたのだろうか。

 決着を急ぐかのような、大技の連続が私を襲う。

 天まで届くかのような巨大な火柱。
 膨大な数の火球の雨。
 熱が巨大な渦となった炎の竜巻。

 そのどれもが、魔王の名を冠するにふさわしい攻撃だった。

 だが、私もそれに屈するわけにはいかない。
 大量の魔力を消費したものの、その全てを防ぎ切った。

 観客からはこう着状態に見えているかもしれないが、実情はそうではない。

 残りの魔力が半分を切った私と、まだまだ底が見えない兄。

 それでもなお、兄が優勢に見えないのは、常に冷静を装っている兄が、私を倒しきれないことに苛立ちを隠せないからだろう。

 圧倒的な魔力で私をねじ伏せ、最強の魔王としての華々しい一歩目を飾るのが兄のイメージする、今日の結末だったはずだ。

 兄はこのまま同じ攻撃を続けるだけで私に勝てる。
 だが、それでは魔王として盤石な地位は築けない。

 兄が次の攻撃を考えるその隙に、私は勝負に出る。

 水系の魔法で攻めるというのも案としてはあったが、私はそれを選ばない。

 兄だって苦手属性である水系の魔法は、当然警戒しているはず。
 どのような備えをしているか分からない中で、水系の魔法を使うのはリスクが高い。

 強力な魔法を使っても完全に防がれて終えば、魔力の無駄になってしまう。
 魔力量に圧倒的な差がある中、無駄うちは絶対に避けたい。

 兄の領域である炎の魔法でも、魔力量を除けば私も十分戦えることは示せた。

 ここから先は、私の領域で戦う。

 私にはネーミングセンスがない。

 だから何かを参考にする。

 神や悪魔の名前。
 分かりやすい言葉。
 カッコいい単語。

 日本人ならきっとこの魔法には、大多数の人がこうつけるはずだ。

 私は右手を天に向け、そして兄へ向かって振り落とす。

『天照(あまてらす)!』
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