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呪いの少女 1
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その日、オルガンの街は朝から激しい雨に見舞われていた。雲はどんより立ち込めており、空はまるで夜のように黒い。
朝、俺は教室へ急いでいた。泥濘んだ地面に足を取られ、少し校舎に到着するのが遅れてしまったのだ。
歩いていても雨粒が弾ける音に満たされおり、廊下には昼間は付いていないはずの明かりが点っていた。
一定間隔に配置されたそれらは、赤や青などカラフルに柔らかく色づいており、厳しい学校の作りとはいささかミスマッチングな少女趣味な気もする。
この無駄にカラフルな光の正体は「魔石」を使った照明器具である。
魔石は文字通り魔力を宿した石だ。世界中の鉱脈で取れる代わりに、加工するにはかなりの技術力を要し、古くはドワーフや一部のエルフにしか扱えなかった。
人族が高度な加工を出来る様になったのはここ100年の話だと言われている。しかし、加工には莫大なコストと非常に優秀な職人が必要であり、多くの国ではそこまで進んでいないのが実情だ。
かく言う我がギラの国では一度、首都に配置されたガス灯を全て魔石を使った外灯に置き換えるという計画が持ち上がった。
もちろん予算は莫大にかかり、その年の政府財政は大幅な赤字を被った。それでも予算を度外視して諸外国に向けて大見栄を張ろうとしたのはギラらしいと言えばギラらしい。
ところがいざ実用段階になって不具合が頻発する。付かなかったり、弱弱しく点滅していたり、爆発したりと散々だった。
不具合ならまだ良かったのだが、組織的な魔石の窃盗事件が起こり、首都外灯計画は完全に頓挫した。
結局、一度ガス灯から魔石灯に換えたものを再びガス灯に換える事になり、諸外国から失笑を買う羽目になったのだった。
そんな故郷での笑話を知っている俺は、地方都市の、それも一つの学校の中で、こんなにたくさん鮮やかな魔石灯が灯っている事実に驚かずにはいられない。
三日月大陸と光帝大陸の大陸間戦争が終わって100年。平和を手に入れたマナの国では、それまで戦争のために発達させてきていた技術をどんどん日常生活に取り入れるようになった。今では世界有数の先進国として知られている。
それはこんな所にも現れるということか。半ば自慰行為的に闇魔法のみを突き詰めて来た我々とでは経済規模も技術レベルも違いすぎる。
そんな他愛も無い事を考えながら廊下を歩いていた時だった。甘い香りが俺の鼻腔を突いた。いや、酷い匂いだとか刺激臭だとか言うのではない。
ほんのりと甘い果実のような香りであるのに、鼻を貫いて脳に直接届きそうな特徴的な匂いだった。
俺は思わず振り向いていた。
廊下には多くの人が行き交っていたが、俺の目は一点で止まって動かなかった。何故かその人物の発した香りだという確信があった。
白いローブを着ているので医療魔法学部の生徒だ。後ろ姿なので顔は見えないが、頭から長く伸びる髪は腰を覆うほど長い。魔石灯の明かりを反射して光る髪は艶やかで、暗い紫色をしている。
少女は艶やかな髪を揺らし、ゆっくりと廊下を遠ざかって行く。何故か寒気がした。今朝からジメジメとじっとり暑かったのに。俺は直感的に、彼女とは関わり合いになってはいけないような気がした。
少女の腰の辺りから、何かが廊下に落ちた。
「そこの女。何か落としたぞ」
少女は立ち止まり、ゆっくり、こちらを振り返ろうとする。その時俺は例えようも無いほど緊張している事に気付く。彼女が振り返ったら最後。根拠は無いが、もう取り返しのつかない事になるような気がした。
少女がこちらに振り返り、目が合う。いや、ずれた。まるで膝カックンされたかのように、膝から崩れ落ちていく。何もないところで面白い転び方をしたらしい。
どうにか転ぶまいと伸びた彼女の指は、隣にいた太った男の先生の服を掴み、そのまま下にずり下ろした。
太った先生が全裸になる。ノーパンの上、すごく脱げやすい服だったらしい。
赤に青に輝く魔石灯の光が、今は妖しく肥満体の裸を照らしている。
先生は慌てて、たまたま床に落ちていた鉄球を拾った。それで股間を隠そうとしたのだろう。
「熱っつ!!!」
先生は叫んで鉄球を放り出した。きっとさっきまで誰かが懐で温めていたのだろう。さながら砲丸投げのような動作で投げられた鉄球は窓を割り、隣の魔法生物実験室に入っていった。
やっと静かになった。と思った次の瞬間、身体の内から揺さぶられるような轟音と共に、ニンジンが大量に飛び出してきた。ただのニンジンではない。足の生えたニンジンだ。
「誰だ! 鉄球を投げ込んできた奴は!」
「あの全裸だ! 殺せ!」
「八つ裂きにしろ!」
物騒なことを仰る緑黄色野菜たち。どうやって喋っているんだろう。
「うわああああ! ニンジンに殺されるうううう!」
全裸の先生は悲鳴を上げて俺の横を走り抜けていく。その後ろから廊下を埋め尽くす勢いで、おびただしい数のニンジンが迫ってくる。
縮み上がるような恐怖心で俺は動けなくなった。たとえニンジンでも勢い良く迫って来られたら恐い。
近づく。
ぶつかる!
しかし恐怖で硬直して動けない俺をスルーして、ニンジン達は通り抜けていった。
彼らの移動で起こった風は懐かしい畑の香りがした。
そうして全裸の男を先頭に大量のニンジンが走り抜けるという謎の光景は徐々に遠ざかっていき、やがて廊下を曲がって見えなくなった。
俺は恐怖と緊張で一歩も動くことが出来なかった。廊下はまだざわめいている。
……何だったんだ、さっきの「風が吹けば桶屋が儲かる」装置は。まあ怪我しなくて良かった。あの追いかけられていた先生も無事だと良いが……。
俺がまた教室に向かおうとした時、長髪の少女が、まだ廊下に茫然とへたり込んでいるのが目に留まった。
「おい貴様。怪我は無いか?」
俺は再び声をかけていた。もし俺がこの時声をかけていなければ……。と何度も繰り返し思い返す事になるのだが、この時は純粋に彼女の身を心配していた。
俺が近づいていくと
「ご、ごめんなさい! ごめんなさい! 私のせいで!」
と、少女は必死に頭を下げた。今にも泣きそうで、申し訳なさそうな声だ。
その姿はこちらが気の毒に思ってしまうほどだった。
「心配するな。特に怪我人は出ていない」
一人ニンジンに追いかけられている人がいるけども。
「立てるか?」
俺は少女に手を差し伸べた。その時、前髪から覗く彼女の顔が見えた。
ーーえ?
俺は一瞬たじろぎそうになった。少女の顔立ちは驚くほどに整っている。まるで精密な機械によって調整されたかのように、少しの狂いも見当たらない。
しかしもっと驚いたのは、その「目」だ。目に力が篭っている。到底、先ほどから謝り倒している少女の目とは思えないほど、自信と、強い意志を感じさせる大きな黒い瞳だ。
その瞳が牙のようにガッチリ俺を捉え、全く離さなくなった。じっと俺を見つめている。動けない。
「私が、怖くないのですか?」
少女は透き通るような声で言った。いや、怖いよ。怖いけど動けないだけ。しかし俺の口はキャラ作りのため「怖い」なんて言えない。と言うか、この頃からは意識しなくても口をついて中二病語が出るようになっていた。
「怖い? ククク……我は何も恐れぬ! そう、死も呪いさえも我が僕しもべなり」
俺はいつものように左手で右目を隠し、左目をカッと見開いて言った。
呼応するように少女の瞳孔が、一瞬開いた、気がした。しかしその後一言も喋らない。微動だにしない。
……あれ、滑ったか?
その時、始業の鐘が鳴った。久しぶりに自分が遅れかけていた事を思い出す。
「け、怪我が無いのなら良かった」
これ幸いと俺は立ち上がり、少女に背を向けて歩き出した。
その時、小さな、消え入りそうな声で
「見つけた」
と聞こえた気がした。
朝、俺は教室へ急いでいた。泥濘んだ地面に足を取られ、少し校舎に到着するのが遅れてしまったのだ。
歩いていても雨粒が弾ける音に満たされおり、廊下には昼間は付いていないはずの明かりが点っていた。
一定間隔に配置されたそれらは、赤や青などカラフルに柔らかく色づいており、厳しい学校の作りとはいささかミスマッチングな少女趣味な気もする。
この無駄にカラフルな光の正体は「魔石」を使った照明器具である。
魔石は文字通り魔力を宿した石だ。世界中の鉱脈で取れる代わりに、加工するにはかなりの技術力を要し、古くはドワーフや一部のエルフにしか扱えなかった。
人族が高度な加工を出来る様になったのはここ100年の話だと言われている。しかし、加工には莫大なコストと非常に優秀な職人が必要であり、多くの国ではそこまで進んでいないのが実情だ。
かく言う我がギラの国では一度、首都に配置されたガス灯を全て魔石を使った外灯に置き換えるという計画が持ち上がった。
もちろん予算は莫大にかかり、その年の政府財政は大幅な赤字を被った。それでも予算を度外視して諸外国に向けて大見栄を張ろうとしたのはギラらしいと言えばギラらしい。
ところがいざ実用段階になって不具合が頻発する。付かなかったり、弱弱しく点滅していたり、爆発したりと散々だった。
不具合ならまだ良かったのだが、組織的な魔石の窃盗事件が起こり、首都外灯計画は完全に頓挫した。
結局、一度ガス灯から魔石灯に換えたものを再びガス灯に換える事になり、諸外国から失笑を買う羽目になったのだった。
そんな故郷での笑話を知っている俺は、地方都市の、それも一つの学校の中で、こんなにたくさん鮮やかな魔石灯が灯っている事実に驚かずにはいられない。
三日月大陸と光帝大陸の大陸間戦争が終わって100年。平和を手に入れたマナの国では、それまで戦争のために発達させてきていた技術をどんどん日常生活に取り入れるようになった。今では世界有数の先進国として知られている。
それはこんな所にも現れるということか。半ば自慰行為的に闇魔法のみを突き詰めて来た我々とでは経済規模も技術レベルも違いすぎる。
そんな他愛も無い事を考えながら廊下を歩いていた時だった。甘い香りが俺の鼻腔を突いた。いや、酷い匂いだとか刺激臭だとか言うのではない。
ほんのりと甘い果実のような香りであるのに、鼻を貫いて脳に直接届きそうな特徴的な匂いだった。
俺は思わず振り向いていた。
廊下には多くの人が行き交っていたが、俺の目は一点で止まって動かなかった。何故かその人物の発した香りだという確信があった。
白いローブを着ているので医療魔法学部の生徒だ。後ろ姿なので顔は見えないが、頭から長く伸びる髪は腰を覆うほど長い。魔石灯の明かりを反射して光る髪は艶やかで、暗い紫色をしている。
少女は艶やかな髪を揺らし、ゆっくりと廊下を遠ざかって行く。何故か寒気がした。今朝からジメジメとじっとり暑かったのに。俺は直感的に、彼女とは関わり合いになってはいけないような気がした。
少女の腰の辺りから、何かが廊下に落ちた。
「そこの女。何か落としたぞ」
少女は立ち止まり、ゆっくり、こちらを振り返ろうとする。その時俺は例えようも無いほど緊張している事に気付く。彼女が振り返ったら最後。根拠は無いが、もう取り返しのつかない事になるような気がした。
少女がこちらに振り返り、目が合う。いや、ずれた。まるで膝カックンされたかのように、膝から崩れ落ちていく。何もないところで面白い転び方をしたらしい。
どうにか転ぶまいと伸びた彼女の指は、隣にいた太った男の先生の服を掴み、そのまま下にずり下ろした。
太った先生が全裸になる。ノーパンの上、すごく脱げやすい服だったらしい。
赤に青に輝く魔石灯の光が、今は妖しく肥満体の裸を照らしている。
先生は慌てて、たまたま床に落ちていた鉄球を拾った。それで股間を隠そうとしたのだろう。
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「誰だ! 鉄球を投げ込んできた奴は!」
「あの全裸だ! 殺せ!」
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「うわああああ! ニンジンに殺されるうううう!」
全裸の先生は悲鳴を上げて俺の横を走り抜けていく。その後ろから廊下を埋め尽くす勢いで、おびただしい数のニンジンが迫ってくる。
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彼らの移動で起こった風は懐かしい畑の香りがした。
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俺は恐怖と緊張で一歩も動くことが出来なかった。廊下はまだざわめいている。
……何だったんだ、さっきの「風が吹けば桶屋が儲かる」装置は。まあ怪我しなくて良かった。あの追いかけられていた先生も無事だと良いが……。
俺がまた教室に向かおうとした時、長髪の少女が、まだ廊下に茫然とへたり込んでいるのが目に留まった。
「おい貴様。怪我は無いか?」
俺は再び声をかけていた。もし俺がこの時声をかけていなければ……。と何度も繰り返し思い返す事になるのだが、この時は純粋に彼女の身を心配していた。
俺が近づいていくと
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その姿はこちらが気の毒に思ってしまうほどだった。
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一人ニンジンに追いかけられている人がいるけども。
「立てるか?」
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ーーえ?
俺は一瞬たじろぎそうになった。少女の顔立ちは驚くほどに整っている。まるで精密な機械によって調整されたかのように、少しの狂いも見当たらない。
しかしもっと驚いたのは、その「目」だ。目に力が篭っている。到底、先ほどから謝り倒している少女の目とは思えないほど、自信と、強い意志を感じさせる大きな黒い瞳だ。
その瞳が牙のようにガッチリ俺を捉え、全く離さなくなった。じっと俺を見つめている。動けない。
「私が、怖くないのですか?」
少女は透き通るような声で言った。いや、怖いよ。怖いけど動けないだけ。しかし俺の口はキャラ作りのため「怖い」なんて言えない。と言うか、この頃からは意識しなくても口をついて中二病語が出るようになっていた。
「怖い? ククク……我は何も恐れぬ! そう、死も呪いさえも我が僕しもべなり」
俺はいつものように左手で右目を隠し、左目をカッと見開いて言った。
呼応するように少女の瞳孔が、一瞬開いた、気がした。しかしその後一言も喋らない。微動だにしない。
……あれ、滑ったか?
その時、始業の鐘が鳴った。久しぶりに自分が遅れかけていた事を思い出す。
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