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英雄の帰還

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 モグリッジが倒されたと聞いた時の村人達の喜びは尋常ではなかった。老いも若きも歓声を上げ、踊り回っている人たちも沢山いた。何の事前情報もなしに見れば確実に気の触れた集団の光景である。

 だがその気持ちは分かる。それだけモグリッジの呪いは村人達にとてつもない苦痛を敷いてきたのだ。あんな変態野郎に生涯怯え続けるなんて、考えただけでも寒気がする。



 それから一週間村をあげた祭りが催され、俺たちも招待された。自分の体重を超すような量の料理が出てきて、それを全部食えと言われるのだ。過激派おばあちゃん原理主義者が孫に食わせる量よりもまだ多かった。



 音楽も四六時中流れていた。本当に一日中途切れることなく演奏が続いている。不思議に思って演奏の聞こえてくる方に行ってみると本当に寝ながら演奏している人達がいて驚いた。特殊な訓練を受けていたんだろうか。



 何はともあれ俺達が来た時よりも村人達は非常に明るくなった。彼らの受けてきた苦痛を計り知ることは出来ないが、呪いを解くことが出来て本当に良かったと思う。



 学園に帰る日、村人達が総出で迎えに来てくれてた。全員が別れを惜しんでくれている。中には泣き崩れ、地面に転がっている人もいて、中々異様な光景だった。

 まるで出棺だ。

 なるほど、死んだらこういう光景が見られるんだな、良い予習が出来た。

 ちなみに俺の家族達も見送りに来ていた。……母ちゃん達は村に残るのかよ。













 学園に戻った俺たちは誰が言うでもなく学食に集まっていた。特に理由はない。ただ、何となくそのまま日常に戻るのが嫌で、ルナの故郷での一件について語り合いたかったのかもしれない。

 午後三時過ぎの学食は閑散としており、昼間のような活気は無い。



「クラウス様。この度は本当にありがとうございました。お陰で我が一族は救われました。このお礼は何代に渡っても、必ず致します」



 隣に座ったルナは深々と頭を下げた。彼女はヴァレッジにいる時から何度も何度もこの言葉を言っている。ルナとしては「何代も続いた呪いを解いてもらったのだから、何代に渡っても必ず恩を返す」という意味なのだろう。

 だがお礼を言われ慣れていない俺としては何だかこそばゆくて仕方ない。



「頭を上げろ。我は約束を果たしたに過ぎん」

「そうだぜ。それに俺はエロ本読んでただけだしなあ!」



 ニックよ。お前は少し黙っていてくれ。



「ま、感謝するより先にクラウスを襲おうとしたことを謝った方が良いと思うけど」



 ジャンヌは相変わらず冷ややかな視線をルナに向けている。とうとう学園に帰るまで二人が和解することはなかった。



「ところでクラウス様、何を飲んでおられるのですか?」



 ルナが俺の方を覗き込んできたのはそんな時だ。



「これはただのコーヒーだが」

「そうですか」



 言いながらルナはいつものように体を寄せてくる。



「くっつきすぎ」



 ジャンヌが非難の声を上げる。



「もしかして飲みたいのか」

「はい。一口いただけませんか?」

「それは構わないが……」



 あれ? そう言えばルナもコーヒーを頼んでいなかったか……? 俺は少し疑問に思いながらも、コーヒーの入ったカップをルナの前に置いた。



「ありがとうございます! 私、我慢出来なくて」



 ……我慢出来なくてって、何が?

 ルナは嬉々としてカップを持ち上げ、ゆっくり口に近づけていく。その唇は不意にファーストキスを奪われた時の彼女を想起させた。柔らかかったなあ。



「おいクラウス! こいつ間接キス意識してやがるぜ!」



 面白がり、机を叩いて茶化しているニックとは対照的に、ジャンヌはむっつりとルナの方を見つめている。

 ルナの唇が近づく。その潤んだ唇がカップに触れる、瞬間ルナの目が光り、白い歯が剥き出された。



 その次の光景に俺は目を疑った。



 口を開けたルナはそのままカップの縁を噛んだ。いや、噛み切った。バキッというカップの割れる音が彼女の口内から響いてくる。



 俺もジャンヌも、そしてさっきまで笑っていたニックも硬直していた。理解が追いつかない。必死に頭で情報を処理しようとしたが、やっぱりどう見てもルナが俺のカップを噛みちぎっているし、噛みながら俺の方を見ている。



 三人が動けない中、ごりっ、ごりっ、という陶器を咀嚼する音だけが静かな食堂に響く。音だけ聞いたらクッキーを食べていると間違う人もいるだろうが、まさか口の中でカップを噛み砕いている音だと思う人はいないだろう。



 口を押さえ、お上品にカップを噛んでいたルナは、ゴクンと喉を鳴らして「それ」を飲み込んだ。

 誇張でも何でもなく、俺が人生で一番背筋が凍ったのはこの時だったかもしれない。



 しかしルナは俺たちの青ざめた表情など気にしていない。恍惚とした表情で、頬っぺを手で覆い、



「おいひぃ」



 と言った。口元からは一筋の血が流れている。



 ああ、俺はとんでもない女を助けてしまったのかもしれない。そして、その女から生涯に渡って追われ続けるんだろうな。それは漠然とした、しかしほぼ確実に起こりうる予感だった。



「クラウス様、コーヒー美味しかったです。ありがとうございます」



 ルナは満面の笑みを浮かべている。口元から滴った血と相まって、その笑顔は非常に恐ろしいものだった。あの変態の呪いよりよっぽど怖いわ。



 午後の日ざしを背中に感じる中、俺たちは誰も喋ろうとしなかったのだった。







 ルナの故郷編 おわり
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