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第三章

22.

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 その日の夜。
 リゼットは久しぶりに悪夢を見た。

 以前見た夢と似ていた。屋敷内でヴィルデに追いかけられ、レオンもマノンも父もいない。
 屋敷の中は、誰の気配もしない。
 リゼットは逃げ続ける。遠く、近くから、ヴィルデが追いかけてくる足音に がして身がすくむ。
 屋敷の角の、暗い部屋に追い詰められる。部屋の隅の荷物の隙間に隠れ、息を潜める。
 両手で口を覆い、呼吸を整える。
 扉の開く音がして、ヴィルデの声がして、悲鳴を上げた ――。

「 ――リゼット様!?」

 リゼットは目を開いた。
 涙が溢れている。
 部屋の暗闇、わずかに月明かりが照らす。呼吸が乱れていた。
 少しして、リゼットは自分の居場所を思い出した。ここは、ヴィルデに追いかけられた部屋ではない。
 もう一度、声がした。

「リゼット様!リゼット様!!」

 リゼットは目の前に焦点を合わせる。
 黒髪の青年が、ベッドサイドにいた。
 ひざまづいて、リゼットの顔を見ている。リゼットは掠れる声で、青年の名を呼ぶ。

「……ヴォル、ター……さ、ま……?」
「気がつきましたか。しばらく前に悲鳴を上げたため、危険かと思い部屋に入りました。随分うなされていましたが、悪い夢を見たのですか?」

 リゼットは、まだぼんやりする頭で、ヴォルターの方に手を伸ばした。
 ヴォルターは少し戸惑って、右手を差し出して触れる。手はとても冷たく震えていた。

「リゼット様、マノンを呼びましょうか?」
「いえ、大丈夫です。夢にうなされただけです」
「……どんな夢を?」
「怖い夢です。ミヨゾティースに来る前は時々見ていました」

 リゼットが苦しそうに目を閉じると、目尻からまた涙が溢れた。
 
「けれど、最近は見ていなかったのです」
「心身が回復されたからでしょうか」
「そうです……きっかけは、貴方と話をしてからです。その後から夢も見なくなりました」

 ヴォルターはどう反応していいか、迷った。
 やはりマノンを呼ぼうとしたが、リゼットが手を握りしめて離してくれない。

「リゼット様……」

 声をかけるが、返事がない。
 ヴォルターはリゼットの顔をみる。目を閉じたまま、浅く呼吸をして震えている。
 マノンを呼ぼうにも、手を引き剥がすこともできず諦めなければいけなかった。

 仕方がないので、ヴォルターはこのまま過ごすことに決めた。
 左手でリゼットの手をさする。少し呼吸が落ち着いてくる。
 しばらく続けると、リゼットが眠りに落ち、手が離れる。
 ヴォルターはリゼットが完全に寝たことを確認し、部屋の外に戻った。
 そして夜明けにすぐマノンを起こして、起きたことを伝える。

「ヴォルター様、教えていただきありがとうございます。今日は夜会もあるので、日中に少し休ませます」
「ええ、お願いします。夜会も体調次第では早めに帰るようします」

 ◇◇◇

 翌朝、リゼットはベッドから起き上がり、窓際のソファに座る。こうやって湖をぼんやり眺めることが、日課になっていた。
 そして、しばらくすると、部屋の扉の外から、ヴォルターが声をかけてくる。
 リゼットも部屋の扉の前に移動する。

「リゼット様、おはようございます。よく眠れましたか?」
「ヴォルター様、おはようございます。ええ、よく眠れました」

 リゼットがいつもと変わらない口調で話している。昨夜の出来事は覚えていないようだった。
 のんびりとした声のリゼット。
 
「今日もいい天気になりそうですね」
「ええ、そのようですね」
 
 扉越しだけれども、ヴォルターのいる廊下にも窓があるので、外の天気は見られる。
 もうすぐ初夏。新緑の木々がそよ風に揺れている。リゼットの部屋も窓を開けると、初夏の香りが室内に届く。

「マノンが来るまで、少し読書します」
「かしこまりました」

 マノンはいつもの時間に、部屋を訪れた。
 すぐにリゼットの顔を確認する。
 目の下に少し陰りがあった。そして目が充血して、わずかに腫れているようだった。

「リゼットお嬢様、少し顔にあたたかいタオルを置きますね。目が疲れているようです」
「読書のしすぎかしら?」

 リゼットには読書以外に心当たりがない様子だった。
 マノンは「そのようですね」と答えて、リゼットが持っていた本を取り上げる。がっかりする様子をみて告げる。

「今日は夜会もありますから、ほどほどにしてくださいね」
「ええ、わかったわ」

 目の上にタオルを置かれると、じんわりと目の疲れが取れたようだった。
 目の充血はすっかり取れた。

 日中は屋敷内で過ごすので、普段用のドレスに着替える。
 ハーフアップにした髪に、レオンから贈られた髪飾りをつける。こちらは闇の配下対策の宝石がついている。

 支度が終わると、マノンが扉を開けて、ヴォルターを呼んだ。
 ヴォルターは兵士と交代して、仮眠に入る挨拶をする。

「リゼット様、夕方まであまり無理をなさらずお過ごしください」
「ええ、わかったわ。ヴォルターも心配性なのかしら?」
「はい。リゼット様の体調が良くなってからの初めての夜会ですから。それに、シュメリングの者たちは、リゼット様と話をする機会を楽しみにしています。多くの人が参加するので、私は夜会で疲れないかと心配です」
「そうですね……。わかりました、屋敷の中でゆっくり過ごしますね」

 リゼットがうなずいた。
 ヴォルターがエスコートしてくれるとはいえ、リゼット自身が体調を整えないと意味がないのだと理解したようだった。

「リゼット様、昨夜は何か夢を見ましたか?」
「いいえ、特に…?」

 不思議そうに首を傾げるリゼット。
 叫び声も、会話も、手に触れたことも無かったようだった。
 ヴォルターはこれ以上聞くことをやめた。もしまた何かあれば、対応すればいいと思った。

 リゼットは朝食を摂り、その間はいつも通り騎士団の兵士がついた。
 昨日いたエヴィンは、休暇のため自宅に帰っていると兵士が教えてくれた。
 子どもにひっかかれた傷をガーゼで覆って大げさでしたよ、と笑って兵士が話していた。
 リゼットは、怪我が消えたのを隠すためだと思ったが、黙っていた。

 食事後はヴォルターが戻ってくる。
 天気が良いので、湖まで散歩をしたいとリゼットは希望した。
 少しだけならと、ヴォルターが同行する。マノンは、夜会の準備のため、屋敷に残る。
 
 砂浜を少し歩く。
 波音が心地良く、リゼットの心を落ち着かせた。
 10分ほど散策し、そろそろ戻ろうかとした時、カゴに農作物をたくさん入れた男性たちが通りがかった。
 リゼットに気付くと、驚いた顔をして、地に頭をつける形で跪いた。
 ヴォルターは警戒し、リゼットを背に隠す。しかし、男性たちは跪いたままだった。 
 リゼットは思わず声をかけ、ヴォルターに制される。

「どうして頭を下げているのですか?」
「リゼット様、私に任せてください」

 ヴォルターが集団のひとり、先頭にいた者に頭を上げるよう言う。
 領民だと言う男性は頭を上げて、リゼットの方を見た。

「アルフォン様のお屋敷に、野菜を届けるところです。まさか、リゼット様のお姿を見られると思いませんでした」
「リゼット様……なんと美しい姿……」
「あ、あの……」

 領民に褒められ、リゼットは声を出すがヴォルターに注意される。
 ヴォルターが領民に向かい、厳しい声で伝える。

「リゼット様に近づいてはなりません。私たちが去るまで、その場から動かぬように!」

 そうしてリゼットを抱き寄せるように引き寄せて、屋敷へと戻る。時折、背後の領民の様子を伺いながら。
 リゼットは早足のヴォルターに驚きつつも、転んでしまわないようついていく。
 屋敷に着くと、息が上がってしまった。マノンがお茶の用意をして、応接室移動を促した。

「あの、ヴォルター?」
「申し訳ありません」

 ヴォルターが謝るが、リゼットには理由がわからなかった。

「あの領民に悪い気持ちはないかと思うのですが?」
「そうでしょうか?竜の力を期待して、リゼット様に無理な願いをしようとしたら、どうしますか?」
「無理な願いですか?」
「ええ、例えば ――先日の水の魔法で、雨を降らせたように。竜の力を使って欲しいと願われたら?それも、あの領民たちだけの願いでは済みません。ミヨゾティースの領民全員が、願いを聞いて欲しいと屋敷にきたらどうするのですか?」
「まさか、全領民が来るのですか?」

  ――ミヨゾティースの全人口、そのうちの貴族を引いた領民はどのくらいかしら?
 リゼットが考えると、ヴォルターは「例えばの話ですよ」と冷静な声で思考を止めた。

「雨の魔法も、湖で漁をしていた領民が見ていたそうです。竜の力がミヨゾティースに戻ってきたと噂になっています」
「でも、わたくしには期待に応えるなんて……」
「領民全員の期待に応えたら、リゼット様の魔力でも足りないと思います。本来なら手順を踏んで、領民が簡単に近づけないようにしているのですが、リゼット様もディー様も特例過ぎているのです」

 リゼットが謝ると、ヴォルターは「謝ることではないのです」と続ける。

「今日の夜会で、シュメリング一族と関わりを持つことで、解決の道は開けると思います。ただ、以前も伝えましたが、派閥があり、別の危険が増えるかと思います」

 ウルリッヒの城で、こっそりヴォルターが教えてくれた。
 竜の力を利用しようとする者がいるかもしれないこと。

「夜会では、そのことを忘れて結構です。私が守ります」

 ヴォルターがリゼットの前に跪き。手の甲に、口づけをする。

「ヴォルターには、たくさん助けられてばかりですね」
「リゼット様の警護を任されておりますから」

 リゼットは、警護だけでなく、ヴォルターだから安心できるのだと言いたかった。
 ヴォルターは責任感が強く、真面目で、自分の感情を上手に隠していると感じていた。
 きっとヴォルターへの感情を伝えたら、困らせてしまうかもしれないと思い、黙った。

 昼食後、リゼットは夜会前の仮眠をとる。ヴォルターは、扉の前で警護を続ける。
 リゼットの昼食中に、ヴォルターは先に仮眠を取っていた。

「何かあればお呼びください」

 ヴォルターが声をかけると、リゼットが返事をした。
 リゼットは悪夢を見ることなく、熟睡できた。

 ◇◇◇

 まだ日が落ちない時間に起き、マノンが支度を始める。
 湯浴みから始まり、ウルリッヒから
贈られたイエローのドレスを着て、髪を編み込む。
 ドレスと同じ布でできたリボンを髪に編み込み、レオンから贈られた髪飾りをつける。
 ハイヒールを履いて歩く。いつもより高さのあるヒールは、少し足元に不安があった。しかし、これもウルリッヒの贈り物だった。

 部屋の扉を開けると、ヴォルターも着替えていた。
 普段は一つ結びにしている黒髪を、下ろしていた。
 青いジャケットの襟には、ミヨゾティースの花の刺繍が施されていた。所々に小粒の宝石もついていて、動くとキラキラ輝く。
 リゼットがヒールを履いても、少し見上げるくらい身長が高い。
 ヴォルターは、リゼットの手をとった。

「とてもお綺麗です」
「ありがとうございます。ヴォルター様も、いつもより凛々しいですね」
「ありがとうございます。そのドレスはウルリッヒ様からでしょうか?」
「はい。どうでしょうか?」

 リゼットはその場でくるりと回った。
 イエローのドレスは、風でそよぐように揺れた。

「何というか……普段のドレスより、目のやり場に困ります」
「変ですか?」
「いいえ。そのようなことは……」

 側にいたマノンだけは意味がわかったようで、ニコニコしている。
 普段は肩を出すことがないのだが、このドレスは肩が出て綺麗な鎖骨がくっきり見える。また、背中部分もわりと出ているのだ。
 レオナード様なら喜ぶかもしれない、と思った。

「リゼット様、夜は冷えるかもしれません。行き帰りだけでも、羽織りものをしましょう」

 マノンは薄手の羽織りものを用意する。これで露出が減る。
 もし露出が気になっても、羽織りものをしたままでも問題ない。

「それと、リゼット様にお願いがあります」
「はい。何でしょうか?」
「夜会の間だけで構わないので、私のことはヴォルターとだけお呼びください」
「わかりました、ヴォルター……」
「私も、リゼットと呼ぶことを許してください」
「え。ええ」

 許可したけれど、呼ばれてみると照れてしまう。

「夜会の間、私がエスコートするので。それと他の男性避けになります。今日だけです」
「男性避けですか」
「ええ」

 リゼットが竜の力を持つだけでも、注目される。レオンが不在の間に、体裁だけでも約束した男性がいると、他の男性に諦めて欲しかった。
 それでなくても、リゼット自身が思うより、綺麗なのだから。

 夜会へは、ウルリッヒが用意した馬車に乗って向かう。リゼットの父、アルフォンは先にに向かっていた。
 ヴォルターの警護があるため、マノンは留守を任される。

「リゼットお嬢様、どうぞ楽しんできてくださいね」
「ええ、マノンも留守をお願いね」

 馬車に、リゼットとヴォルターが向かいあって座る。
 リゼットはマノンの姿が見える間、ずっと手を降っていた。
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