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第四章

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 ルーが身支度を整える間、リゼットも着替えのため部屋に戻る。ヴォルターも部屋の前で待機する。
 リゼットはシンプルなドレスに着替え、ブラウンの髪もマノンにゆったりサイドに編み込んでもらう。
 マノンからも首の赤い跡の指摘があり、ファンデーションで隠してくれた。腕の跡は、ドレスで隠れたのでそのままに。

「レオナード様は、リゼットお嬢様をどれだけ傷つけたいのですか」

 少し怒った様子で、ファンデーションを首に重ねるマノン。
 リゼットもレオンに付けたなどと言えなかった。けれど、もし以前のように会えるようになれば、また ――。

「お嬢様?お顔が赤いですけど」
「え、ええ?ちょっと思い出して」
「そうですか……。私はお嬢様が幸せになれるなら良いのです」

 出来上がったようで、マノンは化粧道具を片付ける。
 そうして、リゼットだけに聞こえるように小声で話す。

「私は、ヴォルター様と良い仲になると思っておりました」
「え?」
「ミヨゾティースに来てからずっと、ヴォルター様がそばにいたではありませんか。お嬢様が回復したのは、ヴォルター様のお力もあるのですよ」

 ミヨゾティースに来るきっかけが、レオンの強い嫉妬。それにリゼットの心身が弱ってしまう。父・アルフォンが伯爵になるためにミヨゾティースに行くので、療養を兼ねてリゼットも同行した。

 そして謹慎中のヴォルターと再会。今に至るまで、ずっとリゼットとともにいる。
 婚約者候補になる以前から、リゼットに対して紳士的で、マノンはすっかりヴォルターに好意的になっていた。

「ヴォルターは、本当に……誠実な方です。わたくしにはもったいないです」

 リゼットが素直な気持ちを、マノンに伝える。
 扉をノックする音がする。マノンが対応すると、ヴォルターが「ルーが支度を終えたそうです」と声をかけた。

 部屋の外では、ヴォルターとルーが並んで待っていた。ルーは今回もヴォルターの服を借りている。
   先ほどのマノンとの会話は、聞こえていなかったようだった。

「リゼット様、お待たせしました」
「ええ。では応接室で食事をしながら、お話を聞きましょう。ヴォルターは、仮眠の時間をとりますか?」
「いえ、ルーも今夜はここにいるので、話を聞いてから仮眠をとります。夜間は交代して警護をします」
「わかりました」

 それぞれ椅子に腰掛ける。マノンがお茶の支度をしてから、ルーの話が始まった。
 ルーはレオンの近くに行ったが、ロウの警戒が強くて長く留まることはできなかった。

 しかしある時、ロウがフィオーレに対して「務めを忘れるな」と話していた。
 ルーはレオンとの婚約に対してのことかと思ったが、違った。
 レオンからの暗号の手紙で明かされた。

「フィオーレ様の大切な方を、人質に取られているのだそうです。レオナード様と結婚することで、その方を解放すると」
「……酷いことを」
「レオナード様は、その方を助けるために、竜の力を使いたいと思っているようです」
「ええ、レオンから直接聞きました。それと手紙に竜の力の解放とも書いていましたが、ルーは何か知っていますか?」

 ルーは懐から小さな紙切れを取り出した。リゼットに渡す。
 しわしわになった紙には、レオンの直筆で「水の宝石へ水の魔法を」と書かれていた。
 リゼットは紙を綺麗にたたみ、手元に置いた。

「レオナード様から、リゼット様へ渡すようにと」
「ルー、ありがとうございます。水の宝石……フォルトデリアで採れる宝石は、青色ですよね。水色の宝石は他国のものなのかしら?」
「フォルトデリアほどではありませんが、東の国でも宝石を採掘しています。しかし、確か青い宝石がほとんどです。水色は希少だと思います」

 婚約の儀で、東の国から送られた白銀の剣の宝石も青だった。フォルトデリアの青い宝石よりは、やや薄色をしていた。

「ジェラルドにも明日、聞いてみましょう」

 ヴォルターが言うと、リゼットも同意した。ジェラルドがいれば、東の国にも詳しいので情報を得られただろう。
 今日はアベルトと共に、城で準備を進めているため会えない。
 また、レオンに会った時に「ミヨゾティースに来た時に機会を作る。竜の力の継承者としてリゼットに来てほしい」と言われている。

「水色の宝石に、水の魔法をかけることで、何かが起こるということでしょうか?」
「文面ではそう受け取れますね。しかし、宝石に魔法を込めるだけでは、当たり前ではないでしょうか?」

 リゼットの髪飾りも、指輪も、レオンが特別に用意した魔法が込められた宝石が埋め込まれている
 他の貴族も、毒消しや魔除けなどの効果を持った宝石を身につけている。
 ルーとヴォルターとのやりとりは続く。

「竜の力の継承者の持つ水魔法だけを求めているとしたら、宝石を持つだけで、わたくし以外にも水の魔法を使えるようになりますか?」
「リゼット様の指輪の場合は、レオナード様以外から危害を加えたら攻撃をするという条件が入っています。水の宝石に込める時に、その条件を変えられれば可能だと思います」
「リゼットの使う水の魔法は、恵の雨を降らせることができる。雨が降る魔法を東の国は求めているのだろうか?」

 そうですね、とルーは少し考える。

「東の国は、フォルトデリアほど自然資源に頼っていません。ただ、雨だけでも、効力次第ではその地に大きな被害を与えることができます」

 長期間の雨は、河川の水量を増し、土地の水の逃げ口を失う。山に降った雨は、河川へ流れにくくなり、地面が緩み土砂崩れにもつながる。
 山や森に囲まれたフォルトデリアは、土砂崩れが起これば、道を閉ざされて孤立する町村もあるだろう。
 また、過度な雨は農作物にも悪い影響を与える。過度な水が貯まれば、畑は湖のようになる。収穫時期を逃すことにもなる。

「恵の雨だと言っても、過度に使われたら毒にもなります。それに、その雨を降らせ続ける魔力も必要です」
「それで、わたくしが必要になるのですね」

 リゼットがその魔法を起動して、魔力を提供しつづけるならば、長期間の雨も降らせることができるだろう。
 ルーが想像する雨も、リゼットの魔力量ならば十分可能だと想像できた

「しかしリゼットの身体が持たないだろう?」

 ヴォルターの言う通り、リゼットは自分の魔力を計れない。コントロールも完全ではない。魔法を使いすぎて倒れることが、何度もあった。

「わたくしを……竜の力の継承者を、同じ人間だと思わない人物なら、十分あり得るのではないでしょうか?」

 リゼットの目が冷たく笑いかけた。
 否定するようヴォルターはリゼットを抱きしめる。リゼットはウルリッヒのした事を、思い出していた。
 いつものリゼットとは違う表情を見せ、瞳が揺らぐ。リゼットのなかの竜の力が、ウルリッヒのした事への怒りと悲しみに捉われそうになる。
 ヴォルターは、リゼットが落ち着くように背中をさする。

「大丈夫です。もうあのような事は、二度と起こりません。リゼットにも、竜の力の継承者にも、そのような力の使い方をさせません」

 力強いヴォルターの言葉に、リゼットは目を閉じて、少ししてから顔を上げる。
 ヴォルターの顔を見上げるリゼットは、いつもの顔に戻っていた。そうして、ヴォルターに謝るのだった。その様子をルーは、以前のレオンとリゼットの仲睦まじい様子と重ねていた。

 ◇◇◇

 今日はこれで話を終えようと、ヴォルターが提案した。
 明日は、湖で水の魔法を使う。
 夏の祭典ほどではないが、十分な休息が必要だ。

 リゼットも、ウルリッヒと対峙した時の感情が湧き上がる感覚を思い出した。
 人に対しての強い恨みや悲しみ、憎しみを強く感じると、足の下に深い沼が現れて、ずぶずぶと足をとられて沈むような感覚。
 その沼の下には、不当な扱いを受け、自由を奪われて地下で永遠の時間を過ごした、彼女たちの記憶が沈んでいた。

(わたくしがその中に飲み込まれたら、どうなるのかしら……)

 真っ暗な地下と同じく、黒い深い沼の底に沈んだ先は ――。
 あの湖の底を思い浮かべる。
 リゼットの母、竜の力の継承者のディー。彼女はリゼットが竜になって、元に戻すために、その力を使い果たした。
 最後まで、ディーは母だった。リゼットに悲しみを忘れるように努めさせた。
 けれど、リゼットが今も追体験する悲しみの重さを、ディーはあの湖の底で受け続けている。

「リゼット、どうしました?」

 いつの間にか、部屋の前まで着いていた。ヴォルターに顔を覗き込まれて、目を見開く。

「少し考え事をしていました。ごめんなさい」
「謝る必要はありません。それに、まだ顔色がすぐれないようです。もし良ければ、聞かせてくれませんか?」

 ヴォルターが優しく、心解くようにリゼットの手を取る。
 リゼットの思考は、深い沼の前に立ち尽くしていたが、そこから救い上げようとしてくれた。
 言葉を選びながら目を閉じて話すと、目眩がする。声が震えて、喉が詰まったようになる。
 そうして、リゼットは首を振って、俯いた。ヴォルターが肩に触れて撫でる。
 リゼットはポロポロと涙を流した。

「落ち着くまでここにいます。お疲れでしょう?」

 リゼットはこくりと頷いて、ヴォルターの肩に頭を寄せる。しばらく嗚咽がこみ上げていたが、涙が乾く頃には寝息に変わっていた。
 ヴォルターはリゼットをそうっと抱き上げて、ベッドに寝かせる。
 ベッドの横に座り、手を重ねる。

「……リゼットは私を利用すれば良い。それで不安が無くなるならば、私の本懐となりましょう」

 軽く口を重ねる。
 リゼットは気が付かずに、可愛らしい寝息を立てていた。罪悪感を覚えたが、リゼットの髪を撫で、首の赤い跡に触れる。さすがにリゼットは息を吐いた。
 一度名を呼ぶが、まだ深く眠っているようだった。
 その跡に重ねて、また赤く染める。

「狡いな」

 後悔ではない言葉をこぼした。
 部屋の外では、警護の準備を終えたルーが待っていた。

「リゼット様の様子は?」
「少し揺らいでいたが、今は落ち着いている。もしうなされるようなら、私を呼んでほしい」
「それは、婚約者だからですか?」
「……建前で婚約者だが、私は婚約者でなくても寄り添いたいと思う」

 レオナードの側近に、リゼットへの想いを主張する。ルーはただ「わかった」とだけ答えて、任務に当たった。

 幸い、その夜はリゼットがうなされることなく朝を迎えた。

 ◇

 翌日、リゼットが目覚めると、部屋の中に誰もいなかった。
 扉を開けると、ヴォルターが待っていた。

「良く眠れましたか?」
「ええ。……あの、ヴォルター。昨日は話を聞いてくれてありがとう」
「リゼットが不安を取り除けたらば、嬉しいです」

 ヴォルターはにこりと笑った。
 リゼットと初めて会った頃には、そんなに柔らかく笑う人だと想像できなかった。

「ヴォルターはいつも優しいですね」
「そうですか?私は狡いですよ」

 昨夜の行為に気がつかれたかと思ったが、リゼットは「優しい」とまた言う。
 その瞳は揺らいでいた。

「リゼット、体調はどうですか?」
「特に問題ありません。今日は湖で、水の魔法を使うのですよね。少し緊張はしています」

 いつもより少し早い足取りに、何か違和感を感じるが答えを見出せない。
 ただ、いつもよりも距離が近いように思った。
 不安を取り除くために、そばにいることが多かったが、今日はリゼットから身を寄せてくることあった。
 歩く時もリゼットから手を伸ばし、指を絡めた。
 それ以外は平常通りで、マノンも特に気にしていなかった。

 ◇◇◇

 湖の祠に到着すると、アベルトとジェラルドが待っていた。
 先に用意をしていたらしい。祠には、普段よりも多い供物と色とりどりの花が用意されていた。

 しばらくすると、一台の馬車が着き、レオン、フィオーレ、ロウが降りてくる。

「やや、待たせましたかな」
「いいえ、定刻通りです。こちらは準備がありましたから」

 ロウは上機嫌だった。
 フィオーレはレオンの側に立っている。

「では、さっそくはじめましょうか」

 アベルトがリゼットを、祠の前に来るよう言う。ヴォルターと共に、祠の前に立ち、祈りを捧げる。

 水の魔法の言葉を紡ぎ、夏の祭典の時のような雨をイメージする。
 そうして、竜になった娘と、竜の力の継承者となった娘たちのことも想う。

 今日は青空が広がり、雨など降りそうもない快晴だった。
 水の魔法の言葉を紡ぎ終わると、パラパラと雨音がする。しかし、ほんのひと時だけの雨音、空の色も変わりなく、葉を少し濡らしただけだった。

「これは素晴らしい!」

 ロウが興奮気味に大きな声で喜んだ。そうして、リゼットに対して感謝の言葉を述べる。
 フィオーレもリゼットが言葉を紡ぎ始めると、その一挙一動を見逃さないように見ていた。そうして、雨が止むと、感動のあまり息をのんだ。

 リゼットは、2人の様子をみて安堵して、目を閉じる。
 失敗もなく、雨を降らせることができて、緊張の糸が切れたらしい。ふらっと体が揺れる。
 倒れる前に、ヴォルターが抱き寄せた。

「リゼットは、魔力を使いすぎたようです。少し休ませます」

 その視線は、最初にロウへ向け、レオンへも向けた。レオンはうなずき、リゼットへ差し出そうとした手を、だらりと下に下ろしたのだった。
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