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再会 5
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愁陽は、微笑みを浮かべて言った。
「愛麗、こっちへ」
そして、愛麗の手を取ると部屋の開いたままになっている戸口へと連れて行く。
愛麗は陽の光に目を細めながら、久しぶりにあたたかい春の匂いを感じた気がした。
そのまま二人は並んで立ち、庭の向こうの景色に目を向けると、愁陽が言った。
「あいつの故郷は、ココから見えるあの山の向こうだ」
彼が指さすずっと先を見ると、庭の低い木々や塀を越えたずっと遠くのほうに、青い空を背に少し霞んで連なる山々が見える。愛麗にとって見慣れているはずの景色なのに、いつもと違って見えるのはどうしてだろうか。
「あの山の、向こう……」
マルも二人の傍にやってきて故郷のほうを眺める。
「そうですよ、愛麗さま。ボクの故郷は高い山なので、ここからでも山のてっぺんは見えるんです。正面に見えるあの山の右側あたり、えっと……ほらっ、あの頂が白く見えてるでしょ。あれは一年中、雪が溶けないからなんですよ。とっても高い山ですからね。あれが、ボクの生まれた山です」
愛麗の意識が外の世界へと強く引き寄せられていく。
愁陽も愛麗の隣に立ち彼女と同じ景色を眺めながら、さらにその向こうへと思いを馳せる。
「あの雪の山の向こうには、いくつかの大きく清らかな湖と何本もの水路に囲まれた美しい水の都がある。そこは活気溢れた商人の街なんだ。馬車の代わりに船が行き来している。そして、さらに険しい山々が連なり、その向こうには海が広がっているそうだ」
「う、み……」
「ああ、大海だそうだ。俺もまだ海は見たことがない」
「愁陽も?」
「うん。残念ながら」
「そっか……」
「いつの日か、見てみたいな」
愛麗は遠い山を望みながら、ポツリと願いを口にする。
「いつか一緒に行こう」
愁陽の優しい声音に幼い頃の彼の面影が重なった。
「っ、うん!」
愛麗が嬉しそうに顔を綻ばせたとき、彼女の黒い瞳が好奇心で煌めくのを愁陽は見過ごさなかった。やはり愛麗は愁陽の知っている彼女のままだ、と思った。きっと幼き頃の好奇心旺盛だった姫と変わっていない。
春の風がふわりと吹いて、彼女の薄紅色の衣と彼の青とが重なる。
愛麗は隣りに並んで立つ愁陽をちらりと見上げた。
自分より頭ひとつ程背が高い。すぐ目の前にある広い肩幅と厚い胸板に男であることを嫌でも意識してしまう。いつのまにか幼馴染はずいぶん大人になっていた。二人の距離の近さにドキドキとしてしまう。
「そうだ!」
「っ!?」
愁陽は何かを思いついたように声を弾ませると、愛麗の顔を覗き込む。
至近距離でお互い向き合う形になり、愛麗はドキドキしてしまった。そんな彼女の気持ちなどお構いなしに、愁陽はまるで何かいたずらを思いついたかのように楽しそうに言った。
「愛麗、馬に乗ったことは?」
「馬っ?」
想像もしない愁陽の言葉に、彼女は振り仰ぎ彼の顔を見上げた。
思ったより彼の顔が近い。綺麗な顔……
思わずぼんやりと見とれてしまう。自分の心臓が煩いくらい。
悪戯好きの子供のように瞳をキラキラとさせている愁陽の濃紺の瞳が、陽の光をうつす深い湖のようで綺麗だと愛麗は思った。
愁陽は楽しそうに続けて言う。
「人に乗せてもらうのではなく、自分で馬の背に跨り草原の中を走らせるんだ」
「自分で!?」
「そう」
「そんなの、無理……」
「無理じゃないよ」
愛麗の言葉に被せるように否定すると、愁陽は笑って言った。
「運動神経は良かったからね!すぐに乗りこなせるさ」
「運動神経はって……」
貴族でも特に愛麗のような大貴族の姫にはあり得ない話だ。屋敷の奥に居て、外にすらほとんど出ることはないのに。まして姫が馬の背に跨ぐなんて。
けれど、少し乗ってみたいとは思う。青空の下を風をきって駆けるのは気持ちよさそうだ。
「自分で、馬を……」
「ああ。馬でなら、あの城壁の向こうにある草原を駆け抜けると、あの山の麓なんてすぐに行ける」
「草原?」
「ほら、幼い頃、よく二人で行っただろ。こっそり城壁の秘密の抜け穴使ってさ」
愁陽が腕を使ってほふく前進のような真似事して、茶目っ気たっぷりに片目を瞑る。
「一緒に遊んだ草原、覚えているだろう?」
「あ……」
彼を見つめる彼女の瞳が何かに弾かれるように大きく揺らめき、一層輝きを増した。
愛麗の中でもっとも楽しかった頃の思い出だ。
ある日、子供が四つん這いになってようやく通れる穴を城壁に見つけて、服が汚れるのも気にせず囲いから外の広い世界へ抜け出すことが幸せだった。あの頃は愁陽とも身分や立場など気にせず、いろいろな事に縛られることなく、自由に笑いあえた。二人とも無垢で無邪気だった。
けれど、今はあの頃とは違う。愛麗の中に膨らんでいたものがしぼんでいくような気がした。愛麗の瞳に浮かんだ輝きが消えて、小さく溜息が零れた。
「……そんなことは、……出来ないわ」
「どうして?」
「だって、……姫らしく、ないから……」
愛麗は俯いて、言葉の最後のほうは小さな声で消えていくように呟いた。
そんな下を向いて肩を落としている愛麗の隣で、愁陽はプッと吹き出し声をたてて笑った。そして可笑しそうに言った。
「なあんだっ!そんなこと!」
「そんなこと?!」
驚いて愛麗も思わず大きな声で聞き返してしまう。綺麗な形の眉の片方をいぶかし気にあげる愛麗の顔を、愁陽は覗き込むようにして、きっぱりと言った。
「愛麗らしくない」
「え?」
最初は何を言われたのかよく解からず、愛麗はぽかんとしてしまった。
「愛麗らしくないよ」
「……私、……らしく、ない?」
「ああ。まったくね」
愁陽はにっこり笑って頷いた。
両手で愛麗の肩を優しく抱いて、もう一度外の世界を見せるようにくるりと向きを変えさせる。そして、低く優しい声音で言った。
「愛麗。きみは草原を駆け抜けて、体中いっぱいに風を感じるんだ」
「……風を、感じて」
「そうだよ。愛麗、きみにはこんな屋敷の中より、青空の下のほうが似合ってる」
「愁陽……」
なぜか、愛麗は鼻の奥がツンと痛くなる気がした。
どうして、彼はこんなに自分が欲しい言葉をくれるのだろう。
「いつか、一緒に行こう。馬で草原を駆けるんだ」
振り仰ぐとそこには春光を受けて輝く彼の蒼い瞳があった。
愛麗の中で、何かがカチリと音を立てて外れた。いや、実際にはそんな気がしただけなのだけれど、彼女の中で何かが変わった。
「……行ってみたいわっ、愁陽!」
「ああ。やっぱり愛麗はそうこなくっちゃ」
「私も馬に乗ってみたいわ!自分で馬の背に跨って、思いっきり草原を駆けてみたい。私にできるかな」
「大丈夫。俺が特別に教えてあげるよ」
愁陽が悪戯っぽく笑って片目を瞑る。すると愛麗が笑って小指を突き出した。
「約束!」
指切げんまんだ。幼い頃は、別れ際にいつも「またね!」と指切げんまんをして家路につくのが恒例だった。
「ああ、約束」
幼い頃のように小指を絡める。たがいに成長した二人だが、笑顔はあの頃のまま。
そのあと愁陽が城へ戻ろうと退室し、廊下を歩きだした後ろから、愛麗の明るい声が呼びかける
「愁陽!」
「ん?なに?」
「また来てね」
彼女がとても嬉しそうに笑っている。
「ああ、もちろん」
「約束よ!絶対、絶対来てよ」
まるで子供のようだと、愁陽の口元にも笑みが浮かぶ。
「来なかったら怒るからね!」
「え……」
愛麗が怒ると怖いんだよなぁ~
思わず笑顔が引き攣る。
「ハハ……、わかったよ」
愁陽は苦笑を残して、その場をあとにした。
再会の約束をして愁陽が部屋を出ていったあと、愛麗のココロの中は久しく忘れていた優しいぬくもりに包まれていた。
こんな気持ちになるのは、どれくらいぶりだろう。
こんな風に笑ったのは、いつの日以来だろうか。
きっといつが最後だったかなど、もう思い出せないくらい前だ。
僅かに目を細めて、まだ明るい光が差し込む窓辺に目を向けると、あたたかく優しい光に愛麗のココロが満たされていく。
しかし、それと同時に反するように、暗く厳重に奥底深くに封印され閉じ込められていた闇もまた、静かにねっとりと動き出した。
静かに……、重く……、鈍く……
『……ぁの頃は、楽しかった……』
その声でない声のような音は、愛麗の耳にまだ届かないでいる。
窓の向こうに広がる、どこまでも澄んだ青い空。
「馬に乗って、あの空の下を駆ける、か……」
もう一度、愁陽と一緒に草原にいたあの頃に戻りたい。
けれど、もう戻れないと思っている自分がどこかにいる。
愛麗は小さな溜息をつくと目を伏せた。
封印されていた扉から零れ始めた闇が、徐々に形を作っていく
静かに……、禍々しく……、
『……愛、麗、…らしく、な、い……』
途切れ途切れの声らしきものが、今度は愛麗にも微かに届いた。いや、正確にはそんな気がした。耳にではなく、頭の中に直接話し掛けてくるようだ。
それは、女のようで低く禍々しく聞こえる。
愛麗は息を詰め、声の正体を探ろうと神経を研ぎ澄ました。
『…ワタ、シ、らしく、ない……』
今度はさっきより、はっきりとした声で頭の中に響き渡る。届いたような言葉を自分の口から声にする。
「…………私、らしく……」
『…ワタシ、らしくない……』
「……どう、いうこ、と……?」
問いかける愛麗の声が震えた。彼女のココロに先ほどまであったぬくもりは、今は一切消えていた。急に冷やされていく。あるのは恐怖。
『すべて、壊してしまえばいい』
地を這うように低く、ねっとりと重く響く。
そして、それ以上はもう何も聞こえなくなった。
「愛麗、こっちへ」
そして、愛麗の手を取ると部屋の開いたままになっている戸口へと連れて行く。
愛麗は陽の光に目を細めながら、久しぶりにあたたかい春の匂いを感じた気がした。
そのまま二人は並んで立ち、庭の向こうの景色に目を向けると、愁陽が言った。
「あいつの故郷は、ココから見えるあの山の向こうだ」
彼が指さすずっと先を見ると、庭の低い木々や塀を越えたずっと遠くのほうに、青い空を背に少し霞んで連なる山々が見える。愛麗にとって見慣れているはずの景色なのに、いつもと違って見えるのはどうしてだろうか。
「あの山の、向こう……」
マルも二人の傍にやってきて故郷のほうを眺める。
「そうですよ、愛麗さま。ボクの故郷は高い山なので、ここからでも山のてっぺんは見えるんです。正面に見えるあの山の右側あたり、えっと……ほらっ、あの頂が白く見えてるでしょ。あれは一年中、雪が溶けないからなんですよ。とっても高い山ですからね。あれが、ボクの生まれた山です」
愛麗の意識が外の世界へと強く引き寄せられていく。
愁陽も愛麗の隣に立ち彼女と同じ景色を眺めながら、さらにその向こうへと思いを馳せる。
「あの雪の山の向こうには、いくつかの大きく清らかな湖と何本もの水路に囲まれた美しい水の都がある。そこは活気溢れた商人の街なんだ。馬車の代わりに船が行き来している。そして、さらに険しい山々が連なり、その向こうには海が広がっているそうだ」
「う、み……」
「ああ、大海だそうだ。俺もまだ海は見たことがない」
「愁陽も?」
「うん。残念ながら」
「そっか……」
「いつの日か、見てみたいな」
愛麗は遠い山を望みながら、ポツリと願いを口にする。
「いつか一緒に行こう」
愁陽の優しい声音に幼い頃の彼の面影が重なった。
「っ、うん!」
愛麗が嬉しそうに顔を綻ばせたとき、彼女の黒い瞳が好奇心で煌めくのを愁陽は見過ごさなかった。やはり愛麗は愁陽の知っている彼女のままだ、と思った。きっと幼き頃の好奇心旺盛だった姫と変わっていない。
春の風がふわりと吹いて、彼女の薄紅色の衣と彼の青とが重なる。
愛麗は隣りに並んで立つ愁陽をちらりと見上げた。
自分より頭ひとつ程背が高い。すぐ目の前にある広い肩幅と厚い胸板に男であることを嫌でも意識してしまう。いつのまにか幼馴染はずいぶん大人になっていた。二人の距離の近さにドキドキとしてしまう。
「そうだ!」
「っ!?」
愁陽は何かを思いついたように声を弾ませると、愛麗の顔を覗き込む。
至近距離でお互い向き合う形になり、愛麗はドキドキしてしまった。そんな彼女の気持ちなどお構いなしに、愁陽はまるで何かいたずらを思いついたかのように楽しそうに言った。
「愛麗、馬に乗ったことは?」
「馬っ?」
想像もしない愁陽の言葉に、彼女は振り仰ぎ彼の顔を見上げた。
思ったより彼の顔が近い。綺麗な顔……
思わずぼんやりと見とれてしまう。自分の心臓が煩いくらい。
悪戯好きの子供のように瞳をキラキラとさせている愁陽の濃紺の瞳が、陽の光をうつす深い湖のようで綺麗だと愛麗は思った。
愁陽は楽しそうに続けて言う。
「人に乗せてもらうのではなく、自分で馬の背に跨り草原の中を走らせるんだ」
「自分で!?」
「そう」
「そんなの、無理……」
「無理じゃないよ」
愛麗の言葉に被せるように否定すると、愁陽は笑って言った。
「運動神経は良かったからね!すぐに乗りこなせるさ」
「運動神経はって……」
貴族でも特に愛麗のような大貴族の姫にはあり得ない話だ。屋敷の奥に居て、外にすらほとんど出ることはないのに。まして姫が馬の背に跨ぐなんて。
けれど、少し乗ってみたいとは思う。青空の下を風をきって駆けるのは気持ちよさそうだ。
「自分で、馬を……」
「ああ。馬でなら、あの城壁の向こうにある草原を駆け抜けると、あの山の麓なんてすぐに行ける」
「草原?」
「ほら、幼い頃、よく二人で行っただろ。こっそり城壁の秘密の抜け穴使ってさ」
愁陽が腕を使ってほふく前進のような真似事して、茶目っ気たっぷりに片目を瞑る。
「一緒に遊んだ草原、覚えているだろう?」
「あ……」
彼を見つめる彼女の瞳が何かに弾かれるように大きく揺らめき、一層輝きを増した。
愛麗の中でもっとも楽しかった頃の思い出だ。
ある日、子供が四つん這いになってようやく通れる穴を城壁に見つけて、服が汚れるのも気にせず囲いから外の広い世界へ抜け出すことが幸せだった。あの頃は愁陽とも身分や立場など気にせず、いろいろな事に縛られることなく、自由に笑いあえた。二人とも無垢で無邪気だった。
けれど、今はあの頃とは違う。愛麗の中に膨らんでいたものがしぼんでいくような気がした。愛麗の瞳に浮かんだ輝きが消えて、小さく溜息が零れた。
「……そんなことは、……出来ないわ」
「どうして?」
「だって、……姫らしく、ないから……」
愛麗は俯いて、言葉の最後のほうは小さな声で消えていくように呟いた。
そんな下を向いて肩を落としている愛麗の隣で、愁陽はプッと吹き出し声をたてて笑った。そして可笑しそうに言った。
「なあんだっ!そんなこと!」
「そんなこと?!」
驚いて愛麗も思わず大きな声で聞き返してしまう。綺麗な形の眉の片方をいぶかし気にあげる愛麗の顔を、愁陽は覗き込むようにして、きっぱりと言った。
「愛麗らしくない」
「え?」
最初は何を言われたのかよく解からず、愛麗はぽかんとしてしまった。
「愛麗らしくないよ」
「……私、……らしく、ない?」
「ああ。まったくね」
愁陽はにっこり笑って頷いた。
両手で愛麗の肩を優しく抱いて、もう一度外の世界を見せるようにくるりと向きを変えさせる。そして、低く優しい声音で言った。
「愛麗。きみは草原を駆け抜けて、体中いっぱいに風を感じるんだ」
「……風を、感じて」
「そうだよ。愛麗、きみにはこんな屋敷の中より、青空の下のほうが似合ってる」
「愁陽……」
なぜか、愛麗は鼻の奥がツンと痛くなる気がした。
どうして、彼はこんなに自分が欲しい言葉をくれるのだろう。
「いつか、一緒に行こう。馬で草原を駆けるんだ」
振り仰ぐとそこには春光を受けて輝く彼の蒼い瞳があった。
愛麗の中で、何かがカチリと音を立てて外れた。いや、実際にはそんな気がしただけなのだけれど、彼女の中で何かが変わった。
「……行ってみたいわっ、愁陽!」
「ああ。やっぱり愛麗はそうこなくっちゃ」
「私も馬に乗ってみたいわ!自分で馬の背に跨って、思いっきり草原を駆けてみたい。私にできるかな」
「大丈夫。俺が特別に教えてあげるよ」
愁陽が悪戯っぽく笑って片目を瞑る。すると愛麗が笑って小指を突き出した。
「約束!」
指切げんまんだ。幼い頃は、別れ際にいつも「またね!」と指切げんまんをして家路につくのが恒例だった。
「ああ、約束」
幼い頃のように小指を絡める。たがいに成長した二人だが、笑顔はあの頃のまま。
そのあと愁陽が城へ戻ろうと退室し、廊下を歩きだした後ろから、愛麗の明るい声が呼びかける
「愁陽!」
「ん?なに?」
「また来てね」
彼女がとても嬉しそうに笑っている。
「ああ、もちろん」
「約束よ!絶対、絶対来てよ」
まるで子供のようだと、愁陽の口元にも笑みが浮かぶ。
「来なかったら怒るからね!」
「え……」
愛麗が怒ると怖いんだよなぁ~
思わず笑顔が引き攣る。
「ハハ……、わかったよ」
愁陽は苦笑を残して、その場をあとにした。
再会の約束をして愁陽が部屋を出ていったあと、愛麗のココロの中は久しく忘れていた優しいぬくもりに包まれていた。
こんな気持ちになるのは、どれくらいぶりだろう。
こんな風に笑ったのは、いつの日以来だろうか。
きっといつが最後だったかなど、もう思い出せないくらい前だ。
僅かに目を細めて、まだ明るい光が差し込む窓辺に目を向けると、あたたかく優しい光に愛麗のココロが満たされていく。
しかし、それと同時に反するように、暗く厳重に奥底深くに封印され閉じ込められていた闇もまた、静かにねっとりと動き出した。
静かに……、重く……、鈍く……
『……ぁの頃は、楽しかった……』
その声でない声のような音は、愛麗の耳にまだ届かないでいる。
窓の向こうに広がる、どこまでも澄んだ青い空。
「馬に乗って、あの空の下を駆ける、か……」
もう一度、愁陽と一緒に草原にいたあの頃に戻りたい。
けれど、もう戻れないと思っている自分がどこかにいる。
愛麗は小さな溜息をつくと目を伏せた。
封印されていた扉から零れ始めた闇が、徐々に形を作っていく
静かに……、禍々しく……、
『……愛、麗、…らしく、な、い……』
途切れ途切れの声らしきものが、今度は愛麗にも微かに届いた。いや、正確にはそんな気がした。耳にではなく、頭の中に直接話し掛けてくるようだ。
それは、女のようで低く禍々しく聞こえる。
愛麗は息を詰め、声の正体を探ろうと神経を研ぎ澄ました。
『…ワタ、シ、らしく、ない……』
今度はさっきより、はっきりとした声で頭の中に響き渡る。届いたような言葉を自分の口から声にする。
「…………私、らしく……」
『…ワタシ、らしくない……』
「……どう、いうこ、と……?」
問いかける愛麗の声が震えた。彼女のココロに先ほどまであったぬくもりは、今は一切消えていた。急に冷やされていく。あるのは恐怖。
『すべて、壊してしまえばいい』
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