小説探偵

夕凪ヨウ

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Case2.邂逅

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 警視庁。

「東堂警部! これ、読みました?」

 新聞に目を通していた男は、不思議そうに顔を上げて部下を見た。

「何だ? それ。」
「知らないんですか? 小説家・カイリの新作ですよ。」

 そう言いながら、刑事は男に本を見せた。表紙には大きく、血のような赤色で『怨み』と印刷されており、呪いの本のように真っ暗に塗り潰されたカバーがかけられている。

 東堂と呼ばれた男は、溜息をつきながら答えた。

「ああ、カイリの本か。それなら知ってるよ。でもな、それは実際の事件がモデルなんだぞ? 俺たち捜査一課が担当した事件を嬉々として読めるほど、俺は読書好きじゃない。」
「えーもったいないですって。何も考えずに読めば、結構楽しめますよ?」

 黒い短髪に黒い瞳、均一の取れた、端正な顔立ちをした刑事・東堂龍は呆れた笑みを浮かべた。部下の楽しみがどうも分からないらしい。
 東堂龍の年齢は30代前半で、がっしりとした、いかにも刑事、という体格が目立っていた。彼は呆れた笑みを浮かべたまま、続ける。

「小説家、ね。そういえば、お前は知らないんだったな。」
「はい?」

 部下が首を傾げた。龍は続ける。

「そいつ、ただの小説家じゃねえよ。」
「そうなんですか?」
「ああ。おかしいと思わねえか? その本に書いてある警察の捜査も、推理の様子も、その場にいたかのように描写されている。目の前で全てを見聞きしたかのようにな。」
「・・・はい、そうですね・・?」

 部下の鈍感さに、龍は苦笑した。新聞を畳み、言葉を続ける。

「そいつ・・・カイリは現場にいたんだよ。カイリこと江本海里は、探偵でもある。」
「ええ⁉︎」
「小説探偵なんて呼ばれて、今じゃ世間の人気者さ。俺は気に入らないけどな。」

 龍はそう言って肩をすくめた。同時に忙しない足音がして、上司が部屋に飛び込んで来た。

「Y町で遺体が発見された。現場に急行してくれ。」
「分かりました。」

 龍は本を見せて来た刑事の机にある書類を指差し、言った。

「整理が終わったら連絡しろ。何か頼むことがあるかもしれない。」
「分かりました。」

 刑事が頷いたのを見届けると、龍は急いで警視庁の駐車場に行き、他の刑事とパトカーへ乗り込んだ。助手席に座った龍が頷くと刑事はエンジンをかけ、勢いよくアクセルを踏んだ。

 少し道が混んでいたため、予定より数分遅れて、龍は現場に到着した。現場は路地裏の廃屋だった。

「東堂警部!」
「悪い、遅れた。殺人か?」
「はい。こちらへ。」

 部下に連れられて奥へ行くと、数人の刑事がいた。彼らは龍に敬礼し、遺体に視線を移す。龍もまた遅れたことを詫び、遺体を見た。
 そして、眉を顰めた。

「バラバラ死体か。」
「はい。しかも手首・足首から先が切り取られています。指紋照合を避けるためかと。」
「手の込んだ犯人だな。ここにあるのは胴と腕、太腿から膝下だけか?」

 淡々と尋ねる龍だったが、現場は凄惨なものだった。首と膝から下がない遺体が、目の前にあるのだ。しかも龍は、よく観察するために屈んでいる。彼の視線の先には、切断面の肉と、露出した骨があった。
 幸い、腐臭はほとんどなかったが、血の量は凄まじく、血の臭いも充満していた。若い刑事たちは顔を背けたり、鼻口を押さえたりしている。龍は見慣れているのか、顔を顰めた以上の反応を見せない。

 龍の質問に、鼻口を押さえている1人の刑事が答えた。

「はい。部屋にあるかもしれないと思い探しましたが、見つかりませんでした。隠し扉もありませんし、犯人がどこかに持ち去ったのでしょう。」
「全く・・・。何がここまでさせるんだろうな。」

 龍は立ち上がり、深い溜息をついた。被害者は男性で、体つきからしてそう歳は取っていない。20代後半から、30代前半だろうと彼は思う。胴の側には茶色い髪の毛が散らばっており、首を切断した時に落としたのだと推測した。

「その辺の髪の毛、血液が付着してる。鑑識に回せ。」
「はい。」
「死亡推定時刻は?」
「昨夜の午前2時~3時頃かと。あと、こちらの窓枠、血痕が残されていまして。犯人が逃走時に通ったと思われます。」

 部下が指し示したのは、入り口から見て左側にある大きな窓だった。小柄な人間なら通れるほどの大きさである。龍は一旦部屋を出て、血痕が残された窓の前に立った。窓の上付近には微かな血と縄を擦ったような跡があり、大方逃走ルートが把握できた。

「一部とはいえ、男の体を持って逃亡するか・・・ご苦労なこった。」
「屋上を調べたところ、やはり血痕が残されていました。靴跡もあります。断言はできませんが恐らく運動靴、サイズが小さいので女性かもしれませんが、遺体を持っているとなると男性かもしれませんね。ここら辺はこれから調べます。ただ、入り口付近に血痕がないので、逃走ルートは窓、小柄であることは確定して良いかと。」

 部下の要約に龍は同意を示し、言った。

「やけに証拠を残すな。初犯か。」
「可能性は高いと思われます。愉快犯は存在を隠しますし。」

 龍は壁に残った血痕を見つめながら、考えを巡らせた。

(初犯でここまでやるとなると・・・過去に何らかの影響から、思考が捻じ曲がったと考えるべきか? だが、これは愉快犯にも当て嵌まる。それを除外した場合は、複数人の犯行か、よほどの怨恨。
 遺体の切断面は荒く、形状から見ても鋸だ。被害者は相当な苦痛だったはず。叫ばないわけがない。
 深夜とはいえ、誰も気がつかなかったのか? 頭部がない以上、猿轡の有無が不明なのは仕方ないが、ここは大通りからそう離れてもいないのに。)

 そんなことを考えていると、本庁と連絡を取っていた刑事が龍に声をかけた。

「東堂警部。容疑者と思われる人物が数人挙げられたとのことです。警視庁に呼び出しますか?」
「そうしてくれ。取調べは俺がやる。」

            ※          

 警視庁に戻った龍は、容疑者たちと顔を合わせた。特定した人物は3人おり、最後の1人は少し時間がかかると言うことだった。

「最後の1人が到着したら教えてくれ。では、まずあなたから。」

 龍はベレー帽を被った20代前半の女性を指し示した。女性は緊張した表情で頷き、取調室に入った。

「昨夜の午前2時~3時頃、事件現場付近を通られましたか?」
「ええ。友人に会いに行っていたんです。疑うなら、これを。」

 女性はそう言いながらスマホの写真を見せた。友人らしき女性と並んだ写真があり、時間は深夜2時半を指している。

「なぜそんな夜中に、ご友人に会いに行ったのですか? この写真を見たところ、ご友人は寝巻き姿です。驚かれたのでは?」
「彼氏から逃げてきたんです。彼、お酒を飲むと暴力を振るう癖があって。
 彼女は、いつも助けてくれて、昨日も迎え入れてくれました。」

 龍は写真に写る女性を見た。化粧もしており、服装は部屋着ではない。寧ろお洒落と言ってもいいワンピースである。

「・・・逃げてきたわりには身なりが整っていますね。外出中だったのですか?」

 龍の言葉に女性は動揺しつつ叫んだ。

「・・・そんなこと、聞かなくてもいいじゃありませんか! 私は彼のことを思い出すだけで怖いんです‼︎ それなのにっ・・・!」
「失礼は承知の上で聞いています。あなたにアリバイがあったことを証明するため、必要なことと思って答えてください。」

 龍は冷静にそう言い、女性の取調べを終えた。
 そして次に、初老の男性を取調室に入れた。男性は少し歪な形の杖を突きながら入室し、補助の刑事が体を支えながら椅子に座るのを手伝った。男性が礼を言って一息つくと、龍は取調べを始めた。

「昨夜の午前2時~3時頃、事件現場付近を通られましたね? 近くの監視カメラに、あなたの姿が写っていました。」

 男性は監視カメラの映像を見て、自分であると頷いた。

「なぜこんな時間に外出されていたんですか? 見たところ、夜に出歩く格好ではないように思えますが。」

 龍がそう言うのも無理はなかった。男性は古びた黒いジャージと長袖のシャツしか着ていなかった。まだ夜が寒い季節である以上、明らかな薄着である。
 男性は龍の言葉に頷きつつ、しばらくして小さな声を出した。

「・・・・妻を・・探しておった。」
「妻?」

 龍はわずかに眉を顰めて質問した。男性は頷いて続ける。

「認知症なんじゃよ。思い出の地を徘徊しておるようでの・・・。昨夜も居なくなって、探し回っていたところ、偶然現場付近を通っただけじゃ。」
「・・・そうですか。それは・・失礼しました。」

 どこか納得していない様子だったが、龍は軽く頭を下げて謝罪した。男性は朗らかな笑みを浮かべる。

「よい、よい・・・。刑事さんも、見たところ、良い年じゃ。家族がいるんじゃないのか?」

 龍はわずかに目を見開き、机の上で組んだ自分の両手に視線を落とした。しばらく沈黙した後、龍は乾いた笑みを浮かべ、呟く。

「私の家族は、もういません。ずっと昔に・・・・死にましたから。」

            ※
                    
「東堂警部。」
「ん?」
「最後、ご老人と何を話していたんですか? 長い間、黙っていましたけど。」

 外で様子を見ていた部下の質問に、龍は顔色を変えず、しかし間を開けて答えた。

「・・・別に、他愛もない話さ。それより、3人目の容疑者はまだか?」
「そろそろ来るはずです。あ、噂をすれば。こちらですよ!」

 龍は、部下の視線を辿って唖然とした。
 優しげな笑みを浮かべ、銀髪を揺らし、碧眼を輝かせながら走ってくる、嫌になるほど、整った顔立ちをした若い男。龍は思わず名前を呼んだ。

「江本・・・⁉︎」
「おや、東堂さん。お久しぶりです。お元気そうですね。」

 海里は優しげで腹の内が読めない笑みを浮かべた。龍は眉間をつまみながら口を開く。

「まさか、3人目の容疑者ってーーーー」
「はい、私のようです。」

 龍は深い溜息をついた。この男が殺人をしないことなど、端から分かっている。被害者の交友関係を洗っていても、海里の名前は出て来なかったのだから。

 仕方がないと思いつつ、龍は言った。

「どうせお前は容疑者から外れるだろう。その代わりと言っちゃ何だが、捜査を手伝え。この事件、興味あるか?」
「ええ。バラバラ事件なんて、非常に興味深いですよ。初犯でそれをやって除ける、犯人の度胸も。」

 海里の言葉に、龍は顔を歪ませた。初犯云々は話していないはずなのに、部下の口から又聞きしただけで理解してしまうところが気味悪かったのだ。嬉々として物語の構想を練っているであろう、頭の中も。

「・・・・お前って、そこらへんの殺人鬼よりタチが悪いと思うよ。」

 龍の言葉に、海里はむっとした様子で言った。

「失礼ですね。私は小説家。己の物語のため、事件に向かっているだけですよ。」
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