小説探偵

夕凪ヨウ

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Case36.若女将の涙⑤

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『2人目の犠牲者が出た?』
「はい。しかも、“また”雪美さんの許嫁・・・いえ、もう“夫”と呼んでも差し支えないでしょうね。」
『連続殺人か・・・だが、少し妙だな。』
「えっ?」

 重い声を出した海里に対して、龍は冷静だった。

『犯人が“何を望んでいるのか”、が分かりにくい。鍵のレプリカを作って隠す・・・確かにそれは、捜査を多少なりとも遅くさせられただろう。だが、一時凌ぎだ。お前の言っていた通り、明らかに偽物だと分かる以上、部屋を開閉する必要すらない。
 それに反して、白骨の見つかるタイミングと殺人のタイミングは同時に等しい。これは捜査の混乱と同時に、進展も起こる。人目につかない場所で榊雪美を殺したのに、なぜお前に白骨を発見させ、目の前で榊渉を殺したのか・・・なぜそんなに、“見せつけている”のか、まるで分からない。』

 龍の言葉に、海里は納得した。彼の言う通り、犯人の行動には一貫性がない。捜査を邪魔していると思ったら、白骨が発見され、自分たちの目の前で人を殺した。
 証拠こそないが、狙撃という手の内を明かした・・・・無茶苦茶な話だ。

「犯人は・・・謎が暴かれることを望んでいる・・・・?」
『かもな。しかし犯人の心情がどうであれ、2人・・もしかすると10年前を含めて3人殺しているかもしれない奴だ。警戒は怠るな。』
「はい。」
『それで、榊渉はお前に何を伝えようとしたんだ? 死ぬ間際、何か言っていたんだろ?』
「ええ・・・確か、“なぜ雪美さんが私を招き入れた理由が分からないんだ”・・と。」

 龍は、電話越しでしばらく黙っていた。海里が首を傾げていると、

『お前・・・本当に・・・・分からないのか?』
「えっ? お分かりになるのですか?」

 不思議そうに首を傾げていると、電話越しで龍の軽い溜息が聞こえた。

『・・・・いや・・・そのうち、自分で答えを見つけろ。そこは、俺が踏み込む所じゃないからな。』
「・・・はあ・・? 何はともあれ、ありがとうございました。参考にします。」

 海里は電話を切ると、部屋に入り、渉の遺体を見た。見事に脳天を撃ち抜かれており、警察曰く、ライフル銃だと言うことだった。海里は渉の遺体に手を合わせた後、そっとブルーシートをめくった。

「何をしているのですか? 江本さん。」
「いえ、何か・・・遺された物が無いかと思いまして。鍵がない以上、彼の部屋に入ることもできませんから。」
「・・・・そうですね。」

 京都府警は、海里の落ち着き払った様子に困惑していた。いくら探偵とは言え、目の前で命が失われれば、驚き、嘆くかと思ったが、彼には全くそんな素振りがなかったのだ。

「・・・なっ・・・何で・・・・・」

 突如、海里が声を震わせた。五十嵐は不思議そうに彼を見る。

「江本さん?」
「これ・・・鍵、ですよね? どうして、渉さんがーーーー」

 渉の懐には、全ての部屋の鍵があった。鍵束だ。持ち手には少し欠けている所があり、雪美の部屋の鍵を取ったことが伺えた。

「榊雪美を殺したのは榊渉?」

 五十嵐の推測に、海里はすぐ疑問を呈した。

「そうだとしたら、渉さんは誰に殺されたのですか? 彼が鍵の件で嘘をついていたことは明白ですが、狙撃なんて面倒な手、計画無しに取れる手ではありません。」

(分からない。雪美さんと渉さんを殺した犯人は別の人間なのか? いや、そもそも、渉さんが本当に雪美さんを殺したのか? 彼は、私に何かを伝えようとした。鍵を隠していただけで、犯人と言い切ることは難しい。)

「鍵を持っていたことを隠した・・・女将が持つはずの鍵を・・なぜ渉さんが? 雪美さんが彼に渡したとしても、彼女の部屋の鍵だけ失くなっているなんて・・・・」
「・・・・江本さん。1度、狙撃をしたと思われる場所に行きませんか? 何かあるかもしれません。」
「ああ・・・そうですね。そうしましょう。」

 五十嵐の提案により、海里は彼女らと共に渉を狙撃したであろう、旅館の斜め前にある林の中に入った。中は木が生い茂っており、初秋だと言うのに、見事に紅葉していた。日当たりが良く、地下水でも流れているのだろうと海里は思う。

「先輩! この縄は・・・・‼︎」

 林を捜索していると、五十嵐が大木の下に落ちている縄を見つけた。かなり長く、太い縄で、成人男性が使っても問題なさそうだ。

「犯人が登るために使ったのか? だが、この木を見る限り、登れない高さじゃないと思うんだがなあ。」

 縄の側にある木は、太いだけで高さはなかった。幹と枝が足場になり、寧ろ登りやすそうである。

「・・・・登れる服装ではなかったのでは?」

 海里の言葉に、彼らは首を傾げた。海里は続ける。

「いくらこの木が登りやすいと言っても、例えばーーーー着物で木登りはしないでしょう? 例え襷をしても、必ず裾が邪魔になる。着替えることもできたのでしょうが、犯人はそんな暇が無かった。もしくはーーーー渉さんをあのタイミングでしか殺せなかった。」
「殺せなかった・・・・なぜ?」
「それは分かりません。ただ、縄を使って登ったことに間違いはないでしょう。」

 海里はそう言い終わると、木の枝を掴み、問題の木を登った。1番高く、太い枝に座り、旅館を見る。視線の先には、雪見の部屋が見えた。渉の姿も見える距離だ。

「なるほど。ここからであれば狙撃できますね。森林も邪魔になりませんし、警察官の方々からは死角になります。」

 五十嵐も続いて登り、同じ角度で写真を撮った。警察はそれを見て頷き、犯人の足跡が無いか、調べるよう言った。

「しかし・・・仮に着物だとすると、従業員か?朝見た所、旅館の着物を使っている客もいたが、調べるとキリが無いし・・・・」

 警察官の言葉に海里はすぐ答えた。

「従業員と決めつけるのは早計ですね。彼らはこうしている間にも仕事をしている。今は梨香子さんが指示を出していますし、渉さんを殺す暇があるとは思えない。」
「証拠は?」
「ありませんよ。犯人の手がかりすら、何も無いのですから・・・・」

 海里が溜息混じりにそう言うと、再び彼のスマートフォンが鳴った。今度は玲央からだ。

「どうされました?」
『龍に頼まれて、そっちの事件の資料集めをしているところなんだ。逐一事件の様子は聞いてるから状況説明は不要だよ。』
「わざわざありがとうございます。何か分かりました?」
『うん。江本君が送ってきた犯人からの脅迫状の話。あれ、墨の汚れがあったんだよ。本当にごくわずかーーーーだけど。』
「墨? あれはボールペンで書いてありましたよね?」

 玲央はああ、と言って続けた。

『だからこそ、変だと思ったんだ。現物がないから大変だったんだけど、墨の成分とか諸々調べてもらった結果、“月影旅館に墨を提供している店の墨”だったんだ。老舗の旅館だから、食品とか備品とか、決まった店から仕入れてるみたいでね。
 で、気になってその店に連絡したところ、“その墨は月影旅館にしか提供しておらず、店の居場所も旅館に置かれている墨の居場所も彼らしか知らない”そうだ。』
「・・・・えっ? ちょっと待ってください。では、従業員の方は、誰1人として居場所を知らないから、脅迫状に付くことなんてあり得ない、と?」
『そういうこと。あの紙に動かされた形跡は無いんだろ? つまり、あの脅迫状を書いたのは、榊家の人間なんだ。』

 海里は絶句した。玲央の調べに誤りが無ければ、この事件は、家族内で殺し合っていることになる。

「まさか・・・そんな・・・・」
『あともう1つ。写真で送って来た榊雪美の遺体の話だ。』
「雪美さんの遺体・・・?」

 海里が眉を顰めると、玲央は少しばかり声を小さくして言った。

『・・・・あの遺体、おかしいよ。』
「えっ・・・なぜ?」
『だって、夜のうちに殺されたんだろう? それなのに、どうしてあんなに血が渇いていないんだ? あの遺体から流れる血は、5分前に殺されたような、鮮やかな血だった。時間が経てば血は凝固するのに、その様子がないなんて・・・ありえない。』

 その瞬間、海里の中で、全てが繋がった。雪美と渉が殺された理由も、彼が鍵を隠していた理由も、遺体発見時の違和感も、犯人の目的も。

「・・・・ありがとうございます、玲央さん。」
『え?』

 玲央の驚きは、礼を言われることではないという気持ちからの驚きだった。

「全て分かりました。その話、大いに参考になります。」
『・・・・本当に暴くんだね? この事件は、君にとって良い結果をもたらさない。それどころか、心苦しくさせる。』

 玲央もまた、事件の真相に辿り着いていた。妙に歯切れ悪く遺体の件を伝えたのは、海里の気持ちを考えての上だった。
 海里は少し迷った後、答えた。

「構いません。それが私の選んだ道・・・ですから。」

 海里は電話を切ると、警察官たちの方を見た。

「皆さん。旅館に戻りましょう。これ以上、ここで捜査をする必要はありません。」
「江本さん・・・分かったのですか?」
「はい。お客さんは部屋の中にいたままで、従業員の方だけをロビーに集めてください。」
「女将の梨香子さんは?」

 海里は少し言葉に詰まった後、ゆっくりと言葉を続けた。

「必要ありません。彼女には聞かせなくていい。もう・・何も聞きたくないでしょうから。」
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