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Act.1-01
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わたくしがあなたと出逢ってから、どれほどの月日が流れたでしょう。
あなたが再び、わたくしに優しく微笑みかけて下さるのを信じて、うららかな春、蒸せるような夏、静寂の秋、凍える冬を、幾度も越えて参りました。
初めの数年は、あなたとの再会が待ち遠しくて、年が明ける毎に心弾ませ、年が過ぎてゆく毎に絶望に苛まれました。
ですが、季節を繰り返してゆくうちに、わたくしは〈待つ〉ことに慣れて参りました。
どれほど長い時をかけても、あなたは必ず現れる。
わたくしを想い出し、そして、過ぎ去ったあの時のように強く抱き締めて下さる。
わたくしは、そう信じているのです――
◆◇◆◇◆◇
遥人の職場から徒歩五分弱の所に空き地がある。その片隅には樹齢数百年とも言われる一本の桜の木がひっそりと存在する。
ただ、その場所は何かと曰く付きで、桜の咲く時季になると、毎晩のように少女の幽霊が出るらしい。もちろん、そんなのはただの噂で、怖い話で盛り上がるのが好きな女性社員達が、勝手に騒いで楽しんでいるだけだと、遥人はいつも思っていた。
とはいえ、あの場所が他とは違う、独特な雰囲気を醸し出しているのは確かだ。しかし、恐怖はそれほど感じない。そもそも遥人は、霊などという存在とは無縁に二十年以上過ごしてきたのだ。
(出るなら出て来いっつうの)
不謹慎極まりないことを心の中で呟きつつ、遥人は空き地の前を通る。
現在、午後七時を回ったばかり。ほんのりと暗くなりつつある。
かしましい職場の女達の噂によれば、少女の幽霊が現れるのは深夜。まさに、〈草木も眠る丑三つ時〉らしい。だが、その丑三つ時までには時間がある。それに、夜はまだ肌寒さを感じる春先、少女の幽霊を見るためにこんな所で待ち続けるのも非常に馬鹿らしい。
「ビール買ってとっとと帰るぞー、っと」
遥人はひとりごち、そのまま空き地を通り過ぎようとした。
と、その時だった。
フワリ、と風に乗って良い香りが鼻を掠めていった。
遥人は足を止めた。怪訝に思い、辺りを見回してみたが、遥人以外には人の気配が全くない。
「気のせいか……」
遥人は自分に言い聞かせ、再び足を踏み出そうとした。しかし、まるで遥人を引き止めるかのように、香りはいつまでも離れずに纏わり付いてくる。
(何なんだいったい……?)
遥人は眉根を寄せ、匂いの元を探る。
ふと、目に付いたのは、空き地の桜だった。まさかとは思う。だが、疑う半面で、香りはそこから流れてきたのだという確信を抱いた。
「まだまだ丑三つ時じゃねえだろ……」
そうぼやきつつ、つい先ほど、心の中で少女の幽霊に対し、『出て来い』と煽ったのは事実だ。もしかしたら、少女の幽霊は遥人の心の声を聴き取り、怒り心頭で時間外に現れてしまったのかもしれない。
幽霊なんてちっとも怖くない。そう思っていたはずなのに、いざとなると、全身にゾクリと悪寒が走る。
このまま逃げたい。しかし、気持ちとは裏腹に、遥人の足は桜へと向かっている。まるで、見えない糸で手繰り寄せられるように――
(の、呪いたきゃ呪え!)
半ばヤケクソになって心の中で吐き捨てると、桜の幹から人影がゆらりと姿を現した。
ようやく立ち止まることが出来た遥人は、ゴクリと音を立てて唾を飲み込んだ。
桜に寄り添うように立っていたのは、着物姿の十五、六ほどの少女。闇に同化してしまいそうな漆黒の髪は地面に届く辺りまで惜しげもなく流し、雪のように透き通る白い顔の中には、つぶらな双眸とほんのりと紅い唇が添えられている。
〈美人〉というよりは、〈可憐〉といった表現の方が、目の前の少女にはしっくりくる。しかし、あどけなさを感じさせる一方で、グッと惹き付ける妖艶さも兼ね備えている。
あなたが再び、わたくしに優しく微笑みかけて下さるのを信じて、うららかな春、蒸せるような夏、静寂の秋、凍える冬を、幾度も越えて参りました。
初めの数年は、あなたとの再会が待ち遠しくて、年が明ける毎に心弾ませ、年が過ぎてゆく毎に絶望に苛まれました。
ですが、季節を繰り返してゆくうちに、わたくしは〈待つ〉ことに慣れて参りました。
どれほど長い時をかけても、あなたは必ず現れる。
わたくしを想い出し、そして、過ぎ去ったあの時のように強く抱き締めて下さる。
わたくしは、そう信じているのです――
◆◇◆◇◆◇
遥人の職場から徒歩五分弱の所に空き地がある。その片隅には樹齢数百年とも言われる一本の桜の木がひっそりと存在する。
ただ、その場所は何かと曰く付きで、桜の咲く時季になると、毎晩のように少女の幽霊が出るらしい。もちろん、そんなのはただの噂で、怖い話で盛り上がるのが好きな女性社員達が、勝手に騒いで楽しんでいるだけだと、遥人はいつも思っていた。
とはいえ、あの場所が他とは違う、独特な雰囲気を醸し出しているのは確かだ。しかし、恐怖はそれほど感じない。そもそも遥人は、霊などという存在とは無縁に二十年以上過ごしてきたのだ。
(出るなら出て来いっつうの)
不謹慎極まりないことを心の中で呟きつつ、遥人は空き地の前を通る。
現在、午後七時を回ったばかり。ほんのりと暗くなりつつある。
かしましい職場の女達の噂によれば、少女の幽霊が現れるのは深夜。まさに、〈草木も眠る丑三つ時〉らしい。だが、その丑三つ時までには時間がある。それに、夜はまだ肌寒さを感じる春先、少女の幽霊を見るためにこんな所で待ち続けるのも非常に馬鹿らしい。
「ビール買ってとっとと帰るぞー、っと」
遥人はひとりごち、そのまま空き地を通り過ぎようとした。
と、その時だった。
フワリ、と風に乗って良い香りが鼻を掠めていった。
遥人は足を止めた。怪訝に思い、辺りを見回してみたが、遥人以外には人の気配が全くない。
「気のせいか……」
遥人は自分に言い聞かせ、再び足を踏み出そうとした。しかし、まるで遥人を引き止めるかのように、香りはいつまでも離れずに纏わり付いてくる。
(何なんだいったい……?)
遥人は眉根を寄せ、匂いの元を探る。
ふと、目に付いたのは、空き地の桜だった。まさかとは思う。だが、疑う半面で、香りはそこから流れてきたのだという確信を抱いた。
「まだまだ丑三つ時じゃねえだろ……」
そうぼやきつつ、つい先ほど、心の中で少女の幽霊に対し、『出て来い』と煽ったのは事実だ。もしかしたら、少女の幽霊は遥人の心の声を聴き取り、怒り心頭で時間外に現れてしまったのかもしれない。
幽霊なんてちっとも怖くない。そう思っていたはずなのに、いざとなると、全身にゾクリと悪寒が走る。
このまま逃げたい。しかし、気持ちとは裏腹に、遥人の足は桜へと向かっている。まるで、見えない糸で手繰り寄せられるように――
(の、呪いたきゃ呪え!)
半ばヤケクソになって心の中で吐き捨てると、桜の幹から人影がゆらりと姿を現した。
ようやく立ち止まることが出来た遥人は、ゴクリと音を立てて唾を飲み込んだ。
桜に寄り添うように立っていたのは、着物姿の十五、六ほどの少女。闇に同化してしまいそうな漆黒の髪は地面に届く辺りまで惜しげもなく流し、雪のように透き通る白い顔の中には、つぶらな双眸とほんのりと紅い唇が添えられている。
〈美人〉というよりは、〈可憐〉といった表現の方が、目の前の少女にはしっくりくる。しかし、あどけなさを感じさせる一方で、グッと惹き付ける妖艶さも兼ね備えている。
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