天蚕糸の月 Good luck.

梅室しば

文字の大きさ
2 / 23
一章 潮蕊湖を囲む四つの神社

供儀の獣

しおりを挟む
 上潮蕊市を抜けて、檸篠市に入った車は、潮蕊うしべ大社たいしゃの駐車場で停まった。

 潮蕊大社は、潮蕊湖周辺に複数の境内を持つ、大変に歴史の長い神社である。大昔からこの地に根付いていた自然崇拝に起源を持つとも言われ、県内外から一年を通して観光客が訪れる。
 境内は全部で四か所──下潮蕊町に二箇所、潮蕊市に一箇所。そして、檸篠市に一箇所が現存する。
 檸篠市にある境内は、四つの中では最も規模が小さいが、からりとした風の通る明るい木立の中にあった。

 駐車場から横断歩道を渡って、石段を上った先に、大きな鳥居が現れた。よく見かける朱塗りではなく、黒っぽい金属で出来ていて、雨だれの跡のように緑青がふいている。
 鳥居の先にも斜面が続き、神事を行う為のろう社殿しゃでんが並んでいる。風が起こる度にかすかに木々の葉が揺れ、鈴を振るような優しい音が響いた。
「別海先生の家って、この近くなの?」
「はい。歩いて来られるほどの距離です」
 利玖はブラウスの袖をまくって腕時計を確かめる。砂糖菓子の包み紙みたいに膨らんでいるので、見辛そうだった。
「そうですね、もう出発してこちらに向かわれていると思います」
「なるほどね……」
 史岐は深呼吸をして気を引き締める。
 ここまで来たからには、別海医師の顔を拝んで帰るつもりだった。それとなく自分が熊野家の跡取りである事を匂わせれば、牽制けんせいぐらいにはなるかもしれない。地位も権力も、これといった縁故も持たない学生の身で出来る事といったら、情けないがその程度だった。
 今や遅しと待ち構える心境がそうさせるのか、別海医師はなかなか現れない。
 利玖の後について境内をぶらついていたが、壁のない、床板と屋根を柱が支えているだけの変わった造りの廊の前に来た時、急に地面がかしいだような感覚に襲われた。
 気を張り過ぎたか、と思ったが、利玖が口にした言葉を聞いて合点がいく。
「動物の首をお供えしていたんですね」
 利玖は、立て札に書かれた廊の解説を読んでいた。
「それも、一度に何頭も……。今はもう行われていない風習のようですが」
 最後は、ささやくような声になって、利玖は言い終えた後もしばらく、向こう側の景色が見通せるほどがらんとした廊を見つめていた。
 それから史岐の方を振り向くと、びっくりしたように目を見開いた。
「大丈夫ですか? 史岐さん、顔が真っ白ですよ」
「うん……」
 自分の声なのに、銅鑼どらを鳴らされたようにぐわん、ぐわんと頭に響く。たまらずに史岐は額を押さえた。
「ごめん……、ちょっと煙草吸って来る」
「わかりました」利玖は頷き、下に向かって指をさした。「確か、横断歩道の手前に灰皿があったはずです」
「ありがとう」
 史岐は、煙草とライターを引っ張り出しながら、早足で石段を駆け下りた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

屈辱と愛情

守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。

病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜

来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。 望んでいたわけじゃない。 けれど、逃げられなかった。 生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。 親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。 無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。 それでも――彼だけは違った。 優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。 形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。 これは束縛? それとも、本当の愛? 穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

処理中です...