華と毒薬

アザミユメコ

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第一章 狂い菊に祝盃を

十二 邂逅(後編)

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 いちばん近い角を曲がり、一息ついたところで、志千しちは正面から百夜ももやの両肩を掴んだ。

「もも、百夜ぁ……。ああもう、危ないことすんじゃねえ!」 

 本人は反省の色もなく、ふんと横を向いて説教を突っぱねた。 

「貴様こそ、なぜ黙らせない? あんなのすぐ殴れ」
「相手にしてもしかたねえだろ。蝶子さんもいるんだしさ。あ、蝶子さんは大丈夫? 怖くなかった?」 

 少女はふるふると首を振って、

「ウチもほうきがあったらはたきたかったよ、あんなやつら」

 そう平然といってのけた。

「弁士、貴様こそ、ほんとうに大人ぶって我慢していたのか? 劣等感を刺激されてなにもいえなかっただけだろう」
「うっ……」

 またしても図星を指摘され、志千は言葉を詰まらせた。

「ただの妬みや野次をいちいち気に病むな。貴様の進んでいる道に立ちはだかっているのは、奴らじゃない」

 そう、父を超えるための障害は自身であって、外野は無関係だ。
 よけいな声は耳に入れず、ひたすら邁進まんしんすべきだと志千も頭ではわかっている。

「……でも、おまえだって活動嫌いのはずじゃねえの? あいつらと似たような文句をいってたじゃん」
「おれは活動がなんといわれようがどうでもいい」
「じゃあ、なんで怒ったんだよ」
「貴様が侮辱されたからだ」

 我儘わがままで、気位の高い男だと思っていた。
 だが、今までを思い返してみても、百夜が本気で怒るのは──自分自身よりも身近な誰かが傷ついたり、おとしめられたときだったのだ。

 志千は肩を掴んでいた両手で、少し背の低い頭を包みこんだ。

「百夜、おまえ、じつは結構いい子だよなぁ」
「いい子!? ガキじゃないぞ!」

 もがいているのを構わず抱きすくめ、

「自分じゃなくて他人のために怒れるんだ。ちゃんと手が届く範囲を守ろうとしてて、えらいよ。まあ、本当のいい子は人をビール瓶でどつかねえんだけど」
「……母のときに、一度失敗しているから」
「うん、これから一緒に探そうな」

 手のひらで後頭部をぽんぽんと撫でる。

「でも、暴力はやめろよ。やり返されたらおまえも危ねえし、あいつらだって顔面は商売道具だ」
「だから未遂にしてやったろうが」
「未遂ではねえかな……」
「あと、いつのまに呼び捨てにしているんだ。何度いっても勝手に触るし、貴様はいつも距離が近すぎる」
「あ、人前で呼んだのはまずかったか?」

 焦っていたのもあって自然に名を呼んでしまったが、本人が慎重に正体を隠しているのに悪いことをしてしまった。

「べつに、かまわない。おれと残菊が結びつかなければいい。『花村百夜』という人間なぞ、この世には存在しないに等しいからな」

 そういって志千の胸を押し返し、腕からすっと逃れていった。


 とりあえず今日は帰ろうと話し、大通りに戻った。
 だが、間の悪いことに店からでてきた鶴月座かくげつざの連中と鉢合ってしまった。

「座長!! 奴らです!!」

 百夜にどつかれた役者が、志千らの姿を発見してまた騒ぎだす。

 集団の中には、さきほどはいなかった人物が混じっていた。
 緊張した面持ちの若者たちに囲われ、座長と呼ばれた初老の男はゆったりとこちらのほうへ歩いてくる。

 高級な背広に口髭、顔立ちは彫りが深く、体つきもがっちりとしている。
 由緒ある劇団を率いる長に、ふさわしい威厳を備えていた。

「座長、聞いてくださいますか。あいつらが──」
「私がいつ口を開いていいと許可をだした? きみは私に訴えを聞き入れてもらえるほど、一座に貢献しているのかね」
「い、いえ」
「ならば分をわきまえろ」
「で、でも、僕にビール瓶を──」
「くどい。公衆の面前でそれ以上の恥を晒すな。今後も鶴月座を名乗りたいのであれば」
「はっ、はい……」

 役者の言葉を一蹴し、彼らの存在が目に入っていないかのように視線も合わせなかった。
 そこに、助け舟が入る。こちらもさっきは見かけなかった人物だ。

「まあまあ、あなた。そのように無下むげにしては可哀想じゃありませんの。彼だって一座を背負う俳優になるかもしれませんのよ」

 鳩羽はとば色の留袖とめそでを着た年配の婦人が、座長にいった。
 呼び方や雰囲気からして、座長の奥方のようだ。

「お前に演劇のことはわからんだろう。黙っていなさい」

 奥方は涼しい顔のまま扇子せんすを口元にあて、若手役者に目配せをする。「何を言っても無駄」と言いたげな表情だ。

 先頭を歩く座長が、志千たちの立っているほうへ近づいてきた。

 緊迫した空気に志千は思わず身構えたが、百夜の前に立った途端、気難しいしかめ面を解いて意外そうに目を見開いた。

「その面立ち……。もしや、千代見ちよみの子かね」

 初代残菊の本名は花村千代見。
 息子がいるのは世間に隠していたが、この男はかつて彼女が属していた劇団の座長だ。百夜の存在や二代目の正体を知っていても不思議ではない。

 百夜は警戒心を剥きだしにして座長を見据えていたが、視線は逸らさなかった。

「私を知らなくても当然だな。きみとは産まれてから一度も会っていないのだから。母親によく似て、美しい顔をしている」

 口元は薄く笑っているのに、不気味なほど冷たい瞳だ。

「きみがあれの名を騙った映画も一度だけ観た。見映えだけではなく、演技すら模倣の造花に過ぎないが、そう悪くはなかったよ」

 褒めているようで、まったく心がこもっていない。二代目残菊など歯牙にもかけていないといった態度だ。

「名はなんといったか。ももよ……だったかな?」

 志千は百夜を守るように前にでて、相手を睨んだ。

「ももやだよ。なにがいいてえんだ、オッサン」

 だが、あっさりと無視された。

「──あれと同じで、所詮はきみもドブ川に咲く花だ。多少見てくれが綺麗だったところで、枯れてしまえば汚水しか残らない」

 氷のような眼差しで百夜を射抜いて、座長は去っていった。

 ぞろぞろと鶴月座の連中がその跡について歩いていく。
 奥方がすれ違いざまに百夜を見て、足を止めた。

「あら、顔は似ているけれど、実物はちゃんと男の子ですのね」

 湿った目つきで上から下まで眺める。

 その隣には百夜がどついた若者が並んでいる。ぎろりとめつけてきたが、座長の手前か、なにもしてこなかった。

 そのとき、去ろうとした奥方が蝶子とぶつかった。小さくて目に入らなかったようだ。
 奥方は謝罪するどころか、蝶子を冷たく見下ろした。

「まあ……なんて汚い子」

 吐き捨てるようにいってふたたび歩きだし、ようやく一座の姿が見えなくなった。

 自分の恰好をあちこち確認しながら、蝶子がおろおろとした口調でいう。

「ウチ、汚い……? 持ってる洋服の中でも、まだ綺麗なやつなんだけれどねえ……」
「蝶子さんは汚くないし、可愛いよ。服も似合ってる。あんなやつらの言葉なんか聞かなくていいぜ」

 落ち込んでいる少女を励まし、志千たちも興行街を後にした。
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