18 / 91
第一章 狂い菊に祝盃を
十五 連鎖劇
しおりを挟む
志千たちがなぜ一人芝居をやろうとしているのか、劇作家・小山内桜蒔に計画をざっくりと説明した。
百夜が古い知人といっていたとおり、初代残菊の失踪や、二代目デビュー時の脅迫状など、もとより事情を把握していたため話は早かった。
ふむ、と桜蒔は原稿用紙の上に肘をつき、少し考えてから口をひらいた。
「一人芝居はえーけど、ろくに役者も動けん、道具も置けんのは地味じゃの」
「目的は別にある。なにも面白い劇をやろうってわけじゃねえんだが」
「ばかたれぇ!! 密かに話題にならんといけんのじゃろ? それがどんだけむずかしいかわかっとんか? 最初っから面白くする気もない芝居なんぞ、犬も食わんぞ」
罵倒されてしまったが、どう考えても桜蒔が正しい。
知る人ぞ知るという域に達するのさえ、想像以上に大変なのだ。
計画ばかりに気を取られて気のはいらないものを創っても、人の噂にのぼることすら叶わない。
まったく言い返すことはできなかった。
「こそこそやるんなら一回の上演時間を長くはできんし、脚本は書き下ろしちゃるけん、続き物にしよーやぁ。あとは、舞台美術を用意せんのじゃったら、代わりにスクリーンを置いて──連鎖劇をやるんはどうじゃ?」
「連鎖劇って……」
簡単にいえば、活動写真と舞台演劇の融合である。
役者が芝居をやりながら、大人数での斬り合いや追跡シーンなど、舞台だけでは迫力がでにくい演出をスクリーン上でおこなう。
舞台と映像が連鎖しているから、そう呼ばれるのだ。
数年前まで大変な人気があったのだが、規制によって現在は禁じられていた。
「そっ。背景も、動きが必要な演出も、ぜんぶ映像で表現するんよ」
「今やったら警察が飛び込んでくるんじゃねえの」
「もともと無許可の違法芝居じゃろ? また連鎖劇を観たいって客はようけおる。ひっそりやるなら悪事のほうが話題になるけえね。わし、カメラとフイルムの編集もできるし」
なれなれしく百夜に擦り寄りながら、うきうきした口調で桜蒔はいった。
「舞台には菊人形に扮したももが座っとるじゃろ。その後ろで絵画みたいにきれーな背景が動いたら、極楽浄土みたいじゃと思わん!?」
悔しいが、桜蒔の意見にはどれも魅力と説得力があった。
さすがこの世界に長くいるだけある。
「あれ、先生って松柏キネマの前はたしか、鶴月座にいなかったっけ?」
「よう知っとるのう。わしのファンか?」
「……いや、まったく?」
そう、小山内桜蒔といえば、初代残菊が現役だった頃は鶴月座の座付作家だったはずだ。
つまり十年以上前から第一線で活躍している。
見た目は志千とさほど変わらない年齢に見えるが、童顔なだけで実際はかなり年上かもしれない。
年齢不詳のせいでひときわ胡散臭くなった。
同時に、なぜ昔から百夜を知っているのか関係性も見えてきた。
鶴月座、すなわち初代残菊から繋がっているのだ。
「王子様はね、鶴月座の座長の息子さんなんだよ。昨日会ったひと」
蝶子の説明に驚いて、志千は声をあげた。
「えっ、あの嫌なオッサンの!?」
「昨日? 会うたん?」
「あー、たまたまな。悪い、親父さんなのに悪くいっちまって」
思わず悪態をついてしまって謝罪したが、桜蒔は苦虫を噛み潰したような表情をした。
「なんじゃこいつ、育ちいいんか? 健全な発想しよって、うざー」
「もうどうすりゃいいんだよ」
「そういやぁ、おどれは寿八先生の息子か。たしかに目鼻立ちがよう似とる。あのひとは家庭人で有名よな。酒の席では息子自慢ばっかしとった」
業界歴からして志千の父を知っているのは当然だったが、厳しいと思っていた父親の外での姿を耳にして、なんだかむず痒くなった。
「うちの親父と正反対じゃ。ま、わしは妾の子じゃし、あんなサドジジイどうでもえーわ。奴の大好きな翻訳劇を書いとった頃はお気に入りじゃったけどな」
活動写真に鞍替えし、鶴月座から強引に独立したという松柏キネマの側についたのであれば、きっとひと悶着あっただろうと想像に難くない。
しかも二代目残菊をデビューさせたのは桜蒔なのだ。相当仲が悪そうである。
「先生は親父さんとぜんぜん似てないんだな。むしろ蝶子さんときょうだいみてえにそっくり」
狐みたいな瞳と、人間を化かしそうな笑いがよく似ている。
そういった後で、蝶子が捨て子だったのを思いだした。
「いや、でも、年が離れてるし、他人の空似っていうもんな」
「ふっふっふ。どうじゃろ」
慌てて話を終わらせたつもりが、なぜか桜蒔が食いついてきた。
「あのクソ親父はどうしょうもない女好きなんじゃ。遊郭、花街、私娼窟、美女がおったらどこでも飛びつきよる。女優養成所なんかつくっとるが、どーせ育てとる女たちもそのうちのどっかから見つけてきて、食い散らかした女だらけじゃろ」
「はあ……」
「ほいじゃけえ、腹違いの妹の可能性はゼロじゃないのう」
盲亀の浮木みたいな確率の話だった。
志千が呆れていると、当の劇作家は「いひひ」と妙な笑いかたをしていた。
そして、蝶子も「いひー」と真似をしている。
変わり者だが、心強い味方ができた。
なんの因果か、三人とも芝居関係の二世というわけだ。
「おれが信用していいと話した理由がわかったか」
と、百夜がいう。
「ああ。胡散臭い見た目に反して、頼りになるかもな……」
「そういう意味じゃない。この人は作品のためなら手段を選ばないんだ。昔からずっとそうだ。裏でなにをしているかわかったもんじゃない」
「見た目どおりじゃねえかよ」
「そうだ。違法だろうとなんだろうと、警察に垂れ込んだりしないという信用だ。むしろ面白がって乗ってくるとわかっていた。ただし、まっとうな件で頼み事はするなよ」
ここまでいわれるとは、過去になにをしでかしてきたのか不安しかない。
本人は相変わらず、怪しい表情で笑っていた。
***
数日後の早朝、桜蒔が牡丹荘にやってきた。
「全八幕の続きもんにして、とりあえず三幕分の脚本じゃ! 映像はももが休みの日中にまとめて撮りたいのう」
「おお……すげえ……」
先日は意地を張って、まったくファンではないと答えたものの──
志千にとって劇作家・小山内桜蒔は雲の上の存在だった。
子どものときから彼が担当したフイルムを観にいっては「自分だったらこう説明しよう」と頭に思い描き、何度もその作品で練習していたのである。
百夜のためというほうが事実に近いが、自分の声を前提として書かれた脚本に興奮しないわけがない。
「もも、今日はわしも忙しいけえ。またあとで時間つくって読んじゃるわ」
「弁士がいるからいい」
「あー、読むのはあっちがプロじゃわいのー。ほいじゃ、また!」
桜蒔は台本を置いて、嵐のように去っていった。
志千が仕事を終えて、夜。
帰ったら部屋にこいと百夜に呼ばれていた。
いったん着替えてから、向かいの襖をあけると──
「なんで裸!?」
すでに床についていた百夜は、一糸纏わぬ姿であった。
うつ伏せの恰好で台本をぱらぱらと眺めている。
「蝶子に浴衣の洗い張りを頼んでいる」
「だから!?」
「仕立て直しが終わるまで寝巻がない」
そういえば、外の庭木に白い反物が張ってあるのを見かけた気がする。
「いやいや……。他に持ってないのか?」
「浴衣と外出用が一着ずつ」
「寝るときはまあいいけどよ、裸で飯食ったりできないだろ。蝶子さんもいるのに、教育に悪い」
「女物なら何着かある」
と、室内の箪笥を指さす。
「下に降りるときは羽織るが、寝苦しい。一、ニ年前までは着られていたんだが」
そういえば背丈が伸びたといっていた。箪笥にあるのが母親の着物なら、もう肩幅も丈も合わないだろう。
「褌くらいはあるだろ!?」
「あれは締めつけられて好きじゃない。普段から履いていない」
たしかに銭湯でも履いていなかったが、暑いだけかと思っていた。
「事情はわかった。でもな……なんで全裸でそんなに平然とできるんだよ!」
「脱がされるのも、体を人目に晒すのも慣れているしな」
「は!?」
「撮影所の衣装部で」
「ああ……。そりゃそうか。いや、だからって他人を部屋に呼ぶのに裸で待つなよ」
触れられるのは過敏に反応するくせに、体を見られるのは構わないらしい。
慣れの問題なのだろうが、極端だ。
「そんなことより」
本人は心底どうでもよさそうに、のそりと上半身を起こし、台本を志千のほうへ寄越した。
掛け布団がずり落ちる。肩から背中に繋がる体の線と、沿って落ちる長い髪、男のわりに細くくびれた腰回りに目についた。
着替えでも、銭湯でも見ているはずなのに、変に意識してしまう。
うまくいった仕事のあとは普段より志千の気が高ぶってしまうせいでもあった。
胸の奥底から込みあげてくるなにかを、必死で追い払おうとする。
──なんだ、この、今までに感じたことがない妙な高揚は。
男同士なのだし、百夜本人はたいして気にしていない。
そう自身に言い聞かせようとしても、風呂と布団では背徳感が段違いだ。
だいたい、自分からは夜這い紛いのことをしたり、平気で裸を見せたりと、触っただけで嫌がるわりに無防備すぎないだろうか。
外でも無自覚に誰かを誘惑していたらどうしよう。
そこまで一気に考えて不安になり、そうだとしても志千には無関係なのだと気がついて、思考が破裂しそうになった。
頭から雑念を消すためにとりあえず正座していると、百夜がいった。
「おい、聞いているか」
「あ、ああ。なんだっけ」
「台本を読んでくれ」
「って、おまえもまだ最後まで目を通してないんだろ? 俺はあとでいいよ」
そういうと、百夜は志千の膝にぼすっと顔を埋めてきた。
まさか向こうから触れてくるとは思っていなかったため、動揺して頭が真っ白になる。
「……読めないから頼んでいる」
「え?」
「読み書きは苦手だ。仮名と簡単な漢字程度は役者になってから覚えたが、桜蒔先生が書くものは小難しい言葉が多い」
髪の隙間からのぞく耳が少し赤い。
できればいいたくなかったのかもしれない。
「学校、ほんとに行ってないんだな」
「一度も。母もそうだ。この家に読み書きのできる人間はいなかった」
部屋を見渡すと、たしかに本らしきものは一冊もなかった。
「通しで二回ずつでいい。それで覚えられる」
「わかったよ。どのみち台詞は俺の役割だからな。まかしとけ」
百夜が仰向けに寝返る。膝を枕にして聞くつもりのようだ。
瞼を閉じて、志千の声に集中している。
額に落ちた髪を払ってやると、また胸が脈打った。
だが、さきほどの高まりとは違って、とても心地のよい、安らかな充足感だった。
他の誰でもない、自分をまた頼ってくれたことが嬉しい。
髪に触れたまま、いつものように大勢の観客の前ではなく、たった一人のために台本を読みあげた。
百夜が古い知人といっていたとおり、初代残菊の失踪や、二代目デビュー時の脅迫状など、もとより事情を把握していたため話は早かった。
ふむ、と桜蒔は原稿用紙の上に肘をつき、少し考えてから口をひらいた。
「一人芝居はえーけど、ろくに役者も動けん、道具も置けんのは地味じゃの」
「目的は別にある。なにも面白い劇をやろうってわけじゃねえんだが」
「ばかたれぇ!! 密かに話題にならんといけんのじゃろ? それがどんだけむずかしいかわかっとんか? 最初っから面白くする気もない芝居なんぞ、犬も食わんぞ」
罵倒されてしまったが、どう考えても桜蒔が正しい。
知る人ぞ知るという域に達するのさえ、想像以上に大変なのだ。
計画ばかりに気を取られて気のはいらないものを創っても、人の噂にのぼることすら叶わない。
まったく言い返すことはできなかった。
「こそこそやるんなら一回の上演時間を長くはできんし、脚本は書き下ろしちゃるけん、続き物にしよーやぁ。あとは、舞台美術を用意せんのじゃったら、代わりにスクリーンを置いて──連鎖劇をやるんはどうじゃ?」
「連鎖劇って……」
簡単にいえば、活動写真と舞台演劇の融合である。
役者が芝居をやりながら、大人数での斬り合いや追跡シーンなど、舞台だけでは迫力がでにくい演出をスクリーン上でおこなう。
舞台と映像が連鎖しているから、そう呼ばれるのだ。
数年前まで大変な人気があったのだが、規制によって現在は禁じられていた。
「そっ。背景も、動きが必要な演出も、ぜんぶ映像で表現するんよ」
「今やったら警察が飛び込んでくるんじゃねえの」
「もともと無許可の違法芝居じゃろ? また連鎖劇を観たいって客はようけおる。ひっそりやるなら悪事のほうが話題になるけえね。わし、カメラとフイルムの編集もできるし」
なれなれしく百夜に擦り寄りながら、うきうきした口調で桜蒔はいった。
「舞台には菊人形に扮したももが座っとるじゃろ。その後ろで絵画みたいにきれーな背景が動いたら、極楽浄土みたいじゃと思わん!?」
悔しいが、桜蒔の意見にはどれも魅力と説得力があった。
さすがこの世界に長くいるだけある。
「あれ、先生って松柏キネマの前はたしか、鶴月座にいなかったっけ?」
「よう知っとるのう。わしのファンか?」
「……いや、まったく?」
そう、小山内桜蒔といえば、初代残菊が現役だった頃は鶴月座の座付作家だったはずだ。
つまり十年以上前から第一線で活躍している。
見た目は志千とさほど変わらない年齢に見えるが、童顔なだけで実際はかなり年上かもしれない。
年齢不詳のせいでひときわ胡散臭くなった。
同時に、なぜ昔から百夜を知っているのか関係性も見えてきた。
鶴月座、すなわち初代残菊から繋がっているのだ。
「王子様はね、鶴月座の座長の息子さんなんだよ。昨日会ったひと」
蝶子の説明に驚いて、志千は声をあげた。
「えっ、あの嫌なオッサンの!?」
「昨日? 会うたん?」
「あー、たまたまな。悪い、親父さんなのに悪くいっちまって」
思わず悪態をついてしまって謝罪したが、桜蒔は苦虫を噛み潰したような表情をした。
「なんじゃこいつ、育ちいいんか? 健全な発想しよって、うざー」
「もうどうすりゃいいんだよ」
「そういやぁ、おどれは寿八先生の息子か。たしかに目鼻立ちがよう似とる。あのひとは家庭人で有名よな。酒の席では息子自慢ばっかしとった」
業界歴からして志千の父を知っているのは当然だったが、厳しいと思っていた父親の外での姿を耳にして、なんだかむず痒くなった。
「うちの親父と正反対じゃ。ま、わしは妾の子じゃし、あんなサドジジイどうでもえーわ。奴の大好きな翻訳劇を書いとった頃はお気に入りじゃったけどな」
活動写真に鞍替えし、鶴月座から強引に独立したという松柏キネマの側についたのであれば、きっとひと悶着あっただろうと想像に難くない。
しかも二代目残菊をデビューさせたのは桜蒔なのだ。相当仲が悪そうである。
「先生は親父さんとぜんぜん似てないんだな。むしろ蝶子さんときょうだいみてえにそっくり」
狐みたいな瞳と、人間を化かしそうな笑いがよく似ている。
そういった後で、蝶子が捨て子だったのを思いだした。
「いや、でも、年が離れてるし、他人の空似っていうもんな」
「ふっふっふ。どうじゃろ」
慌てて話を終わらせたつもりが、なぜか桜蒔が食いついてきた。
「あのクソ親父はどうしょうもない女好きなんじゃ。遊郭、花街、私娼窟、美女がおったらどこでも飛びつきよる。女優養成所なんかつくっとるが、どーせ育てとる女たちもそのうちのどっかから見つけてきて、食い散らかした女だらけじゃろ」
「はあ……」
「ほいじゃけえ、腹違いの妹の可能性はゼロじゃないのう」
盲亀の浮木みたいな確率の話だった。
志千が呆れていると、当の劇作家は「いひひ」と妙な笑いかたをしていた。
そして、蝶子も「いひー」と真似をしている。
変わり者だが、心強い味方ができた。
なんの因果か、三人とも芝居関係の二世というわけだ。
「おれが信用していいと話した理由がわかったか」
と、百夜がいう。
「ああ。胡散臭い見た目に反して、頼りになるかもな……」
「そういう意味じゃない。この人は作品のためなら手段を選ばないんだ。昔からずっとそうだ。裏でなにをしているかわかったもんじゃない」
「見た目どおりじゃねえかよ」
「そうだ。違法だろうとなんだろうと、警察に垂れ込んだりしないという信用だ。むしろ面白がって乗ってくるとわかっていた。ただし、まっとうな件で頼み事はするなよ」
ここまでいわれるとは、過去になにをしでかしてきたのか不安しかない。
本人は相変わらず、怪しい表情で笑っていた。
***
数日後の早朝、桜蒔が牡丹荘にやってきた。
「全八幕の続きもんにして、とりあえず三幕分の脚本じゃ! 映像はももが休みの日中にまとめて撮りたいのう」
「おお……すげえ……」
先日は意地を張って、まったくファンではないと答えたものの──
志千にとって劇作家・小山内桜蒔は雲の上の存在だった。
子どものときから彼が担当したフイルムを観にいっては「自分だったらこう説明しよう」と頭に思い描き、何度もその作品で練習していたのである。
百夜のためというほうが事実に近いが、自分の声を前提として書かれた脚本に興奮しないわけがない。
「もも、今日はわしも忙しいけえ。またあとで時間つくって読んじゃるわ」
「弁士がいるからいい」
「あー、読むのはあっちがプロじゃわいのー。ほいじゃ、また!」
桜蒔は台本を置いて、嵐のように去っていった。
志千が仕事を終えて、夜。
帰ったら部屋にこいと百夜に呼ばれていた。
いったん着替えてから、向かいの襖をあけると──
「なんで裸!?」
すでに床についていた百夜は、一糸纏わぬ姿であった。
うつ伏せの恰好で台本をぱらぱらと眺めている。
「蝶子に浴衣の洗い張りを頼んでいる」
「だから!?」
「仕立て直しが終わるまで寝巻がない」
そういえば、外の庭木に白い反物が張ってあるのを見かけた気がする。
「いやいや……。他に持ってないのか?」
「浴衣と外出用が一着ずつ」
「寝るときはまあいいけどよ、裸で飯食ったりできないだろ。蝶子さんもいるのに、教育に悪い」
「女物なら何着かある」
と、室内の箪笥を指さす。
「下に降りるときは羽織るが、寝苦しい。一、ニ年前までは着られていたんだが」
そういえば背丈が伸びたといっていた。箪笥にあるのが母親の着物なら、もう肩幅も丈も合わないだろう。
「褌くらいはあるだろ!?」
「あれは締めつけられて好きじゃない。普段から履いていない」
たしかに銭湯でも履いていなかったが、暑いだけかと思っていた。
「事情はわかった。でもな……なんで全裸でそんなに平然とできるんだよ!」
「脱がされるのも、体を人目に晒すのも慣れているしな」
「は!?」
「撮影所の衣装部で」
「ああ……。そりゃそうか。いや、だからって他人を部屋に呼ぶのに裸で待つなよ」
触れられるのは過敏に反応するくせに、体を見られるのは構わないらしい。
慣れの問題なのだろうが、極端だ。
「そんなことより」
本人は心底どうでもよさそうに、のそりと上半身を起こし、台本を志千のほうへ寄越した。
掛け布団がずり落ちる。肩から背中に繋がる体の線と、沿って落ちる長い髪、男のわりに細くくびれた腰回りに目についた。
着替えでも、銭湯でも見ているはずなのに、変に意識してしまう。
うまくいった仕事のあとは普段より志千の気が高ぶってしまうせいでもあった。
胸の奥底から込みあげてくるなにかを、必死で追い払おうとする。
──なんだ、この、今までに感じたことがない妙な高揚は。
男同士なのだし、百夜本人はたいして気にしていない。
そう自身に言い聞かせようとしても、風呂と布団では背徳感が段違いだ。
だいたい、自分からは夜這い紛いのことをしたり、平気で裸を見せたりと、触っただけで嫌がるわりに無防備すぎないだろうか。
外でも無自覚に誰かを誘惑していたらどうしよう。
そこまで一気に考えて不安になり、そうだとしても志千には無関係なのだと気がついて、思考が破裂しそうになった。
頭から雑念を消すためにとりあえず正座していると、百夜がいった。
「おい、聞いているか」
「あ、ああ。なんだっけ」
「台本を読んでくれ」
「って、おまえもまだ最後まで目を通してないんだろ? 俺はあとでいいよ」
そういうと、百夜は志千の膝にぼすっと顔を埋めてきた。
まさか向こうから触れてくるとは思っていなかったため、動揺して頭が真っ白になる。
「……読めないから頼んでいる」
「え?」
「読み書きは苦手だ。仮名と簡単な漢字程度は役者になってから覚えたが、桜蒔先生が書くものは小難しい言葉が多い」
髪の隙間からのぞく耳が少し赤い。
できればいいたくなかったのかもしれない。
「学校、ほんとに行ってないんだな」
「一度も。母もそうだ。この家に読み書きのできる人間はいなかった」
部屋を見渡すと、たしかに本らしきものは一冊もなかった。
「通しで二回ずつでいい。それで覚えられる」
「わかったよ。どのみち台詞は俺の役割だからな。まかしとけ」
百夜が仰向けに寝返る。膝を枕にして聞くつもりのようだ。
瞼を閉じて、志千の声に集中している。
額に落ちた髪を払ってやると、また胸が脈打った。
だが、さきほどの高まりとは違って、とても心地のよい、安らかな充足感だった。
他の誰でもない、自分をまた頼ってくれたことが嬉しい。
髪に触れたまま、いつものように大勢の観客の前ではなく、たった一人のために台本を読みあげた。
1
あなたにおすすめの小説
オークとなった俺はスローライフを送りたい
モト
BL
転生したらオークでした。豚の顔とかマジないわ~とか思ったけど、力も強くてイージーモードじゃん。イージーイージー!ははは。俺、これからスローライフを満喫するよ!
そう思っていたら、住んでいる山が火事になりました。人間の子供を助けたら、一緒に暮らすことになりました。
子供、俺のこと、好きすぎるのやめろ。
前半ファンタジーっぽいですが、攻めの思考がヤバめです。オークが受けでも別に大丈夫という方のみお読みください。
不憫オークですが、前向きすぎるので不憫さは全くありません。
ムーンライトノベルズでも投稿しております。
夢の続きの話をしよう
木原あざみ
BL
歯止めのきかなくなる前に離れようと思った。
隣になんていたくないと思った。
**
サッカー選手×大学生。すれ違い過多の両方向片思いなお話です。他サイトにて完結済みの作品を転載しています。本編総文字数25万字強。
表紙は同人誌にした際に木久劇美和さまに描いていただいたものを使用しています(※こちらに載せている本文は同人誌用に改稿する前のものになります)。
振り向いてよ、僕のきら星
街田あんぐる
BL
大学4年間拗らせたイケメン攻め×恋愛に自信がない素朴受け
「そんな男やめときなよ」
「……ねえ、僕にしなよ」
そんな言葉を飲み込んで過ごした、大学4年間。
理系で文学好きな早暉(さき)くんは、大学の書評サークルに入会した。そこで、小動物を思わせる笑顔のかわいい衣真(いま)くんと出会う。
距離を縮めていく二人。でも衣真くんはころころ彼氏が変わって、そのたびに恋愛のトラウマを深めていく。
早暉くんはそれでも諦めきれなくて……。
星のように綺麗な男の子に恋をしてからふたりで一緒に生きていくまでの、優しいお話です。
表紙イラストは梅干弁当さん(https://x.com/umeboshibento)に依頼しました。
伝説のS級おじさん、俺の「匂い」がないと発狂して国を滅ぼすらしいい
マンスーン
BL
ギルドの事務職員・三上薫は、ある日、ギルドロビーで発作を起こしかけていた英雄ガルド・ベルンシュタインから抱きしめられ、首筋を猛烈に吸引。「見つけた……俺の酸素……!」と叫び、離れなくなってしまう。
最強おじさん(変態)×ギルドの事務職員(平凡)
世界観が現代日本、異世界ごちゃ混ぜ設定になっております。
【完結】生まれ変わってもΩの俺は二度目の人生でキセキを起こす!
天白
BL
【あらすじ】バース性診断にてΩと判明した青年・田井中圭介は将来を悲観し、生きる意味を見出せずにいた。そんな圭介を憐れに思った曾祖父の陸郎が彼と家族を引き離すように命じ、圭介は父から紹介されたαの男・里中宗佑の下へ預けられることになる。
顔も見知らぬ男の下へ行くことをしぶしぶ承諾した圭介だったが、陸郎の危篤に何かが目覚めてしまったのか、前世の記憶が甦った。
「田井中圭介。十八歳。Ω。それから現当主である田井中陸郎の母であり、今日まで田井中家で語り継がれてきただろう、不幸で不憫でかわいそ~なΩこと田井中恵の生まれ変わりだ。改めてよろしくな!」
これは肝っ玉母ちゃん(♂)だった前世の記憶を持ちつつも獣人が苦手なΩの青年と、紳士で一途なスパダリ獣人αが小さなキセキを起こすまでのお話。
※オメガバースもの。拙作「生まれ変わりΩはキセキを起こす」のリメイク作品です。登場人物の設定、文体、内容等が大きく変わっております。アルファポリス版としてお楽しみください。
シスルの花束を
碧月 晶
BL
年下俺様モデル×年上訳あり青年
~人物紹介~
○氷室 三門(ひむろ みかど)
・攻め(主人公)
・23歳、身長178cm
・モデル
・俺様な性格、短気
・訳あって、雨月の所に転がり込んだ
○寒河江 雨月(さがえ うげつ)
・受け
・26歳、身長170cm
・常に無表情で、人形のように顔が整っている
・童顔
※作中に英会話が出てきますが、翻訳アプリで訳したため正しいとは限りません。
※濡れ場があるシーンはタイトルに*マークが付きます。
※基本、三門視点で進みます。
※表紙絵は作者が生成AIで試しに作ってみたものです。
最愛はすぐ側に
なめめ
BL
※【憧れはすぐ側に】の続編のため先に下記作品を読むことをおすすめ致します。
https://www.alphapolis.co.jp/novel/573023887/670501303
〇あらすじ〇
律仁さんとの甘いひとときが瞬く間に過ぎていく中、渉太も遂に大学4年目を迎えた。就活も大手企業に内定をもらい、後は卒業を待つところで、以前律仁さんと大樹先輩と尚弥とでキャンプに行ったときの出来事を思い出していた。それは律仁さんと二人きりで湖畔を歩いているときに海外を拠点に仕事をしたいと夢を抱いていること、それに伴って一緒に暮らしてほしいことを彼から告げられていたことだった。
律仁さんと交際を始めて一年の記念日。返事を返さなければならない渉太だったが酷く気持ちを揺らがせていた……。
そんな中、那月星杏と名乗る元サークルの後輩をとあるきっかけで助けたことで懐かれ……彼女もまた兄が那月遼人という律の後輩で…。
生贄は内緒の恋をする
135
BL
神様の生贄になった主人公(受)とじっと待つ王子(攻)のお話です。
主人公がお肉たっぷりになったり、婚約白紙になったりするけれど、殺伐とはしていません。
主人公はお肉であろうと周りに愛されています。
守護神サラマンダーへの生贄として生きてきた主人公が王子を庇い永遠の眠りにつき、それでもハッピーエンドに辿り着くお話です。
書き終わっているので、確認ができ次第順次あげていきます。お付き合いください。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる