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第一章 狂い菊に祝盃を
二十九 愛と憎(前編)
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血色に広がる花々の中に、一点だけ滲んだ漆黒の異物。
花畑の中心に立っていた女がゆっくりと振り返り、やや掠れた聞き心地のよい声でいった。
「ご存知? 罌粟の花は白よりも赤のほうが、毒が強いのですって。未練たらしく咲き残る菊とは違って、半月も待たずに散ってしまうの。花弁が落ちたら大きな球状の実をつけ、膨らみに刃を入れてやると、傷口から乳濁液を垂らし──それが、『苦しみを忘れられる薬』になるのですよ」
人を射抜く冷たい瞳。
志千も一度だけ目にしたことのある人物だ。
以前、六区で鶴月座の座長と遭遇したとき、一緒にいた奥方である。
「どーも、芙二子奥さま。あの若造の飼い主はあんたかいな」
芙二子と呼ばれた女は含むような笑いをしただけで、桜蒔の問いに答えはしなかった。
「この人が、脅迫状の差出人なのか」
「ここにおるってことは、そうなるのう。わしの父である鶴月座座長のご正妻じゃ。駒に使った男は若い燕ってとこか」
前に見かけたときは、座長に恫喝されていたあの若手役者をさりげなく庇う発言をしていた。
「なんで座長の奥さんが? 演劇にはなんの関係もない人なんだろ」
「べつに意外でもなんでもないけどな。夫の愛人が目障りなんは当然じゃけえ」
鶴月座の座長は娼婦だった初代残菊を見いだし、大女優になるまで育てた。
芝居の世界ではめずらしくもない関係なのかもしれないが、はっきり愛人だと聞かされると少々面食らう。
「自分だって若い男を囲ってるのに?」
「奥方の家柄を金で買ったも同然に結婚した夫婦じゃけえのー。仲は冷えきっとるじゃろう」
「じゃあ、なおさら残菊に嫉妬する理由なんかねえじゃん」
十年越しに憎むほどの意味がわからないと肩をすくめた志千に、桜蒔はいった。
「嫉妬の中身が愛とは限らんよ。詰まっとるのは、愛よりむしろ自己愛かもしれん。名家の令嬢だったあの人にとって、売春婦風情に夫を奪われるのは相当な屈辱だったじゃろうなあ。自分は一度も愛されんかったっていうのに」
「わかったような口を利いて……。あなたは昔から小賢しくて、いつも人を食ったような態度で、ちっとも可愛くなかったわ」
桜蒔を見つめる目は、どこまでも冷たく据わっている。
「親父がたった一度の失敗で稼ぎ頭の残菊を舞台から下ろしたのは、罌粟の密売が露見しないようにか。自分が捕まるもんなぁ。わしを異国に引き離してまで、用意周到なことじゃ」
「あなたの洋行を薦めたのはわたくしですけれどね。いつも父親の鼻を明かしたがっていたでしょう。何人か引き抜いて松柏キネマに移ったときは、してやったつもりだったのでしょうが、うちとしては都合がよかったくらい」
空気がひりつく。
交じわる二人の視線は、火花が散るようだった。
「そんなことより──」
正妻は静かだが、憎悪の滲んだ声でいった。
「残菊はどこにいるのですか? あの脚本はあなたが書いたのでしょう? わたくしが観たのは第六幕だけですが、すぐにわかりました」
桜蒔の予想どおり、脅迫状の差出人は、菊人形を演じていたのが本物の残菊だと信じ込んでいる。
今度こそ、この手で手折ろう──
だからこそでてくる言葉だ。
残菊がどこかで生きていると犯人が確信を持っていたからこそ、志千たちも行方を捜しているのである。
「三年前までは、汚い十二階下で生きながらえているのを確認していました。半分死んでいるような廃人でしたが、あのままでいたなら手をださなかったものを」
芙二子は淡々とした口調でいった。
「失踪してから探偵を雇い、大金を払って捜しても見つかりませんでした。事件の身元不明者や消息不明、病死、自死、心中、警察のあらゆる記録を浚ってもどこにもいない。ただ消えたのです。死んでいるより、生きていて隠れられるほうが捜すのは困難ですから。あの女のことだから、きっと誰かに匿われているのだろうと思っていたら──やはり、ふたたび舞台に現れた」
「あんたは、なんでそこまでして……」
殺したいほど憎んでいるなら、なぜわざわざ捜しだすのか。
その執念が、志千には理解できなかった。
「綺麗な花がドブ川で枯れるのを、この目で見届けるためですよ。それなのになぜかしら。いつまでも残り香が消えない」
「再起不能にしたかったってことか? 薬を使って廃人にしてまで?」
「あら、それは誤解ですわ。わたくしがあの子に『苦しみを忘れられる薬』を渡したのは、十年前のただ一回きりです。そのあと与え続けていたのは萩尾が勝手にやったこと。横流ししているのを黙認はしておりましたが」
「じいさん、本当なのか?」
萩尾は答えなかった。肯定したようなものだ。
「代金は体で払っていたのかしら。昔から男を咥え込むのだけは得意でしたもの。息子のほうも、そこは似てしまったようですね」
志千のほうを意味ありげに眺め、芙二子が含み笑いをする。
前回の邂逅で百夜を庇ったのを見ていたため、勘づくものがあったらしい。
「二度と表舞台に出てこなければ、平穏に暮らせたかもしれないのに。本当に、いつまでもしつこく咲こうとする」
だからあのとき、短刀を百夜の顔に振り下ろしたのだ。もう舞台にあがれないように。
「俺にはわかんねえよ。そうまでして、他人を蹴落とそうとする気持ちは」
「あなたはきっと、周りに大事にされてきたのでしょうね」
黙って志千と芙二子の会話を聞いてきた桜蒔が、あいだに入った。
「つまり、最初に引きずり下ろし方を間違って後悔しとるんか? 大女優残菊はいまや伝説。復活の噂がでるたびに当時のご贔屓が集まって持て囃す。その名のとおり、記憶に色と香を残す菊の花。親父もこの十年、家に狂い菊を飾り続けとるみたいじゃし、ああ見えて未練たらたらなんじゃろ。あの男があそこまで惚れこんだ女優は残菊だけじゃ」
そして、口の端で笑った。
「ああ、さっきはすまんかったなぁ。あんなクソ親父に何十年でも執着し続けられるなら、それはもはや愛かもしれん」
「嫌な子……。あなたがいたせいで、どれだけわたくしの子たちが蔑ろにされたことか。愛人など何人いようと、ただ花のように愛でられて、枯れたあとに捨てられるだけならべつによかった。あなたみたいな存在をこれ以上許すわけにはいかなかったのです。それなのに……わたくしは、失敗していたのですね」
深紅の花畑を映す、憎悪に満ちた瞳。
この目を前にも見たことがある。
芙二子がこの場所でなにをしていたのか、志千はようやく気づいた。
おそらく桜蒔が危険を及ばせたくない相手を置いてくると踏んで、時間稼ぎの足止めだ。
「桜蒔先生、蝶子さんが危ない」
「お嬢? なんで──」
「蝶子さんは、残菊の子なんだろ?」
「……へっ?」
桜蒔は素っ頓狂な声をあげたが、すぐに頭を回転させた。
「そうか、十年前に千代見が姿を消した数ヶ月。あんたは流させようとして薬入りの葡萄酒を渡した。つまり、親父の子だったんか」
「産まれた様子がなかったので、すっかり流れたものと思っていました。萩尾、子を匿っていたのはおまえですね」
「はい。残菊さんはこの栽培所で女の子を産み……私が二歳になるまで育てました」
「まったく、どちらの味方なのやら。おまえは昔からなにを考えているのかわからなくて、気味が悪いわ」
「私はずっと残菊さんの味方ですよ」
その発言に、桜蒔が突っかかっていく。
「あん? あの薬を与え続けとったんはおどれじゃろ。ご丁寧に吸煙器まで用意して」
「禁断症状で薬を求めたのはあの方ですから。私は、すべてを残菊さんの望むとおりにして差し上げたかっただけです。たとえ間違っていても、悪魔に魂を売ったとしても。坊っちゃん、あなたと同じように」
桜蒔は言葉を飲み込んだように、なにも言い返さなかった。
正面玄関のほうから、複数の人間が走ってくる足音が響く。
「奥さま!」
「猪瀬、遅いですよ」
猪瀬と呼ばれたの若い男は、あのとき志千が追いかけた脅迫状の実行犯だ。後ろには支那料理屋にいた奴らが顔を揃えている。
「蝶子さん!」
男たちがよってたかって、無理やり立たせるようにして少女の肩を掴んでいた。
「しちちゃん、王子様、ごめんねえ。誘拐犯だとわかって逃げたんだけど、捕まっちゃった」
「おっと、動くなよ」
猪瀬が蝶子の顔のそばで短刀をちらつかせた。
「残菊を出しなさい。二度と舞台に立てないよう、あの憎たらしい顔に傷のひとつでもつければその子どもは解放します」
「出せねえよ、ありゃ残菊じゃねえからな」
「また贋物だとでもいうの? そんなわけがないでしょう。わたくしが何度あの女の舞台を観たと思っているのですか。小細工した活動写真とは違う、今度こそ本物です」
「あんたのお墨付きをもらえるなんて光栄だ。そんなにご執心なら、声だけでも会わせてやるよ。先生、いいだろ?」
桜蒔が頷くのを見て、志千は芙二子のそばへ歩いていった。
かがみ込み、耳元で初代残菊の声を聴かせる。
『おまえの唇にくちづけするよ、ヨカナーン』
残菊が薬によってヨカナーンの首を落とし、舞台から下ろされたオスカー・ワイルドの『サロメ』だ。
志千の声を聴いた芙二子は、はじめて狼狽した様子を見せた。
「ほんとうに、贋物……?」
絶望にも近い、消え入りそうな悲鳴をあげる。
「じゃあ、あの女はどこにいるというの。咲き誇ったまま消えてしまったら、いつまでもあの人の心の中からいなくならない。醜くなった惨めな姿を晒して、ドブ川で枯れないといけないのに」
「残念ながら、俺らも知りてえんだよ」
「……もう、いいです。また捜しますから。猪瀬」
正妻に命じられ、猪瀬が蝶子に向かって刃を振り下ろす。
「その顔もね、わたくしは大嫌いなのですよ」
少女が目を瞑った、その瞬間──
ガツン、という聞き覚えのある音が建物内に響いた。
花畑の中心に立っていた女がゆっくりと振り返り、やや掠れた聞き心地のよい声でいった。
「ご存知? 罌粟の花は白よりも赤のほうが、毒が強いのですって。未練たらしく咲き残る菊とは違って、半月も待たずに散ってしまうの。花弁が落ちたら大きな球状の実をつけ、膨らみに刃を入れてやると、傷口から乳濁液を垂らし──それが、『苦しみを忘れられる薬』になるのですよ」
人を射抜く冷たい瞳。
志千も一度だけ目にしたことのある人物だ。
以前、六区で鶴月座の座長と遭遇したとき、一緒にいた奥方である。
「どーも、芙二子奥さま。あの若造の飼い主はあんたかいな」
芙二子と呼ばれた女は含むような笑いをしただけで、桜蒔の問いに答えはしなかった。
「この人が、脅迫状の差出人なのか」
「ここにおるってことは、そうなるのう。わしの父である鶴月座座長のご正妻じゃ。駒に使った男は若い燕ってとこか」
前に見かけたときは、座長に恫喝されていたあの若手役者をさりげなく庇う発言をしていた。
「なんで座長の奥さんが? 演劇にはなんの関係もない人なんだろ」
「べつに意外でもなんでもないけどな。夫の愛人が目障りなんは当然じゃけえ」
鶴月座の座長は娼婦だった初代残菊を見いだし、大女優になるまで育てた。
芝居の世界ではめずらしくもない関係なのかもしれないが、はっきり愛人だと聞かされると少々面食らう。
「自分だって若い男を囲ってるのに?」
「奥方の家柄を金で買ったも同然に結婚した夫婦じゃけえのー。仲は冷えきっとるじゃろう」
「じゃあ、なおさら残菊に嫉妬する理由なんかねえじゃん」
十年越しに憎むほどの意味がわからないと肩をすくめた志千に、桜蒔はいった。
「嫉妬の中身が愛とは限らんよ。詰まっとるのは、愛よりむしろ自己愛かもしれん。名家の令嬢だったあの人にとって、売春婦風情に夫を奪われるのは相当な屈辱だったじゃろうなあ。自分は一度も愛されんかったっていうのに」
「わかったような口を利いて……。あなたは昔から小賢しくて、いつも人を食ったような態度で、ちっとも可愛くなかったわ」
桜蒔を見つめる目は、どこまでも冷たく据わっている。
「親父がたった一度の失敗で稼ぎ頭の残菊を舞台から下ろしたのは、罌粟の密売が露見しないようにか。自分が捕まるもんなぁ。わしを異国に引き離してまで、用意周到なことじゃ」
「あなたの洋行を薦めたのはわたくしですけれどね。いつも父親の鼻を明かしたがっていたでしょう。何人か引き抜いて松柏キネマに移ったときは、してやったつもりだったのでしょうが、うちとしては都合がよかったくらい」
空気がひりつく。
交じわる二人の視線は、火花が散るようだった。
「そんなことより──」
正妻は静かだが、憎悪の滲んだ声でいった。
「残菊はどこにいるのですか? あの脚本はあなたが書いたのでしょう? わたくしが観たのは第六幕だけですが、すぐにわかりました」
桜蒔の予想どおり、脅迫状の差出人は、菊人形を演じていたのが本物の残菊だと信じ込んでいる。
今度こそ、この手で手折ろう──
だからこそでてくる言葉だ。
残菊がどこかで生きていると犯人が確信を持っていたからこそ、志千たちも行方を捜しているのである。
「三年前までは、汚い十二階下で生きながらえているのを確認していました。半分死んでいるような廃人でしたが、あのままでいたなら手をださなかったものを」
芙二子は淡々とした口調でいった。
「失踪してから探偵を雇い、大金を払って捜しても見つかりませんでした。事件の身元不明者や消息不明、病死、自死、心中、警察のあらゆる記録を浚ってもどこにもいない。ただ消えたのです。死んでいるより、生きていて隠れられるほうが捜すのは困難ですから。あの女のことだから、きっと誰かに匿われているのだろうと思っていたら──やはり、ふたたび舞台に現れた」
「あんたは、なんでそこまでして……」
殺したいほど憎んでいるなら、なぜわざわざ捜しだすのか。
その執念が、志千には理解できなかった。
「綺麗な花がドブ川で枯れるのを、この目で見届けるためですよ。それなのになぜかしら。いつまでも残り香が消えない」
「再起不能にしたかったってことか? 薬を使って廃人にしてまで?」
「あら、それは誤解ですわ。わたくしがあの子に『苦しみを忘れられる薬』を渡したのは、十年前のただ一回きりです。そのあと与え続けていたのは萩尾が勝手にやったこと。横流ししているのを黙認はしておりましたが」
「じいさん、本当なのか?」
萩尾は答えなかった。肯定したようなものだ。
「代金は体で払っていたのかしら。昔から男を咥え込むのだけは得意でしたもの。息子のほうも、そこは似てしまったようですね」
志千のほうを意味ありげに眺め、芙二子が含み笑いをする。
前回の邂逅で百夜を庇ったのを見ていたため、勘づくものがあったらしい。
「二度と表舞台に出てこなければ、平穏に暮らせたかもしれないのに。本当に、いつまでもしつこく咲こうとする」
だからあのとき、短刀を百夜の顔に振り下ろしたのだ。もう舞台にあがれないように。
「俺にはわかんねえよ。そうまでして、他人を蹴落とそうとする気持ちは」
「あなたはきっと、周りに大事にされてきたのでしょうね」
黙って志千と芙二子の会話を聞いてきた桜蒔が、あいだに入った。
「つまり、最初に引きずり下ろし方を間違って後悔しとるんか? 大女優残菊はいまや伝説。復活の噂がでるたびに当時のご贔屓が集まって持て囃す。その名のとおり、記憶に色と香を残す菊の花。親父もこの十年、家に狂い菊を飾り続けとるみたいじゃし、ああ見えて未練たらたらなんじゃろ。あの男があそこまで惚れこんだ女優は残菊だけじゃ」
そして、口の端で笑った。
「ああ、さっきはすまんかったなぁ。あんなクソ親父に何十年でも執着し続けられるなら、それはもはや愛かもしれん」
「嫌な子……。あなたがいたせいで、どれだけわたくしの子たちが蔑ろにされたことか。愛人など何人いようと、ただ花のように愛でられて、枯れたあとに捨てられるだけならべつによかった。あなたみたいな存在をこれ以上許すわけにはいかなかったのです。それなのに……わたくしは、失敗していたのですね」
深紅の花畑を映す、憎悪に満ちた瞳。
この目を前にも見たことがある。
芙二子がこの場所でなにをしていたのか、志千はようやく気づいた。
おそらく桜蒔が危険を及ばせたくない相手を置いてくると踏んで、時間稼ぎの足止めだ。
「桜蒔先生、蝶子さんが危ない」
「お嬢? なんで──」
「蝶子さんは、残菊の子なんだろ?」
「……へっ?」
桜蒔は素っ頓狂な声をあげたが、すぐに頭を回転させた。
「そうか、十年前に千代見が姿を消した数ヶ月。あんたは流させようとして薬入りの葡萄酒を渡した。つまり、親父の子だったんか」
「産まれた様子がなかったので、すっかり流れたものと思っていました。萩尾、子を匿っていたのはおまえですね」
「はい。残菊さんはこの栽培所で女の子を産み……私が二歳になるまで育てました」
「まったく、どちらの味方なのやら。おまえは昔からなにを考えているのかわからなくて、気味が悪いわ」
「私はずっと残菊さんの味方ですよ」
その発言に、桜蒔が突っかかっていく。
「あん? あの薬を与え続けとったんはおどれじゃろ。ご丁寧に吸煙器まで用意して」
「禁断症状で薬を求めたのはあの方ですから。私は、すべてを残菊さんの望むとおりにして差し上げたかっただけです。たとえ間違っていても、悪魔に魂を売ったとしても。坊っちゃん、あなたと同じように」
桜蒔は言葉を飲み込んだように、なにも言い返さなかった。
正面玄関のほうから、複数の人間が走ってくる足音が響く。
「奥さま!」
「猪瀬、遅いですよ」
猪瀬と呼ばれたの若い男は、あのとき志千が追いかけた脅迫状の実行犯だ。後ろには支那料理屋にいた奴らが顔を揃えている。
「蝶子さん!」
男たちがよってたかって、無理やり立たせるようにして少女の肩を掴んでいた。
「しちちゃん、王子様、ごめんねえ。誘拐犯だとわかって逃げたんだけど、捕まっちゃった」
「おっと、動くなよ」
猪瀬が蝶子の顔のそばで短刀をちらつかせた。
「残菊を出しなさい。二度と舞台に立てないよう、あの憎たらしい顔に傷のひとつでもつければその子どもは解放します」
「出せねえよ、ありゃ残菊じゃねえからな」
「また贋物だとでもいうの? そんなわけがないでしょう。わたくしが何度あの女の舞台を観たと思っているのですか。小細工した活動写真とは違う、今度こそ本物です」
「あんたのお墨付きをもらえるなんて光栄だ。そんなにご執心なら、声だけでも会わせてやるよ。先生、いいだろ?」
桜蒔が頷くのを見て、志千は芙二子のそばへ歩いていった。
かがみ込み、耳元で初代残菊の声を聴かせる。
『おまえの唇にくちづけするよ、ヨカナーン』
残菊が薬によってヨカナーンの首を落とし、舞台から下ろされたオスカー・ワイルドの『サロメ』だ。
志千の声を聴いた芙二子は、はじめて狼狽した様子を見せた。
「ほんとうに、贋物……?」
絶望にも近い、消え入りそうな悲鳴をあげる。
「じゃあ、あの女はどこにいるというの。咲き誇ったまま消えてしまったら、いつまでもあの人の心の中からいなくならない。醜くなった惨めな姿を晒して、ドブ川で枯れないといけないのに」
「残念ながら、俺らも知りてえんだよ」
「……もう、いいです。また捜しますから。猪瀬」
正妻に命じられ、猪瀬が蝶子に向かって刃を振り下ろす。
「その顔もね、わたくしは大嫌いなのですよ」
少女が目を瞑った、その瞬間──
ガツン、という聞き覚えのある音が建物内に響いた。
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