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5.カミラ=ローゼンヴァルド(Ⅲ)
しおりを挟む立派な門構えを前にカミラはまた一つ大きなため息をついた。昨日から一体何度目になるだろう。ローゼンヴァルド公爵家は貴族のお屋敷の中でも一際豪華で、我が家だというのになんだか萎縮してしまう。すくむ足を叱りながら門を開いた。
「ご機嫌よう。カミラです。ただいま戻りました。」
ベルを鳴らしてそう告げると、使用人達が扉を開けた。久々の帰還を皆暖かく迎えてくれる。自室前ではカミラ専属メイドのヘレンがわざわざわ待機していてくれた。
「お久しぶりでございます、カミラ様。」
「久しぶりねヘレン、会いたかったわ。」
思わず顔を綻ばせる。気難しいカミラが心を許す数少ない人間だ。小さい頃から身の回りの世話を任せてきた為、他の誰よりも信頼を寄せている。
「フェルディナンド様からお呼び出しがかかりましたか?」
「そうなの、きっとお小言よ。ああ、気が重いわ……」
「きっと、カミラ様のことがご心配なのですよ。ああ見えて不器用なのでわかりづらいとは思いますが。」
「それはないわよ、あの方は私の誕生会もすっぽかすような人よ。」
「プレゼントは毎年欠かさず届いたでしょう?お仕事がお忙しいだけですよ。…しかしまあ、ちょっと厳しいところはありますけどね。」
「そうよね、何かある度にお呼び出しだもの、嫌になっちゃうわ。」
「ふふふ…」
部屋着への着替えを手伝ってもらいながら談笑する。久々に笑った気がした。
自分から呼び出しておきながら、フェルディナンドは仕事で夕食まで家を留守にしていた。急ぎの用が入ったらしい。仕方なしにカミラは自室で本を読むなりして時間を潰した。
夜、使用人から食事の準備が整ったと聞き、急いで食堂へ向かう。扉を開けると既にフェルディナンドが席に着いており、カミラも急いで向かいの席に着いた。早速、ヘレンが食器とナプキンの準備をしてくれた。父の隣席は空いていた。母の席だ。そういえば彼女は何処にいるのかしらと思い、すぐに考えるのをやめた。貞操観念の緩いあの人のことだ、どうせまたどこかの男と遊んでいるのだろう。
カミラの着席を合図に料理人が食事を運んでくる。さすが公爵家のお抱えシェフだ、相変わらずどれもとても美味しい。
しばらく黙々と食事を進めていると、ふとフェルディナンドが口を開いた。
「近頃、随分素行が悪いようだな。」
その言葉でやはり食堂の一件だと悟った。いったいどこで漏れたのだろう。あの時のグレネル先生の様子では学校側から報告があったとは思えない。おそらくあの場にいた生徒の誰かから、人づてに回ってきたのだろう。学園には実家から通う者も少なくないので、学外に漏れるのは存外早かった。
「お前が他の生徒に水をかけたという話を聞いたぞ。」
「…………」
沈黙していると、それまで下を向きながら話していたフェルディナンドが顔を上げた。
「どうやら本当のことのようだな。」
羞恥と罪悪感で顔が火照る。父はどうやらこの噂を丸々信じていたわけではないらしい。所詮、野次馬どもが誇張した下らない噂話だと、そう思っていたのだろう。だからカミラが沈黙で肯定したことはたいそう驚いたに違いない。フェルディナンドの顔が一気に険しくなる。
「まさがお前がここまで愚かだとは思わなかった。」
「……申し訳ございません…」
「とてもがっかりしたぞ。今後はローゼンヴァルド家の名に恥じぬ行動を心がけるようにしなさい。」
ひどく気を害したらしい。フェルディナンドはそうぴしゃりと言ったきり口を噤んでしまった。せっかく美味しかった食事の味が急に分からなくなった。
フェルディナンドは食事を終えると、すぐに書斎に戻っていった。どうやらまだ仕事があるらしい。少ししてからカミラも食べ終わり、そのまま湯浴みに向かった。
(何があったか聞いてくれてもいいのに…)
道中そんなことを思う。フェルディナンドは事実を確認しただけで、詳細や理由を一切聞いてこなかった。彼はいつもそうだ。事実が全て、結果が全ての男なのである。
(この婚約だってきっとそう。)
巷では「愛娘の為の親馬鹿婚約」などと揶揄されているが、カミラは違うと考える。父はずっと息子を欲しがっていた。自分の跡取りにふさわしい男が欲しかったのだ。だからカミラが産まれた時は、さぞ気落ちしたことだろう。いつだか、生まれたばかりの我が子を見て、まず「男じゃないのか」と呟いた、と聞いたことがある。残念ながら、子どもはそれきり出来なかった。
女であってもローゼンヴァルド家の名に恥じぬよう、フェルディナンドはカミラを非常に厳しく育てた。しかし、この国ではどうあがいても、女は跡取りにはなれない。ならばせめてもということで、王家との婚約を取り付けたのだ。ローゼンヴァルドの名の為、否、彼の面子の為に。
そんな薄暗い事情を知りながら、それでもカミラは父のことが嫌いになれなかった。きっと、母ガブリエラのせいだろう。
フェルディナンドとガブリエラはいわゆる政略結婚というやつで、フェルディナンドは富を、ガブリエラは名誉を目的に籍を入れた。
フェルディナンドの血筋、ローゼンヴァルド家は、彼の祖父、曽祖父が非常にぼんくらな散財家であった為、一時は破綻の危機に追い込まれた。幸いフェルディナンドの父親が聡明な人間だった為なんとか立て直しに成功したが、それでも公爵家としては心もとない財力であった。
一方、ガブリエラの実家、リンケ辺境伯は、その地理を活かし交易で非常に栄えた一家である。当時リンケ家には3人の子供がおり、ガブリエラは真ん中の子だった。兄と妹は非常に優秀だったが、残念ながらガブリエラは何においても才に恵まれず、物心ついた頃には屈折した性格になっていた。年頃になると夜な夜な街を出歩くようになり、見る間に醜聞が立つようになった。
出来損ないの問題児は、当然一家の中で疎まれた。そこに、ローゼンヴァルド家から縁談が舞い込んだのである。当時の当主ベン=リンケは地位は上がるうえに、一家の恥さらしを厄介払いできると大喜びで話に乗ったそうだ。
そういう訳で、二人の間には愛などこれっぽっちもなかった。あくまで生活の、世間体の、そしてローゼンヴァルドの血筋の為の結婚なのだから、女子が一人生まれたところでガブリエラに母性など芽生えるはずもない。育児の一切を使用人に丸投げし、自分は外に遊び出るという調子だった。
意外なことに、フェルディナンドの方は育児に協力的であった。いや、公爵家の面子を考えれば当然なのかもしれないが。彼はカミラを厳しく律し、何事にも優秀な成績を納めるよう叩き込んだ。礼儀作法、教養、魔法……彼女の婚約が決まる頃には、武術まで教え始める始末だった。
フェルディナンドの教育は確かに厳しすぎたし、おかげでカミラは何度も辛い思いをした。それでもなお彼女が父を心の底で慕っているのは、打算上の愛でも、与えられないよりはずっとマシだったからだ。
彼は誕生パーティーなどの祝いの場をよく仕事で外したり、一種の外交の場として扱ったりしたが、それでもプレゼントは必ず用意していた。習い事やマナースクールの進捗確認の為、どんなに多忙でも、週に一回は必ず一緒に食事をとってくれた。今でも何かにつけてお小言や呼び出しをくらうが、それすらもちゃんと目をかけてもらえている証拠だと、カミラが内心安堵しているのも事実だ。ガブリエラはカミラにプレゼントなど一つもくれたことがなければ、一緒に話すことも億劫で、顔すらろくに合わせようとしなかった。十歳を過ぎた頃からは、もはや同じ家に住んでいるのかすら疑いたくなるほどに関係を一切断絶されていた。
(何も与えられないより、マシ…)
そんな仄暗いことを考えながら入浴をすませると、体はさっぱりしたのに気分はどんよりしてしまった。ひとしきり就寝準備を終えると、ヘレンがハーブティーを持って自室にやってきた。礼を述べカップに口をつける。思わずほうっと息が漏れた、美味しい。ゆっくり味わっていると、ふと彼女も食堂にいたことを思い出した。
「……ヘレンも私に失望したかしら?」
おずおずと尋ねる。彼女もあの話を聞いていたのだろう。一体自分のことをどう思ったのだろうか、怖いのに聞かずにはいられなかった。
ヘレンは少しためらったが、やがて口を開いた。
「誠に勝手ながら、少しばかり噂の概要をお伺いしました。……カミラ様のお年頃は誠に難しいものですし、わたくしはカミラ様だけに非があるとは思えません。エリオット皇子に手を出したご令嬢も、それを諌めないエリオット皇子も咎められるべきでしょう。……それに、このヘレン、この程度のことでカミラ様を嫌いになったりしませんよ。」
そういうと、にっこり笑いカミラの頭を撫でた。ヘレンの手は優しくて温かかった。
「……ありがとう、ヘレン。」
少し目頭が熱くなるのをなんとかこらえて返事をする。ヘレンはやっぱり優しく笑っていた。
「あ、でも流石にお水をかけちゃダメですわよ!今度からは気をつけてくださいまし。」
「分かってるわよ…気にしてるから言わないでちょうだい!」
「あらあら、申し訳ありませんわ。」
痛いところを突かれて思わずむくれ顔になる。ヘレンはいたずらっぽく笑ってまたカミラの頭を撫でた。
眠りにつく直前、ヘレンが急に灯を絞る手を止めた。何事かと思いそちらを向くと彼女は労わるような笑みを浮かべてこう言った。
「カミラ様、今は少し辛いかもしれませんが、いつかきっとカミラ様の良さに気付く人が出てくるはずです。 でも、それをただ待ってるだけではダメですよ?」
「………?」
「カミラ様から、そう言った人達を求めていくことが大切なのです。」
「……そんなこと言ったって、私が友達作りが下手なのはヘレンだって知ってるでしょう?」
「だからこそ、今が頑張るチャンスではありませんか。 カミラ様、人は一人では生きていけません、たとえカミラ様ほどの完璧な人間でも。」
「でも………」
「最初から無理して仲間を作る必要はありません。まずはほんの少し周りに心を開いててみてはいかがでしょう?いつもより長く話を聞いてあげたり、優しい言葉で話してみたり、断っていた誘いに乗ってみたり……そうやっていけば案外上手くいくものですよ。」
「昔そうして、家柄目当てのろくでもない輩にたかられたわ…」
「あらあら、そういえばそんなこと………良いでしょう、でしたら少しでも不安になったらすぐヘレンにご相談くださいまし。わたくしの人を見る目に間違いはなくってよ!」
「こないだ胡散臭い訪問販売をうちに上げかけたと聞いたわよ?」
「時にはそういう過ちもあります!」
言ってることが支離滅裂じゃあないか、おもわずふふっと笑いが漏れる。
「カミラ様、成績だけでよければ、貴方は学園に通う必要なんてございません。ではなぜ行くのでしょう?……今一度、よくお考えになってみてください。」
そう言うとヘレンはまたにっこりと笑い、部屋の灯を消した。
「おやすみなさいませカミラ様、良い夢を。」
その言葉を最後に彼女は部屋を出て行った。
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