異世界オメガ

さこ

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25 トルマリン

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「で、どうする?」
 隼百を見下ろして聞く仲嶋旦那。垂れ目の笑い混じり。

 どうするって、
「何をです?」
「その殺人者の処遇だよ」

 旦那が殺人者と呼んだのは館長だ。
 AイコールB。単純。
 たった今、自分が殺される危機だったと聞かされても隼百に緊迫感は無い。

 というか、実感がない。

 館長は目の前の車に乗り込んだところ。不機嫌そうではあるけれど、ごくごく普通だ。目が血走ってるとか異常行動をするわけでもなく、白の国産車にキーを差し込んでエンジンをかけている。
 こっちを見た。別に怖くはないと思ってたのに肩がビクッと勝手に跳ねて赤面してしまう。
 恥ずかしいなオレ!
 ……だけど相手からの反応は無い。視線が絡まない。結構な至近距離に立ってるのに。
「あの人、俺達がいるって気付いてないんですかね?」
 隼百の問いにアルファは口の端を上げる。

「姿を見せることも出来るよ。全ては君次第だ」

「ええっ……と」 首の後ろをかく。つまりこの仲嶋さんの旦那アルファは隼百に何らかのリアクションを起こせと要求しているのだ。面倒だよ。「じゃこのまま帰って貰っても構」
「不在、って殺人を諦めるきっかけには弱いよね」
 ひとの台詞を遮る勢いで爽やかに言い切る旦那。
「……殺人」

 やっぱりひどく現実離れした言葉に聞こえる。異世界だとか召喚だとか、巻き戻りとか散々アレな現象に晒されておいてなんだけど。

 嫌な上司ではある。でも殺されるほど恨まれた覚えは無い。
 人を殺す。それをただ空想するだけなら兎も角、実行に移すほどの動機──エネルギーってのは愛憎とか、積年の恨みとか、もっと濃い感情、じゃないのか? そういう意味では館長は殆ど知らない人だ。

「このまま彼を見逃せば君はまた襲撃されるよ。日を改めてね。自宅は知られているし、その防犯はザル。いつ寝込みを襲われるかわからないのは怖いだろう? 俺が来ているうちに片をつけた方がお得だと思わないかな?」
「……」

 隼百は答えない。片を付けるってどうやって? 館長を説得するのか? 無理? なら喧嘩? 戦闘は負ける自信があるな? そんな選択、寝起きに迫られても。旦那は自分を利用しろと言うけどこれは人様の旦那であって頼れるのかどうか考えると、微妙。
 悪い人ではない。でも腹に一物抱えているところがこわい。単純にオメガの方の仲嶋さんに申し訳ないって気持ちもある。

「ほら、早くしないと行っちゃうよ。今のうちだよー? 何だったら俺が潰してあげようか? 見返りは貰うけど」
「急かさないで下さいよ。まだ考えてるんです」
 潰すってなんだ? 社会的……物理的に? まさか物理的に潰すのか? やりかねなくて嫌だ。見返りって何だ?
 混乱を増した隼百に旦那は愉しそうに言葉を重ねてくる。
「遠慮してるのかな。煮え切らなくて苛々するな」
 隼百は溜息。
「笑顔で圧を飛ばさないて下さいってば。あーほら館長がおかしいですよ。蒼白になってるじゃないですか」
「あはは車の中で吐いてるね。具合が悪いんじゃないかな? それか突然、罪の意識に苛まれたのかな」

 ……えぐい。密室に吐瀉物の匂いはキツいだろう。館長は車のドアを開けてぜえはあしている。
 それでもこちらの存在に気が付かない。
 そんな様子を見守ってから、
「……いや、あの人まだ何も罪を犯してませんって。旦那さんの威圧のせいでしょ」
 隼百の指摘に相手は片眉を上げる。
「これがアルファのフェロモンだからね。ベータには辛いのかな? むしろ隼百君が平気なのが不思議なんだよねえ」
「ふしぎって。腕時計の効果じゃないんですか?」
「うん。確かにそれをつけていれば他のアルファの干渉を受けなくなるし、アルファに見つからないね。俺のつがい向けにカスタマイズされてるから。知ってるだろう?」
「もちろん、いつでも仲嶋さんに返します。心配だし」
「心配?」
 きょとんとするなよ旦那。
「母体が最優先。気休めのお守りでも必要な時なんだ。どう考えてもこんな大層なアイテム、他人に貸してる場合じゃないでしょう」
 隼百の記憶している仲嶋は男性だから母体という言葉にはなかなかの違和感があるけど……。はっと閃く。あれが変装だったというなら実際の仲嶋さんは女の子かもしれない。
 いやどうだろ。
 悩んでしまった。視線の種類が変わった気配にふと顔を上げれば旦那の目が予想外に優しい。
「予備はあるからしばらく君が預かっていて。時計の持ち主として、隼百君は登録済だ。……アルファ避けの機能はね、正確に言うと俺以外のアルファのフェロモンを受け付けない」

 つまり、何だ?

「旦那さん、回りくどいって言われません?」
 隼百が胡乱に見上げた相手はけれど、自分の方こそが不満だとでも言わんばかりに口を尖らせる。
「俺は旦那って名前じゃないんだけど」
「唐突だな!?」 でも、そういえば聞いてない。「……お名前を伺っても?」
「トルマリン」
「変な名前」
 即座に返した隼百に相手は喉の奥で笑う。
「酷いな。俺が珍しく名乗ったのにショック」 さほど傷ついてもいない顔。「こっちの世界の言葉に当て嵌めるとそうなるんだよ」
「はあ。で、まとめるとこの時計をつけていてもトルマリンの威圧……じゃないフェロモン? の影響は受けちゃうって事ですね」 適当に受け流す隼百だ。トルマリンは急かしてくる癖に脱線するから真面目に付き合ってると話が進まない。「なんでオレは平気なんです?」
「君が普通じゃないからだろ」
「異世界人だから?」
「さてね」
 思わせぶりに振っておいて返答はそっけない。

 ……隼百も不感症なわけじゃない。
 アルファは虎やライオンと似てると思う。
 弱肉強食のピラミッドの頂点に立つ、肉食の獣達と。

 平和な日本では猛獣に間近で遭遇する機会なんてそうそうないんだけど、隼百は昔から動物園が苦手だ。
 虎もだらけて寝そべってるだけなら可愛い猫だろう。けど何でか隼百はよく襲いかかられた。檻越しにだけど。
 どうも、獲物として認識されていたみたいなんだよな。肉とか持ってなかったんだけどなあ。

 チリチリと熱を当てたように首の後ろが痒くなって、やっぱり似てる、と思う。檻を隔ててさえ圧倒される、身が竦むあの感覚が同じ──。居心地が悪くて首をかく。目を細めるトルマリン。

「ねえ君、そうやって首を後ろを守るのってオメガだった頃の名残?」
「え?」
「……俺さあ。元々は嫌がらせになるかと君の隠蔽にも協力したんだけどね。奴の方は一向に構わないみたいなんだよ。矛盾してるだろ? 世界のことわりを歪める程に焦がれてる癖して何考えてんだか。……解らないでもないけどね。で、思ったんだけど仕返しするなら奪うってのも有りかなって」
「なにを」
 意味のわからない事を喋っているんだ、と言う前に瞬く間に距離を詰められ両方の手を包まれる。

 ?

 理解が追いつかなかった。ぎゅっと。自分より大きな手のひらはひやりと冷たい。
 覗き込んでくる薄い色の瞳に思い出す、猛獣の目。狩りの興奮と冷静さが同居した捕食者の。頭の隅っこで警告が鳴る。
 命の前に貞操の危機っぽくね?

 ──無い。自分の考えに隼百は半笑いになる。いや無いわ。いま何を考えたんだオレは。ぐるぐる混乱して硬直してるとトルマリンはフッ、と笑んで、隼百の手の甲にキスを落とす。

「ぽいのが正しいのかよ!」 まじか?「アンタ奥さんいるんだよね!?」
「うん。でもアルファは一途なオメガと違って縛りが無いんだよねえ。その気になれば番を何人も持てる。要は甲斐性次第だ」
 咄嗟にトルマリンの手をバシッと叩いて振り払った。後ろに身体を引いて逃げる。
 人の旦那と思って油断してた。どん、と軽い音。
 逃げた身体が背後に停車してる車にぶち当たったのだ。
「……ハズレがなんでここにいる」

 館長の存在忘れてた。

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