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34 治癒
しおりを挟む「本店が閉鎖されたって聞いたんだけど、マジ?」
正に開口一番。
金針は定期報告を聞く為の場に立つなりそう問い詰められて内心げんなりした。金針の名刺の肩書きは『アルファ協会日本支部代表専属秘書』だが、本人的には雑用係だと思ってる。この手の仕事の時には特に。
「どうせこっちに伝わるまでの過程で歪んだ噂なんだろうけど? ってあら。こういう質問って不敬なのかしらごめんなさいねえ。なんせ田舎者のおばさんだから都会のルールには詳しくなくって」
敬語を使う気のない女の爪には一風変わったネイルが施されている。……どこから拾ってきた噂やら。一般には公表されない情報を持ち出して来て田舎者とは聞いて呆れる。少しでも情報を引き出したい心情はわかるが。
生憎、金針は口車に乗って無礼を責め立てるだとか将又動揺するだとか素直な反応を見せる親切心は持ち合わせていない。無表情で発言を正す。
「正確には封鎖です。京都府のアルファ協会日本支部ビルの一部が立ち入り禁止区域に指定された、というだけの話ですね」
「……嫌な男。だけで済む問題じゃないでしょうに。そこ、協会の総本山よね」
「支部ですよ。日本での本拠地にはなりますが」
「はん、日本が最大派閥なんだから実質本店でしょ。つかさっきから細かいツッコミ入れてくれるけど日本支部の事だって正確に言うなら『アルファとオメガを守る為のバース協会日本支部』じゃないの」
誰もが省略する名称を態々口にして鼻で笑う。だが金針としてもこの名称はどうかと思っているので腹も立たない。
──通称アルファ協会。
アルファとオメガの名を冠しておきながらその実、協会員はベータで構成されている、改めて考えると不思議な組織だ。名も然る事ながら、在り方も。
協会の歴史は嘘と矛盾に満ちている。
余所事に思いを馳せた金針の気を惹くように、女が気球のネイルをくるりと回す。
「で、本店で何があったの? 物のついでに教えてくれると嬉しいんだけど。都会って恩恵は全然こっちに回さないのに面倒だけはどんどん寄越してくれるから田舎者としては心配なのよ」
会話するふたりの側には誰もおらず、何もない。一見すれば密室で逢い引きする男女か。だがそこに色気は無く、友好的な雰囲気も皆無だ。
「貴女は怪談は得意ですか?」
「え?」
「怖い話が苦手な方にとっては少々差し障りがある内容となります。構いませんか」
「まさかお化けでも出るって言うの」
「はい」
「嫌!? 否定して欲しくて言ったんですけど!」
「地下を繋ぐエレベーターに現れるのですが」
「聞いてないわ! 聞こえない!」
「困った事に昼夜構わず出るのです」
「聞こえないったら! 聞いてよ!」
耳を塞いでも声は届くのだろう。ここはそういう空間だ。
「贓物をまき散らしながら彷徨う幽霊」
「ヒッ」
「ソレが出没するのは昇りのエレベーターと地下駐車場との間です」
金針の台詞に相手はおそるおそる耳からネイルの指を外す。
「……降りのエレベーターには出ないの?」
「彼は降りには乗れません。結末の決まった短い時間を繰り返しているだけなので」
「繰り返すって……結末ってなによ」
「死から逃げては殺されて死ぬ。腹をえぐられて事切れては元通りに蘇る。今際の瞬間をひとりきりで、延々と繰り返している。──今も」
「……もうやだあ」
「人が駐車場を通る度に助けてくれと縋りついてくるんですよ。そのようなモノに居座られては全体の業務に支障が出る。ですから封鎖なのです」
「つかさらっと言ったけど殺人じゃないの大丈夫!?」
「大丈夫では御座いません。外聞が悪い。面倒ですが移転を計画しているところです」
「待ってよ移転の前にまず除霊でしょう? ……出来ないの?」
「解呪する予定は御座いません」
「出来るのにやらないの!?」
そこで金針は初めてフ、と笑みらしきものを見せる。
「出来ませんよ。主の意向ですから」
女は金針の返答に呆気にとられたようにしばらく沈黙して、ぼそっと呟く。
「……こっわ」
──全ては主の意向次第。
彼女にとって怪談の内容よりも、ソレが一等気味が悪い。
アルファに仕えるベータにはどうにも自分の意志というモノがない。そこには自分も従うべきアルファを前にしたら同じようになるのだろうか、とか想像してしまえる怖さがある。
「中央では何でもありですからね」
「やめて。その一言で全て済まそうとするところが雑で嫌。ほんと、都会は怖いわ」
「もしかして貴女は御自分の要件をお忘れですか」
金針は話を打ち切り、ネイルの女性を促す。
「無断欠勤」
「……」
「数日前から出勤して来ないのよ彼。今まで遅刻だってした事なかったのに。連絡を取ろうにも、電話も持たされてなかったわ……ねえ。協会って異世界人には出来る限りの厚遇をするんじゃなかったの? 扱いヒドくない?」
「ああ……彼が贅沢に感じる支給品はことごとく受け取って貰えなかったと聞いています。一般の方の感覚というのは私には解らないのですが、携帯電話は贅沢なのでしょうか?」
「必需品よ。もう」 呆れた溜息は意外に強情な調査対象に向けてなのか、さりげに皮肉ってきた金針に対してか、「心配した同僚がアパートにまで確認に向かったけど、もぬけの殻だった。いなくなるきっかけも無いし痕跡も無い。消えたの……ってやっぱりその鉄面皮、最初から知ってるんじゃない! ねえこれ報告の必要ある?」
「ありますよ。当方としてはそちら側の反応と対応を知りたい」
「都会人は怖いわ」 苛立たしげに同じ台詞を言って、女は肩を竦める。「どうもこうも、クビになるんじゃないの? 地方だからって仕事は甘くないよ」
「なんとかなりませんか?」 金針の要望は予想外だったようで、髪をかき上げるネイルの指が止まり、こちらをじっと見てくる。「席は残しておいてあげたいのです。貴女は彼とは部署こそ違いますが、根回しする位は出来ますよね」
「それは良いけど。彼、戻ってくるの? ……戻ってこられるの?」
「どうでしょう」
「ちょっと」
「わからないからこそ、帰る場所は必要でしょう。選択肢は多く残しておいた方が良い」
「そんなの」 女は思わず、といった風に笑う。「一介の女子社員に頼むより、偉い人の鶴の一声が効果的じゃありません? 秘書さんがウチのオーナーにでも要請すれば良い。こんな職場、権力でどうにでもなりますわ」
「いえ。上から命令されるより同僚から懇願された方が当人も居心地が良いじゃないですか。最近は周囲との関係も良好だったようですし」
「……意外に細やかな気遣いをするのね」
「職業柄です」
「ふううん。協会のお偉いさんって、もしかして暇? これ他の異世界人達も同じように素行調査してるって説明受けたけど、本当かしらねえ? だって本店の秘書さん自ら、手間かけて気遣って。生活に不自由は無いか、誰と親しいか、好きな物は何か。……おかしくない? こんなの単なる異世界人の監視のレベルじゃないわよ。何人いると思ってんのよ異世界人。千人? 万人だっけ? いっくらベータが召喚されたのが異例だからって、たかがベータ……あっそう。答えないのね。あとさあ」
今日は虫の居所が悪いようだ。どんどんガラが悪くなる。なるほど、と金針は感心する。『行方不明を心配している同僚』がいるそうだが……彼女も同じか。それだけ一般市民に溶け込み、受け容れられた異世界人も珍しい。
気球柄のネイルがすいっと上を向いて空を指す。
「どうせバレてるだろうからぶっちゃける。海賊と繋がる私をハズレのベータの見守り役に選んだのは何故?」
女は腕を組んで金針を睨んでいる。
金針は表情を動かさない。
「……そうですね。お察しの通り、対面する方の経歴程度は把握しております。惠崎様の事も。学生時代に東海一の伝説のスケバンとまで称えられた経験と人脈を生かしママ友」
「私が悪かったわ! ごめんなさい黒歴史を聞かせないで! つかそこまで知ってて選ぶ!? もっと身元しっかりした人を使えば!?」
「身元など」 無表情のまま喉の奥で笑う金針だ。「どれほど確かでも無意味なものですよ。信仰は身元でわかりません」
「信仰って……唐突ね。アルファ協会の事? 悪いけど私は爲永さんの信者じゃない」
「だからこそ、です」 金針はそこで初めて表情を崩した。苦笑いだ。「アルファ協会は協会。宗教の教会ではないのに失念されている方は多いですよね。貴女は何かの信者ではないと解っているだけでも貴重です。私共の立場から信頼できる市民を選別するのは難しい」
「あー少しわかるわ。知り合いにもいるけどアルファさんの信者って厄介よね。そこは同情する。ベータ教徒も厄介だし、そりゃ目に隈も出来るわよねってふざけないで! 普通なら海賊より、変わった信仰の一般人がマシって考えるわよ白々しい。だいたい報告させる体でわざとウチに情報を渡すような真似してさあ。海賊とのパイプ役が御所望なら最初から素直に依頼して欲しいんですけど? 過度な期待も困るわ。こっちはメンバーとたまに会って遊ぶ程度なんだから。何も知らないわよ」
「そのようですね」
「なんなの、そのようですねってああっ!」
「急に叫ばないで下さいますか」
「まさか藤崎さんって今、船にいるの!?」
「……女の方はそうやってすぐ直感だけで決めつけますね」
「呆れてるけど否定しないなら正解じゃないの」
金針はそれには答えず、
「惠崎様を選んだ理由は存じません」
「はあ?」
「主が何を考えているのかを考えるのは私の仕事ではないので」
「……ハ。わからないんですボクー、ってか。ま、いいわ。無事なら」
鼻で笑う気球ネイルは言い逃げとばかりに『通話』を切る。
女の姿は瞬く間にかき消え、残されたのは金針と、ぽっかりと何もない空間。
金針も接続を切った。
真っ白な仮想空間の代わりに眼前に現れたのは高層ビルの展望。
ガラス越しの夜景を背後に、人影がひとつ。男が面白くもなさそうに外を眺めている。
彼の視線の先は地上の夜景ではなく上空。
何も映していない黒の空。
この部屋の主で、金針の主のアルファ。部屋どころかこのビルのオーナーか。付け加えるなら世界で最も影響力のある協会のトップに立つ人物。
実像を知らない民衆からは親しみを込めて『アルファさん』などと呼ばれているが、そう可愛いものではなく、アルファらしいアルファだ。
アルファ協会日本支部代表 爲永晶虎
空想の産物でしかなかった召喚を実現させ、尚且つ『事業』として始めたのがアルファ協会──というのは建前で、元々は爲永ひとりの意志で断行された。『協会の私物化』『狂った所業』『愚行』『乱心』『無謀』『暴挙』 様々な反対と雑音をアルファのカリスマで黙らせ押し切った。
ベータはアルファの元で団結し、力を発揮する。通常なら絶対に強力し合うことのない国際組織をも纏め上げ、協会の膨大な資金を食い潰し頓挫するだろうと悲観された妄想を実現させてしまったのは皮肉な話、彼が当時実存していた唯一のアルファだったからだ。
──あれだけの求心力の発現はきっと人類史上、後にも先にもない。
最初にアルファが召喚された時、人々は歓喜したがそれは主の求めていた者ではなかった。
だから繰り返した。
そのうちアルファが増え、オメガが増え、運命の番達が持ってきた多様な異世界の技術を取り込み世界は発展していった。──端から見れば華々しい成功は、けれど主にとっては失敗だ。いくら召喚を繰り返しても目的の者を手繰り寄せる事が出来ない。事業として軌道に乗ってから十年と少し。今では召喚は当たり前のものとして存在するが、嫌悪感もなく受け容れられるにはまだ短い。それに長い歴史と伝統を誇る協会にとっては十年も瞬きの間のようなものだ。にも関わらず現在この業務は教会の枢要を担っている。今では召喚と言えば協会。協会と言えば召喚。
もう切って離せない。
「お待たせしました」 別に待ってないのは知ってるが席を外した事を詫びる。「密談には最適ですが、この通話はあまりやりたくはありませんね」
外の闇から離れた視線が金針を向く。何故だと目で問われ、金針は肩を竦める。
「貴方から目を離さなければならない点がいただけない」
──ここは彼のホームだが、主の側はどこであろうと安全ではない。
爲永にはアルファさんの他にも『始祖』『純血』など通り名が幾多あるが、本名で呼ばれる事は少ない。爲永に傾倒する者達ほどその傾向は顕著だ。
金針としては異世界人の血が混ざってない、という意味で使われる『純血』呼びが特に嫌いだ。主を純血と褒めそやす人間はすべからく金針のブラックリストに入る。純世界産などという馬鹿馬鹿しいレッテルは馬鹿馬鹿しい程に強力で、そもそも『アルファさん』の呼称を広めた輩の思惑も彼以外は──異世界から来たアルファはアルファと認めない、というゼノフォビア。
異世界からのアルファ達は最初こそ熱望され歓迎されたけれど、一人一人の影響力が桁外れだった為にその増加と共にどうしても反発する者が増えていった。
主人以外の他人の主張など金針にはどうでも良いが、実害がある場合は別だ。狂信者も名誉アルファもゼノフォビアも地下組織のベータ教も、纏めて滅びろと思う。
至高の存在と持ちあげられながら、四方八方敵ばかりなのが今の爲永の実状だ。
……上下左右が敵、とも言うか。金針もつい夜の空を眺めてしまう。
救ってくれるわけでもないのに。
「盾にもならんベータがよく言う」 声に我に返れば、主は金針を見据えていた。「お前の目があろうが無かろうが、何も変わらん」
「……勿論、私が代表を守るのなんて、不可能ですよ。私が危惧しているのは加減が出来ない代表の方です。今の貴方は目を離した隙に襲撃でもあれば相手を皆殺しにしかねない。それでは遺恨が残ります。人が地道に不穏分子を洗い出して争いの火種を消している時に、ですね」 爲永の視線が金針からすいっと逸らされた。この話題に分が悪いという自覚はあるらしい。いつになく解りやすい──。金針の脳裏に一抹の不安が過る。「……まさかもう終わった後なのですか?」
金針の問いに、爲永は素知らぬ顔で肩を竦める。
「お前が何を言っているのかわからん」
この短時間で。争った痕跡は無い。無いが、安心出来ない。最近、主は次元の狭間に邪魔なモノを捨てる事を覚えた。
例の地下の蘇る死体こそ、いい加減異次元にポイして忘れ去って欲しいところだがアレはいまだ許す気は無いらしい。
いや終わった亡霊の事はどうでも良い。……近頃蚊のごとく周囲をウロチョロしていた刺客は『アルファさんの側から臣下が離れた時』を好機と見るだろうか? 嫌な想像をしてしまう。この主なら隙をワザと作ってカモを誘き寄せるぐらいは……考えまい。
「まあ良いです。この通信でリスクがあるのはこちら側だけですし、貴方の気が済むのなら」
「……」
見守り役との連絡に関しては痕跡を残さないよう、細心の注意を払っている。これはあちら側への配慮だ。どうせ襲撃があっても主は自身を守れる。けれど隠した存在が敵対勢力に漏れる──それだけは避けねばならない。
どのみち主の指示である以上、金針は従うしかないが。
「ところでいつもお待ちかねの惠崎様からの定期ですよ。お聞きにならないのですか?」
「いらん」
「でしょうね」
「……」
視線が金針に戻される。睨まれたわけだが、反応があるだけマシだ。金針の主はこのところずっと上の空だ。
「調査対象が不在な為、今回の報告に中身は御座いません。……それにしても、まさかここに『暫定候補』が連れて来られたのは予想外でしたよね。はからずも対面したわけですが、実際のところ、代表はどうなのですか?」
威圧の気配が強まる。並のベータなら腰が抜けているだろうが、金針は慣れている。じっと待っていると主が根負けして軽く息をつく。
「お前は何が聞きたい」
「貴方の直感を。何か感じましたか?」
──あれは本当に貴方の番ですか?
爲永は鼻で笑う。
「直感? 無いな」
「……」
「全く、何ひとつ感じなかった。……失望したか? アレは正に、ハズレのベータだよ」
「そうですか」
返答と共に思わず溜息を吐いてしまう金針だ。
答えは聞かなくても知っている。
千の言葉より、主の行動が全て雄弁に示しているのだから。
天邪鬼な主から強く否定されて、金針はより強く確信した。
アタリだ。
ベータなのか。
それも、死にかけの。
漏れそうになった溜息を今度は押し殺す。
爲永は過去に一度だけ過ちを冒した。
──邂逅した運命を見殺しにした。
当時、主はまだ中学生だった。
一生分の咎を背負うには若すぎる歳だ。
世界はたったの四半世紀で劇的に様変わりした。
金針がまだ正式に爲永の臣下ではなかった。そんな、遠いような最近のようにも感じる昔。召喚はただの絵空事だったし、『運命の番』も都市伝説だった。主の側近として侍っていたのは尊き血を持つ、プライドだけが高い技量も思量も足らない子供達。
名家のしきたりは厳格で独特で、本家の男子だろうが血が濃かろうが、アルファでなければ臣下に落とされる。おかげで今代はアルファ側近の席が身分順に埋まってしまい、元々臣下教育を受けていた金針が遠ざけられたという珍事に陥ったわけだが。
問題の根源は『アルファの絶滅』
アルファの減少はそもそも原因不明の世界的な現象で、深刻な社会問題だった。
そうであっても代々アルファを輩出してきた名家において、分家含めひとりしかアルファがいないのは「あってはならない」事態なのだそうだ。
黴臭く澱んだ空気が漂う本家の屋敷には「あってはならない」を連呼する大人が多く居た。実際起こっているものを否定しても意味がないだろうと金針は思うのだが、ここまで酷い事態になれば昔ならとっくにお家取り潰しになっているのだとか。では、あってはならないものにどう対処するかと思えば……隠した。『能力がある血族ならアルファとして扱う』特例が取り入れられたのはいつだったか。俗に言う名誉アルファだ。
伝統遵守の旧家が下つ方の風靡を真似た時点で終焉だったのだろう。あの家の醜聞が公になる事はなかったけれど。世間は旧家のお家騒動など気に留める余裕は無かったし、似たようなごまかしはその辺にごまんと転がっていた。
ともかくも、そういった状況の中でアルファとして発現した爲永晶虎は『恵まれた』子供だった。彼は当時確認出来た唯一の本物のアルファだったが故に、周囲から歪な期待と嫉妬と信仰を一身に受けて育った。
痛ましい事件に遭遇したのは彼が中学二年生。新年度で増えた鬱陶しい取り巻きを撒いて、ひとりで下校していた時だ。
当時は狩りと称して集団でオメガを暴行する行為が多発していた。
彼がオメガを見たのは初めてだったと思う。
唯一のアルファに会わせる人間は厳重に管理されていたし、そもそもオメガはアルファよりも先に絶滅寸前だった。
果たしてそれが『邂逅』と呼べるものなのか、金針には解らない。──邂逅だとか出逢ったなどと言い表してみれば美しくなるが、事実は通りすがりの赤の他人だ。
可哀想なオメガの話はいつか忘れ去られていく類いの不幸だ。
それが運命の番でさえなかったならば。
アルファという生き物は支配される事を嫌う。
たとえその相手が自分自身であっても、だ。彼らは自身の本能の衝動を嫌う。だから本能を狂わすオメガを嫌う。オメガがアルファを堕落させると信じられていた時代は長く、安易に本能に従わず理性的に行動する事こそが支配者としての最善とされてきた。
今では別の考え方が主流だが。
瀕死のオメガに気付きながらも騒ぎを無視して立ち去ったのは支配者が瑣事に関わるべきではないという教育の成果か、それとも運命に抗いたかったのか、オメガへの嫌悪か。……いや少なくとも主自身は純血主義ではなかったし、オメガ嫌悪も無かった筈だ。アルファと判明したが為に末端の傍系から秘密裏に引き取られ、養子ではなく本家の実子とされ肉親との繋がりを抹消された子だ。特権階級にしがみ付き、オメガを憎悪する血族の醜悪さを間近で見た少年が、馬鹿な見本を真似る訳がない。──それは金針の根拠だし主の心境を慮るのは烏滸がましいが、大きく外してはいないと思う。
周囲から重責を受け続けていた事は無関係ではない。
とにかく金針はその日の主が取った行動だけを聞いて知っている。
暴行を受けている瀕死のオメガを一度は見捨てて立ち去ったが、即座に戻ってきた。
けれど彼のオメガは事切れていた。
当人ではない金針に彼の本当の心境は解らない。
彼が金針の主になったのはその後だ。
あの事件の後から主は変わった。
目的の障害になるというだけの理由で本家を潰した。私怨ですらなかったのにはいっそ笑えるが、逆に使えそうだからという理由で協会を牛耳った。
それらは始まりに過ぎない。
正直なところ、ずっと側で見ていても信じられない。この冷徹な主のどこにそんな執着が隠れているのだろう。全ては冥府に逃げた運命の番と『再会』する為に。
自然の摂理を捻じ曲げ、可能性を手繰り寄せた。
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叶えたのだ。あり得なくて馬鹿げた望みを。
たかだがオメガひとり。思い出のひとつすら持っていない。その取るに足らない存在の死が、生が、これほどまでにアルファの人生を狂わせるのか、そのアルファが巻き込む多くの人々の人生を狂わせていったのか、金針は皮肉な気分になる。誰も想像出来なかっただろう。
そういう意味で『運命の番』は正に運命だった。
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目的を見失って無気力になったようにも見える。長年の目標に辿り着き、一応の気が済んでしまったのか。いくらなんでもベータの中年はいらないのか。
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「ふふ。彼の地に預けるのは彼にとっては良策でしょうね。海賊は私達にとって敵ですが、いちばんマシな敵だ」 救える方法が他に無いのならば──あそこには唯一無二の治癒者がいる。「貴方にとっては愚策でしかないですがね」
恐れているのだと思う。
過去に自身が行った仕打ちからも、性格的にも。
このアルファは守るだなんて言葉は絶対に言わない。
──言えない。けれど、
あそこは世界で一番安全な場所だ。
────────────────
プロローグに出て来た脇の人が登場です。メインの人もか。
あと隼百さんの姓は藤崎です。報告役の女性は隼百の喫煙仲間で、円さんの数少ないママ友。世界は狭い、と言うかそこは人事に手を回せる雲上人の意図が介入していたようです。館長の存在は雲上人の想定外。
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