絶滅危惧種オメガと異世界アルファ

さこ

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アルファとオメガのはなし

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 ──アルファとは支配者のことだ。


 人と動物を分ける境界線とはなにか。

 優れた頭脳があること。会話ができること。二足歩行ができること。
 区切りはいくつかあるけれど、代表的なもののひとつに『性別』がある。
 他の動物と違い人間は雌雄の他に3種類の性──バースで区別される。
 すなわち、アルファ、ベータに、オメガ。

 マジョリティーはベータであり、アルファとオメガはベータに比べて生まれてくる割合が少ない。
 最盛期でアルファとオメガを合わせて人口の一割程度。
 ただ人数で他を凌駕するベータだが、特徴はそれだけとも言える。能力は平均値、というのがベータの特徴だ。書物でベータはよく羊に例えられる。烏合の衆は覇者にはなりえず、彼らはアルファを崇拝する。

 アルファは頭脳運動能力共に優れ、なにより圧倒的カリスマで他バースを従える。
 更に、男女の性別を越えてオメガをはらませることが出来る。
 バースを端から見分けるのは簡単で、正に完全無敵な人間がいたらそれはアルファだ。
 完璧なアルファはけれど、ある側面でだけは完璧とはほど遠い動物に成り下がる。

 オメガのせいで。

 オメガの最大の特徴と言われてるものが発情期ヒートだ。人なのに発情期を持つことからオメガは古往今来、侮蔑の対象とされてきた。
 どうしてオメガには動物に退化したような本能があるのか──そのフェロモンは雌として、アルファだけを強烈に誘惑する。
 発情したオメガを前にするとアルファの『優秀な知性』はまるで意味を成さない。
 理性を失くしてオメガに群がるアルファの姿は控えめに言って、みにくい。
 本能にあらがうことは難しく、普段見下すだけのカースト最下位のフェロモンに逆らえないその無様さはプライドの高いアルファにとって、耐えがたい屈辱だった。

 彼らの鬱屈は、だから強いオメガ差別という形に繋がっていった。

 それが、


 ──それまでの「常識」が変わったきっかけは画期的な新薬の登場だった。

 オメガのヒートを無くす薬が発明されたのだ。
 その薬はオメガの体質を変える。

 発情期(ヒート)はオメガ当人にとっても厄介なモノだ。
 それは至極当然の事で、人には知性と理性があるのだ。
 ヒートは理性を壊すし、動物のようにところ構わず盛ってみてもその後に必ず我に返る。いくら淫猥なオメガとは言え平気でいられるわけではないのだ。けれど発情期は周期的にやって来る。ヒートが来てしまえば他のことがまるきり手に付かなくなるから彼らはろくな職にもつけない。

 だからオメガは自らのヒートを忌避する。必死に管理しようとする。
 でもその方法は限られていた。
 パートナーがいないオメガはヒートが来る度にじっと家に引き籠もり、誰とも会わないように、誰にも迷惑をかけないよう、祈って耐えて過ごすか、抑制剤を使ってヒートを抑えるしか出来る策は無かった。しかも抑制剤には辛い副作用がある。
 
 それがたった数回の投薬でヒートがなくなるのだ。
 去勢でもないのに二度と発情しなくなる。受胎できる身体の機能は残してヒートだけが消え去るというのは女性オメガであればありがたく、ベータと同じに──ふつうになれる、夢のような薬にオメガたちは飛びついた。

 それは一体、誰にとっての必然だったのか。

 新薬としてソレは異様な早さで国から認可された。
 安全性も不確かなうちに保険の適用対象になり、瞬く間に大量生産された。薬販売の特例が適用された新薬は全てが異例で大手企業のスポンサーがつき、大規模な広告が打ち出され、世に出てからのほんの数年でその新薬は収入の少ないオメガでも簡単に手に入る薬となった。
 それこそコンビニで投薬キットが手に入る手軽なお薬として定着したのだ。
 そして──薬がそれこそ世界中に浸透しきった頃、当初から懸念はされていた問題が表面化する。

 新薬を使ったオメガが総じて早世した。

 認可を急ぎすぎた薬に遅効性の副作用があったのか、はたまた本能を無理矢理捻じ曲げた結果なのか。
 わかったのは投薬後のオメガは、数年から十数年で命を落とすということ。

 少しだけ、問題になった。
 組織的な殺人ではないのかという疑問の声がぽつぽつと上がった。
 けれど大きな騒ぎにはならなかった。
 当のオメガが不満の声を上げなかったからだ。
 ひどい発情期のインパクトにまぎれて見逃されがちだが、基本的にオメガの性分は清廉でおとなしい。争わない。こういうときでも彼らの性質は変わらなかった。
 ひとつ世間に不思議がられたことは、それでも薬を使おうとするオメガが後を絶たなかったことだったけど。

 だからまだその時点では大きな問題ではなかったのだ。
 ひっそりとオメガが消えていっただけ。予期せぬ事態が起こったのはその後。

 ──アルファが生まれなくなった。


 消えていくのはオメガだったはずだ。その方が誰の為にも良かったんだと思う。なのに、先にいなくなったのはアルファの方だった。


 クラスに数人いたアルファが1学年に数人に減った。
 そのうち学校に1人いるかいないかまでの数に減り、それがひとつの都市に数人に、という具合に。徐々に、確実に。
 出生率の低下だけではない。当時のアルファの多くが短命だった。
 結果だけを聞くとオメガと同じだ。けれど内実はまるで違っていた。──それが問題をややこしく深刻にした。

 アルファの性格は唯我独尊。カースト上位ゆえに、傲慢だ。
『アルファに人の気持ちはわからない』とは昔からよく使われる言葉だ。
 元から下位のバースと衝突するケースはあったのだ。
 けど、どういうわけか、その頃からアルファと周囲との軋轢がひどくなった。
 ベータはアルファに心酔し付き従うものだ。それが反発するようになった。
 具体的になにがあったかと言えば『パワハラに疲弊したベータによるアルファの殺害』といった事件が多発するようになった。以前までは全く聞かなかった諍いだ。
 けど実際にアルファを減らした要因はそれだけではなく、様々だった。
 ほんとうに、様々。
 病気ならば医療で治療できる。けれどノイローゼや自殺など、精神的に病んで衰弱していく者の治療はこの文明は不得意だ。
 アルファの急激な減少はオメガの時とは違い、はっきりとした原因が無いことがただただ不気味だった。原因がわからないまま、ひとりひとり、狂って消えていくのだ。
 ──後ろめたさもあったのだろう。
 だから常ならば馬鹿らしいと笑い飛ばされるはずの噂が真実味をもって語られたのだ。

 ──アルファの死は虐げられたオメガたちの呪いだ──

 ところで「魔女狩り」は中世だけの話ではない。
 あの手の集団狂気が非科学的で野蛮な時代ゆえの暴挙だった、
 なんていう考えは平和ボケでしかない。
 科学が発達しようとも文明が潤っていようと、人が人である以上、
 きっかけさえあれば、現代だろうと未来だろうと悲劇は起こりうる。
 現に、数十年前にそれは起こった。

 オメガが数を減らした時には傍観者だった人々は「アルファがいなくなる」という未曾有の事態にパニックを起こした。
 それはそうだ。今の文明があるのはほとんどがアルファの力であり、アルファ無しではその文明の維持すら危うい。
 アルファはこの世界に必要不可欠な存在なのだ。

 わずかに残っていたオメガ達はアルファを「殺した」罪で私刑の対象となり、無残に殺され、更に激減していった。
 そして、そこまでしても……当然のことだけれど、いなくなったアルファ達が戻ってくることはなかった。


 残されたのは、歴史に残る愚行の記録と、近い将来ベータだけになるだろうと予想される世界だ。




 ──というのが歴史の本で習う近代の出来事だ。
 ぶっちゃけ俺はこの話題に関心がない。
 自分ひとりでも生活するのに支障はないし、文明が後退して、この先もし不治の病になったとしても本当は治せた筈なのになどと往生際悪く足掻いたりはしないだろうし。



「食べる気あるのかよ?」焦れた声がかけられて我に返る。「マズイか? 食欲無いのか?」
「あ。食べるの忘れてた」
「トリップしてただけかよ」
 仲嶋はなんだか気が抜けたみたいな息をつく。
 だけ?
 少し考えてから納得する。
「ああ心配してくれたんだ」
「お前さあ……俺でも居心地悪いんだけど。この周りからの指すような視線は気にならねーの?」
「いつものことだからな。つかもうこんな時間じゃん」気づけば友人はすっかり食べ終わってる。いつの間にうどん定食のトレーも片付けたのか……ソフトクリームを握っている。「どっちが神経太いんだよ。仕事戻らなくていいのか? 仲嶋、いま忙しかったよな」
 すると嫌そうな顔。
「昼ぐらいゆっくりさせろよ。それ言うならお前だって仕事だろが」
「俺は特別だから」
「へえ? 珍しく不遜な台詞だな。なんだ自分は選ばれたアピールか?」
「ふそんって何が?」
「……まあそういう奴だよな」面白そうだった仲嶋は、何か急に興味をなくす。「はぁ。ずっと休憩してたい」
「さっさと行けばいいのに」
「お前冷たいな!」
 もー機嫌悪い。
「俺は普通だよ。おかしいのは仲嶋の方だろ。いつもは食べ終わったらすぐに外回りに行くのにぐずぐずしてるし」
 冷静に返したのが神経を逆撫でしたっぽい。
「けっ」盛大に拗ねた。「俺はわざわざ和むために昼飯に帰ってきてるんだよ。もっと俺をいたわれ! こう見えてちゃんと働いてるんだよ」
「仲嶋が有能なのは知ってるけど」
「んあ?」
 こいつの営業成績はトップクラス。精鋭揃いの我が社の中でも勝ち組のエリートなのだ。
 そもそもここの社員は俺以外の皆優秀だ。
 誰でも名前を知っている一流企業。本来の実力ではとても入社できないところに籍を置かせてもらっている。
「でも見た目と雰囲気が軽薄だろ」
「ひど!」
「だから新規の客に舐められるし」
「あ? なんだ? もっと真面目にしろって説教か? なんか楽しくなってきたわ。もっとやれ」
「え? 説教しないよ。なにも変える必要ないだろ」
「は?」
 めっちゃ不審そうに見られる。
「だって仲嶋、あと数日で契約取れるんだろ? 初対面では印象悪い分、最後にはぜったい相手の信頼勝ち取るもんな。俺が言いたいのは、こういう追い込みの時の八つ当たりが迷惑ってだけで」
「……。ずいぶん、見てきたかのように語ってくれるなあ。俺の仕事内容なんてロクに知らないくせに」
「確かに知らないな」オメガが信用されることはない。ここに勤めてからそれなりに経つけれど、未だにこの会社の業務内容をよく知らない。「けど仲嶋はわかりやすいから」
「なにがだよ」
 自覚ないのか? ないのか。
「仲嶋、お前契約取れそうな時ほど機嫌悪くなるんだよ。だからいま調子良くて大詰めなんだってわかる。まぁ静かに見守ろうと思わないでもないんだけど。お前絡んでくるから面倒で」
「待て待て待て。そもそも俺、わかりやすいなんて言われたことないぜ? なんでお前がそんなの、」
「見てればわかるだろ?」首をかしげる。特に仲嶋はいつも昼に顔を突き合わせているから浮き沈みはわかりやすい。「仲嶋は変わってるよな。行き詰まって駄目な時の方が機嫌良さげにヘラヘラしてるっていう。屈折してて面白いけど」
 だから不機嫌な仲嶋を下手に構うだけ損なのだ。学んだ。凹んでいるのかと心配したって後日しれっと社に戻ってくる仲嶋は社内の空気を一気に沸き立たせる。で大口契約を勝ち取ったんだとわかる。そんな経験が何度かある。
 つまり、セクハラ発言が増え出すと契約が取れる予兆っていう。
 ほんと迷惑な。
「あー、そ」首を振ってから頭をガシガシ掻きつつ、仲嶋は今日はじめて皮肉ではない笑みをみせる。「ありがと」
「いや。ねぎらったり褒めた覚えはないよね」
「ちゃんと俺を見ててくれたのが嬉しいんだよ」
「そうか?」
 ……まあ、浮上したみたいだからいいか。
「男たぶらかしてんじゃねーよ」
 不覚にもびくっとした。

 女の人の声ってのは俺と違って華やかだ。なのでドスの利いた低音でぼそっとつぶやかれるとギャップに背筋が凍る。振り返れない。

 背後の席からガタガタと椅子を引く音。複数の人が立ち上がった気配。

「はあ。今日は何時に帰れるんだろ」
「うらやましいよね。楽な仕事の人が」
「ほんとだよねえ。みんなが必死に働いた分の給料を無能な人間に消費されてるって思うとやってらんないんだけど」
「無能も何も、仕事なんてしてないんでしょ」
「まじで。ふざけんなし」
「せめて風紀は乱さんでほしいわ」
「あの社長さあ、知ってる? 取引先相手に合法的に愛人雇ったとか自慢してんの」
「きも」
 この世の不平不満を喋りつつ、彼女たちは去って行った。

 しんと静まりかえった食堂で、そうっと息を吐いてから仲嶋が言う。
「少しは言い返せよ。一応男だろーが、情けない」
「え。男だから怖いんだろう」
「あぁ……」
「で、仲嶋は友人をまったく庇わないのが男らしいとでも?」
「ハハハハハ!」
「ハハハ」
 双方で乾いた笑い。
「ふざけんなよ女子に逆らうとか俺は御免だね! 恐ろしい」
「仲嶋すごいな、堂々と情けないのが逆に男らしく見えるよ。まあ同感だけど」
「だろが」
「でもちょっとわくわくした」
「ハァ!? なんで!?」
「だって俺普段、他の社員さんと接する機会ないからこういうの新鮮で」
「いや全然接してないよな? あいつら直接、話しかけてもこなかったし!? だから怖いんだけどね!?」
「うん。でも遠巻きにされるのは慣れてるし。むしろ近くに座ってくれただけで有難いんだよね」
「……照れながら言う台詞か」どっと疲れたような顔をする。「あー……しかし席が近くで嬉しんだよねとか紙一重で変質者だよな? なのにそう聞こえないところが美人は得だな」
「……」
「って無視すんなー? お前美人って褒めるとすぐ無視するの悪い癖だぞ?」
「だってそう言われても嬉しくないし。容姿で得した事無いんだよ」
「えごめん。そんなにストレートに嫌がるのは予想外だわ」
「だってこれだぜ?」
 肩をすくめて後ろの席を指す。

 昼時の食堂は人でごった返していて騒がしい。入れ代わり立ち代わり、空いた席にはすぐ次の人が陣取る椅子取りゲーム状態だ。
 けど件の女性陣が去った席はまだぽっかりと空いたままだ。

 注意して見れていればわかるが、俺たちから近い席に座っているのは女子だけだ。通路に立って席を探してる男性はいるが、ここら一辺はまるで見えていないかのように近づいてこない。
 仲嶋はへらりと笑う。
「あァ。普段は呪いヤダコワーイなんて怯えてる女子の方が強いってことだよなあ。座りたいだけあって肝が座ってるわ」
「駄洒落寒くない?」
「うるせえよ」
「……男は俺のフェロモンが怖いんだと思うよ」
「へえ」仲嶋はわらって周囲をながめる。「おもしろいな。あいつらは自分がアルファだと信じてるってことか? ベータはオメガのフェロモンには惑わされないってのは小学校で習うだろが」
「ああそっか……自分がアルファかもしれないって可能性を考えるのか……なるほど」
「ちょっと待て納得すんな嫌味だ嫌味。ベータの男がアホなだけだ」
「でもほら、仲嶋が言うみたいに皆がバース検査を受けていないんなら可能性は残ってるよ。実際ここの人たちは優秀だし」
「わかってるよ。自分がアルファじゃないってことは皆、よくわかってる」
 なぜ?
「……そっか」
 思いのほか苦いものの混じった言葉にそれ以上は聞けなくなる。
「ま、真実がどうとかは関係ないんだよな。いくら影響を受けないと聞かされてたって世の男共はオメガのフェロモンを嫌悪してるし、警戒してる。困ったもんだね」
 そして、いくら科学的に否定されようとも『オメガの呪い』は一部でまだ信じられている。
「……つかそれ言ったら仲嶋は自分も男だってのを忘れてないか?」
 警戒してないじゃん。
「忘れるわけないだろー? 俺だって下心がなけりゃオメガなんかと飯友になろうとは思わないもん」
「はいはい。手札はあっさりとバラさない方が良いぞ」
「鼻先であしらうなよー」
「下心ってどんな?」
「当人は知らないよな、教えてやろう!」
「ありがとう?」
「ほら、いまアルファとオメガのドラマが人気だろ? お前観たことあるか? 運命の恋人」
「……安直なタイトルだよな」
 アルファとオメガを題材にした恋愛ドラマだ。
「わかりやすく顰めっ面だな。そうか、視てないんだな」
「一度もね」
 そんな自分でも大筋を知っている程度には有名なドラマだ。
 歴代視聴率が何番目だとかなんとかかんとか。
「ドラマの影響力ってのは馬鹿にならないぜ? お前、最近テレビの出演依頼が多くて不思議にならないか?」
 その台詞に首をかしげる。
「ドラマ見る人はベータなのにあの主人公はアルファとオメガだろ? なんで自分と関係ないバースのドラマ見て楽しいんだ? 俺はそっちが不思議でしょうがない」
 ベータだからだよ。と仲嶋が笑う。
「ベータはさ、オメガへの差別をしつこくしている反面、同じぐらいオメガの事が気になってるんだよ。自分から関わる気はない癖して皆、興味津々なの。特集番組が多いのは、慈善事業ってばかりじゃない。視聴率を稼げるからだ。けど最近年々オメガに対する情報規制は厳しくなってるからな。皆さん、噂のネタに飢えている」
「それがどうして仲嶋の下心に繋がるんだ?」
「わかってないな。オメガのダチがいるってだけで良いネタになるし、それが商談に繋がるんだよ」
「……えー?」
 ないだろ。
「ライバルに差をつけるには地道な一歩からだよ」ふふんとなぜか自慢げに胸を張る仲嶋だ。「ま、その後は俺の腕次第だがな」
「努力は買うけど……。仲嶋はえらいよな」
「嫌味じゃないから対処に困るわ」
「うん?」
「気にするな。そういうわけで、俺は多少休憩が伸びてもお前が話題を提供してくれさえすれば大丈夫だ!」
 話つなげてきた。
「俺なんか叩いても出るものは何もないよ」
「いや、あるから。いろいろあるから。だいたいお前なんの仕事してるんだ?」
「そこ?」
「だって気になるもん。うちにオメガが入社したって話は有名だけど、実際お前が何をやっているのかを知っている奴はいない。だいたい俺は昼の時間も不規則だろ。なのにお前、全部合わせてくるしさ」
「……そりゃ、飯はぼっちよりも誰かと一緒の方がおいしいし」
 仲嶋とはランチを一緒しないかと誘われたのが最初だ。
 入社して以来、一人も声をかけてこない中でその行動はとても珍しかった。
 仲嶋は下心があったからだと自己申告したけど、下心なしに自分に声をかけてくる人間はいない。
「誘っておいてアレだけど、お前の仕事に支障はないのか、前から疑問だったんだよな」

 まあ──この会社で休憩時間を自分の好きに使える社員は俺の他にいないんじゃないかと思う。
 ランチトレーを持ってふらふら彷徨さまよう社員の目にはだいたい隈がある。皆、忙しいのだ。

「問題ないよ。俺の仕事はディスプレーだから」
 仲嶋は首を傾けてディスプレー? と口の中でつぶやく。
「デザイナーだったのか」
「違う。俺が飾られてるんだよ」
 言うと仲嶋がぽかんとする。
「お飾りって意味で? えー、と……お茶汲みとか?」
「そんな仕事はやらない」
「あ、だよなあ。悪い、流石に馬鹿にしすぎてたわ。一昔前の女子じゃあるまいし」
「ガラスケース越しだからお茶汲みは出来ないんだ」
「……あー?」頭痛をこらえるようにこめかみを押さえる。「悪い、ちょっと、言ってる意味がわからない」
 リアクションをみる限り、薄々気がついてるみたいだけど。
「最近社長室が改装されたのは知ってるか? 中に仕切り作って、今は特別室が作られてるんだ。俺が待機してるのはそこ」
「いきなりなん」
「そういう部屋をぽんって作っちゃうところはさすが大企業だと思うよ。刑事物の取り調べのシーンでよくあるだろ? ガラスがマジックミラーになっていて、向こうからこっちは見えてるけどこっちからは鏡になってるやつ」
「……あぁ」
 説明している内に仲嶋の眉間に縦皺が寄ってくる。
「万が一、間違いがあるといけないから隔離されてんだよ。客と対面でお茶を出すなんてもってのほかだな」
「なんだその扱い」
「観賞用? おさわり禁止なんです」笑ってやるとまだ仲嶋が微妙な顔をしているので付け加える。「本当に、俺は居るだけで良いんだよね。基本座ってるだけ」
「居るだけって──あぁ」急に腑に落ちた表情でつぶやく仲嶋。「上の思惑はうちのトップがアルファと匂わす事か。……オメガを従えるのはアルファだから。雇ってるってだけで証明書変わりになる。確かに居るだけでお前の存在は価値がある、か。けど、なんか……なんだそれ」
「仲嶋の言う価値の実感はないけどまあ、おかげで俺、引く手数多てあまただよ」
 そういうわけだから真面目に働いている彼女らの苛立ちも罵りも、納得しかない。もしクビになっても俺は他でいくらでも再就職ができる。
「あー……」言葉を選ぶ気配。「何とも言えん」
「恵まれているだろ?」
 多くの人は今のオメガは恵まれてるのだから皆に感謝しなさいと諭してくる。就職したくてもできない人もいるのに、俺は本当は働くまねごとをする必要だってない。
「まさか!? なんのホラーだよ流石に同情するわ……こっわ!」
 哀れむように言われた。俺を見下してるつもりなのだろうけど。
「仲嶋のそういうところが好きなんだよね」
「ぶはっ」
 コップの水を吹き出すとか、なかなか古風なリアクション。
「がぼっ、」
 なにか返事をしてくれているが、ゲホゴホしているのでよくわからない。
「まあ、つい甘えちゃって愚痴ったわ。ごめんな」
 まだ咳き込んでる仲嶋に謝っておく。相手はひとしきり咳き込んでから、漸く大きく息をつく。
 なんか肩に疲れが見える。
「いや、つか。もうこんな会社辞めようとか思わないわけ?」
「んー。どこ行っても同じだったし」
「うわ」
「引き抜かれる度に大きな会社になっていくんだけど扱いはどんどん雑になってくな」
「はあ」
 一応、生まれてきたからには誰かに必要とされたい。
 種族としてではなく、個人として。
 だから自分に出来る事は無いのかと、思うのだ。
 それでいくつか転職してみたけれど、オメガに仕事能力を求める会社なんて皆無だとわかっただけだ。
「さすがに専用の部屋を作られたのは初めてだけどな」ふと、仲嶋の様子に気がつく。「なんでへこんでるんだ?」
「だってオメガを利用してるなら俺も同罪じゃん」
 笑ってしまう。
「ぜんぜん違うだろ」
 しばらくの沈黙。仲嶋はやけに大きく息を吐いてからつぶやく。
「お前、よくもまっとうに育ったなあ」
 馬鹿にしたように言ってくるが褒めてるらしい。
 ──確かに、それは俺の自慢だ。
「……昔から友人には恵まれてるんだよね」
「ハ。友達がいたから頑張れましたってか? そいつらがお前みたいなお気楽な人間を作ったわけだ。一度顔を拝んでみたいもんだな」
 拝む、ねえ。
「鏡見れば? 仲嶋も入ってるから」
「は」
 ここではこの友人がいるからずいぶん救われてるのだ。


 返事がないのでいぶかしんで見上げたら耳が赤かった。
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