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名誉アルファと儀式2
しおりを挟む着付けは当然、直された。
あのあと女中さんが沸き出てきて取り囲まれたのだ。
放置かと思ったけどそうではなく、俺が浴室から出てくるのを待ち構えていたらしい。
「男性オメガは扱いが難しいのです」
俺の帯を後ろからぎむっと締めながらひとりが言う。
「難しい……」
ぼうっとオウム返しをするだけの俺に構わず、ひとりの女中が聞いてくる。
「本来なら入浴にだって補助を付けたかったんですが……あなた様は普段、男湯と女湯のどちらに入るのですか?」
質問自体はよく聞かれる内容だから慣れたもので、いつものように答える。
「普通に男湯ですよ。更衣室も同じです」
テキパキと着付けをしていた彼女らの動きが一斉にぴたりと止まった。うえ。マズイ事を言ったか?
「気の毒ですね」
「鬼ですね」
「こんなのに入って来られたら男共が落ち着いて洗えないでしょうに」
「股間隠されるでしょう?」
揃って責められる。なんでだ。
「でも俺が女風呂に入るわけにもいかないだろ?」
反論を試みてみるが、途中で髪にドライヤーをかけられて声がかき消される。
「……」
そして、乾かしきった後に一斉に反論が来た。
「冗談じゃありません。入って来ないで下さい」
「鬼ですか」
「やめてください自信をなくします」
……逃げられないんだろうか、ここから。
しかしがっつりと両肩を捕まれて前後も囲まれているので物理的に無理だ。
着付けって数人がかりでしないと駄目なのか? 多くね?
「でもこの方の仰るとおり、成人男子が女湯に入るのは普通に犯罪ですよね」
「確かにそうですけどでも想像してみてよ。男湯に入ってる違和感と比べて女湯に入っているところを」
「……あぁ」
「……なるほど」
「違和感仕事しろですよね。ちんこついてるのに」
「ほんと扱い困るわよね」
……男、居ると思ってねーなこれ。
完全に『女だけの井戸端会議』状態でサンドバッグにされている間にも身が整えられていく。……プロだ。
着付け途中で皿に載ったおにぎりを差し出された。
「俺にくれるんですか?」
「はい。お食事は後の式の方にも用意されているのですが……主役ですから確実に食べる暇は無いかと。今のうちに軽くでも取られておいた方が良いですよ。豪華な会席じゃないのが申し訳ないのですが」
「……お気遣いありがとうございます」うれしい。「でもすみません、食事は遠慮しておきます」
「ダイエットですか?」
「いえ、今日は緊張で喉を通らなくて」……多分俺、食べると余計に迷惑をかけてしまう。「それより、あの、なんで顔を?」
「化粧ではないですよ。軽く肌を整えているだけです」
「そこまでしなくても」
「もう、立ったままではやりにくいわね。手が届かないわ」
「やはり男の人だから背が高いのよね」
下方からじっと物言いだけに見つめられる。
「椅子を出しますのでお座りください」
「……ハイ」
結局、いろいろ弄られた気がする。
──ようやく着付けが終わる頃には日はすっかり沈んでいた。空にあるのは星と細い三日月。計算されて創られた中庭からの眺めは流石に美しい。
不思議だ。さっきまでの怪しい空の面影はどこにもない。
知らず、顔を顰めてしまう。
おかしいな。
今の女中さんたちの雑談に『空』の話は出てこなかった。女の人の社交辞令は洗濯物の乾きだ。だからなにかしらの異変があれば必ず話題になるはずなのに。
……まさか、アレが気のせいだったのか?
俺だけに見えたとか?
いや、無いし。なんだったんだろ。
◇ ◇ ◇
大広間にいる。座敷にずらりと並ぶのは蒼々たる顔ぶれ。
……蒼々たる……、なんだろうかなー?
多分偉い人たちが揃っているのだが、おっさんだらけということしか俺にはわからん。
皆、思い思いの体勢で寛いで雑談に興じている。
酒を傾けつつ出てくる食事に手をつけている背広の人々。どことなく法事っぽい。遠くの親戚が集まっているときの感じに似てる……まんまそれか。
おそらく多くは分家筋の人間なのだろう。ここに集まっている人々の雰囲気はどこか似通っている。
こそこそと小声でやり取りをしているが、全員で地声がデカいから内容、結構筒抜けに聞こえてくる。
──『白々しい。お披露目なんて建前を』──『実質、就任儀式』──『こんなもんはやったもの勝ちじゃないか。実力じゃあない』──『後継者と認められるために随分と必死だよな。素質じゃ西方の分家に負けてるから』──『あァ、あの方はライバルを蹴落とすのだけはうまくてね』──
広間の有象無象から一段上の舞台になった上座。その脇の隅の方に俺は控えている。普段から他人の視線に晒される分、姿勢だけは良くしろと躾けられたおかげで正座も苦ではなく、こういう場面では助けられると思う。
そして黒子の気分。
あれだ、顔の前には簾みたいに黒いベールがかけられている。
……これ、どういう扱いなんだろうか? わからないけれど、おかげで好機の視線からは隔たれるので素直にありがたい。まあ、何か妙な物体がいるって視線は向けられるものの、直接見えない分、マシなのだ。
ところでその上座ではうちの社長が緊張して震えている。
本日の主役だ。年齢は50代だったか。肥満ぎみで着物がパンパンしている。
毎日、顔を見ているような……そうでもないような。入社してからこの社長と話をした回数は数えるほどしかない。
今は背中を丸めてブツブツつぶやいている。
少し気の毒か。てのひらに人と書いて飲んでみますか?
なんて話しかけるべきかどうか、つぶやきに耳を傾けてみる。
「ぃが……なにが、血筋しか取り柄が無いだ。馬鹿にしやがって……あいつら、馬鹿にしやがって」ふけっ、けっ、とひび割れた笑い声。「ざまぁみろ。これで、俺がアルファだ。これで俺が正統な後継者だって証明してやるさ」
……震えは緊張じゃなく武者震いだったみたい。
溜息をつきそうになるのを堪える。自分の問題で落ち着かないところにきて隣からのこの異様な気迫はキツイものがある。
どうしよう。
さっきからずっとつきまとっている不安が消えない。
……俺、ヒートじゃないよな?
突然そうなったら、という想像が、こんなにも恐怖だと知らなかった。こんな衆目の目前で、発情したらどうなるんだろう。自分が自分じゃなくなるのか?
迷惑をかける前に自己申告した方が良いのかもしれない。
……自分にヒートの兆候があったから危険だって? けど、もしかしたらそれで儀式も取りやめになるかも──無理か。
こんな時に都合の良い妄想をする自分に呆れる。
けどいまのところ、ここにアルファはいない。
まあ、建前はここの全員がアルファなんだろうけれど。
けど──
ぞわりと冷気を感じた。
「……?」
なんだ? 弛緩していた会場の空気が引き締まり、男達が一斉に姿勢を正す。
ざざっと座敷の人々が服従の意を以てひれ伏す。
入ってきた意外な人物に目を見張った。
今日来る本物のアルファって──あの人だったのか。
俺が知っている唯一のアルファ。
そして協会のトップ。
爲永 晶虎
虎を思わせる鋭い視線がすっと広間を嘗めると一瞥された全員が怯えたように身をすくませていく。水を打ったように静まりかえった空間に、後ろに秘書を従え悠々と入ってくる。
──綺麗な男だと思う。
相当身長が高いのにあまりそれを感じさせないのは均整の取れた体躯によるのだろう。無駄の無い筋肉は男として羨ましい。顔も整っている。
整っているんだけど、表情がな。
この人、いつ見ても絶対零度。
視線が俺を捉えた。
「……」
「……」
黒子的な妙な頭巾にもリアクションは無い。うん知ってた。冷めた目で観察されているのがわかる。
あー……。
あれに噛まれたいか? と考えてみれば、全力で嫌だ。
嫌だと感じる自分にすごくほっとする。
よかった。体調にも変化はない。
「──おめでとうございます」
不意に爲永が口を開いた。視線は社長を捉えている。
「この度は番(つがい)を得たとのこと。アルファとしてこれほど喜ばしいことはない。これでお爺さまも立派な後継者を得たと、さぞや安心していることでしょうね」
片頬を上げて笑みをつくる爲永。
社長は蛇ににらまれた蛙のように脂汗を流して引きつった笑みを浮かべた。
「は、ありがとうございます」
「「「おめでとうございます」」」
彼に続いて全員が唱和する。ああ──この場を支配しているのは上座の主役ではない。
唯一のアルファだ──。
爲永は腕を大きく広げ、芝居がかった口調で続ける。
「では、儀式を始めましょうか」
ぴくんと身体が震えた。……忘れてたわけじゃないが、
「おぉ……おお、そうだな」
覚悟をする間もなく、爲永の秘書に背を押されて前に押し出される。
「ご存じの通り」ゆっくりと、爲永が会場を見渡す。「アルファはオメガを番にする時にオメガのうなじを噛みます。そうすることでオメガはそのアルファの所有物になる。そう──わかりますね。オメガを手に入れたなら、それは正統なアルファだ」
爲永によって乱暴に黒のベールが取り払われる。ざわっと、急に会場が騒がしくなった。口々になにかを言っているけれど──こっちはそれどころではない。
「屈んで」
感情の無い爲永のバリトンが俺に告げる。
「……」
けど、
「──屈め」
命令。
ゆっくりと息を吸って、吐いて、従う。
……だいじょうぶだ。相手は社長だから。爲永よりはマシだ。だって社長はベータなんだから。アルファじゃないんだから。こんなのは茶番だ。カタチだけのことだ。
カタチだけなんだから俺は平気だ。
首筋を見せて屈むと再び会場はしん、とした。
摺り足で近寄ってきた社長にいそいそと抱き込まれる。
生暖かい息が首筋にかかる。ごきゅっと喉を鳴らす音が間近に聞こえて、気持ちが悪い。きつい香水の匂い。
首の後ろに歯が当たる。べろりと舌で嘗められて身が竦んだ。うわ、なにを余計なこと、
ガリ、という音が。
──噛みつかれた。
自覚した途端、血液が頭がら一気に抜けて失われてしまうような、貧血に似た覚えのある感覚がやってきた。
くそ。
これで何度目だろう。どうして慣れないんだろう。急降下する体調に翻弄されつつも、どこか頭の隅で冷静に考えてる。
「……く……ふぐっ」
「っっオイ! オマエッ」
喉の奥からせり上がってくるモノを堪えきれなかった。
やっぱ吐いたし。
高そうな着物が台無し──こんなもの、弁償させられても困るなぁ。
まともな思考を保つことが出来たのはそこまで。
……心臓が不規則に脈打って苦しい。胃が、臓器がひっくり返りそう。
あまりの気色悪さに耐えられなくなって、俺はあっさり意識を手放した。
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