絶滅危惧種オメガと異世界アルファ

さこ

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 最初の召喚は、失敗した。

 二回目の召喚は保留。
 三回目の召喚、失敗。
 四回目、保留。
 五回目、失敗。

 そして──


 ◇ ◇ ◇


 召喚の為に選ばれた地、そこをひとことで説明するなら運動場だ。

 コレと言った特徴のない、むしろのが特徴の広場。
 実際に競技場として使われているし、非常時となれば飛行場としても機能するらしい。
 とにかく平らにただっ広い。

 今から召喚という大層な儀式が執り行われる地にはまったく見えず、運動会の準備かと錯覚しそうになる。雑事に追われたスタッフが忙しげに走り回っている所もどこか運動会っぽい。
 広い範囲に建物や車などの人工物が一切無くて、人しか見当たらないところに違和感があるぐらいか。

「異世界からの召喚者ってさあ」 ──そんな慌ただしい広場の中にいて、俺達は手持ち無沙汰に雑談をする。「言葉、通じるよな。アレどうなってんだ?」
「ああそれ、まず不思議に思うよな。俺はナイトに聞いたよ。仲嶋は聞かなかったのか」
「誰に?」
「トルマり」
「お前と違って俺には親しい異世界人は居ない」 言いかけた台詞にめっちゃ被せてきた。「だろ?」
 なにその笑顔の圧。
「……えっと。魔方陣の中に、翻訳の術式が組み込まれてるんだって。だから召喚で来た人は自動的に意思の疎通が出来る、と」
「ふうん」 と仲嶋は腕を組む。「要は魔法かよ。相変わらず出鱈目だな。それ、一般人にも使えるようにならねえの? 出来たら翻訳だけで世界を変えるだろ」
「えー……魔方陣には魔力を通さないと発動しないから無理じゃないか? この世界の人は魔法なんて使えないし」
「稀に例外はいるけどな」
「あー。すごい人っているものなんだよな」
「この天然が」
「天然って言えば、天然の魔力無しでも魔方陣の発動が出来るように人口魔力の開発もしてるらしいよ。けど予算が馬鹿で実用的じゃないんだって」
「それは誰に聞いたんだ?」
「爲永さん」
「お前おかしい」
「おかしいよな。予算さえあれば可能なのかよ? っていう……アルファって無理を押し通すからアルファなんだな。いくらナイトの力を借りたくないからって、無茶苦茶だろ」
 最終的には召喚をナイトの力を借りずに出来るようになるのが目標だとか。
 現状だって、ナイトは直接手を貸してはいない。魔力だけ貸し出してる状態だ。

 ここにナイトはいないけれど、この場は彼の魔力で満たされている。おかげで俺には居心地が良い。

「……考えたらこいつ、交友関係もチートだよな……敵を味方にするにしても懐に入りすぎだろ」
「なにブツブツ言ってんだ」
「国家機密レベルを雑談にすんなってんだよ」
「聞いた癖に。仲嶋は魔法、皆が使えるようになればいいと思うか?」
「思わん」
「だよなあ」
 会話が途切れる。空を見上げれば、雲一つ無い青空。

「てか召喚って、野外でやらなきゃ駄目なのか?」 仲嶋は手でひさしを作ってウンザリと彼方を眺める。見晴らしは呆れるほど良い。「どうせ屋内でも出来るんだろ。まぶしんだけど」

 それにしても、こっちは気が気じゃ無い。
 本人無自覚だから指摘し辛いし。

 やけに気怠げな仲嶋の姿を遠目にちらちらと眺めてる男共がそこそこ……いや大量にいるんだけども。
 呆けた顔は止めようかそこのスタッフ。見晴らしが良いおかげでこっちからもよく見えるからな。

 ……目立つんだろうなあ。
 あ、仲嶋ちょっとふらついたから周囲が動揺してる。

 しかし。
 なんでこの友人は危うい雰囲気を放っているかな。

「聞いてるのかまどか?」
「んー。障害物があるとり込んじゃうのかな?」
「なにが、どこに」
「人が、壁に」
「怖ええよ」
「俺はそこまで疑問に思わなかったからわかんないや。寝不足か?」
「へーき」

「──人間をひとり召喚するには膨大な空間が必要なんですよ」

 上から響いた別の声に、仲嶋の肩がびくっとした。
 その肩にとんと手のひらを乗せて、ふわっと地面に降り立つ人が、ひとり。
「まあ直接その空間と置き換えるわけじゃないから頭上の空間はあけておく方が良いって程度の話なんですけど。可能な限りの安全策は取っておくべきだよね」

「……トルマリンさん、いま空から降ってこなかった?」
 ついさっきまで広場に居たのはスタッフの他には主催者と今日のゲストだけだったんだけど。
「こんにちは円さん」
 にこりと笑う長身。
 仲嶋は目を細めるとふいっとトルマリンさんとは反対側を向く。

 微妙な空気が流れる。不自然な沈黙に、誰も口を開かない。……あ、これ俺が行くしかないのか。
 渋々口を開く。
「また喧嘩してんだ?」
「あはは」 笑って誤魔化すトルマリンさん。「今日は来なくて良いって言ったんだけどなあ」
「はっ? 毎度毎度ひとの行動を制限できると思うなよ」
 やり取りに首を傾げる。
「仲嶋、行動制限されてるんだ?」
「……」
 ぐっと口を引き結ぶ仲嶋。
 黙り込まないで欲しいな。気まずいから。
 トルマリンさん、溜息。
「仕方ないだろう。オメガには危険すぎるんだよ。こんなどこの馬の骨ともわからないケダモノが大勢いる場所は。君だって怖い思いはしたくないだろう?」
「ああ!? まどかは自由に表に出てるじゃないか」
「……モアサナイトには守る自信があるからね」
「小声で言うなよ。なんつった?」
 聞き取れなかった仲嶋に、トルマリンさんは肩をすくめる。
「円さんにはしっかりと自覚がありますから。君は自分が注目集めてるって自覚、ある?」
「ねえよ。注目集めてるのはまどかだろが」

 ……なるほどー。
 トルマリンさんから助けを求める空気を感じるけど、視線を逸らす。俺は口は挟みません。

「だから危ないんだよ。いい加減、諦めて認めるべきだと思うよ。君、俺からしたら元から可愛かったけど、今は誰から見ても円さんと並ぶかそれ以上に人並み外れて可愛いくて美人で」
「うっさいわ!」
 耳を塞いで叫ぶ仲嶋。

 ……うん。仲嶋は仲嶋で自覚なさ過ぎだけど、トルマリンさんはトルマリンさんで過保護過ぎる。
 だってここ、一般人なんて居ないんだよ!? 皆さんの身元、しっかりしてるから安全だよ!? この場にいるのは馬の骨どころか厳選された優秀な人材だし。

 とは思っても賢明な俺は沈黙を守る。面倒だから。

「俺は平凡なベータなんだ! だろ? まどか」
「うんうん」
「ちゃんとバース検査もして判定が出た、正真正銘の血統書付きベータだ」
「そうだね」
「せめて突っ込め!」
「どっちだよ!」
「……もっと足腰立たなくしておけば良かったのかな。だけどオメガってその方面では丈夫なんだよね」
「てめえは黙れ」
「ごめんね。言い間違えた。オメガが頑丈な事は、凄く有り難い。ベータのままだったら簡単に気を失ってあんなに保ってくれないよ。その分、沢山触れて嬉しい」
「黙れってば」
「大丈夫俺はなにも聞いてない」
「匙を投げるなよまどか」
「もーさ、さっさと番になれば良いだろ。トルマリンさんは仲嶋を誰か他の人に取られそうで心配なんだよ」
「円さん、さくっと核心を突いて俺の心臓えぐらないでくれますか?」
「振られてるんだねトルマリンさん」
「時期を待ってるんです」
「つーかまどかは俺をオメガにした元凶だろが。もっと反省しろ」
「だって仲嶋、なんだかんだ言って楽しそうだし」
「……」
「って軽々しく俺が言う台詞じゃないな……ごめん。えっと……反省はしてる。どうやったら償えるかわからないけど、一生かけ」
「いらない」

 俺だって自分がやった失敗を忘れたわけじゃない。ただし、それを口に出すと毎回ふて腐れるんだけどこの人。

「俺の一生かけて、」
「反省も後悔も迷惑なんだよ」 仲嶋は眉間に皺を寄せ、嫌そうに言う。「俺の軽口を本気にするなばか。謝罪なんていらねーよ。実際、ちゃんと幸せだし」
「……仲嶋」

「ふたりともかわいいなあ」
「ちょっ、なんで抱き込む!? 見えない! なにも見えない」
「……注目集めてる。隠さないと」
「じゃまどかも隠せ!」
「殺されるから。それに円さんには番がいるから害虫は寄れないよ。大丈夫」
「……日差しがまぶしいよねえ。すごく天気が良い」
「匙を投げるなまどか!」
 トルマリンさんは仲嶋の頭のてっぺんをすん、と嗅ぐ。
「ああ駄目だな……すみません。先に戻らせて貰います」
「あ──わかった。またね」
「え? 待っ……」
 瞬く間にいなくなる。


 ……。
 嵐のようだったな。

 これだけ快晴なのに、少し雨上がりの匂いがした。だから多分、仲嶋は発情期が近いのだろう。うん……どうなるかは、深く考えない。


 気持ちを切り替えて競技場に目を戻す。


 土の上に白線で描かれているのは競技トラックではなく、どでかい魔方陣だ。
 描かれている図形はひとつではなく無数。これを誰かに説明するなら魔方陣のマトリョーシカと言ったところか。
 基本の魔方陣は七つ。
 白線の六芒星の上に描かれるのは魔方陣の七星陣。その塊を中心に、周囲にも六つの七星陣の塊が描かれてる。これを繰り返し巨大な図形が出来上がる。
 
 地表に描かれた魔方陣が模すのは上下左右の宇宙空間。平面に宇宙を写し、炭酸カルシウムの白線に魔力を通して異界への門を開く。


 協会主催の召喚式は今回で十回目だ。
「もう二桁なのかあ……いつ三桁届くかな」

 ここまでたどり着くまでの道のりは長かったような、短かったような。
 感慨深く……ないな。

 俺、関係者じゃないしなあ。完全な部外者とも言い切れないけど。
 ここにいるからには俺にも一応役割があるけれど、補欠みたいなものだ。
 今まで一度も出番は無い。難しい事も理解できない。
 毎度手伝いもせず見学だけしてるからスタッフからは何故アイツはいるのかと白い目で見られてるのも知っている。

 でも、召喚を見にきてしまう。見てるだけでも毎回変化があって面白いのだ。

 最初の頃と比べると儀式は格段に進化してる。
 回を追う毎にの技術が加わるからだ。天候を予測するのではなく調整が可能になった六度目以降は実験の前後日は必ず快晴になったし、現在上空にある光の縦横の線──飛来物除けの結界は以前は存在しなかった。

「縁起でも無い事口走るな。十一度目もねぇよ」
 と──地を這うような低音が後ろから聞こえた。

 背後に立っていたのは主催者だ。
 相変わらず不機嫌そうだけれど、心なしか覇気がない。
 なんの話だ? 考えてから思い当たる。独り言への返事か。
「なんで?」
「なんでじゃねえ。今回も失敗する前提で言うな馬鹿者が」
「今回も? って今まで召喚失敗なんてしてない……あそうか」
 爲永にとっては失敗か。
 そして、今回もしないと次の召喚は行われない。

「ごめん、初めの目的を忘れてた」
「てめえな」
「だって対外的には今までの召喚って全部大成功って事になってるじゃん。世間様の盛り上がり、凄いし。俺はちょっと引くけど……って、いやなんでも」 口に出してしまってから主催者を相手に言う台詞じゃなかったと思い留まる。が、顎で先をうながされた。「……盛り上がりすぎててちょっと怖いな」
「ふん」

 ──現代を表す言葉としてよく使われるのは『指導者アルファ不在の時代』『停滞と後退の時代』だ。

 世界の歴史とは、イコールアルファの歴史だ。どれだけ多数派がベータだろうが関係ない。主導権は常にアルファにあったからだ。
 だって歴史にベータの名は出てこない。
 テスト範囲のために暗記する偉人はアルファだったし、ベータの役割はせいぜいが怒れる民衆だ。アルファの圧政に反発する、民衆。
 そんな自分勝手なアルファが地上から消えていって、残されたベータ達は喜ぶどころか戸惑った。信望者も、反発してた者も、まるごとが途方に暮れた。
 未来に漠然とした不安を抱えているのが今の世代だ。

 召喚なんて得体の知れない儀式、そもそも一般人には受け入れられるはずがないと思っていた俺は浅慮だったらしい。アルファが増えた──戻ってきたという点だけで、世間は熱狂的なお祭り騒ぎ。


 これは爲永のオメガを喚ぶための儀式だ。
 けれど爲永が最初に召喚したのは運命の番ではなく、オメガですらなく、多数派のベータでもなく──アルファだった。
 これまで式で召喚された人の半数もアルファだった。

 目的とは別の結果になった召喚に爲永が何を思ったのかは知らない。
 ただ彼の行動の切り替えは早くて、協会を動かして別世界から来た人間の存在を世間に大々的に公表し、宣伝した。秘匿するのではなく。


「不思議だよな。なんでみんなアルファが増えて喜ぶんだろ? オメガと違ってベータにはアルファなんて必要ないのに」
「わからないのはお前がオメガだからだな」
「それ言われたら何も返せないけど」

 先日、久方ぶりに飛空艇ガーデンから降りて買い物したらクラクラした。

 街には異世界風ファッションがあふれてた。

 これはもはや革命だ──。
 とよくわからないキャッチコピーが踊る街頭ビジョン。
 雑誌を手に取ってみればほぼ全てに異世界人特集が組まれているし、その紙面に並ぶのは見通しの明るい未来への記事。
 ──技術の革新的躍進。新世界から得た全く新しい理論を導入した枯渇資源問題の解消。このまま順調にアルファが増加するなら一般人の健康寿命が伸びるだろう──という試算は風が吹けば桶屋が儲かる的な飛躍だと思うのだけど。
 思わず手土産にしたよ。それを見た仲嶋が「文明開化だな」って嗤ってた。

「世論なんざこっちで操作してんだよ脳天気が」
 不機嫌な声で思考が断ち切られた。
「操作……わざわざ?」 首をひねる。「だってみんなの歓喜は本物だったよ。だからベータにもアルファを求める因子があるのかなと俺──」
「呼んでねえ糞アルファばかり増えやがって」 人が喋ってる途中で舌打ちする。「あんな癖が強い連中、野放しにすりゃこの世界まるごと好き勝手に書き換えられるだろうが。かといって敵対は出来ねえし」
「なんでさ」
「負けるからだ」
「……爲永さんが、負ける?」
 それをあっさり認めるのに驚く。
「アルファ同士の戦いじゃ、俺は圧倒的に経験値が低いからな。ま、てめえは知ってるよな?」
「え? あ、あー?」
 答えあぐんでいるうちに爲永は言葉を続ける。
「だからってあんなの放置出来ねぇんだよ。不満持った大衆に反発された日には俺の計画が狂うだろうが。やりたくもない事後処理やらされてるこっちの身になりやがれ」
 心のままにただ漏れてる愚痴に、なぜだか耳が痛い。俺の番の話じゃないのに。
 
 よく見てみればいつもに増してピリピリしてるし目の下に隈があるし、忙しすぎて寝不足かもしれない。心労もあるか。
「なんか、大変そうだな」
「はんっ」 鼻を鳴らされる。ねぎらったのにその態度? 返す視線に悪意が籠もってる。「わかってねえだろオメガ」
「なにを?」
「戦争の選択肢が消えたのは俺が、お前の番に徹底的に負けたせいだ。──責任は取れよ?」
 意味がわからない。
 話を翻訳すると、爲永はナイトに負けた事がきっかけで異世界のアルファと争うのを思い留まった? 戦争って表現は大袈裟な……と思うのに胸に湧き上がるこの嫌な感じはあながち冗談ではなかったのかもしれなくて、ぞくりとする。
 ……良かった。ナイトが爲永を負かしてくれて本当に良かった。

「でも責任、って何だ? 何させられるんだ? 俺は無関係だよな?」 爲永は薄く笑って答えてくれない。「そもそもナイトが爲永さんを徹底的に負かした時なんてあったか?」
「会話の途中で追い出された時だが?」
「会話の途中?」
「あァ。お前は覚えてないのかよ。それどころじゃなかったからな。けど追い出しただろうが。『出て行くだろう?』 ──あの、たった一言でだ。本能が囁いたんだよ。アレには逆らうな、絶対に敵わないと。問答無用で屈服させられたのなんざ生まれて初めてだ。しかも、くだらない嫉妬」
「覚えてない全然覚えてないでもごめんなさい」
「謝るな鬱陶しい」
 爲永の態度は淡々としていて、逆に不安になる。どう考えてるんだろう?

 ──爲永の望みは叶わない。かもしれない。

 人類の救いだ、救世主だ、そんな風に持て囃されたって、きっと何の慰めにもならない。
 今回も召喚に立ち会っているのだから諦めてはないのはわかるけど。
 
 二桁に届く回数を繰り返し、この召喚にはとあるパターンが見えてきた。

 今日喚ばれて来るのはオメガだろう。けどたぶん爲永の番ではない。だ。

 ふっと気の抜けたような溜息に顔を上げると、なんだかあきれたような顔してる。
「お前は浮かれているな」
「え?」 そんなつもりはない。「……ああ、そうかもな」
 少し考えて、口から出たのは肯定だ。

 召喚を繰り返す毎に事態は迷走し、困惑は増すばかりだ。
 けど──次はどんなひとがやって来るのか。それを考えると俺は怖さよりも、戸惑いより、楽しみの方が勝ってしまう。爲永には同情してるし、その心情を考えたら浮かれるべきじゃない。
 それでも、
 仲間が増えるのは嬉しい。

 怒るかと思ったけれど、爲永はただ肩を竦める。
「オメガは暢気で羨ましい」
 そのままあっさりと立ち去る。

「……なんだったんだ」


 ◇ ◇ ◇


 爲永の向かった先には背の高い女性が緊張した面持ちで立っている。
 あれが今日のゲスト。

 ついその髪の色に目が引き寄せられる。若草のような緑色。この世界の住人は持っていない色素だ。
 前回、九度目の召喚で境界を超えて来た──別の世界のひと。
 女性ながらも人並み外れた精悍な顔立ち。美人だが人を従えるオーラを自然と備えている。誰もが見た瞬間に理解するだろう。
 彼女はアルファだと。

 不可解なのは、今まで召喚された人たちが全員、元の世界に戻りたいとは言わなかったこと。
 ただ、この召喚の仕組みを聞くと、とある頼み事を言うのだ。
 彼女も今まで召喚されたアルファと同じ望みを口にした。だからここに居る。



 ふっと暗くなって顔を上げる。室内で電気を一段階落とした感じに似てる。
 空は相変わらず晴天だが、全体的にさっきより黒い。
 召喚が始まったみたいだ。

 曇ったのではない──魔方陣は光を吸う。

 上空から見れば、魔方陣の中心に向かって光が吸い込まれていくのが見えたかもしれない。
 真昼だというのに太陽はそこにあるまま、写真加工で明度のバーを下げるみたいに暗くなっていく。

 こうなってしまうと下手に動くのは危ないので、小さく腕を組んで空を仰ぐ。見る間に周囲は闇に沈んでいく──スマホの光も煙草の火も、光を出すものは悉く吸われ、月も星も街灯もない、夜より深い漆黒の中に落ちてゆくみたい。

 暗闇には本能的に恐怖と心細さが湧く。
 確認と指示をするスタッフの声だけがここが現実だという頼り。
 視線を落とせば自分の手すら見えない真の闇。俺の手、消えてないよな? と若干不安になったところで今度は唐突に光が戻った。
 ……手は見えない。まぶしくて。

 しばらくしてようやくまぶしさに慣れて、目をすがめて魔方陣の中央に視線を戻す。

 ──何も存在していなかったそこに、ひとが一人へたりこんでいた。



 身につけている服は茶色の斑に見える。でも元は白だったかもしれない。
 肌も服も、土と泥にまみれてぼろぼろ。
 布の濡れて黒ずんでいる部分はもしかして血だろうか。
 あばら骨が浮き出る程に痩せ細って全体的に頼りない印象の中、ひとつだけ頑丈そうな物体がある──鉄? 重そうな金属の首輪だ。
 伸びた鎖は途中で途切れてる。召喚の範囲から外れたからかもしれない。
 背中に羽根が生えているように見える。白い鳥のような羽根。
 そして、右足の膝から下が無い。
 足の先の不自然に途切れた部分は薄く肉付いて丸みを帯びているから、そこを切断されたのは随分前なのだろう。
 汚れていて尚、彼女の造形は美しい。
 ……ああ。と直感する。仲間オメガだ。
 ちょっと情報量の多さに脳の処理が追いつかないけれど。

 他の人達も同じなのだろう、周囲が戸惑ったように動作が止まり、固まっている──いや。真っ先に駆け寄っていく人物がいた。緑の髪のアルファだ。
 自分の羽織っていた上着を脱いで少女に掛けようとして羽根が邪魔──布を引き裂いた。マントのようにして少女を包む。そっと抱きしめる。

 ……そうか。
 今回も大方の予想通りの結果が出たみたいだ──あの娘が彼女の運命のつがいだ。



 で、どうしよう。

 刺激しないよう、ゆっくりと、でも出来るだけ急いで魔方陣の中心まで歩く。
 ……うん。を無下に扱われたアルファはとても気が立っているものだし、手負いの獣と変わりない。
 本来なら落ち着くまでふたりだけにしてあげた方が良いんだけど。
 側に来てわかる。汚物と血の入り交じった匂い。

「──触るな!」

 振り返った瞳は案の定、激怒していて問答無用で攻撃された──らしい。
 俺に届く寸前で白刃は止まった。
 ……どこに剣なんて隠し持っていたのかな?

 庇ってくれた背中の、裾を引く。
「ナイト、待って」
「……」
「えっと……その、早いね。飛空艇から飛んできてくれたんだよな。さ。す、が」
「……」
 アルファふたり分の殺気で肌がピリピリする。
 刃を受け止めた刀身は漆黒。気を抜いたら返す刀で相手を斬り殺しそうでこわい。
「モアサナイト、こっち向いてよ」 しぶしぶながら振り返ってくれた相手に笑いかける。「間に合ってくれてありがとうな」
「円」
「良かったよ。俺だけじゃきついから。ナイトが来てくれたなら、何とか出来る」
 一触即発な雰囲気が逸れた隙に、女性アルファに話しかける。
「その子の治療、させて? 一刻も早く」

 召喚が体力を奪ったせいか、それともそれ以前の虐待が原因なのか──酷く消耗している少女が死にそうで、説得する時間すら勿体ない。


 ◇ ◇ ◇


 いくらか血色の良くなった少女がおずおずと顔を上げて、ぽかんと口を開けた。

「えっと、大丈夫、かな……?」
 意識はある……よな?
 てか、がっつりと目が合ってるし。すごく顔を覗き込まれている。首を傾げると、俺の指を握ってきた。
「……天使様? 今日は犬を連れていないの?」
 はい?
「犬? ってかあの、どっちかと言えば天使は君の方じゃないかな」 その羽根は儚く頼りなくて、空を飛ぶのは到底無理そうだけれど。はっと我に返る。「死んでないよ!? 大丈夫、ここは現実。君は生きてる! 俺、お迎えじゃないからね!?」
 ──と、アルファの女性が俺の指ごと少女の手を包み込んだ。少女が女性を見あげる。するとあきらかに俺を見た時とは違う反応を見せた。瞳が潤み、頬が紅潮していく。ふたり、見つめ合う。……いやちょっと待って部外者を巻き込まないで。
 あわあわしてる間に反対からぐいっと引っ張られたので何とかふたりだけの世界から逃れられた。
「ありがとナイト。びっくりしたあ」
「……驚いたのはこっちの方。全く」
 胸にもたれているからその心臓の鼓動がやたらと速いのがわかる。
「あー。いろいろと、ごめん」
 謝ると、ナイトはちょっと笑う。
「寿命が縮んだ」
「……それは困る」
 ナイトがちょい、と後ろを指すので視線を戻すと、また少女は俺を見ていた。

「……天使様」
「え……ええっと、天使じゃなくて君と同じオメガだよ」
「同じなんかじゃない」
 きっぱり否定された。
「え? ごめんてっきり君もオメガと疑ってなかっ」
「天使様ははじまりのオメガで、特別なひと。ワタシたちオメガの平穏は天使様のおかげだもの」
「? なにそれ」
 少女は俺の方を見ていながら、どこか俺を見ていない不思議な目で語る。
「ワタシは協会のアルファから彼の願いは叶うのか聞かれて、オメガがほんとうに虐げられなくなってからって答えた。だって彼のオメガは怖がっているもの。だから……、……だから?」

 一通り喋ってしまってから唐突に正気の目に戻った。不思議そうに首を傾ける。ひとりで納得したように頷く。
「未来だったみたい」
「え……未来?」
「こんなにはっきり見えたの、はじめて」
「うん……うん?」
「未来と今が重なって見えて、どっちが今なのかわからなくなった。不思議……いつもはもっと、ぼんやりとしか掴めないのに」
「そう。愛し子は先見さきみなのね」
 つぶやいたのはアルファの女性。
「うん。空想だと思ってるとね。後からほんとうになるからあれは未来だったんだってわかるの」 全くわからない。続く説明を待ってみたけれど、少女は緑の髪の女性に向き直って見上げる。「だからワタシ、ずっと前からキミを知ってたよ。やっと逢えたね。……本当に逢えた」
 花が開いたようにほほえむ。女性アルファが泣きそうに顔をゆがめる。
「……わたしも、夢で見た。ずっと、捜してた」
 ふたり、見つめ合う。


 あー……うん。こっちの事は忘れ去られてるな。
 仕方ない。腹は立たないし、納得しかない。
 少女は過酷な環境で育ったみたいだし。ずっと妄想だと思っていた番とはじめて会ったのだ。番の方が大事に決まってる。

 ……やっと逢えた、か。

「あ、そうだ。ひとつだけ」 本人は気がついてないみたいだから緑の髪の方に話しかける。少女の肩を抱いて俺を見下ろす彼女はどこか途方に暮れている様子だ。眉尻が限界まで下がってる。「すぐに立つとかは無理だろうけど、リハビリ次第で普通に歩けると思うよ」

 気をつけてあげてと部外者が色々言うのもおこがましいのでそれだけ伝える。アルファの彼女なら多くを言わなくても伝わるだろう。

 ──少女は痩せ細っている。
 だのに右足の膝から下だけがまるで生まれたてみたいにふっくらとしている。
 くるぶしから小指の爪の形まで愛らしい。それが本来の姿なんだろう。面白いのは本人はそこを意識してないことで、右足はまだ地面に投げ出されたままだ。
 まあ、気付かないのも道理か。
 少女の意識の半分以上は自分のアルファに注がれている。はじめて運命の番に会ったなら、誰だってそうなる。

「貴方は一体……」
 アルファの女性が口を開く。
「あ、はい」
「何者なの? だって我が愛し子の足は、完全に砕かれて失われていた。どうしてアレを再生なんて出来る?」
 ついさっきまで緑の髪が逆立つくらい怒りで我を忘れていたのに、今は落ち着いてくれたみたいだ。早く二人だけになりたいだろうに、俺の相手をしてくれるのが律儀だ。
「何者なんて言う程じゃないです。ちゃんと働いてるスタッフさんと違って俺、見学しかしてないし」 と。やけに熱い視線を感じてそちらを見るとスタッフが側まで来ていた。目が合うと挙動不審にぎくしゃくして始めて、仕舞いには何故か敬礼された。「……救護要員を、名乗っていいのかな? 足は……どうしてだろ?」
「……ふざけているのか?」
 途方に暮れた顔のアルファ女性。突っ込みもどこか遠慮がちだ。

 だって。
 出血の治療をしようとして、勢い余って足、生えた。
 調子が良すぎたのはナイトが一緒だったからだ。だから凄いのはナイトだ。

 と説明したところで納得してくれない気がする。難しいな。
 気付いた事はある。
「多分……召喚されて顕現した直後ってまだカタチが定まりきってないんじゃないかな。だから手を加えやすいんだと思います。あるべき姿になら、戻しやすい」
 女性アルファは余計に戸惑った表情で俺を見る。
 わかりにくかったみたいだ。
 背後から溜息。
「……そういうことを聞いているわけじゃないと思うよ円」
 なぜに耳許に囁くかな! そして脈絡なく抱き竦めるのは止めてほしい。

 ……けどまあ。腕の中でこっそり溜息をつく。
 命を守ってくれた直後だし。
 気のせいか注目を集めてるけど、恥ずかしいのは我慢する。
 ナイトはこれで好戦的な性格だ。それが反撃もせず矛を収めてくれたのは俺が争いが苦手と解っているからだ。

 それに、
 こうしてナイトがスキンシップ過多になるのは決まって不安になった時だし。
 直接触れて、生きているか確かめたい。鼓動を感じたい。
 その、気持ちが大袈裟とは思わない。
 俺も逆の立場だったら同じ行動を取るし。
 ……別に、常に失う事を考えているわけじゃないけれど。

 愛されてるなあ。

 自然とそう思える自分が不思議だ。俺にとっては大きな進歩。
 それは治癒が出来ることより貴重だ。

 女性アルファはナイトの腕の中にいる俺に視線を合わせたまま、顎に手を当てて思案している。……この状況で冷静に眺められるのも困惑する。しばらくしてから彼女が口を開いた。
「貴方たちも運命なのね。番の結びつきは個体の強さにも影響を及ぼすと聞いている。特にオメガ種は稀に特殊な能力に目覚める……なんておとぎ話は聞いた事はあるけれど──なるほど。事実か」
 その言葉ではっとする。
「じゃあ本当に未来がわかるんだ」 吃驚してるのかまんまるな瞳をした少女と目をあわせる。「そっか。こうして運命の番と出逢ったから特殊能力が開花したんだろうね。がんばって生きて、君は凄いよ」
 肩にもたれ掛かる力がぐっと重くなる。
「だから円、そっちじゃないよね。あと無自覚に人をたらし込まないように」
「どっちだよ。誰もたらし込んでないし」
「あのねえ……」
「それにしても未来を見たってのが本当なら始まりのオメガって何だろ」
「……円のことみたいだね」 なぜだか嫌そうに溜息をつくナイトだ。「信仰の対象にしようってのか? 厄介な」
「え。ナイトはあれで未来がわかったのか?」
「……ある程度予測がついただけだよ」
 頭の回転の速さについていけない。
「じゃあ何を予測したんだよ?」 聞いてもナイトは難しい顔をして答えない。信仰……オメガが信仰の対象になる? そしたら神聖なものとされるから迫害されなくなる、とか? 無いよな。「……はじまりって言うならオメガじゃなくてアルファだよな。爲永さんが初めて召喚したのもアルファだったし」
は僕の補助を受けてようやく成立した儀式だ」 静かに微笑むナイトには妙な迫力がある。「そして僕は円がいなければ、この世界に来なかった。円がはじまりのオメガでも何も違和感はないよ」
「そ……そう、か? でも俺が天使って呼ばれるのも変だし」
「そこは問題ない」
「問題だらけだろ」
「円が天使なのは当然だから避けようがないんだ」
 おかしいな。話が噛み合わない。
「だけど、君が広告塔として利用される未来は面白くないね。しかもあの地産の仕込みだ」
「爲永さんの?」
 言われてみれば……さっき少女は協会のアルファと話をしたと言っていた。あれが未来の記憶。
 ──ああそっか。
 この少女が未来視が出来るとわかったときに、あの人が何を知りたがるのか。それは聞かなくてもわかる。

「……狂いかけの癖してどこまでも目障りな奴だよね。円はオメガの為とそそのかされたらその役割を受け入れるのだろうし」 珍しく人前でブツブツと毒を吐いている。「まあ万が一円が傷つけられるようなら倍返しするだけか」
 ……。
 いや物騒なんだけど。


「俺の話か?」
「ひっ」 びっくりした! 急に居た。「黙って近づくのやめてくれないかな!?」
 と、いまだナイトの腕の中にいたことを思い出してあわてて離れて爲永に向き直る。
「オメガ、お前は人に近づくたびに騒音を立てるのか?」
「ああ言えばこう言う……」 物言いたげな視線を感じて振り返る。「ナイトが悪いんだからな」
「僕かい?」
「陰口なんて言うから本人が来るんだよ」
「関連性あるのかな」
「ないよ。そういうものなんだってば」
「陰口、な」 爲永が胡乱に目をすがめる。「お前の番ははじめから俺が近づくのに気付いてたようだが」
 気付いていてなお悪態ついたナイトは爲永を一瞥しただけで無言だ。面倒か。
「まあどうでもいい。俺はゲストの様子を見に来ただけだ。奴ら、少しは落ち着いたのか?」
 爲永も俺にだけ話しかけてくる。
 どうやら未来云々の話は聞こえなかったみたいだ。

「……もうちょっと二人きりにしてあげた方が良いかも」 女性二人。最初の混乱からは落ち着いたけれど、その分、今は二人の世界を作っていて近寄り難い。だから爲永も俺に聞いてんだろうけど。よく見るといちゃいちゃしてるから視界に入れてはいけない。……番のいない爲永には目の毒だろう。わずかにでも望みをかけていた今は、特に。まあだから俺、いま気を遣ってナイトから離れたのに意味無いったら。「……ああでも毎回、偶数召喚の時は似たような感じになるよな」
「まるでパターン化したような言い様はするな」
「いや。パターン化してるのに見ない振りするのはどうかと思うよ? そりゃ爲永さんは認めたくないだろうけど」
「チッ」

 爲永の為の召喚式の一回目と三回目。五回目と七回、九回目に来たのはアルファで、五割という高い確率だ。このアルファが召喚された件は大きく報道されたから世間にも広まっている。
 けれど二回目と四回目、六回目と八回目、そして今回に召喚されたのはオメガだ。こちらは厳密には爲永の為の式ではなかったけれど。全体の確率で言えば五割。
 特筆すべきはそれぞれのオメガが、その前に召喚されたアルファの運命の番だった事。

 そう──全て運命の番なのだ。確率がおかしい。

「オイ。これはてめえの番の仕込みなのか? 俺への嫌がらせか?」
 爲永がどすの利いた声で詰め寄る。なるほど本題はこっちか。俺は知らないから目の前にいる本人に聞いてほしいんだけど。ナイトは聞こえない顔で沈黙してる。
「ナイト?」
 仕方ないから話を振る。
「召喚はランダムだよ円」
「え、さすがにそれは無いだろ。あきらかに規則性あるじゃん。そもそも対象を絞り込まないと人捜しなんて出来ないんだし」
「逆だよ。絞り込んでは駄目なんだ」
「……ん?」
「たとえば円は生まれ変わるならどんな風になりたかった? 僕に会う前の円で考えて」
「俺? 別に生まれ変わりたくは……あー……そう、か」
「翻訳しろオメガ」
「? 俺に伝わってんだから爲永さんにも解るだろ。アルファ頭良いし」
「んな説明で通じるのは番だからだろが。照れるな鬱陶しい」
「え。えっと、ナイトが言ってるのは……捜し人の手掛かりが無い以上、下手に枠を決めちゃうと本命が捕まらないって意味で」
「間怠っこしい。はっきり言え」
「爲永さんの番が次もオメガに生まれ変わるとは限らない」
 爲永は無言で俺を見る。
「男か女かもわからない。人間であるかすら、わからない」
「……」
「だから手掛かりが無い。……あの。それでもまだ捜すか?」
「無論だ」
「即答かよ。知ってたけど」 溜息が漏れる。ランダムってことばに気が重くなる。当たりを引き当てるまで引くガチャじゃないんだから……。「って待って。結局、答え聞いてないよナイト。なんでランダムで召喚されるのが運命の番を捜すアルファばかりなんだ?」
「餌があるからだよ円」
「えさ?」
召喚者えさはその地産アルファだ。召喚の内容が偏るのはあくまでそいつが原因だよ」

 ──この世界に来たアルファには共通点がある。
 彼らは決まってを捜してるのだ。
 まだ逢ってもいない、自分にとっての唯一無二の存在──運命の番を。

「……やっぱり」
「やっぱり?」
「召喚で来たアルファってちょっと変わってる気はしてたんだ。でも俺ナイトと爲永さんとトルマリンさん以外のアルファを知らないからそれが普通なのかと思いかけてた……危ない。誤解するところだった」
「どういう意味かな円?」
 番に縛られる必要が全くないアルファが逢ってもいない自分だけの運命オメガに固執する。それはやっぱり変人に分類されるものだろう。

 でもようやく腑に落ちた。
 爲永を媒体として召喚しているからかたよるのか。

 そうして考えていくと、嫌な結論が導き出される。
 爲永を餌にしてるのなら、本来いちばんに来るべきは彼の運命の番のはずじゃないか。だって運命は惹かれ合う。現に他のアルファは一度のチャンスで当たりを引き当てた。
 けど爲永自身が喚んで、やって来たのは爲永と在り方が似た人たちだけ──。

 難しいのかもしれない。
 捕まらないのは──それだけ彼の運命が傷ついているから。

 言おうかどうしようか迷って結局、爲永を見上げる。
「ざんねんだったね。爲永さんは運命に嫌われてるよ」
 俺が悪者になって終わるなら簡単なのに。不毛な想いは辛すぎる。
 悪態をついたのに、逆に慰めるようにぐしゃりと頭を撫でられた。
「俺は諦めてない。いつか、喚ぶ」
「……そっか」

 ふいに逆側に肩を引き寄せられた。「帰ろうか円」
「唐突だな」
「でももう気が済んだろう?」
「良いけど……機嫌悪い?」
 聞いている間に景色が切り替わった。




『マドカ、モアサナイト。早かったですね』

「ガーデン君?」 目の前に見知った少年がいる。なら、ここは飛空艇か。「帰ってきたのか。ただいま。もー」

 抱かれて転移されたら逆らえるわけがない。誰にも挨拶してないよ。
『お帰りなさい? なにか問題でも発生しましたか?』
「いや。まあいいか。挨拶なんてどうせ誰も気にしてないし……つかれた」
 思いの外、脱力した声が出る。心得たようにナイトがソファーの上に降ろしてくれたのでそのままだらんと倒れこむ。
「……んー? 俺、何で、力が入らない」
 横になってしまったらダメだった。全身に怠さがどっと襲ってくるし、天井がぐるぐる回る。

「治癒をしたからだよ」 呆れた顔のナイトが答えをくれる。「円は見学だけしてたわけじゃないだろう。それだけの仕事をして自覚が無いのが不思議だよ。円の行為は普通じゃないからね? 消耗して当然だ」
「あーそうか。結構がんばったっけ俺……ありがとなナイト」
「礼は良いから、無理だけはしないでくれ」
「だって……外じゃ気が張ってるから無理したって気が付かないんだよ」
 はあ、と息が漏れる。何もする気になれなくて、だらしなく身体を伸ばす。

「……ふふっ」

 直前まで微妙に不機嫌だったナイトが思わずといった風に吹き出した。
『嬉しいですね』
 ナイトが上機嫌になったのは良かったけど、理由がわからない。
 それにガーデン君も。
「嬉しいって、なにが?」
『私は乗り物です』
「うん? そうなんだよね」
『地上のどんな物よりも速く、かつ優美なのは私です』
「うん? うん」
『私はその事に誇りを持っていますし、勿論不満などありません。けれど帰る家という認識をされたのは初めてです」
「え、そうなの?」
『マドカはただいまと言いました』
「あ……つい、無意識で」 ごめん、と言いかけたけど止める。ガーデン君の表情を見て。「嬉しいの?」
 こくんと頷かれる。
「そっか」 へらっと笑ってしまう。「なんだろ。俺も嬉しい」

「……僕を放置していちゃいちゃとしないでくれるかな円」
 言葉とは裏腹に、ナイトの雰囲気は柔らかい。

 不思議だな。こういう感じには覚えがある。
 はじめての筈なのに、心があたたかくて、安心できる場所にいる。この気持ちを、ちゃんと俺は知っている。──ふっと、蘇る思い出。
 余計な想像をした。

 我ながら何が引き金になったのか解らない。

「円? どうした」
 俺の変化を敏感に察したナイトが眉を上げる。
「あー。いや……はは。思考が変によく回る時ってあるよな」
『マドカ?』

 ──人間の心は複雑怪奇だ。
 嬉しいなと感じた瞬間、そこは真っ暗な落とし穴の上で。怖くなった。

「……あのさ」 ぐらぐらと覚束ない感情をもてあます。「ナイトは俺が死んだら俺の生まれ変わりを捜すか?」
 なんで俺はこんな脈絡がない質問してんだろ。けど聞きたくなったのだ。

「捜さない」

 ……え?

 ナイトははっきりと言い切ったのに、聞き間違いかな? と思った。
 聞き間違いじゃないって理解するのに時間がかかった。

「そう……そっか。うん」 ゆっくりと頷く。なんだこれ……面白いな俺。安堵と落胆を同時に味わっている。「貴重な体験した、ありがと」
 自分でも意味不明な台詞を口走りつつ、顔の前で両腕を組む。

「理由は聞いてくれないんだ? 円」

「いいよ。聞かなくてもわかる」
「聞いてよ」
 ソファーの脇に手をついたナイトに頭の両サイドを囲われた。と自覚する間もなく、
「……ちょっ、と待っ」 腕の下に隠した顔をあっさり晒される。「手を、どかすなってば!」 
「泣かないでよ」
「泣いてな……そっちこそ目が潤んでるし!」
「それは円が酷いことを想像させるからだろう」
 静かな声で言われる。
「……ごめん。俺も言われたら嫌だなそれ……はは」 何でここで笑っちゃうかな俺は。空回り感が半端なくて落ち込む。暗い俺が本当に暗くなってたら救いが無いのに。ウジウジしないのが唯一の特技だったのに、最近それが全く守れない。一方の、頭の半分では零れた水色の瞳は綺麗だなあと考えてる。でもこれは自分が泣かせてるのかと思うと焦ってきた。「いや、ほんと理由とか言わなくていいから。ナイトの気持ち、わかるし」
「円が?」
「わかるよ。もし生まれ変わったら? ──ふざけんなって思う」
「円」

「別の人生を歩んでたらそれって俺か? 違うよな。俺、絶滅危惧種のオメガだよ? 俺が地上から消えたって誰も困らない。今はちょっとはマシかもって思い直してるけど、その悩みも葛藤も、ぜんぶ俺のだ。ぜんぶ合わせて俺なんだよ。それでナイトが新しい俺に愛してるとか言ったら俺は嫉妬する──ってうわあぁ……」 頭を抱える。「なんで黙ってりゃ良いことまで口走ってるんだ」
「落ち着いて円」
「ごめん。落ち着けない。自分で驚いてる。俺、そんなひどい独占欲があるって知らなかった」
「うん」
「だから、だからナイトの答えは俺の想いと同じで、だから捜さないって言ってくれたのは嬉しいんだよ」
「そうか」
 なだめるような相槌にイラッとする。
 けどさっきから俺ばっかり喋ってるのは羞恥に羞恥を上乗せしているのでは。と気付いてぐぐっと歯を噛みしめて黙り込んだ。もう手遅れな気がするけども。
 膝を抱えて座り込む。

「ぐっ、急にしゅんとした……可愛、げほっ、うん」
 どこか感極まったような声が一瞬した気がするけど、咳払いに消える。

「円」
「……」
「ねえ円」 ナイトは俺の名を呼ぶのが好きだと思う。会話の中で何度も名を呼ばれるから。「顔を上げてよ」
「……ごめん。嫌だ」
「そうか」
「あの……しばらく放っておいて。ちょっと、顔を見られたくない……今だけだから」
 膝に額を押しつけて喋るからくぐもった声になる。俺は嬉しいと言ったんだから泣くのは変なのだ。だからまだ顔を上げれない。頭を撫でられる。仕方ないな、と物わかりの良い返事がかえってきたけど、去ってはくれない。長い指はゆっくりと髪をすいて整える。

「円はどうして急に悲しくなったの?」
 とっくに見抜かれてるけどな! 優しい口調なので困る。
「悲しいなんて言ってない。嬉しいってば」
「うん、そうだね。うちに帰ってきた時から少し変になったよね」
 台詞が噛み合ってない。取り合えよ。それに、
「……うちって」
「うん?」
「な、なんでもない」
 まただ。
 なんなんだ。ふわっと嬉しくなって、また怖さが襲ってくる。

 ああ。そうだ──遅ればせながら自分の感情を理解する。

 ただいま。おかえり。
 そんなふつうの日常の挨拶。

 それを、自分が覚えていた事に動揺してんだ俺は。

 脳裏にふとある光景が蘇る。もう二度と戻らないものだからと意識的に忘れていた記憶がほどけて、連鎖的に紐解かれていく。

「……実家で飼ってた犬を思い出した」
「円のペット?」
 急な話題転換にもナイトは動じない。……まあ、だったらいいや。
 好きに語ってしまえ。

「うん。あれは俺にとっての日常の象徴、なのかなあ」 オメガと判明する前の、自分が平凡と信じてた頃の記憶。「犬の飼い方としては良くないんだけどさ、俺、毎日一緒にベッドで寝てたんだよね。だから毎日、朝起こしてくれるのはその犬だった。……まあ散歩しろって急かされてるだけなんだけど」
「偉いね」
「リード持って、俺と犬で行ってきます。って言うと母親が、いってらっしゃいって言ってくれるんだ。散歩から帰ったら、ただいま、おかえり。で、今度は学校に行くから、またいってきます、いってらっしゃい。家に帰ってくると、まず犬が歓迎してくれて、ただいま、おかえり。毎日、その繰り返し」

 あの頃は、代わり映えのない日常が永遠に続くように感じていた。そんなわけないのに。
 あの犬にはもう二度と会えない。

 ──そんな挨拶が当たり前だった日常を、自分が忘れてなかったこと。今、それを言う相手がいることが、とても嬉しい。
 胸が引き絞られるように切ない。
 どうして、嬉しいのと同じくらい辛くなるんだろう。
 どうして、失う事を考えるんだろう。

「こういうときは幸せすぎて怖いと言うらしいよ」
 考えていたのと真逆の台詞と、ナイトが言ったってことに驚いて目を見開く。
「幸せって」 ……つい半笑いになる。「ごめん、俺はその言葉、苦手」
「うん。僕もだ」
「え」
「欲しいものを手に入れると、次は失うのが怖くなるよね」
「……ナイトさ、気を遣って俺に合わせてくれなくてもいいよ」
「そんなことはない。僕たちは番だから考え方が似るんだね」
「似てないし。……嬉しいのが怖いなんて、自分でも情けないと思ってるんだ。そんなの幸せでもそうじゃなくてもずっと暗いところにいることになるじゃん。俺めちゃくちゃ不毛……」
「うん、円は失う怖さを知っているから優しいんだね」 適当な慰めを言いながらも飽きずに相手にしてくれて、相変わらず人の頭を撫でている。撫でて、髪を整えてくれる。なんでか知ってる。さっき爲永に頭ぐしゃぐしゃにされたからだ。──でも俺はこの身勝手な手が嫌いじゃない。しつこいくらい撫でながら、ナイトがふっと呟く。「……幸せとは失う恐怖を噛みしめることかもしれない」
「……」
「けど出逢わなければ良かったとは思わないよ」
「それは……それは、俺も、同じ」
「嬉しいな」 馴染みの嬉しそうな顔でふわりと笑う。「僕は本当の君を知ってしまったからなあ」
「? 嘘ついた覚えはないけど。え……あったかな?」
「ああ、そういう意味じゃなくてね。妄想してたから。逢う前からずっと」
「……は?」

「僕は少しばかり人の規格から外れていてね」 ぴくっと反応してしまった。ナイトが自分の話をするのは珍しい。「僕を診てくれた賢者の見立てでは、どうやら僕の強さは人が持てる範囲を越えているらしい。だから存在してはいけないと」
「あ?」
 思わず尖った声が漏れて、唇をひとさし指で押さえられる。
「うん──そうは言われても僕は生きているんだよね。至って健康だし。強さの代償なんてのも無かったし」
「……」
「ただ孤独だった。だからかな。人より番が欲しい気持ちが強かったんだよね。逢う前から僕のオメガはどんなかって想像してた。ずっと飢えていた。力があって良かったと思えたのは、自分に運命がいるのをはじめから知っていたことだよ。白状するとね、姿だけなら前からたまに視てた。だから耐えられた。君の存在は出逢う前から僕を支えてた」
「……」
「異常なのは自分でわかってるんだ。重いし……ごめん円。こういう話されても困るよな」
「もっと聞きたい」
「ん?」
「俺はもっと、ナイトの話、聞きたい」

「……うん」 背中に腕が回って存在を確かめるかのように抱きしめてくる。「先に逝くなら君はゆっくり眠って待っていて。必ず追いつくから」

 ……何を言い出すかな。

「……捜さないって言った癖に」
「うん。君とは死んでも離れないから捜さない」
「それは屁理屈っ。ただの言葉遊びだろ」 言ってから首を傾げる。「……だよな?」
「かもね」
 淡々と言ってるだけなのに、なぜだ。曲げても絶対変えられない形状記憶合金みたいな頑なさを感じるのは。
 ……え? 困った。俺死んだらこのひとどうする気だ?
 とんでもない執着に気がついて動揺しているうちにナイトが口を開く。
「──ねえ円。どうすれば怖くなくなるか、知ってる?」
「わ、わからない」
「ただいま、おかえりを繰り返す。慣れるまで何度もする」
「……は?」
 沈黙。
 ……どんな顔して言ってるのかと見上げてみれば、にこりと微笑まれる。
「そうだ、犬も飼おうか」
 そんな、思いついたままを適当に。
 どういうつもりなんだこれ。
 黙って様子を窺っていても話は進まない。
「……えっとごめん、意味がわからない」
「気付いているかな。我慢強すぎる君は、ここでなら怒ったり泣いたり拗ねたりできるんだよ。一番に安心できる場所だから。日常とは日々の繰り返しが実になる果実だよ円。君が認めても認めなくても、少し変わっていても円の家はここだ。いつか、それが特別じゃなく円の普通になれば嬉しい」
「……」
「君が慣れるまで僕は気長に付き合うよ」
 優しい顔してナイトの話は強引で一方的だ。あまりの馬鹿らしさに脱力する。

 日常が欲しいとかひとことも言ってないし。
 そういうの、ぜんぜん憧れてないし。
『……横槍を入れるのは無粋とわかっているのですが我慢できません』 呆れて無言でいると、背後でガーデン君がウズウズしてた。『知ってますか? これをバカップルと呼ぶんです』
「五月蠅い」
「知ってる」
 答える声がハモった。鼻をずずっと吸って、息を整える。

 ……整わない。思い切り息を吸い込もうとすると、ひくっと途中で止まるのだ。
 困っていたら湯気の立つカップが目の前に差し出されたた。
『どうぞ。物理的に暖まると心も温まります』
「相変わらず、いつ、どこから」
『私はあらゆる予測が出来ますから』
「……ありがと」
 ナイトの腕の中から逃げてカップを受け取る。
 予測ってどこまで……いろいろと聞きたいけれど、うまく言葉が出て来ないから無言でひたすらちびちびと飲む。
 甘い。
 これってジンジャーミルク? 軽く聞こうと思うんだけど、やっぱりちょっとうまく声が出ない。
 ミルクが大方空になったところでひょいと手が伸びて手の中のカップが回収された。
 ナイトは空のカップを顎に当ててじっと俺を見てる。
 ……。
 気まずくて目を逸らす。
「泣かせてごめんね?」
「ぐ」 さくっと言われた。突っ込んで欲しくなかった。「……ナイト、けっきょく俺を泣かすの、好きだろ」
 恨みがましい文句に、苦笑する気配。
「好きだよ。どんな顔でも」
 そう言いつつ目の前に屈んできた。頬を舐められる。
 そのまま舌は涙の名残を辿ってく。目元までくるから堪らず目を瞑る。瞼にキスが落ちて、キザだな。と思う間もなく口を塞がれた。
 ……唇は余計だろ。

 最後に舌を舐めて、
「──しょっぱくて甘い」
「味とか感想いらないから」
「美味しいよ?」
 睨んだらその目を見てしまって、言いかけた文句が止まる。
「円」 思ってたより、心配そうな水色。「まだ怖い?」

 ……これだから。
 だから、いつまでも涙が乾いてくれないのだ。
「全然、怖くないし」 むすっと返してから、言葉が足りてないなと反省する。意を決して付け加えた。「幸せなのが切ないんじゃなくて、ふわふわする。だから大丈夫」
 ナイトはふは、と笑う。
「うん、改めて思った。円は可愛い」
「……」 恥ずかしいんだよ。可愛くない。どう反論しようかとぐるぐると考えたけど、言葉に出来ず溜息だけになる。「確かに甘いな」
『甘すぎて砂を吐きそうです』
「お前は黙れ」

 とガーデン君と軽口合戦になりそうなナイトの肩に手をかけて、俺はその唇にキスを返す。
 たまには反撃したくなったから。
 ナイトは固まって動かなかったけど。反応の薄さに不安になってくる……あ、でも赤くなってる。良かった。可愛い。
 二の腕をがっちり握られてるのが不穏だけど。取れないこれ。

 ──他愛ないやりとりをしながら俺は未来を夢想する。

 この先は、幸せに暮らしました──。

 なんて、ひとことで終わる物語じゃないだろう。
 平穏ではない予感はすごく、する。
 でもひとつだけ揺らがない。一緒に生きていく。それだけあれば俺は良い。


 これからはじまるのは、きっと、波瀾万丈な日常だ。



 (了)

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