愚かな道化は鬼哭と踊る

ふゆき

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【廃ビルの怪】

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「なんっだ、ありゃあ……?」

 仕事中、視界を感じてふと顔をあげると、廊下の突き当たり。ちょうど袋小路となる位置に、真っ赤な影がいた。

 薄暗い中、ゆうらりゆらり前後に揺れる、赤い人影。
 はじめオレは、ソレがなんなのかわからなかった。
 いや。わかるにはわかったが、理解できなかったと言うべきか。

 清掃の日雇いバイトで今日はじめて訪れた、まだ電気も通っていない古い五階建てビルだ。繁華街の片隅。建物と建物の間にある縦に細長いビルの廊下は薄暗く、小さな窓から差し込む光だけでは廊下の端までは見渡せない。
 普通なら、ソコに人影があることすら薄ぼんやりとしかわからなかっただろう。

 だが何故か、その人影がくたびれたつなぎを着たさえない初老の男だと、はっきりと見て取れた。
 ついいましがたまで、オレと一緒に床を磨いていた男だ。たまたま今日この場で一緒になった五十代後半の、どこにでもいるようなさえないおっさん。

 オレだって再就職にありつけず、日雇いバイトで食いつないでいるさえない中年男だからして、人の事はとやかく言えた義理じゃあないが。酷く、陰気臭い男だった。
 話しかけても返事はないし、表情は虚ろ。辛うじて手は動かしていたから、廊下の真ん中から右と左に別れ、お互い端を目指して床を磨いていた。
 背中を向けていれば、会話をする必要がないからだ。

 若者ならばいざ知らず、中年男が日雇いのバイトなんぞ、訳ありか就職活動中かくらいなもんだ。どちらにしろ、深入りしてほしくない理由である可能性が高い。
 オレだって、今日たまたま一緒になっただけの相手に身の上話なんてしたくはないし、虚ろな様子を見ていれば、なにかしら事情を抱えているのだろうことはわかる。
 気の利いた会話のひとつも出来ないんだ。自分に出来ないことを他人に求めるのもどうかと思い、二手に別れて作業をすることにした。
 そうでもしないと、どうにも気詰まりだったからだ。

 お互い無言のまませっせと床を磨き、どのくらい経っただろう。後もう少しで廊下の端に辿り着くというところで、背中に視線を感じた。じっとりと全身に絡み付く、粘っこくて不快な視線を。
 おっさんの方が先に床を磨き終わって、早くしろと視線で急かしてでもいるのかと何気なく顔をあげて振り向いた先にいたのが--あの赤い人影だ。

 理解できるわけがない。

 いまのいままで廊下を磨いていた男が、真っ赤に染まって廊下の奥に佇んでいるだなんぞ。
 なんの冗談だ、とは思えども。あまりにも非現実的で、なにが起こっているのか、とはならなかったのだ。

 意味がわからん。その一点で、思考が止まる。
 あるいはそれは、一種の逃避行動だったのかもしれないが。思考を止めちまったせいで体の方も止まっちまったのは、後から思えば失敗だった。
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