黒に染まる

曙なつき

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第3章 騎士団長と別離の言葉

第1話 王女来襲(上)

 元宮廷魔術師のグレゴリウスは、三人の特別審理官と共に、騎士団長ヴェルディの屋敷を訪ねた。
 しかし、生憎とヴェルディは不在と告げられる。王に呼ばれ、王宮に向かったと聞いた時、グレゴリウスは露骨に舌打ちした。

「……しまった」

 そして慌てて彼は、ルースの居場所を尋ね、彼が未だに屋敷に留まっていたことに安堵の表情を見せた。
 次いで、執事のハンスに、ルースとの面会を求める。

 ハンスは少し支度に時間を頂きたいと告げて去っていく。
 彼がいなくなると、グレゴリウスはずるずると豪華なソファに身を沈めた。頭を両手で押さえている。

「ヴェルディを押さえられたのは痛いのう。奪還に行くしかないか」

「……グレゴリウス殿」

 奪還という物騒な言葉に、カーターとダルクは顔を見合わせる。

「ヴェルディまで、精神汚染をくらうと取り返しがつかぬからのう」

「……その危険性があると」

「当たり前じゃろ。精神汚染鑑定の魔道具はあるか。用意しとくのじゃぞ。王家だけじゃなく、王宮とその周辺関係者すべてやる必要がある。いくら疫病が蔓延しているとはいえ、お主ら神殿は後手に回りすぎじゃ!!」

 ため息をついた。



 ほどなくして、応接室にルースが急ぎ足でやってきた。

「グレゴリウスさん、どうしたんですか」

「ルース、ヴェルディが王宮に行ったことは知っているか」

「さきほど、ハンスに聞きました。王宮から呼び出しがあったということです」

 彼は何も知らない様子だった。
 ヴェルディは、このルースには、王女マリアの右手に前神官長の聖人の徴があることも話していないのだろう。王家の危険性について感じている様子はない。
 なるべく、彼に過去の、“ライシャ事変”に関する話に触れないようにしている気配があった。

(それは……正解なのじゃろうが、己で危険を避けることができないという意味では致命的じゃろうな)

「王宮から戻ってくるまでの間でいい、神殿の仕事を手伝ってもらうことはできるか」

「はい」

 ルースは素直にうなずく。

(この屋敷にいるよりも、神殿で守ってもらった方が遥かに守れそうじゃ。早めに連れていってもらおう)

 カーターが付き添ってルースは神殿に向かうことになった。
 そして残りの者達は、急ぎ王宮へ向かった。


  *


 王宮の北に建てられた高い尖塔。
 そこは知る人ぞ知る、罪を犯した王族や高位の貴族達を収容する豪華な牢獄であった。
 窓や出入口は格子で塞がれ、開けるには鍵が必要であったが、寒さや飢えを感じず、快適に過ごすことができる牢だった。
 壁には絵が飾られ、浴室を備え、食事をとるテーブルは、古びてはいるが立派な作りだった。
 ヴェルディはこれまたふかふかの寝具が置かれている寝台に座り、両手を組み深くため息をついた。

 自分は王宮へ来るべきではなかった。
 そう、今となって後悔しても仕方のないこととは思うが、そう思う。

 国王ロベルトは明らかにおかしい。
 すでに婚姻を為している者を引き裂いて、王女を降嫁させるなど、傍目から見ても非難される行為のはずだ。
 自分は、一時“恋に狂った”と評判されたほど、ルースに夢中だとみなされている。身分の差を超えて熱烈に結ばれた二人を好意的に見る者も多い。
 その自分の婚姻を破棄させて王女と結ばせるなどすれば、王家の評価は大きく下がるだろう。
 そこまでして自分を、王女と婚姻させたい理由はなんであろう。

 東地域の魔獣討伐に成功したからか。
 王女の、聖女としての評判に翳りが見える中、自分と婚姻させて……

 そんなことをつらつらと考えている時、部屋の入口の扉が開いた。フードのついたマントを羽織った小柄な人間が入ってきた。
 その者が入ったと同時に、扉は閉められ、再び鍵が下ろされる。
 部屋を入ってすぐのところに、格子が間を遮る壁のように下ろされているため、入った人物はすぐにヴェルディと接触できる状態ではなかった。
 その人物は格子を掴み、すぐさま頭のフードを下ろした。
 ふわりと肩に落ちた蜂蜜色の豊かな髪、真白の肌に、大きな薄い緑色の瞳をした美しい少女は、マリア王女その人であった。

 よく見れば、マントの下も薄桃色のドレスをまとっている。
 ドレスは流行の華やかなデザインをしていて、腰回りはうんと細くなっている。妖精のように愛らしい姿で、こんな牢獄の中には不似合いな存在であった。

 華奢な手が格子を揺する。

「ヴェルディ団長、大丈夫ですか」

 懸念を美しい面に浮かべて少女は言う。
 その突然の登場に、ヴェルディは少し呆気にとられていた。

「……ああ、大丈夫だが」

「お父様はひどいです。こんな牢に閣下を入れるなんて。わたくしがすぐにお父様に出して頂くようお願い申し上げますわ」

「それは助かる」

 そうは言っても、まず王女の力では不可能だろうと思った。
 
「牢から出していただいたら、閣下とわたくし、すぐに婚礼の式を挙げましょう」

 マリア王女は薔薇色の頬を赤く染め、うっとりとした表情でそう言った。
 その言葉にヴェルディは動きを止めた。

「王女殿下、私はすでに結婚しています。貴方とは結婚することはできない」

「いいえ、閣下とわたくしは結婚するのです。わたくし、お父様にお願いいたしましたの。コレを我慢するから、絶対に閣下とわたくしを結婚させて欲しいと」

 コレ?
 マリア王女の視線が、格子を掴んでいる手袋をつけた右手にいく。
 
 嫌な予感がした。

「……それは何ですか、殿下」

「いやだって言ったのに、お父様はわたくしの手に、この花の痣を移したのです。最初は我慢できましたわ。何事もなかったのです。けれど、日が経つにつれて、わたくしの右手は……」

 マリア王女は右手の手袋をおもむろに外した。
 そこには、指の先から手首まで、青黒く変色した肌が見えた。今や変色によって、花の痣が右手の甲にあることも見えないだろう。

「わたくしの右手はおかしくなってしまったの。もうこんな右手では、閣下にも嫌われてしまうと思っていましたわ。でも、お父様が言いましたの。ヴェルディ閣下は聖女がお好きだから、これを我慢して付け続けていれば、必ずお前と結婚してくれるだろうと。そうなのでしょう? 閣下。だからわたくし、どんなに痛くても、これを我慢致しますわ。だって、だって」

 マリア王女の唇の端がくいっと上に吊り上がり、その薄緑色の瞳が輝いてヴェルディを見つめた。

「わたくし、閣下のことが大好きですもの」
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