天上の果実

曙なつき

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僕と彼との“偽装結婚”

第一話 死にかけていた男と“偽装結婚”をする

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 倒れ伏しているその男を見つけたのは、本当に偶然だった。
 天災級の大型魔獣と戦っていた。彼はその身に宿る魔力のすべてを使い尽くしてそれを倒した。
 自身の魔力のすべてを使い尽くしたせいで、彼自身も死にかけていた。

 真っ白い雪の中に、蒼白となって倒れていたその男は美しかった。
 そう、男の癖にバカバカしいほど美しかったのだ。
 僕はしゃがみこみ、その死にかけた男の頬にそっと手をやった。
 まだ彼の頬は温かかった。
 雪の中に、真っ黒く長い髪が広がり、そして倒れ伏している男の姿は、どこか絵のように美しかった。
 立派な武具を身に着け、大層な剣を手にしていても、死ぬときは、普通の人間と同じなのだなと、僕はそんなことを思った。

 僕が触れたせいで、彼はその目を開いた。
 その瞳もまた、綺麗な青灰色をしていた。

 死にかけ、急速に光が失われつつある。

「……お兄さん、死にたくないの?」

「…………」

 残酷にも僕は尋ねる。
 死にかけている者に。

「ねぇ、お兄さんが僕と約束してくれるなら、僕がお兄さんを助けてあげる」

「……約束?」

「そう悪い約束じゃないと思うよ。ねぇ、約束しない?」

「…………す……る」

 掠れた声で、その美しい男は呟いた。
 僕はにんまりと笑った。

「そうこなくちゃ」

 そして、僕はその美しい男の薄い唇に、そっと唇を落とし、彼に魔力を移したのだった。
 どれほど長い時間、口づけをしていただろうか。
 男の頬は次第に赤くなり、生気を取り戻していく。
 やがて、雪の上に膝をつき、剣を地面に突き立てて立ち上がった。

「……お前は……何者なんだ」

「僕はリスタ。お兄さんと約束する者だよ。お兄さんを助けてあげたのだから、今度は僕との約束を守ってね」

 男の青灰色の瞳が、警戒したように僕を見つめる。
 僕は言った。

「僕と、偽装結婚してください」

 こんなに綺麗な男の人なのに、馬鹿みたいに口を開ける姿を初めて僕は見た。

「…………偽装……結婚?」

「そう。僕、今の自分の姓のままだと、冒険者登録もできないんだよね。そうすると、お金も稼ぎにくくて。誰かと偽装結婚したいなーと思っていたら、お兄さんが雪の中に倒れていました!! 死にかけていたからちょうど良かったです」

「…………お前はまだ子供のように見える。そもそも結婚ができる年齢なのか」

「ぎりぎり、結婚できます。十二歳です」

 男は眉間にくっきりと皺を寄せた。

「早すぎる」

「でも、十二歳は結婚できるんだよ。ほらほら」

 僕は婚姻届をぴらぴらと彼の前で揺らした。まだ白紙の婚姻届けだった。
 
「用意がいいな」

「さぁさぁ、約束は守って。神殿に届け出するところまで、付き合ってもらうよ」

 そう、こんな子供が神殿に届け出をしにいっても、ちゃんと取り合ってもらえない可能性があった。
 だからそこまで付き合ってもらわないといけない。

「……まさか、お兄さん、もうすでに結婚していたとか、そういうことはないよね」

「独身だ」

「婚約者がいたとか?」

「いない」

「まさにふさわしい“偽装結婚相手”だね」

 そう僕が手を叩くと、彼はギロリと睨みつけた。

「……約束は果たす」

 彼はマジックバックからペンを取り出した。
 マジックバックという高価な魔道具を、お兄さんが持っていることに驚いた。羽振りの良い戦士なのだなと僕は呑気に思っていた。

 すらすらと婚姻届けに名前や住所、職業を書いていく。
 名前は、キーファ=グランディア。
 職業は冒険者とあった。

 サインをした婚姻届けを僕は受け取った。
 
 そして僕は彼から見えないところでササっと自分の名を記入欄に書いた。姓の部分はわざと雪で濡らして滲ませて、読みにくい状況にする。どうせ姓は変わってしまうんだ。問題ない。それに、これを提出するつもりの神殿には、よぼよぼの耄碌したおじいさんの神官しかいない田舎の神殿だった。ちゃんと受理されやすい場所を、事前に調べていた。

 少し離れた神殿に、それを提出した。

「お兄さん、ありがとう。これで姓が変わったよ」

 僕はほっとして、彼に笑顔を向けた。
 離婚した場合には、旧姓とこの結婚後の新姓のどちらも選べる。
 
 僕の名はリスタ=グランディアに変わった。そしてその姓のまま、離婚後も過ごすつもりでいた。

「……姓を変えたいなんて、何をしたんだ」

 相変わらずの綺麗な顔の眉に、くっきりと皺を寄せている。
 不機嫌そうだった。
 反面、僕はご機嫌だった。
 僕の計画は着々と進んでいた。
 まずは姓を変えること。大変かなと思っていたけれど、死にかけていたお兄さんと約束をして、一気に叶った。

「何もしてないよ。前の家が、面倒くさい家だったんだ。姓を変えないと追いかけてくる可能性があった。ほら、冒険者登録するときに、水晶玉に手をかざすでしょ。アレって真実の名しか登録できない。前の姓が出てくるとマズかったんだよね。だから、お兄さん、助かったよ。ありがとう」

 そう言うと、彼は眉間に皺を寄せたまま、僕の体をひょいと持ち上げた。

「……え、お兄さん。“偽装結婚”はしたので、もういいんだけど。ここでお別れですよ」

「お前は私の妻になっている。このまま放置して、ケチな犯罪などしてもらっては、家名にかかわる」

「……え、お兄さん、そんな家名とかにこだわる家だったんですか!! いやだなっ、そういうことは最初から言ってくださいよ」

 そう、そんな面倒くさい家は、こちらからも願い下げだった。

「仕方ないですね、じゃあ、すぐ離婚してあげますよ」

 僕の言葉に、キーファは青灰色の瞳をすがめた。

「……簡単に離婚できると思うな」

「……エッ」

 彼の視線は厳しく、そのとき、僕は初めて失敗したことを悟った。
 そう、面倒くさい家に嫁いだことを知ったのだ。

「離婚しましょう、お兄さん。それがお互いのためです」

「……ふざけるな」

「離婚してくださいよ、お兄さん」

 離婚を連呼する僕を抱えたまま、彼は歩いていく。
 周囲の人々が奇異な視線を向けるが、彼は構いやしない感じだった。

「どこへ行くつもりですか」

「今日の宿だ」

「…………エッ、僕は解放してもらえないんですか」

 それに、彼は初めて嬉しそうに、ニヤリと笑ったのだった。
 綺麗な顔をしているだけあって、どこか凄みがあった。

「お前は私の妻だからな。夫唱婦随というように、ついてきてもらう」

「……………ちょっと、冗談やめてくださいよ」

 僕はばたばたと手足を動かす。
 だが、体格が違いすぎる。彼は子供の僕を抱えたまま、今日の宿の扉をくぐったのだった。
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