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第3章 絶望と希望
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しおりを挟む眠っている彼女のお腹辺りがゆっくりと上下していて、彼女の体に繋がれた機械が正常なテンポで音を鳴らして心拍数を記している。口に呼吸器を繋がれて腕には包帯が巻かれ、痛々しい状態になっていながらも、幸いにも顔には包帯は巻かれていなかった。彼女をこんな状態にした犯人を許すことは到底出来ないが、今は彼女が生きていてくれているだけで僕は本当に嬉しく思った。彼女がいつでも目を覚ましていいようにずっと側で見守っていよう。そう決めて僕は、彼女の眠るベッドの近くに椅子を近づけて座った。彼女の眠っている顔は呼吸器をつけていても美しかった。まるで女優が眠っている演技をしているようにすら見えた。そして彼女の顔をいつまでも見ていた。
時計を見ると十九時を回っていて、すっかり日も落ちて窓の外から見える建物にも明かりがついていた。僕は病院の売店で彼女の好きなホワイトチョコとカルピスを買ってきてから再び椅子に座った。長時間、椅子に座ったりしているのに全く疲れを感じない。それどころか、彼女の側にいれることに嬉しく思う僕がいた。強いて言うなら、チームメイトには大会途中で抜け出した罪悪感だけがある。だがこんな状況ならみんなも分かってくれるはずだ。今度、彼女と二人でみんなに謝ろう。そう決めた。
僕が今後のことをそう考えながら彼女を見守っていると、不意に勢いよくドアが開いた。そこには何故かアスカさんが息を切らして立っていた。目が合った瞬間、アスカさんは何かを悟ったように笑った。
「ア、アスカさん?何でここに?」
「はぁ、はぁ。そっか。やっぱりタクヤくんがいてくれたんだね。良かった」
「どういうことですか?」
「ま、まぁとりあえず、息を整えさせて」
僕は彼女が目を覚ました時に渡すつもりで買ったカルピスをアスカさんに渡した。するとアスカさんはそれに口をつけるとグビグビと喉を鳴らしながら勢いよく飲み、ほとんど中身が残らないぐらい飲み干してしまった。
「ありがとう。落ち着いたよ」
「いや。そんなことより」
「そうだね。んー、何から話そうか」
アスカさんは僕を見つめると、覚悟を決めたように一つ深呼吸をした。そして、今さっき僕に見せた悟ったような笑顔を再び僕に向けた。
「私ね、とってもズルい人間なんだ」
「え?」
「今までタクヤくんに言ってなかったけど私とそこで眠っているユカちゃんはね、ずっと前から友達だったんだ」
アスカさんから告げられたそれを理解するのに時間がかかった。それと同時に僕の頭の中にアスカさんと吉田さんが浮かんだ。けれど、どうしても二人が一緒にいるイメージが出来ない。そもそも何でアスカさんは今まで黙っていたのだろう。言葉を返せないでいる僕を見かねたアスカさんの口が再び開いた。
「ユカちゃんとはね、小学校の頃からの仲で学童が一緒だったんだよね。三つも歳の違って、根暗だった私にユカちゃんは気兼ねなく話しかけてくれて。いつからか私はユカちゃんとばっかり一緒にいるようになった」
「アスカさん」
「何?」
「どうして今まで話してくれなかったんですか?」
「せっかちだね、相変わらず。まぁ順を追って話すつもりだけど、それに反論するならタクヤくんからユカちゃんの話題が出なかったから私も出さなかった」
まぁ出るわけないよね、とアスカさんの笑顔は普段と変わらない柔らかいものになって僕を見つめる。おそらくこれからもアスカさんから告げられることは、一つ一つ衝撃的なものになる気がする。僕はそれらを受け止める覚悟をした。そして頭も必死に回転させようと決めた。
「ごめんなさい。話、遮っちゃって。続き、教えてください」
「うん。あれ、どこまで話したっけ?」
てへへと笑うアスカさんは、また優しく笑った。そんな調子だから僕の心にも少しゆとりが出来た気がする。
「えっと、アスカさんと吉田さんが学童が一緒だったってとこでしたよね」
「そうそう。それでね、学年が上がって中学生になったユカちゃんが人生で初めて気になる男の子を見つけたんだってウキウキしてたな」
「...」
「それから学年が一つ上がっても中学校を卒業しても、ずっとユカちゃんはその子のことが気になってたんだって。でも自分から声をかけるのは恥ずかしいからっていつまでも行動出来なかったみたい。それで高校は別々になっちゃってユカちゃんは結局何も出来ず終い」
「...」
「私は今もユカちゃんと連絡取ったり遊んだりしてるんだ。それでユカちゃんはついこの前に、その初恋の子に会ったんだってめちゃくちゃ喜んでたよ」
僕の心臓が、アスカさんにも聞こえそうなほどドクドクと大きな脈を打って動いている。空気が乾燥しているのか緊張しているのか、喉がやたらと乾く。
「そ、それって」
「流石のタクヤくんでも気づいたでしょ」
「それ、本当の話?」
「何で嘘でこんな話をするの?それに、私が謝らないといけないのはここから」
「え?」
「大切な友達が事故でこんな目に遭っているのに、私は自分の気持ちを君に伝えようとしてる」
「ア、アスカさんの気持ち?」
「私が高校生の頃、君のバレーをしている姿を見た瞬間から私もね、君のことが好きだったんだ」
アスカさんの言葉を受け取った瞬間、ベッドの横からはみ出していた吉田さんの指がぴくっと動いた気がした。慌てて僕は彼女の顔を見たが、依然として意識を取り戻す様子は無かった。アスカさんはそれに気づくことなく笑っている。
「自分でも驚いたよ。軽い気持ちで同級生の弟のバレー部を応援しに行っただけなのに、まさか一目惚れしちゃうなんて。しかも中学一年生に。まぁ身長はその頃から大きかったし、一年生には到底見えなかったけど」
「ア、アスカさん、この前ファンみたいなものだって言ってませんでしたっけ?」
「あれは嘘だよ。ずーっと好きだった」
「う、嘘だったんすか」
「そう。それでね、ユカちゃんの気になる子の話を聞いているとそれがタクヤくんだっていうのは私にはすぐ分かった。君たち同級生だしね」
フフと笑う、アスカさんの声は次第に小さくなっていた。肩も微かに震えている。
「それから私は、高校生になった君も、卒業してからの君も密かにユリから話を聞いてたんだ。それで、君が仕事を探しているってこともその時に聞いた。けど、ユカちゃんには君に抱いてる私の感情、何も伝えなかった。最低だよね」
アスカさんは、消えかかっている蝋燭のような弱い声で当時のことを僕に話す。僕は何も言わずにそれを理解していく。
「正直に言うと私は、君が私の店で働いてくれるってなった時、死ぬほど嬉しかったし、想いを伝えなくても君との繋がりが続いていくのならいつまでもこのままタクヤくんが店で働いててほしいなって思ってた」
「吉田さんにはアスカさんが店を経営してること、言わなかったんですか?」
「うん。ユカちゃんには一流の料理店で厨房の中にいるって言ってあったんだ。友達には努力してるとこ、見られるのは恥ずかしくてさ。いやぁ思い返すと私、自分の都合だけで本当にひどいことしちゃってたなぁ」
本当のことを話すアスカさんに対して僕は怒りの感情が込み上げるのだろうと思っていたが、いつの間にか僕は自分でも驚くほど冷静に話を聞くことが出来ている。そして全てを話し終えたのか、アスカさんも口を閉じた。
「アスカさん、もう隠し事はないですか」
「うん。今、話したことが全部だよ」
「分かりました。全部話してくれてありがとうございます。今言ってくれたことが全部本当なら、おれも今の気持ちをアスカさんに」
「ダメ」
「え?」
アスカさんはいつとの優しい口調と笑顔で僕の言葉を遮った。
「むしろ今の君の気持ち、私はもう分かってるよ。あと、ユカちゃんの気持ちも知ってる」
「アスカさん?」
「タクヤくん。今まで黙っててごめんね。ユカちゃんを大切にしてあげて。私は今、君に全部を伝えられたから」
アスカさんはゆっくりと深く頭を下げて僕に顔を隠した。そしていつまでもその姿勢でいる。顔を上げない。
「な、何で」
「ん?」
「何でアスカさんはこの場で話そうって思ったんですか?」
ふふっと笑って顔を上げたアスカさんは右手でピースサインを作って僕に向けた。
「二分の一の賭けをしたんだ。もし君がここにいたら全てを打ち明けようって。それで私はいる方に賭けた。そしたら本当に君がいたから話そうって決めた」
「...」
「どれだけ誠意を込めて謝っても時間は返ってこないし、ユカちゃんには君以上にひどいことをした。だから私は、ユカちゃんが目を覚ましたら今君に言ったことをユカちゃんにも言って、全力で謝って、君たちの前から姿を消そうかなって思ってる」
「い、いやそれは」
「心配しないで。君の再就職先は、私が紹介出来る料理店があるから」
「そういうんじゃなくて!」
僕は試合中に出していた声よりも大きな声でアスカさんの言葉を止めた。アスカさんからは笑顔が消えて真剣な顔で僕を見つめている。
「ご、ごめんなさい。大っきな声出して。けど、アスカさんが吉田さんに伝えてからする行動は間違ってる。それは逃げてるだけだ」
「ふふ、そうかもね」
へらっと笑うアスカさんの両目から、我慢していたのを止めたように涙が流れ始めた。
「私ってやっぱり悪いことをやりきる才能無いんだなってつくづく思うよ。さっき君にひどい話をしている時も、今君に言った姿を消そうとしている話をしている時も、やっぱり心のどこかではユカちゃんには伝えないといけないって思ってるし、本気で謝りたいから早く目を覚ましてほしいって思う自分がどうしても居るんだ。本当に私、最低だ。自分で自分が許せないや」
「アスカさん」
僕は無意識のうちにアスカさんの両肩を包み込むようにしてそっと両手で触れ、そしてゆっくりと離した。アスカさんは目が潤んだまま僕を見つめる。
「アスカさんはいつだって優しい人です。それはもちろん今も変わっていない。アスカさんだから酷いことを口で言っていてもそう思うんです。あと、さっきアスカさんがおれに対して言ってくれた時に思ったことがあります」
「何?」
「アスカさんがおれに対して抱いた感情を、もしおれの姉や吉田さんに言ってしまったら、姉や吉田さんとの関係に影響があるかもしれないって思ったから誰にも言い出せなかったんじゃないかなって思いました。だって、アスカさんがすぐにでもおれと距離を近づけようと思ったのなら方法はいくらでもあったと思うし。まぁおれが自分の口で言うのも変な話ですけどね」
「ふふ。本当に変な話だよ。ただ、それは君の想像に任せるよ。一つ確実に言えるのは私は臆病者であると同時に、卑怯者だってことかな」
溢れている涙を拭きながらアスカさんは呼吸を落ち着かせるようにゆっくりと息を吸って吐く。。ピッピッと吉田さんが落ち着いている状態だと知らせる音だけが部屋に響く。
「吉田さんなら、さっきアスカさんが話してくれたことを正直に伝えてもきっと許してくれると思います。アスカさんもずっと前から知ってると思いますけど、吉田さんも本当に優しい人だから」
「ふふ」
「え?おれ、変なこと言いました?」
「何でもない。気にしないで。あとタクヤくん。さっきの私の言葉、しっかり思い返してね」
「ん?どういうことっすか?」
アスカさんは大袈裟にため息を吐いて萎んだように顔が下がり、笑顔になって再び顔を上げた。
「私の気持ちはとっくに過去形ってこと。自惚れちゃダメだからね。あと、ユカちゃんのこと、特に今は君が大切に支えてあげてね。じゃあ私は話し終えたし、そろそろ家に戻るよ」
「え?一緒に吉田さんを見守らないんですか?」
「今は君だけがここにいるべきだと思うからね」
アスカさんはゆっくりと、だが確実に帰る支度を整えていき、座っていた椅子から立ち上がった。
「アスカさん、信じてますから。いなくなっちゃダメっすよ」
「大丈夫。ならないよ。絶対。そうだ、じゃあユカちゃんの状態が良くなったら二人で一緒に店に来て。君はそれまで有給休暇にしといてあげるから」
「え、アスカさん店、一人だけだったら大変じゃないっすか」
「大丈夫だよ。強力な助っ人呼ぶつもりだから」
「助っ人?」
私の心配はいらないから今はユカちゃんだけを見ていてあげて。ユカちゃんが目を覚ましたら、改めてタクヤくんとユカちゃんに謝罪をさせてください。アスカさんはそう告げて部屋を出て行った。
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