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第3章 絶望と希望
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しおりを挟むアスカさんが部屋を出て行ってから、僕は吉田さんが眠る部屋で無限にも感じる時間を過ごした。僕が見る限りだが、呼吸は安定しているし心拍数も落ち着いている。呼吸器がついていなければ、もっとハッキリ彼女の寝顔を見られるのに。不謹慎にもそんなことばかり考えながら彼女を見守っている。だが、やはり何もしないままそこに座っているだけなので段々と僕に悪戯をするように睡魔が襲ってきた。次第に僕は意識が無くなった。
「...くん、森内くん、森内くん」
不意に夢の中で彼女に呼ばれた気がして僕は顔を上げた。そこには呼吸器を外し、涙を流して笑う彼女がいた。夢か?いや、夢にしてはリアルすぎる気がした。
「吉田さん、目、覚めたんだね」
「おはよう。キミが逆に眠ってて笑えちゃったよ」
「ごめん。絶対寝ないつもりだったのに」
「キミが謝ることは何もないよ。むしろ、ずっと側にいてくれてありがとう。本当に、ありがとう」
「ううん、いいんだ。あ、ナースコールするね」
「あ、待って」
「え?」
「意外と意識ハッキリしてるから呼ぶのはちょっと待って。今は、二人でいたい」
目が覚めた彼女の声を聞いたからか、今彼女にそう言われたからか、自分でも分からないが僕は彼女の目を見ていると涙を堪えられずにはいられなかった。ダムが決壊したように僕の目から大粒の涙が溢れ出す。涙を流すなんて高校生の部活以来かもしれない。それに、こんなに涙が流れるのは人生で初めてかもしれない。
「何でキミが私より泣くの」
「ごめん。何でだろう。吉田さんの目を見てると自然と泣けてきて」
「ふふ。森内くん、もう少し近くに来て。まだあんまり大きい声は出せないみたいだから耳、近づけて」
「え、うん」
僕は身を乗り出し、指示に従って彼女の顔の近くに心拍数を必死に抑えながら体を寄せた。次の瞬間、彼女は僕の背中に腕を回し、優しく抱き寄せた。僕は心臓が爆発しそうになりながらも彼女に身を委ねた。そして僕も同じように彼女の背中に腕を回した。彼女が生きていると分かる温もりがここにあって、一層涙が止まらなくなった。
「ごめんね。試合、見に行けなくて」
「何言ってんの」
「だって。キミのバレーしてるところ、見たかったんだもん」
「吉田さん」
「何?」
「生きててくれてありがとう」
鼻をすする回数が増えている彼女の顔は、僕と同じように涙を流しているのだろうか。僕らは永遠にも感じる時間をずっと身を寄せ合って過ごした。この時間が永遠に続いてほしいとも本気で思った。
✳︎
吉田さんが意識が戻ってから二時間ほどが経った。僕らがこっそり抱きしめ合ってからナースコールをして彼女の状態を先生たちに看てもらった。彼女は足の骨折があるものの、奇跡的に上半身に大きなダメージは無く、骨折した箇所もしっかりリハビリを続けていけば後遺症のような症状も無いとのことだった。
「私、やっぱり体頑丈なんだね。後ろから車に轢かれたのにそれだけで済んだなんて」
「何言ってるの。あなたは本当に運が良かっただけよ。まだまだこれからしんどいことが多いからちゃんと体を休ませないといけないわよ」
部屋に来たナースさんのハキハキとした声が響く。吉田さんはそれに対して分かってますよーっとヘラヘラした声で笑いながら言った。
「吉田さん。ナースさんの言う通りだよ。本当に不幸中の幸いだったんだから。安静にしてないと」
「あ、森内くんだったよね。今、内緒でこの部屋に入れさせてあげてるけど、本当はもう面会は終わってる時間だから静かに過ごすんだよ。吉田さんも」
「はーい。二人とも二十五歳なんで流石に言いつけは守りますよ」
ちゃんと休むのよと小さな声で僕らに伝えてからナースさんは部屋から出て行った。
「あのナースさん、良い人だね」
「うん。歳も私たちぐらいに見えたから結構話しやすかったし」
部屋にひんやりとした空気が流れる。時間を確認すると、日を跨いで0時半を過ぎていた。流石に少し肌寒くなってきた。
「吉田さん、寝なくていいの?」
「うん。さっきまで寝てたから全然寝れる気がしないんだよね。森内くんこそ帰らなくていいの?」
「吉田さんさえいいならおれは今日はここで泊まっていこうかなって思ってる。今から動くと逆にナースさんたちに見つかるかもしれないし。あと、ここにいたいし」
「ふふ、素直になったね。いつの間にか」
「何かこういうことがあったから、前よりも距離が近く感じるよ。大分ね」
「うん。私もそれはすごく感じる」
ナースさんが気を利かせて置いていってくれた温かいお茶の入ったペットボトルを、僕が二人分開けてそれを静かにくっつけ合った。僕にはそれがさっきの僕らみたいに見えて少し恥ずかしくなった。
「じゃあ乾杯」
「うん、乾杯」
ぐびっと一口お茶を喉へ通すと、抱え込んでいた疲労みたいなものも一緒に流していってくれたかのように心が落ち着いた。
「あったかいね」
「うん。美味しい」
「そういやさ、吉田さん。明日とかにはご家族の方たちが見舞いに来るかな」
「あぁ、どうだろ。来ないんじゃないかな」
「え? 何で?」
「最近、ひょんなことからチハルの悪口を言われたことがあってさ。それがきっかけで両親と大喧嘩。ここ数日、口すら聞いてなかったんだよね」
「そ、そうだったんだ」
「意外だったでしょ」
「うん。誰とでも仲良くなれる吉田さんだろうから、てっきり家族とも仲良くしてるんだろうなって思ってた」
「ふふ、よく言われるよ。けどまぁ喧嘩もする。過保護なんだよね、私の両親。チハルは昔ギャルだったし、素行の悪い連中とも馬が合ったりしてたんだけど、そういうところを未だにチクチク言ってきたりするんだ。ヒドいよね、本当のチハルがどんな子なのか何も知らないくせに周りの環境だけで人を判断しちゃってさ。今思い出しても頭に来ちゃうよね」
「まぁでも確かに山口さんもギャルだったね」
「も?」
「え?」
「私はギャルじゃないよ。ギャルに合わせてた部活女子だったから!」
「そ、そうなんだ」
「ん? 不満そうな返事だね」
「いや、おれは吉田さんと山口さんはいつも華やかなギャルに見えてたから」
「えー、心外だなぁ! ちょっとスカート短くしてつけまつけて眉毛剃ってただけなのに」
それをギャルとは言わないの? という質問は喉元までで留めておいた。
「でも森内くんも昔の私を覚えてくれてるのは嬉しいな。今思い返すと、確かに恥ずかしいカッコしてた時もあるけどね」
「うん。覚えてるよ。だって、おれも吉田さんのことがずっと気になってたから」
さっきまで安定していた彼女の心拍数があからさまに反応して数値が大きく変動した。そしてあからさまに吉田さんは慌てた。
「ち、ちょっと!今そういうドキッとさせること言わないでよ。私の心臓破裂するよ」
「大丈夫だよ。さっきナースさんに看てもらってたんだから」
「そういう問題じゃないよ!全く」
彼女は落ち着きを取り戻したようで、深呼吸をして両腕を思いっきり天井に伸ばして体を反らした。パジャマ姿の胸の膨らみは、普段よりも強調するその姿を露にして僕の心拍数も大きく動かした。彼女に目線がバレないように僕は必死に平然を装った。
「けど、中学を卒業して十年も経って、まさかこんな場所でキミと二人きりになってるなんて全く想像出来なかったよ」
「それはおれも思うよ。あの同窓会のおかげで今のこの瞬間があるんだね」
「うん、北村くんに感謝しないとね」
「フフ、そうだね」
それから僕らは時間を忘れ、文字通り夜通し語り合った。窓の外に見える空が白みかかった頃、彼女も喋り疲れたようで気持ち良さそうに寝息をたてて眠りに落ちた。僕は、今この瞬間に彼女の側で見守り続けていられることが本当に幸せだと実感した。彼女には気づかれないぐらいの力加減で僕は彼女の髪を撫でた。それからしばらく僕も眠っていたようで部屋の外から聞こえてくる色んな人が忙しそうにする音で目が覚めた。時計を見ると、まだ七時を少し過ぎた頃だった。彼女は先ほどと変わらない様子で眠っていた。ベッドの横から出ている僕の半分くらいの大きさしかなさそうな左手を包み込むように握りながら彼女の顔を眺めていた。季節が変わり始めているのが肌で分かるほどの冷たい空気が部屋に入り込んできた。
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