吾輩は時々、黒猫である。

やまとゆう

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第3章 師匠と師匠の師匠

#24.

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            ✳︎

 「10代の頃のオレは自分でも思うほど親不孝者だった。通っていた高校を突然辞めて、その流れで家族に黙って家を、そして生まれた街を飛び出した。別に誰かの何かが嫌だったとかそういうのじゃない。ただ自分の周りにある環境が嫌だった。今でも実の家族には連絡しないし、連絡がつくのかも分からない。ただ、連絡が来ないようにはしてる」

目の前にいる2人とも、オレの一言一句聞き逃すまいと言いたげにオレの顔を見つめながら耳を傾けている。

 「街を飛び出したものの、オレは自分のやりたいことは何も無かった。だから、日雇いのバイトを繰り返して1日を凌いだ。あの頃は毎日必死で生きたよ。河川敷で寝てたらホームレスのジジイに襲われそうになったこともあった。モデルの撮影って言われた場所に行ったらAVの撮影って言われたこともあった。あの時だけは空手を習ってて良かったって本気で思ったよ」

 へへと笑うオレの話に、真剣な眼差しを向ける2人。2人の目の色はオレには全く同じ色に見えた。

 「それで流れ着いた街がここ。もうかれこれ、20年以上前の話になるか。時間が経つのは本当に早いよ」

笑顔の優子が不意にオレを呼んだ。

 「師匠の若い頃の写真、見てみたいです」
 「あぁ、後で見せてやるよ。自分で言うけどめっちゃ美人だぞ!」
 「師匠は、この街で師匠の師匠に出会ったの?」
 「ややこしい言い方だな。けど、そうだ。日雇いのバイトで疲れたオレは週末の夜、この繁華街に出向いて酒を飲むのが習慣になってた。そこでオレは、ある人が経営する店の常連になった。その人は琥珀さんと言った。頻繁に琥珀さんの店に行ったオレは次第に距離が近くなっていった。オレは琥珀さんから人との話し方を教えてもらった。美味い酒の作り方を教えてもらった。「女」を教えてもらった。人から愛されることの素晴らしさを教えてもらった。鋭いナイフみたいだったオレを琥珀さんは優しく包み込んでくれるようだった。オレは琥珀さんから本当にたくさんのことを教えてもらった。それからオレは琥珀さんと一緒に暮らし始めた。まぁそれがこのバーなんだけどな」

驚くかと思った2人の表情は何も変わることなく、オレの目をじっと見つめ続ける。

 「いや驚けよ、お前ら」
 「だって。そんな気がしてた」
 「私も」
 「何だよ。察しがいいやつらだな」

オレは話をしていくうちに、昔の琥珀さんはこういう気持ちでオレを見てくれていたのかと感慨深く感じた。

 「けど、楽しい時間は長く続かなかった。オレと琥珀さんの別れは突然だったんだ」

ニケの顔色が明らかに変わった。優子も表情こそ変えないものの、動揺しているように体をもぞもぞと動かしている。オレは気付かないふりをして続ける。

 「その日は、今から16年くらい前の暑い夏の日だった。『友達に会いに行ってくる』って書かれた書置きと、何故か黒い猫のぬいぐるみが一緒にテーブルの上に置かれていた。何でそんな物が書置きと一緒に置いてあったのかは今でも分からない。それから琥珀さんは二度とこの場所に帰ってくることはなかった」
 「どうして?」

ニケの動揺した声がオレの胸を強く握るように締めつけた。

 「交通事故。暴走したトラックに轢かれたんだ。街中を警察から逃げていたトラックが歩道に突っ込んだんだってさ。犠牲者は琥珀さんだけじゃない。昼間の街だ。犠牲者は30人以上出た大惨事だったそうだ。その日のニュースで見た死亡者欄で琥珀さんの名前を見つけた瞬間、オレは心が壊れたよ。生きていく意味をその時に失った。琥珀さんの遺体を見た時、あの人の元に行こうとも本気で思った」

優子の目からは一筋の涙が感情を表すように零れていた。それを見たオレもつられるように視界が潤み、感情が動く。

 「オレは絶望しながらこの街をゾンビみたいに彷徨い歩いた。気力とか活力を全部体から引っこ抜かれた感覚だった。何であの人が死ななきゃいけなかったんだ。琥珀さんが何をしたっていうんだよって気持ちが鉛みたいに重く心の中にあった。バーに戻ったら首でも吊ろうかと考えていたその日の夜に、オレは公園でお前、赤ん坊のニケと出会ったんだ」

 ニケも溢れる感情を堪え、唇を噛み締めながら体を震わせてオレの話を聞いている。

 「あの時、お前に出会っていなかったらオレは本当に死んでいたかもしれないんだ。だから、ある意味お前はオレの命の恩人なんだよ」
 「師匠……」
 「ん?」
 「し、死んじゃだめだよ……」
 「アホか、もうそんな気持ちは無いよ」

ニケの目からも一筋、頬を優しく撫でるように涙が零れた。気がついたらこの場にいる全員が涙を流していた。ニケの涙を見るのはいつぶりになるかな。それを見てオレの涙腺がさらに緩くなった。

 「琥珀さんがオレにしてくれたみたいに、今度はオレがこの子の師匠になる番だ。オレは直感でそう思った」

そう言ってオレはニケの柔らかい髪の毛を撫でた。オレはニケの頭を撫でるのが大好きだが、今日は特に愛しく思って普段よりも多めに、強めに撫でた。珍しく嫌がらないのが嬉しくなり、オレはそのまま撫で続ける。

 「だからオレはニケ、お前はもちろん、優子も他の女の子たちの師匠でもあり続ける。いつまでも。そう決めてんだ」

オレも歳をとった。涙腺が昔より緩い。そういう所は少し琥珀さんに似てきたかな。ニケはオレに体を預けて、顔を隠すようにもたれた。

 「おい、ニケ。胸、当たってんぞ」
 「うるさい師匠。今は離れたくない。そんな話があったなんて知らなかった。何で今までしてくれなかったんだよ」
 「へへ、するか。バーカ」

オレの目から零れた涙は、ニケの元に行きたいようにニケの髪の上に落ちた。

 「師匠」
 「ん、どうした。優子」

優子の顔も、風呂に入っていた時のように赤く染まっていた。

 「私も師匠にくっついていいですか?」
 「おいおい、モテモテか? オレは! 人生のピークか? ここは! へへ、もちろんいいよ。おいで」

オレとニケと優子はしばらく体を寄せ合って互いを温め合うようにくっついた。ニケと優子の距離がとても近いのに二人は何も気にしていない。そんな様子を微笑ましく思いながらオレは二人を抱きしめた。

 「師匠」
 「ん?」

ニケがオレの胸に顔を埋めながら呼んだ。

 「他に隠していること、もう無い?」
 「ハハ、もう何も無いよ。強いて言うなら最近背中が痛いぐらいだよ」
 「歳とったね」
 「うるせぇよ思春期」
 「じゃあ師匠」
 「ん?」

優子も同じように顔を隠すように、涙をこらえている声色でオレを呼んだ。優子、今の発言は悪いことしたなって心の中で反省してるからな。

 「美咲さんや真希さん、京子さんや風花さん。あの方々とも何か特別な出会いとかがあったりしたのですか?」

話を変えましょう。優子がそう言っているようにオレには聞こえた。

 「あぁ、あの4人はオレのファンだ。空手をやってたオレを見て一目惚れしたんだって。弟子入りを懇願されてさ。オレもお調子者だったから二つ返事でオッケーを出したんだ」

思っていた出会いとは違ったようで、普段は笑わない2人の笑い声が部屋全体に響いた。上手く言葉には出来ないがオレは今、とても幸せだ。
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