吾輩は時々、黒猫である。

やまとゆう

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最終章 黒猫と「人」

#32.

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歩くのが早い優子は、後ろを振り向きながら僕らの歩くテンポと合わせるように歩いていた。歩き初めて20分ほどが経った時、優子の足が急に止まった。

 「みんな。ここが目的地です」

そこは病院だった。この街で一番大きい病院が僕らを見下ろすようにそびえ立っている。

 「えっと、優子?」
 「さ、もう少し歩きましょう」

僕の言葉を受け流した優子が再び歩き出した。僕はさっきからずっと考えていたことが的中しないように心の中でひたすら祈った。他のみんなの顔を見ると、僕と同じような表情で優子の後をついていく。そして僕らは病院に入り、エレベーターで5階まで上った。その狭い空間では誰も何も話さなかった。不穏な空気がそこに流れていることだけは確かだった。一瞬酔いそうになる重力がかかり、エレベーターが止まって扉が開いた。

 「もう少しです」

優子はまた歩き出した。さっきより歩く速度が速くなった。数字3桁の番号が記された見た目の同じ部屋を通り過ぎて行き、「523」と数字の並んだ部屋の前でついに優子の足が止まった。

 「お待たせ。先にみんなに謝っておきます。今まで黙っていてごめんなさい。ニケさん、心の準備ができたら、このドアはあなたが開けて」

力強く僕を見つめる優子の目と合い、僕はじわっと背中に汗が滲んだ。ごくりと喉を鳴らして大きく息を吸った。他のみんなも、もうこの部屋に誰がいるかは分かっているようだった。僕はみんなの顔を見渡し、全員と目を合わせてからドアを横に動かした。

            ✳︎

 ドアを開けた先には、黒色のニットキャップを被った「人」がベッドの上で漫才を見ながら笑っていた。その「人」はドアを開けた音に反応して僕らの方を振り向いた。僕はその「人」と目が合った瞬間、普段は細い目がピンポン玉のように大きく丸くなった。そしてその刹那、視界が滲んだ。

 「おぉ、優子。ついにバラしちまったか」

ベッドには師匠が座っていた。けれど、そこにいる師匠は以前とは見る影もなくやせ細っていた。腕は骨に皮を被せただけみたいに細く、顔も頬骨がくっきり目立ち、大きかった胸は全く目立たなくなっていた。師匠と目が合った瞬間に僕の目から涙が溢れた。

 「ごめんなさい師匠。やっぱり私はこうするべきだと思いました」

優子も同じように涙を流し、真希や美咲をはじめ、泣いた所を初めて見た「人」たちも含めて全員が師匠を見て同じ感情になっていた。

 「何だよお前ら。随分見ていないのに何も変わってないなぁ!」

がははと笑う師匠の声とテレビの中から聞こえてくる漫才師の声だけが部屋に響く。僕らは誰も言葉を発さなかった。それに見兼ねたように師匠もテレビを消した。この部屋に誰もいなくなったように静かになった。

 「なんで……」
 「ん?」
 「なんで嘘ついたんだよ!」

僕の怒号が部屋に響いた。けれど師匠の顔色は変わらない。再び部屋に静寂が訪れる。みんなの鼻をすする音が僕の感情を一層大きく動かした。すると師匠は、泣く子をあやすような優しい笑顔で笑った。

 「オレってさ、運命なんか信じてないから自分の命の終わりを自分で変えたくなったんだよ」

師匠の言葉を受け止めるように、僕もみんなも黙って耳を傾ける。

 「オレ、結構前から癌だったんだ。それはお前たちと出会うずっと前から。ニケがバーの手伝いを始めるよりずっと前。病院にはお前たちにバレないように通ってた。けど、治る見込みは無かった。不治の病って本当にあるんだなって初めて知ったよ」

師匠の話を聞いた僕は、これまで僕が見てきた師匠の姿を思い出した。けれど、僕にはどうしたって師匠が癌だったなんて一切納得が出来ない。

 「オレは必死に抗ったよ。余命は5年以内だってハッキリ言われた。それはニケが10歳の誕生日の日だった。その日のことは今でも鮮明に覚えてるよ」

優子は顔を隠しながら、足の力が抜けたように床に崩れ落ちた。誰よりも涙を流している優子の背中を僕はゆっくりと撫でた。

 「けど、オレは信じなかった。治療薬を飲みながら楽しい思い出を作って笑っていればどんな死の未来も変えることが出来る。そう信じて生きた。現にオレはこうして生きてる。余命宣告をされてから10年以上経ってるんだ。すごいだろ?」

以前のように胸を張る師匠の姿を見て、僕も優子と同じように体中の水分が目から流れていくように涙が溢れた。

 「それで? 師匠」
 「お?」
 「治ったの?」

僕が鼻水を垂らしながら聞くと、今度は悟ったように師匠が笑った。

 「治ってないよ。治らねえよ」

相変わらずお前は泣き虫だな、ニケ。と師匠がまた豪快に笑った。

 「不治の病って言っただろ。意味、分かんなかったら調べとけ」
 「うるさいな……。何で僕らに黙ってたんだよ」
 「お前たちの悲しむ顔が見たくなかった。っていうのは建前だ。やっぱさ、オレはいつまでもお前たちの師匠でいたいからさ。力強くいてくれた方がいいだろ?」

話していて一番辛いはずの師匠は、僕がこれまでに見た師匠の中で一番落ち着いていた。

 「もう随分前になるが、優子がオレの家に泊まった時があった。ニケは覚えてると思うが。そこで一緒に風呂に入った時、オレは全てを優子に打ち明けた。そしてオレの全てを優子に託した」

確かに記憶があった。師匠と優子がやたらと長い時間一緒に風呂に入っていた時間が。あの時にそんな話をしていたなんてその後の2人の様子を思い出しても全く違和感が無かった。

 「どうして僕には言ってくれなかったんだよ」
 「お子ちゃまに言ったら悲しむだろ。だから、オレに一番似てる優子に話したんだよ。優子にも悲しい思いをさせたからめっちゃ心が痛かったけどな。へへ」
 「へへじゃねえよ」
 「けど、やっぱりオレにも限界がきた。ニケの17の誕生日が近づいていた日、オレは尋常じゃない痛みが体中に走った。あぁ、これはヤバいなって。本気で思った。でも、ニケの17歳の誕生日だけは絶対に祝いたかったんだ。オレが琥珀さんに拾ってもらった歳と一緒だったからっていう自己満足だけどな」
 「こ、琥珀さんって?」

京子が顔を涙でぐしゃぐしゃにしながら師匠に聞いた。

 「オレの師匠さ。お前たちからしたら師匠の師匠だからおばあちゃんみたいな人だ」
 「ワケ分かんない」

泣きながら笑う風花の声につられるように真希も同じように泣いている。

 「優子は全部知っていたんだ」

普段より数段低い美咲の声を、優子は受け止めるようにゆっくりと頷いた。

 「優子を責めるのはやめてくれ。オレが黙っていてくれって頼んだから。それからオレは、いつニケに渡してもいいように準備していた手紙を置いて家を出た。そして、この病院で治療に専念することにした。大変だったよ。髪は抜けるし、ベッドは寝にくいし。メシはめっちゃ味薄いしな」

僕らを笑わせようとする師匠の目にも、いつの間にか光るものが見えていた。

 「それで、優子にオレがいなくなってからのお前たちのことを全部教えてもらってた。風花と真希がどれだけ色気を増したか。美咲がどんな大人の女になったか。京子が中学の部活生から大学生の女子になったか。ニケがどんなオーナーになったか」

僕ら1人ひとりの成長を、自分のことのように嬉しく話す師匠の顔からも僕らと同じように涙が流れ出した。

 「オレは優子に言った。もしに黙っているのが辛くなって、みんなに打ち明けたいと思ったら迷わずここに来いって。優子、今まで重い荷物を背負わせてしまってごめんな。本当にありがとう」
 「いえ。私にはそれくらいしか出来ないので」
 「お前たちの今を知ることが出来た。お前たちの今を見ることが出来た。オレは本当に幸せ者だな。長生きするもんだ」

しししと笑う師匠の顔を見ると、僕の顔も自然に緩んだ。

 「師匠はいつの間に、そんなおばあちゃんになったんだよ」
 「失礼なやつだな。オレはあと50年は生きるぞ。お前たちよりも長生きするつもりだし」
 「ふふ、師匠なら本当に生きそうです!」
 「そうだろ京子!へへ、歳とってもパンチの威力は変わんねえよ」

気がつくと僕らの顔はみんな笑顔に変わっていた。師匠の顔もさっきより明るくなっていた。まるで寒くて長い冬を越え、満開の桜を見ているようだった。この病室は、僕が17歳になった時にやった誕生日会みたいな幸福感に溢れた空間になっていた。

 「ニケ」
 「ん?」
 「お前、最近あの黒猫に会うか?」

不意をつかれた師匠の質問に僕は動揺した。口角を上げ、ウインクをする師匠からテレパシーみたいに声が聞こえた気がした。

 「そ、そうだね。そういえば最近全然もう会わなくなったな。ゆ、優子も見ていないよね?」
 「うん、そうだね。違う住処を見つけたって私も思っているけれど」

僕と優子のやりとりを聞いた師匠は「そっか」と一言言って満面の笑みを僕に向けた。

 「その黒猫は優子の言う通り、違う住処を見つけたんだよ。それも飛びきり愛情のある住処をな」
 「え? どういうこと?」
 「1匹だった黒猫は「愛情」を知った。その元ですくすくと育っているんだ。だからもう心配はいらない。その黒猫は今、とっても幸せだろうさ。うん、オレには分かる」

うんうんと腕を組みながらニヤっと笑う師匠の顔を、みんなは不思議そうに見つめていた。

 「私はまたあの黒猫を撫でたいです」

不意に言った優子の言葉を聞いた師匠は、本当に久しぶりに見るあのムカつくニヤニヤ顔を僕に向けた。

 「ま、まぁ! また寂しくなったらやってくるさ! うん、絶対! 僕には分かる!」

僕はあからさまに慌てながらそう言った。みんなはさらに不思議そうな顔をした。

 「黒猫って?」
 「私も初めて聞いたけど」

ついに疑問を口に出し始めた声を、師匠は待ってましたと言わんばかりに拾い上げた。

 「おぉ、お前たちは知らなかったか。なら教えてやろう。それはオレの店に住み着いていた黒猫でな……」
 「あぁー! そういえば聞きたいことがぁ!」

僕は久しぶりに大きな声を出した。全員の視線が一気に僕の方を向いた。

 「なんだよ。ニケ」

僕は目を泳がせながら口を開く。話を遮ったものの話題が思いつかない。僕は必死に頭を回転させた。

 「て、手紙で言ったこと」
 「うん?」
 「師匠はいつ、家に帰ってくるの?」
 「あぁ、そのことか。しし、ニケはこんな時に鋭い質問をする」

今度は悪戯好きな少年のような笑顔を僕に向けた。

 「安心しろ。約束は守るよ」
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