10億人に1人の彼女

やまとゆう

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最終章 今までも、今日も、これからも

#30.

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 「それからも、僕と妻は色んなところへ出かけたり、ダイキくんやハルカさんと一緒に遊んだり、妻の働いていた店で優子さんやミクちゃんも交えてお酒を飲んではしゃいだりしました。少し前に、僕の故郷へ妻と一緒に旅行へ行きました」

僕の言葉が合図になったように頭上の白い壁面に青白いライトが灯り、そこへ僕らがその旅行の時に撮った写真のスライドショーが流れ始めた。プランとは違うことが始まり、目線があちこちに動く僕をチハルさんは楽しそうに笑ってみている。僕はその瞬間に理解した。そして、その粋すぎるサプライズに言葉が詰まった。2人で撮った写真を多めに用意するように要求されていたのにはこういう理由があったのかと今になって気がついた。映像には僕らのこれまでの時間や笑顔が映されている。ひとつひとつの写真を見るたびに、頭の中でそこで過ごした記憶が昨日のことのように蘇ってくる。僕の寝顔の写真なんかもたまに挟まれていたのには流石に恥ずかしかった。映し出される写真は徐々に新しいものになっていく。ドライブ中に盗撮していたのか、僕の車を運転している姿を収めた写真が消えていく。それと入れ替わるように浴衣姿で笑っている僕らの写真が写された。この時のチハルさんの笑顔は、子どものように無邪気で可愛らしかった。そう、これはちょうどあの日だ。

 「スタッフさん、どうもありがとうございます。これは、妻のサプライズだと思いますがアドリブで進行させていただいています。音楽といい、このスライドショーといい、スタッフさんにとても素敵な演出をしていただいています。僕はこの浴衣を着ていた日の夜、何度目か分からないくらいのプロポーズを妻にしました。僕はそこで予想外の返答を妻から受け取ることになります」

スライドショーが、僕の声が止まったのと同時に少しずつ消えていく。流れている音楽も耳を澄まさないと聞こえないくらいに小さくなった。席に座っているみんなは僕の声を聞き逃すまいと言いたげに僕の方を黙って見つめている。

 「桜命症。妻のことをよく知る皆さんですから、この病名も知っていると思います。プロポーズを断られることは何となく予想が出来ていた僕ですが、妻からその言葉、これまでの僕の人生のなかで聞いたこともなかった病名を知らされることは全く予想が出来ていませんでした。いつも元気でいつも綺麗で、いつも薔薇のようにいい匂いのする妻がまさか10億人に1人の確率でかかる病気を抱えているとは夢にも思っていませたんでした。宝くじが当たるよりももっと低い確率だそうです。どうしてそれが妻なのだろうかと、何回も何回も考えました。」

ハルカさんの座る方から一際目立つ鼻をすする音が聞こえてきた。隣でダイキがハルカさんの背中をゆっくり撫でながらポケットから取り出したハンカチでハルカさんの目をゆっくりと拭いている。それにつられるように僕の目頭も徐々に熱くなっていく。けれど、今日は絶対に涙を流さな い。僕はそう決めて平常心を保つ。

 「それから次の日、朝起きると部屋に妻の姿は無く、手紙だけテーブルの上に置かれた妻からの手紙を見て僕は悟りました。もう二度と妻とは会えないと。絶望感でいっぱいになった僕が頼ったのはやっぱりダイキでした。そしてハルカさんや優子さんにとても助けられました。僕の心の中に開いた穴を埋めてくれた。だから、諦めることなく妻と再び会うことができました。そして、ついに僕のプロポーズを受け入れてくれました」 

隣に座るチハルさんが、鼻を小さくすすり右目の目元をゆっくりと押さえた。それを目の隅で捉えた僕は思わず声が上ずった。あからさまに動揺したその声を聞いたチハルさんは徐々に鼻をすする音が大きくなった。それが伝染するように客席に座る優子さんやミクちゃんの方でも聞こえてきた。

 「夢にも思える今この瞬間。チハルさんは僕なんかにはもったいないくらいとても素敵な人です。そんな人と出会えたこと、そしてこんな晴れやかな日を共に迎えられたこと。そして、それを祝福してくれる皆さんがいてくれること。僕は本当に幸せ者です。実は、式の予定に無かったこの時間を設けていただいたスタッフ関係者の皆様も本当にありがとうございます」

僕は人生で一番長くこんなに人前で話をした。人前で自分の抱く気持ちや感謝を人生で初めて伝えた。深々と頭を下げると、まるで滝が頭上にあるような豪快な拍手が耳に届く。それを聞くと、僕の目頭が再びじわりと熱くなった。頭を少しずつ上げ、隣にいるチハルさんにも深々と礼をした。すると、チハルさんからも華奢な彼女の体を表現するような優しい拍手が僕の耳に届いた。顔を上げると、そこには満開の桜がそこで咲き誇るように鮮やかな、そして可憐な彼女の笑顔がそこにあった。それにつられるように僕も頬が緩み、視界もじわりと潤んだ。僕は慌てて平常心を保つ。鳴り止むことのない拍手を聞いていると、チハルさんは猫のような手つきで式場の女性スタッフを自分の元に呼んだ。そのスタッフの耳元で何かを囁き、スタッフは首を縦に1回振ってから式場の外へと駆け足で出て行った。映画のエンディングで流れるような明るくて壮大なBGMとみんなの拍手で2人が何を話していたのかは分からないけれど、何かをするのだということだけはその時点で分かった。すると、1分もしないうちにさっきのスタッフが式場内に戻ってきた。その人の右手には僕が今使っていたマイクと同じようなマイクが握られていた。彼女はゆっくりとスタッフに頭を下げてからそのマイクを受け取った。その瞬間、式場の音楽が突然止まった。それと同時に、マイクを通して彼女の、風鈴のように綺麗な声が式場に響いた。

 「改めてまして皆さん、チハルです。今日は私たち2人のために足を運んでいただいて本当にありがとうございます。そしてカケルくん、ありがとう。とっても素敵な言葉、とっても素敵な瞬間をいっぱい受け取りました。さっきのカケルくんのスピーチは、式の予定には無い時間でした。だからその分、彼の生の言葉を聞いて驚いたとともに、とても嬉しく思いました。なので私もこの場をお借りしてカケルくんに、そして皆さんにもお話をさせていただきます」

チハルさんはマイクを離すと、再びみんなの方へゆっくりと礼をした。その流れで僕の方を向いてもう一度礼をした。顔を上げた彼女の顔は本当に晴れやかで、つられるように僕の心の中にも穏やかな春風が吹いたように暖かくなった。そして彼女は大きく深呼吸をした。

 「皆さんも知っての通り、私は桜命症という病気をこの世に生まれた時から体の中に宿しています。発症する確率は10億人に1人という、とてつもなく確率の低い病気です。日本人ではこの病気の患者は私1人です。すごい確率を引き当てたと思いませんか 10億人に1人ですよ? 逆に運があるんじゃない? と、初めて病院でそれをお医者さんから聞いた時はそんな風に気軽に思っていました」

彼女の声を席に座るみんなは彼女の方をじっと眺めて話を聞いている。ダイキもハルカさんと同じように目元を押さえ始めたのが暗転している席側を見てもすぐに分かった。

 「このピンク色の髪の毛と花の蜜みたいに甘いにおいが私は子どものころからずっと好きで、同級生からも羨ましがられたり、私を真似して髪をピンク色にしている子もいました」

そう言ったチハルさんの視線がハルカさんの方へ向いた。ハルカさんは照れながら口を押さえて笑っている。

 「中学に入ると、髪を黒に染めろと私に責めよってきた生活指導の先生を、私の友達はこれ見よがしに私の病気の証明書をその先生につきつけていました。それを見たその先生のたじろぐ顔は今でもすぐに思い出せます。ただ、その友達のピンク色の髪の毛には病気の証明書が無く、次の日から髪の毛が炭を頭から被ったように真っ黒になっていたのには流石に腹を抱えて笑いました」

ハルカさんは手を叩いてツボにハマっている。それにつられるように優子さんやトシユキさんもハルカさんを見て笑っている。

 「ハルカはずっと私のそばにいてくれました。小学2年の頃にお父さんを、中学を卒業する頃にはお母さんが。両方心臓の病気で亡くなってからは家族のように毎日そばにいてくれました。ハルカが高校生の頃、ひっそりと働いていたスナックで優子さんと出会いました。優子さんは、私の親がいなくなったことを伝えると、二つ返事で優子さんの家に転がり込んでいいと言ってくれました。そこから優子さんは第二のお母さんみたいな存在になっています。嬉しいこともあれば辛いことや悲しいことのあった時間を、一緒に過ごしましたね。ここだけの話、優子さんの作るクリームシチューは世界で一番美味しいから、是非皆さんもその味を堪能してほしいです。てか、今日にでもその味が食べたくなっています」
 「いつでも作ってやるよ!」

マイクを持っていないはずなのに、優子さんが僕らに手を振りながら届けたその声は、マイクを使っているチハルさんよりも声が大きいような気がした。

 「ふふ、ありがとう。優子さん。私の病気を初めて伝えた時にぼろぼろと大粒の涙を流して泣いて私を抱きしめてくれた優子さんの温もりは今でも鮮明に覚えているよ。」
 「チハルぅー! 抱きつきに行ってもいいかー!?」
 「今?今は流石にダメだよ。」

チハルさんと優子さんの漫才のようなやりとりが僕の心を暖かくする。チハルさんは優しく笑い、「話は戻りますが」と言って再び口を開いた。

 「関わった人は特別多いわけではないけれど、私はいろんな経験をしました。いろんな体験をしました。人生で初めての恋愛。優しい嘘をつかれたこと。大切な人との別れ。私のことが好きだと言ってくれたお人形さんみたいに可愛い後輩。タクシーの車内から始まった少し歳の差のある友人関係。今、私の目の前にいるあなたたちは私の人生の宝物になっています」

隣に座る彼女をちらりと覗き込むと、彼女は僕の方を向いてへらっと笑った。

 「今言った出会いの中でカケルくんとの内容はありません。彼と出会うのはもうすこし後で、ほんの数年前の出来事です。カケルくんは一目惚れだと常々私に言ってくれていますが、私の方も彼を見た瞬間に自分の中で何かスイッチが押されたみたいに彼のことが知りたくなりました。奥手な彼と言葉を交わしていくうちにどんどん彼のことが知りたくなりました。恥ずかしがり屋な彼が私の顔を見て笑ってくれると、思わず抱きしめてしまいたくなりました。彼ともっと多くの時間を共有したい。彼と一緒にいたい。いつしか私の頭の中は彼のことでいっぱいになっていました」
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