ヒカリノツルギ

アフロマリモ

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亡霊の少女

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    閑散とした家の中、ただ浴槽にお湯が注がれる音だけが響いている。
 そこに彼女はいた。
 彼女は番兵のごとく、片時も浴槽から目を逸らさず、ただお湯が浴槽を満たすのを待っていた。水面が八分のところまできた時、彼女は蛇口を捻りお湯を止め、浴室を出ると服を脱ぎ捨て、必要なものを持って浴室戻ってくる。
 彼女は浴槽に体を沈めた。体に押しのけられた湯が浴槽から逃げていく。
 彼女は持ってきたカッターナイフを右手に持ち、左の前腕に押し付け、縦に一の字を書いた。カッターナイフが細胞を引き裂く痛みに耐えるように、歯を食いしばる。
 書かれた一の字は赤みがかかった黒色に染まる。心臓への行道を失った血液は、一の字の左右からそれぞれ溢れ出る。左側は排水溝へ。右側は浴槽へ流れ、湯に溶けて沈んでいく。
 彼女はその様子を見ると少し安心したように、目線をそこから外し浴室の虚空を見つめ始めた。
 彼女の頬を、目から溢れた涙が伝う。腕を切った痛みのせいか、辛かった日々のせいか、家族への懺悔か、涙の理由は彼女にも分からなかった。
 朧気に揺れる視線で彼女は不思議なものを目にした。
 蝶だ。
 どこからか迷い込んだのか、はたまた幻覚か、それを確かめるために右手で涙を拭い確かめる。蝶は模様もなく真っ白で、どこか輝いているように見えた。
 蝶は止まっていたブラインドを後にし、フラフラと飛び立った。そして彼女に刻み込まれた傷に止まると、優しく傷に触れた。彼女の涙がとめどなく溢れ出す。

「もうどうしたらいいのかも、どうして生きてるのかも分からないの」

 彼女は嗚咽を混ぜながら、蝶に語りかけた。
 蝶は少しこちらを見た。彼女は続ける。

「ごめんなさい」

 彼女は全てを終わりにするために、目を閉じた。

「……生きて」

 最後、彼女の耳はその言葉を確かに聞いた。

 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 私の日々はただ通り過ぎていた。
 食べて、寝て食べて、寝る。ただ何もせずに、何も考えずに生きている。いやもう死んでるのかも。そう錯覚するほどに何もなかった。
 薄暗い部屋の中、パソコンの画面の色彩が、私の顔を照らしている。
 私はベッドの上にいる。ここで一日の大半を過ごす。ここに運ばれてくる食事を貪り、惰眠も貪る。カッコつけたがいわゆる引きこもりだ。
 社会の理不尽に耐えきれず心が砕け、体を捨てて自由になろうとしたが失敗し、早数ヶ月、あれ半年だっけ?
 本当だったら中学3年の教室で青春を謳歌してただろう。

「つまんな」

 画面の向こうの人間に悪態をつく。

(まぁ、人のこととやかく言えるような立場じゃないけどね、私自身も。)

 自分にも悪態をつく。
 一通り退屈を誤魔化せるものは、試し尽くした。アニメやらYouTubeやら映画。きっとまともな生活をしてる人には楽しく映るのだろうが、私にはどれからも快楽を感じられなかった。
 湧いてくるのは自分と画面の向こうの人間の比較から来る自分への否定感と嫌悪。何を見ても、何をしても「今の現状」というレンズを通すと歪んで見える。
 いや歪んでるのは自分か。

(アニメ見よ)

 Youtubeを閉じようとした時、自分の部屋の扉が2回ほどノックされる。

「ヒカリ、今大丈夫? 話があるんだけど……」

 甲高い女性の声が、私の名前を呼ぶ。母親だ。

「あら、持ってきた夕飯全然食べてないじゃない。体の不健康は、精神にも影響を与えるのよ」

(精神が不健康なのは元々だよ。)

 心の中で返事をする。母は一切返事のしない扉に対して話し続ける。

「そうそう話したかったことはね。その……ヒカリがこんな風になっちゃって……、あ! 光のこと責めてる訳じゃないのよ! あなたのペースで良くなってくれればいいんだけど……」

 歯切れが悪い。母はいつもこうだ。私をまるで爆発寸前の爆弾のように扱う。

「もし良かったらでいいんだけど、カウンセリングを受けてみない?」

 絶対にNoだ。母は続ける。

「明日お試しで受けてみない? もし受けてもいいなと思ったら、明日の午前中に部屋から出てくれないかな。絶対に、ヒカリのためになると思うから」

 扉は答えない。というか、この沈黙が答えだ。

「考えといてね。」

 扉の脇に置いておいた食器を持ちパタパタと階段を降りる音が聞こえる。
 左腕を見る。そこには肉の削られた跡が残っていた。もうすっかり塞がったが、生々しい傷跡が、あの日の記憶を、苦しみを鮮明に思い出させる。
 いつでも思う。あの日死ねていればと。
 あの日、私は全てを振り絞ってこの傷を体に刻み込んだ。
 けど死神は、私の魂に興味を抱いてくれなかった。
 次に目覚めたとき、私は空っぽだった。もう一度死ぬ勇気すら、心の中に残っていなかった。
 こんなくだらないことを考えていても、時間は容赦なく進んでいく。
 時計を見ると、深夜0時を回ろうとしていた。

(もうこんな時間か、今期のアニメでまだ見てないのあったっけ)

 私は、キーボードをカタカタと叩く。

【23時59分55秒】

(これも見たし、これも見た。もう今期全部見ちゃったかもなぁ)

【23時59分59秒】

(仕方ない、前期1話で切ったあのアニメでも見るか。題名なんだったっけなぁ)

【00時00分00秒】

 私は、まばたく。生理現象が、視界の情報を一瞬遮断する。
 次に視界が開けた時、そこにパソコンの光はなく、強烈な光が私に降り注いでいた。

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