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第43章 基礎実技 ― 五つの灯
しおりを挟む朝の冷気が石畳に残り、試験場の白線がくっきりと浮かんでいた。
中庭は臨時の実技会場に改装され、石床の四隅には水樽と砂袋、中央には蝋燭台と小石を載せた木板、素焼きの小皿、そして遮光幕で囲った半暗室が用意されている。
見学者の列を縄で仕切り、医療班が担架を抱えて待機。
合図の鈴を持つリュシアは、淡々と規定を読み上げた。
「二次試験は基礎実技。課題は五系統――火・水・風・土・光。各系統、発動時間・安定性・消耗を評価する。『赤信号』の号令が聞こえたら即時停止。器具は貸与品のみ、増幅具持込は不可。……以上」
漣司は控え卓に置いた評価表へ視線を落とした。
枠は三つ。発動時間は砂時計で測り、術後は脈と呼吸を記録する。書類審査で通過した者たちが、番号順に白線の内側へ入ってくる。
最初の受験者は教会出の青年。両手を胸の前で組み、短く祈りを結ぶ。
「火、灯火」
指先に小さな朱が生まれ、ゆらりと揺れて蝋燭へ移る。
「発動まで八拍、脈は少し上昇。安定」
リュシアが記し、砂時計を返す。
「水、湧水」
素焼きの小皿にぽたり、ぽたり――三滴が落ちたところで、青年は額に汗をにじませた。
「持続は短い。回復に時間がかかっている」
リュシアが短く添える。
「だが基礎は可。次へ」
次は放浪の女術者。灯火は見事だが、風を起こそうとして燭台ごと吹き飛ばし、慌てて頭を下げる。
「制御不足。実務訓練が必要……不合格」
石畳の上に緊張が戻る。基礎ですら容易ではない。場の空気がわずかに重くなった。
三人目、四人目――火は出る、水は出ない。水は出るが土が動かない。
見学者のざわめきが、少しずつ魔法の基礎という壁の高さを理解していく。
五人目の若者が、風の課題で悲鳴を上げた。隣の燭台まで吹き消して、列の後ろから苦笑が漏れる。
「基礎は狙いで評価される。『狙いが散る術』は戦場で味方を巻き込む」
リュシアは受験者にも聞こえるよう、あえて明瞭に言った。
◇
「次」
番号が進む。紙と砂の音、短い合図、燭台の微かな匂い。
静かな緊張の繰り返しのなかで、白金の髪の小柄な受験者が白線に進み出た。
「番号七十九、ルーチェ=ヴァルノア」
ミナの声に、控え卓から漣司が顔を上げる。
羊皮紙には既に一次試験の評価が留められている――思想・経歴に問題なし。
ルーチェは軽く一礼し、指先をわずかに掲げた。古風な所作だが、芝居がかってはいない。
静かで、芯がある。
「火――灯火」
息を吸う音すら聞こえないほど短い間合いの後、指先に豆粒大の炎が点る。
風もないのに炎は揺れず、蝋燭の芯だけを確実に捉えた。
ぱ、と小さな音。灯りは灯り、炎は消える。
「発動まで二拍。揺らぎ小、熱量過不足なし」
リュシアの声がわずかに速くなる。「優」
「水――湧水」
ルーチェは素焼きの皿を両掌で包み、視線を落とす。
ほどなく皿の中央に透明な玉が育ち、小蓮の葉のように広がって、縁からこぼれる前に自ら止まった。滴は一滴も石床に落ちない。
「注水量、皿の容量ぎりぎりで制御。こぼれなし。呼吸安定」
砂時計の砂が落ち切る前に、ルーチェはそっと皿を卓へ戻した。
「風――微風で一本のみ消灯」
蝋燭台には三本の蝋燭が並ぶ。これまでの受験者は二本、時には三本とも消してしまった。
ルーチェは手を広げもせず、ただ瞬きを一つ。中央の炎だけが、糸を切られたみたいにふっと消え、左右は揺れもしない。どよめきが漏れ、すぐに静まる。
「収束角、極小。隣火に影響なし。――優」
リュシアのペン先が止まらない。
「土――小石の移動、指定格子内」
木盤には細い格子が刻まれ、小石がひとつ載る。ルーチェは目を細め、指先を下ろした。
石がすーっと滑るように斜めの格子に入る。角で止まり、びくとも動かない。
「震えなし。加減速が滑らか。盤傷なし」
「実務での荷扱い、罠解除、工房作業にも転用できる」
リュシアが短く評価を添えた。
「最後――光」
遮光幕の内側は薄暗い。見学者のざわめきが遠のき、石畳の冷たさがわずかに増す。
ルーチェは扇を取り出しもしなかった。ただ、掌の前で指を合わせ、ほんの少し開く。
乳白の光が掌の間に生まれ、卵ほどの楕円体になって浮かぶ。
眩しくはない。だが、暗がりの角に置かれた小さな針金の輪が、輪郭だけやわらかく浮かび、ほかの影は濁らない。
彼女は光を一度だけ震わせ、輪の影を消し、それからすっと灯りを畳んだ。
幕の外へ出ると、リュシアの声が低く響く。
「発光域、対象輪郭のみ。散乱少、眩惑なし。――医療、夜間作業、標識、どれも有効。消耗小」
漣司は評価表を見下ろし、そして顔を上げた。
現場に漂う空気が、派手さではなく精度と静けさに支配されている。
基礎とは、こういうものだ――そう言わんばかりに。
「質問を一つ」
漣司はルーチェに向けた。
「今の光。なぜ輪郭だけが浮いた?」
「光は鏡面に跳ね、粗面に滲む。それゆえ、粗面へは弱く、線へは強く。当てる場所を、選び申した」
堂々とした答え。古風な言い回しの奥に、観察と理解が宿る。漣司は短く笑った。
「――変なしゃべり方だが、基礎魔法に問題なし。むしろ逸材だ」
リュシアのペンが止まり、判定欄に静かに丸が入る。
ミナは遠目に親指を立て、ロイは思わず息を吐いた。見学者の列から、
「すごい……」
という囁きが漏れ、すぐに静まる。彼女の行いは派手ではない。
だが、正確で、速く、無駄がない。それは戦場でこそ光る資質だ。
続く受験者たちが緊張を新たにする。基準が、目の前で可視化されたからだ。
火は芯だけ、風は一本だけ、水はこぼさず、土は盤を傷つけず、光は人を眩ませない。
――基礎は、人を生かすためにある。
評定を終え、漣司は控え卓で評価表を束ねた。紙に走った線は、彼自身の過去――数万人の面接で鍛えた眼――と、この世界の新しい理《ことわり》を繋いでいる。
派手な奇跡ではなく、反復可能な技能。爆発ではなく、秩序。
個の自慢ではなく、全体の運用。武装法人が求めるのは、そういう基礎だ。
「本日の基礎実技、ここまで。通過者は明朝、応用課題の案内に従え」
リュシアの声が中庭に広がる。砂袋の影が長く伸び、蝋燭の煤が静かに消えた。
白線の上、ルーチェは深く一礼した。
「かたじけない」
それだけを残し、列の端へ戻る。彼女の背筋は、来たときと同じように真っ直ぐだった。
漣司は視線を送った。光は派手にもなれる――だが今は、基礎の形で輝いた。
この資質なら、組織に組み込める。彼は心の中で次章の配置図を描き始める。
応用課題は「遮蔽」「制御」「協調」
光は、味方の目を守り、合図となり、列を整える道具になるだろう。
夕風が石畳を撫で、実技会場の白線を淡く揺らした。試験は、始まったばかりだ。
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