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4章
38話:夕暮れ
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領地へヤクルが戻ったころ、すっかり日は暮れてしまっており、影は長く伸びるようになった。
ヤクルがいつもの掘っ建て小屋の扉を開くと、のゐるが座っていた。しかしあまりにも平時と比べて表情が沈んでしまっており、力なくうな垂れてしまっていた。
「……のゐる先生」
「ヤクルさん……おかえりなさい……お疲れさまでした……」
「のゐる先生……俺、やりましたよ! ゴーレムを倒してのゐる先生が気にされていた塔も、機能を停止させました! 俺、がんばったんです……!」
ヤクルは喜んだ表情でそう告げたが、のゐるからの反応は芳しくなかった。
「えぇ、ウィンドウから見ていたのでよく知っています……あのゴーレムのクリスタルがショートした瞬間、私の頭のなかに欠落していた感情が急激に呼び起こされましたから……」
「そ、そうでしたか……でも俺……」
その理由は、次にのゐるが述べる一言のなかに、深く重く込められていた。
「それで、私は思い出しました……私の友人や家族や親戚たちが、嫌な顔ひとつせず、私をあの広場へ送り出してくれたことを……」
炎と氷ほどに対照的な熱さと冷たさ。ヤクルはその温度差に態度を改めざるを得なかった。
「のゐる先生……」
怪電波の影響がなくなり、ロックされていた思考が解き放たれ、のゐるは人間らしさを取り戻していた。
ヤクルはその様子をこれまでの説明と繋ぎ合わせ、瞬時にのゐるのなかで起きていることを理解した。
のゐるは、それまで気にも留めていなかったことすべてに、ようやく気が付いていた。
彼女は大きく揺り動かされていたのだ。
「ねぇ、ヤクルさん……私思い出したんです。というか初めて知ったかもしれません。人の死を、悼む心を……」
「……人間って誰かが死ぬと悲しいんですね。悔しいんですね」
「私は……そんなこともわかっていなかった……」
「ヤクルさんは……」
「パッチの植わっていないヤクルさんは、そうは思わなかったんですか……?」
責めるように続けざまに話した。たしかにパッチの植わっていないヤクルは、塔の機能停止がなくとも、その死を悼むことができた。
ヤクルはのゐるが変な気を起こしてしまうのではという恐怖に駆られ、食卓に使い捨てられたナナジマのI字カミソリをこちらを向かずに話す彼女に見つからぬよう、ゴミ拾いで手中に収め、ポケットのなかに隠した。
「ヤクルさんは、お母さんが、お父さんが、周りの人たちがみんな死ぬって分かっていたのに、悲しくなかったんですか……? 自分ひとりが助けて貰えるって聞いて、誰かほかの人を助けたいとは思わなかったんですか……?」
『……のゐるちゃん……そうはいうけど、元々ヤクルはいじめられて学校に行けなくなったくらい自己主張できないヤツなんだよ……それに、ヤクルがもし本気で大衆に向けてディストピアを否定してたら……それこそゴーレムたちに殺されていたよ……いまは最善だよ……こうなるしかなかったんだ』
「ルルカさん、私だってこんなこといいたくないですよ……ヤクルさんはすごいんです……ヤクルさんは正しいんです……私だってわかってるんです……わかってるんですよ……」
『……』
ルルカは、あまりにも強い感情を察して口を噤んだ。
のゐるは、途切れ途切れだが、続けざまに話した。
「ヤクルさん、私は……まだその域まで達していません」
「滅び行く世界を受容し、人々に対してなにも声を上げられなかった自分がまだ許せない……」
「許せないんです……まだそんなところにいるんです……」
「お願いします……この事実を飲み込むための時間をください……」
「折角戦って貰ったのに……本当にごめんなさい……」
「本当に……本当にごめんなさい……」
「でもいまは悔しくて……」
「悲しくて……」
「小説なんて書けそうにないんです……!」
ヤクルは悔しくてたまらなくなった。のゐるを応援していたはずなのに、のゐるが小説を書く気持ちを取り戻す手助けをしていたはずなのに、いまは悔しさを噛み締めるしかなかった。
ヤクルは思った。自分がのゐるから、小説を書くことを奪ってしまったのだと。胸が苦しくなって、涙が止まらなくて、掘っ建て小屋から飛び出した。
ヤクルは走った。走って、走って、走って……黄金色に輝く稲畑の中心で、太陽に背を向けて泣いた。
悔しくて、悔しくて……ただその黄金の穂のなかに駆け出して、ひとり声を押し殺し泣くしかなかった。
ヤクルがいつもの掘っ建て小屋の扉を開くと、のゐるが座っていた。しかしあまりにも平時と比べて表情が沈んでしまっており、力なくうな垂れてしまっていた。
「……のゐる先生」
「ヤクルさん……おかえりなさい……お疲れさまでした……」
「のゐる先生……俺、やりましたよ! ゴーレムを倒してのゐる先生が気にされていた塔も、機能を停止させました! 俺、がんばったんです……!」
ヤクルは喜んだ表情でそう告げたが、のゐるからの反応は芳しくなかった。
「えぇ、ウィンドウから見ていたのでよく知っています……あのゴーレムのクリスタルがショートした瞬間、私の頭のなかに欠落していた感情が急激に呼び起こされましたから……」
「そ、そうでしたか……でも俺……」
その理由は、次にのゐるが述べる一言のなかに、深く重く込められていた。
「それで、私は思い出しました……私の友人や家族や親戚たちが、嫌な顔ひとつせず、私をあの広場へ送り出してくれたことを……」
炎と氷ほどに対照的な熱さと冷たさ。ヤクルはその温度差に態度を改めざるを得なかった。
「のゐる先生……」
怪電波の影響がなくなり、ロックされていた思考が解き放たれ、のゐるは人間らしさを取り戻していた。
ヤクルはその様子をこれまでの説明と繋ぎ合わせ、瞬時にのゐるのなかで起きていることを理解した。
のゐるは、それまで気にも留めていなかったことすべてに、ようやく気が付いていた。
彼女は大きく揺り動かされていたのだ。
「ねぇ、ヤクルさん……私思い出したんです。というか初めて知ったかもしれません。人の死を、悼む心を……」
「……人間って誰かが死ぬと悲しいんですね。悔しいんですね」
「私は……そんなこともわかっていなかった……」
「ヤクルさんは……」
「パッチの植わっていないヤクルさんは、そうは思わなかったんですか……?」
責めるように続けざまに話した。たしかにパッチの植わっていないヤクルは、塔の機能停止がなくとも、その死を悼むことができた。
ヤクルはのゐるが変な気を起こしてしまうのではという恐怖に駆られ、食卓に使い捨てられたナナジマのI字カミソリをこちらを向かずに話す彼女に見つからぬよう、ゴミ拾いで手中に収め、ポケットのなかに隠した。
「ヤクルさんは、お母さんが、お父さんが、周りの人たちがみんな死ぬって分かっていたのに、悲しくなかったんですか……? 自分ひとりが助けて貰えるって聞いて、誰かほかの人を助けたいとは思わなかったんですか……?」
『……のゐるちゃん……そうはいうけど、元々ヤクルはいじめられて学校に行けなくなったくらい自己主張できないヤツなんだよ……それに、ヤクルがもし本気で大衆に向けてディストピアを否定してたら……それこそゴーレムたちに殺されていたよ……いまは最善だよ……こうなるしかなかったんだ』
「ルルカさん、私だってこんなこといいたくないですよ……ヤクルさんはすごいんです……ヤクルさんは正しいんです……私だってわかってるんです……わかってるんですよ……」
『……』
ルルカは、あまりにも強い感情を察して口を噤んだ。
のゐるは、途切れ途切れだが、続けざまに話した。
「ヤクルさん、私は……まだその域まで達していません」
「滅び行く世界を受容し、人々に対してなにも声を上げられなかった自分がまだ許せない……」
「許せないんです……まだそんなところにいるんです……」
「お願いします……この事実を飲み込むための時間をください……」
「折角戦って貰ったのに……本当にごめんなさい……」
「本当に……本当にごめんなさい……」
「でもいまは悔しくて……」
「悲しくて……」
「小説なんて書けそうにないんです……!」
ヤクルは悔しくてたまらなくなった。のゐるを応援していたはずなのに、のゐるが小説を書く気持ちを取り戻す手助けをしていたはずなのに、いまは悔しさを噛み締めるしかなかった。
ヤクルは思った。自分がのゐるから、小説を書くことを奪ってしまったのだと。胸が苦しくなって、涙が止まらなくて、掘っ建て小屋から飛び出した。
ヤクルは走った。走って、走って、走って……黄金色に輝く稲畑の中心で、太陽に背を向けて泣いた。
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