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第11章 偽りの王子
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妖精の女王のことばから逃げるように、エレンたちは夜通し馬を走らせました。それでも馬も人間も疲労しきっていたので、ヴァイキングの町に戻ったのは日没の、領内をぐるっと囲む城壁の門が閉まってしまうぎりぎり手前でした。
一行はなんとか領内にこそ入りましたが、町は入城を待つ人々でごったがえしていました。今頃オーロフじいさんが痺れを切らしているんじゃないかしらと誰もが思い始めた頃、なんと本人がひょこひょこ近づいてくるではありませんか。
「やあみんなよく帰ってきたな。時間はちいと過ぎておるが、この状況では仕方あるまい。王子様もよくぞ無事で。少し背が伸びましたかの。いや、私が縮んだのでしょう」
そう言っておじいさんはリンに握手を求めました。リンはおじいさんを長い間心配させていたので少し躊躇いましたが、やがて思い切ってオーロフの手をとりました。しかしオーロフはリンの手をぐいと引き寄せると、ぐっと抱擁して何も言わず、ただただリンの背中をぽんぽん叩くのでした。
人ごみを避けて裏道に入ると、オーロフは一同に計画を話して聞かせました。それによると、例の三つのなぞなぞを解くドラゴンの試練は十七になる深夜、島のどこかにあるというドラゴンの巣窟で行われ、試練を受ける者の父親あるいは母親がそこへ案内することになっていました。それは島に住む者なら性別を問わずみなが受けるものですが、詳しい場所や内容を口外することは許されず、試練を受けた者は自分の息子や娘が十七になると、自分がされたのと同じように粛々と儀式を執り行うことによって、伝承していくのでした。
「試練を受ける者は儀式の前の三日間を離島で過ごす。これはこの島と砂州で繋がっていて、昼間は歩いていかれるが、潮が満ちると船が要る。今夜は儀式当日だから月が一番高くなる頃、迎えの船が出るだろう」
離島へ出る船には十七になる者の導き手と、最初の王を導いた二羽のカラスを演じる二人が乗り、試練を受ける者と一緒に本島に戻ってきます。試練を受ける者と導き手はその後ドラゴンの住処へ向かい、残ったカラス役は試練が終わるまで願掛けの踊りを踊るのだそうです。
「そういうわけでエームンド偽王子を取り返せるのは、父王様が離島に迎えにくるまでの間だ。オレグとロロは準備してきたようにカラス役をやってくれ。わしとエレンは先回りして、エームンドとリン様を入れ替える。迎えの船には本来の通りリン王子様が乗り、儀式が始まったら、わしがエレンとエームンドを大陸まで送り届けよう」
カラスの準備をするオレグとロロと別れ、エレンたちは離島に向かう船に乗っていました。月は明るく、海は穏やかです。こんなに安らかな時間が流れているのに、このあと重大な任務があるなんて信じられません。エレンは、ドラゴンの試練を控えたリンの顔をちらっと見ました。目のあたりにできた濃い陰のせいで表情は読み取れませんが、なにやら深刻な雰囲気です。やはり試練が怖いのでしょうか。
「念のためにわしは見張りをする。王子様とエレンは島の奥にある小屋に行きなさい。そこにエームンドはいるはずだ」
エレンとリンが降り立ったのは、海につながる川の中に木々が生えたような小さな島でした。潮が満ちたいま水位はエレンの膝くらいあり、歩くたびに気持ちのいい水しぶきが上がります。しかもこの水しぶきにはホタルのような生き物が泳いでいるのか、エレンの作った波紋をなぞるように、青白く光る小さな粒がゆらりゆらりと揺らぐのです。エレンは理科の授業で見た発光ダイオードを思い出しました。時間が許すなら、この不思議な光の波をずっと見ていたいとエレンは思いましたが、迎えの船が来る前にリンとレネを取替えてしまわなければいけません。リンから少し遅れをとったエレンは歩調を早めました。
水に浸った森の中を長時間歩くのはかなり野性的な体験でした。エレンはベルゲンの子どもたちの中では比較的外遊びをする方でしたが、ケーブルカーをひくような開けた山とはわけが違います。本当に手つかずの自然の中をすすむうちに、エレンの腕や脛や膝には生傷がたくさんできました。
それでもなんとか島の中央の、オーロフの言っていた小屋まで辿り着くことができると、疲れはすっとんでしまいました。川から頭を出した小高い土地に立つその小屋は、四つの巨大な石を寄せてできた空間に、屋根や扉をしつらえただけの素朴なものでしたが、試練を前に人里から離れ、心を落ち着けるのには最適な場所です。エレンは小さくひとつ深呼吸すると、鍵のない扉にそっと手をかけました。
ぎいっと軋む扉をゆっくり開けると、明かりのない室内にこちらをしかと見つめる薄青い二つの目が浮かび上がりました。それは紛れもなく、懐かしいあのレネの瞳でした。エレンは思わず駆け寄ると、レネをぎゅっとしました。抱きしめた身体は小さな猫のままだし、ほのぼのと差し込む月明かりで確認できるのは、銀色のひげとすばしこく動くしっぽだけでしたが、やっぱりこれは大好きなレネです。
「待たせてごめんね」
床に散乱しているローブを見て、エレンは胸がいっぱいになりました。王子に祭り上げられたレネは、試練を受けるにあたって、身体に合わない窮屈な装いをさせられたのでしょう。エレンはこみ上げてくるものがありましたが、何と言っていいか分からず、ただただことばを失った妹の背中を撫でてやることしかできませんでした。しかし背後で不可解な音がしたのはそのときでした。
その頃、島のふもとで見張りをしていたオーロフはかなり焦れていました。もうすぐ迎えの船が来るというのに、エレンとその連れの姿は一向に見えません。こうなったら迎えの一行に見られてもエレンたちを逃がせないだろうかと、年寄ヴァイキングが考え出したそのとき、ずっと流れていた波の調べとは別の音が聞こえてきました。それは予想通り、父王と二人のカラス役を乗せた船でした。
オーロフは急いで、しかし慎重に船を岩陰に移動させました。働き盛りの漕ぎ手のある船は、オーロフが身を潜めた岩をすいすいっと越して、小屋のある森の方へ消えていきます。
小屋を密かに望めるところまでオーロフがやってきたとき、迎え船の一団はちょうど王子を船に案内しているところでした。重い装身具と目以外ほとんど出ない兜を身につけた王子の足元は覚束無く、長いマントを何度も踏みそうになっています。オーロフは王子に手を貸してやりたい衝動に駆られました。しかしここで飛び出しては計画が水の泡。最後の悪あがきをしているように見えなくないも王子に、オーロフは無言のエールを送るのでした。
小屋のある丘に乗り上げるように止めてあった船に王子がなんとか乗りこみ(老人の目には、導き手が半ば無理矢理乗せたように映りましたが)、船が肉眼では見えないくらい沖まですすむと、オーロフは小屋へ駆け込みました。
「エレン、船は行ってしまった。早いところ大陸へ行こう・・・」
しかしオーロフは途中で声を失いました。
ぎい、ぎい、ぎい。
気がつくとエレンは船の中でした。エレンは最初、オーロフが大陸へ送ってくれる船にいるのだと思いました。けれど、煩わしい兜の隙間から見えたのは、筋骨隆々の男たちと、見覚えのあるガタイのいい男。それにカラスの格好をしたオレグとロロ・・・エレンは友達を見て初めて、自分がリンに出し抜かれたことに気がつきました。
離島の小屋でレネとの再会を喜んでいるその最中に、あの臆病で卑怯な若者はエレンをなぐって気絶させました。そして自分が着るはずだった儀礼の服をエレンに着せて王子に仕立てたのです。エレンはこの事実をここにいる全員に伝えようとしました。しかし大人用の装身具は重すぎて手も足も動かないし、兜の下のエレンの口は布を噛まされていて、やっとのことで絞り出した声もことばを成しません。しかもこの儀式は終わるまで誰も口を利いてはいけないしきたりです。エレンのもごもごを聞いた父王は、気持ちは分かるというようにこっくり頷くだけでした。
離島の小屋に入ったオーロフ老人は呆れてものが言えませんでした。だって待っていると思ったエレンとその連れの代わりに、先ほど涙ながらに送り出したはずのリン王子がいたのです。
「王子、あなたにはほとほと呆れました! 先ほど迎えの船に乗ったのは誰です? エレンですか、エームンドですか」
「悪いことをしたと思っている。でも僕はひげも生えない未熟者。明日の朝、金のドラゴンが天に昇ることはおろか、僕は死んで帰ってくることもできない。なぜなら試練に破れた僕をドラゴンは骨まできれいに食べるだろうから」
リンは抱えていた膝に顔を埋めて泣きました。
「なにを言っているのじゃ。これまで一度だって食べられた者はおらん。それに経験したわしに言わせれば、案ずるより産むが易し。身さえ委ねてしまえばあとは自然と運ぶわい」
「お願いだから今回だけ見逃してくれ。僕はこの島にいても、王はおろか、一人前の男としても生きることができない。おじいさんに何かしてくれなんていわない。日が昇ったら砂州を渡って大陸に行く。二度とこの島には戻らないから」
オーロフおじいさんはリンの頬を叩きました。
「なんという身勝手! 王子はそれでいいかもしれんが、身代わりになったエレンはどうなる? 年端も行かないあの子こそどうなるか分かったもんじゃない。それに試練から逃げる者が出たなんてドラゴンが知ったらどうなることか! なにしろこの島は、人間が信頼に足ることを証明し続けることでドラゴンが住まうことを許したのだ。しかもそれが王子となればなおさらのこと。一緒に来てもらいますぞ、王子」
オーロフが目を覗き込んできたので、リンはガラス玉みたいな目に小さな反抗を浮かべました。
「ははは、拒否反応が出ているというのは受け入れることのはじまりさね」
まばらにしかない歯をすべて見せるようにオーロフは笑いました。
さてその頃エレンはというと、本島の岬にある崖沿いに作られた階段を昇らされていました。いま一緒にいるのは王様とカラス役の二人だけで、漕ぎ手の男たちは四人を降ろすとそのままどこかに漕いでいってしまいました。王様に無理矢理歩かされながら、エレンは悔しくて涙をぽろぽろ流しました。相変わらず装身具はエレンの身体にのしかかり、煩わしい兜は呼吸すら満足にさせてくれません。しかし何よりつらいのは自分が人違いで連れてこられたのに、それをすぐ近くの友達に伝えられないことです。エレンの背中を抱えていた王様は涙に気がついて一瞬面食らった様子でしたが、すぐにまっすぐ前を向いて、なおさら毅然とエレンを歩かせました。
やがて階段が終わって岬のてっぺんまでたどり着くと、オレグとロロは王様に深く一礼して奇妙なダンスを始めました。それは本物のカラスの挙動を見事になぞった舞踏で、音もないのに二人の息はぴったりでした。神秘的な所作や、腕につけた翼の衣装がときどき立てる音は儀式の気分を高めます。エレンはいよいよ足が震えてきました。しかし王様はそれに気づきながらも、エレンをその場から引き離しました。
王様とエレンは、岬のへりともいうべき、自然とも人工ともつかない、ひどく不安定な道を伝って、島の裏側へ向かいました。島の裏側はすなわち、城の裏側でもあって、ともに断崖絶壁によって外敵から守られているのでした。
城の裏側は、この島に着いたときに受けた正面のそれとは、だいぶ違う印象を与えました。海風をまともに受けた城の背中は風化がすすみ、真っ黒で不均質に浸食されています。それは城を支える切り立った高台も同じで、そこにできた無数の穴を吹き抜ける風はおどろおどろしいうなり声を低くとどろかせています。
王様はなかでも一番大きな穴の前にエレンを立たせました。それは天井から垂れ下がった鍾乳石の牙のある大きな口で、地中深くのびた喉の奥からは響いうなり声が聞こえてきます。エレンは一刻も早く逃げ出さなくてはと思うのに、まるで根が生えたように立っていることしかできません。するとものすごい海風が突然吹き寄せて、よろめいたエレンはドラゴンの口に飲み込まれてしまいました。
一行はなんとか領内にこそ入りましたが、町は入城を待つ人々でごったがえしていました。今頃オーロフじいさんが痺れを切らしているんじゃないかしらと誰もが思い始めた頃、なんと本人がひょこひょこ近づいてくるではありませんか。
「やあみんなよく帰ってきたな。時間はちいと過ぎておるが、この状況では仕方あるまい。王子様もよくぞ無事で。少し背が伸びましたかの。いや、私が縮んだのでしょう」
そう言っておじいさんはリンに握手を求めました。リンはおじいさんを長い間心配させていたので少し躊躇いましたが、やがて思い切ってオーロフの手をとりました。しかしオーロフはリンの手をぐいと引き寄せると、ぐっと抱擁して何も言わず、ただただリンの背中をぽんぽん叩くのでした。
人ごみを避けて裏道に入ると、オーロフは一同に計画を話して聞かせました。それによると、例の三つのなぞなぞを解くドラゴンの試練は十七になる深夜、島のどこかにあるというドラゴンの巣窟で行われ、試練を受ける者の父親あるいは母親がそこへ案内することになっていました。それは島に住む者なら性別を問わずみなが受けるものですが、詳しい場所や内容を口外することは許されず、試練を受けた者は自分の息子や娘が十七になると、自分がされたのと同じように粛々と儀式を執り行うことによって、伝承していくのでした。
「試練を受ける者は儀式の前の三日間を離島で過ごす。これはこの島と砂州で繋がっていて、昼間は歩いていかれるが、潮が満ちると船が要る。今夜は儀式当日だから月が一番高くなる頃、迎えの船が出るだろう」
離島へ出る船には十七になる者の導き手と、最初の王を導いた二羽のカラスを演じる二人が乗り、試練を受ける者と一緒に本島に戻ってきます。試練を受ける者と導き手はその後ドラゴンの住処へ向かい、残ったカラス役は試練が終わるまで願掛けの踊りを踊るのだそうです。
「そういうわけでエームンド偽王子を取り返せるのは、父王様が離島に迎えにくるまでの間だ。オレグとロロは準備してきたようにカラス役をやってくれ。わしとエレンは先回りして、エームンドとリン様を入れ替える。迎えの船には本来の通りリン王子様が乗り、儀式が始まったら、わしがエレンとエームンドを大陸まで送り届けよう」
カラスの準備をするオレグとロロと別れ、エレンたちは離島に向かう船に乗っていました。月は明るく、海は穏やかです。こんなに安らかな時間が流れているのに、このあと重大な任務があるなんて信じられません。エレンは、ドラゴンの試練を控えたリンの顔をちらっと見ました。目のあたりにできた濃い陰のせいで表情は読み取れませんが、なにやら深刻な雰囲気です。やはり試練が怖いのでしょうか。
「念のためにわしは見張りをする。王子様とエレンは島の奥にある小屋に行きなさい。そこにエームンドはいるはずだ」
エレンとリンが降り立ったのは、海につながる川の中に木々が生えたような小さな島でした。潮が満ちたいま水位はエレンの膝くらいあり、歩くたびに気持ちのいい水しぶきが上がります。しかもこの水しぶきにはホタルのような生き物が泳いでいるのか、エレンの作った波紋をなぞるように、青白く光る小さな粒がゆらりゆらりと揺らぐのです。エレンは理科の授業で見た発光ダイオードを思い出しました。時間が許すなら、この不思議な光の波をずっと見ていたいとエレンは思いましたが、迎えの船が来る前にリンとレネを取替えてしまわなければいけません。リンから少し遅れをとったエレンは歩調を早めました。
水に浸った森の中を長時間歩くのはかなり野性的な体験でした。エレンはベルゲンの子どもたちの中では比較的外遊びをする方でしたが、ケーブルカーをひくような開けた山とはわけが違います。本当に手つかずの自然の中をすすむうちに、エレンの腕や脛や膝には生傷がたくさんできました。
それでもなんとか島の中央の、オーロフの言っていた小屋まで辿り着くことができると、疲れはすっとんでしまいました。川から頭を出した小高い土地に立つその小屋は、四つの巨大な石を寄せてできた空間に、屋根や扉をしつらえただけの素朴なものでしたが、試練を前に人里から離れ、心を落ち着けるのには最適な場所です。エレンは小さくひとつ深呼吸すると、鍵のない扉にそっと手をかけました。
ぎいっと軋む扉をゆっくり開けると、明かりのない室内にこちらをしかと見つめる薄青い二つの目が浮かび上がりました。それは紛れもなく、懐かしいあのレネの瞳でした。エレンは思わず駆け寄ると、レネをぎゅっとしました。抱きしめた身体は小さな猫のままだし、ほのぼのと差し込む月明かりで確認できるのは、銀色のひげとすばしこく動くしっぽだけでしたが、やっぱりこれは大好きなレネです。
「待たせてごめんね」
床に散乱しているローブを見て、エレンは胸がいっぱいになりました。王子に祭り上げられたレネは、試練を受けるにあたって、身体に合わない窮屈な装いをさせられたのでしょう。エレンはこみ上げてくるものがありましたが、何と言っていいか分からず、ただただことばを失った妹の背中を撫でてやることしかできませんでした。しかし背後で不可解な音がしたのはそのときでした。
その頃、島のふもとで見張りをしていたオーロフはかなり焦れていました。もうすぐ迎えの船が来るというのに、エレンとその連れの姿は一向に見えません。こうなったら迎えの一行に見られてもエレンたちを逃がせないだろうかと、年寄ヴァイキングが考え出したそのとき、ずっと流れていた波の調べとは別の音が聞こえてきました。それは予想通り、父王と二人のカラス役を乗せた船でした。
オーロフは急いで、しかし慎重に船を岩陰に移動させました。働き盛りの漕ぎ手のある船は、オーロフが身を潜めた岩をすいすいっと越して、小屋のある森の方へ消えていきます。
小屋を密かに望めるところまでオーロフがやってきたとき、迎え船の一団はちょうど王子を船に案内しているところでした。重い装身具と目以外ほとんど出ない兜を身につけた王子の足元は覚束無く、長いマントを何度も踏みそうになっています。オーロフは王子に手を貸してやりたい衝動に駆られました。しかしここで飛び出しては計画が水の泡。最後の悪あがきをしているように見えなくないも王子に、オーロフは無言のエールを送るのでした。
小屋のある丘に乗り上げるように止めてあった船に王子がなんとか乗りこみ(老人の目には、導き手が半ば無理矢理乗せたように映りましたが)、船が肉眼では見えないくらい沖まですすむと、オーロフは小屋へ駆け込みました。
「エレン、船は行ってしまった。早いところ大陸へ行こう・・・」
しかしオーロフは途中で声を失いました。
ぎい、ぎい、ぎい。
気がつくとエレンは船の中でした。エレンは最初、オーロフが大陸へ送ってくれる船にいるのだと思いました。けれど、煩わしい兜の隙間から見えたのは、筋骨隆々の男たちと、見覚えのあるガタイのいい男。それにカラスの格好をしたオレグとロロ・・・エレンは友達を見て初めて、自分がリンに出し抜かれたことに気がつきました。
離島の小屋でレネとの再会を喜んでいるその最中に、あの臆病で卑怯な若者はエレンをなぐって気絶させました。そして自分が着るはずだった儀礼の服をエレンに着せて王子に仕立てたのです。エレンはこの事実をここにいる全員に伝えようとしました。しかし大人用の装身具は重すぎて手も足も動かないし、兜の下のエレンの口は布を噛まされていて、やっとのことで絞り出した声もことばを成しません。しかもこの儀式は終わるまで誰も口を利いてはいけないしきたりです。エレンのもごもごを聞いた父王は、気持ちは分かるというようにこっくり頷くだけでした。
離島の小屋に入ったオーロフ老人は呆れてものが言えませんでした。だって待っていると思ったエレンとその連れの代わりに、先ほど涙ながらに送り出したはずのリン王子がいたのです。
「王子、あなたにはほとほと呆れました! 先ほど迎えの船に乗ったのは誰です? エレンですか、エームンドですか」
「悪いことをしたと思っている。でも僕はひげも生えない未熟者。明日の朝、金のドラゴンが天に昇ることはおろか、僕は死んで帰ってくることもできない。なぜなら試練に破れた僕をドラゴンは骨まできれいに食べるだろうから」
リンは抱えていた膝に顔を埋めて泣きました。
「なにを言っているのじゃ。これまで一度だって食べられた者はおらん。それに経験したわしに言わせれば、案ずるより産むが易し。身さえ委ねてしまえばあとは自然と運ぶわい」
「お願いだから今回だけ見逃してくれ。僕はこの島にいても、王はおろか、一人前の男としても生きることができない。おじいさんに何かしてくれなんていわない。日が昇ったら砂州を渡って大陸に行く。二度とこの島には戻らないから」
オーロフおじいさんはリンの頬を叩きました。
「なんという身勝手! 王子はそれでいいかもしれんが、身代わりになったエレンはどうなる? 年端も行かないあの子こそどうなるか分かったもんじゃない。それに試練から逃げる者が出たなんてドラゴンが知ったらどうなることか! なにしろこの島は、人間が信頼に足ることを証明し続けることでドラゴンが住まうことを許したのだ。しかもそれが王子となればなおさらのこと。一緒に来てもらいますぞ、王子」
オーロフが目を覗き込んできたので、リンはガラス玉みたいな目に小さな反抗を浮かべました。
「ははは、拒否反応が出ているというのは受け入れることのはじまりさね」
まばらにしかない歯をすべて見せるようにオーロフは笑いました。
さてその頃エレンはというと、本島の岬にある崖沿いに作られた階段を昇らされていました。いま一緒にいるのは王様とカラス役の二人だけで、漕ぎ手の男たちは四人を降ろすとそのままどこかに漕いでいってしまいました。王様に無理矢理歩かされながら、エレンは悔しくて涙をぽろぽろ流しました。相変わらず装身具はエレンの身体にのしかかり、煩わしい兜は呼吸すら満足にさせてくれません。しかし何よりつらいのは自分が人違いで連れてこられたのに、それをすぐ近くの友達に伝えられないことです。エレンの背中を抱えていた王様は涙に気がついて一瞬面食らった様子でしたが、すぐにまっすぐ前を向いて、なおさら毅然とエレンを歩かせました。
やがて階段が終わって岬のてっぺんまでたどり着くと、オレグとロロは王様に深く一礼して奇妙なダンスを始めました。それは本物のカラスの挙動を見事になぞった舞踏で、音もないのに二人の息はぴったりでした。神秘的な所作や、腕につけた翼の衣装がときどき立てる音は儀式の気分を高めます。エレンはいよいよ足が震えてきました。しかし王様はそれに気づきながらも、エレンをその場から引き離しました。
王様とエレンは、岬のへりともいうべき、自然とも人工ともつかない、ひどく不安定な道を伝って、島の裏側へ向かいました。島の裏側はすなわち、城の裏側でもあって、ともに断崖絶壁によって外敵から守られているのでした。
城の裏側は、この島に着いたときに受けた正面のそれとは、だいぶ違う印象を与えました。海風をまともに受けた城の背中は風化がすすみ、真っ黒で不均質に浸食されています。それは城を支える切り立った高台も同じで、そこにできた無数の穴を吹き抜ける風はおどろおどろしいうなり声を低くとどろかせています。
王様はなかでも一番大きな穴の前にエレンを立たせました。それは天井から垂れ下がった鍾乳石の牙のある大きな口で、地中深くのびた喉の奥からは響いうなり声が聞こえてきます。エレンは一刻も早く逃げ出さなくてはと思うのに、まるで根が生えたように立っていることしかできません。するとものすごい海風が突然吹き寄せて、よろめいたエレンはドラゴンの口に飲み込まれてしまいました。
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