スコウキャッタ・ターミナル

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第31章 世界を照らすもの

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 世界がひくついているのは、自分がすすり泣いているせいだと、エレンはずっと思っていました。しかし床が突如波打って体が宙に浮いたとき、とんでもない思い違いをしていたことに気がつきました。これは予兆です。大地震が起きる前の予震のような、大きな天変地異の兆しなのです。
 エレンは涙を拭くと、立ち上がりました。フラッフィの意志を無駄にするわけにはいきません。

 お腹の中で孵って、レネを内側から食い殺しかねないドラゴンのたまごはもちろん、ブルーペンギンズの優勝杯、戦争の火種となった青フクロウの宇宙の瞳と黄ウサギの千里耳、それからアルフォンスのオスカー像。エレンは目につくものは全部その腕に抱え込みました。フラッフィは余計な物はすべて吐き出されると言っていましたが、エレンはできるだけのことをしておきたかったのです。下層にあるランプ星のことはどうにもなりませんでしたが。
 できるだけ出口の近くにいようと、エレンが痙攣する床によろめきながら、噴門近くへ移動していたとき、それは起きました。逆流が本当にいきなりだったので、エレンは音を聞き取るまもなく、目も耳も塞がれ、息することすらできませんでした。


 次にエレンが知覚したのは、酸っぱい胃液のにおいと、ぬらぬらとまとわりつく黒い粘液。しかしきちんと息をしています。エレンは外に吐出されていました。
 後から後から垂れてくるどろどろを拭って、黒い沼に散らばったものたちをエレンは確認しました。しっかりと抱きかかえていたドラゴンのたまごと、服の中に入れておいたおかげでほとんど無傷だったオスカーはすぐ見つかりましたし、大きな宇宙の瞳と千里耳が水面から出ているのも見て取れます。しかし一番見つけたかったフラッフィはいません。エレンはがっくりと肩を落としました。

 膝まであるどろどろ沼をすすみはじめてすぐ、エレンは沈んでいた何かに足をぶつけました。引っ張り出すと、それはあのブルーペンギンズの優勝カップでした。ゆったりとした杯には、どろどろがなみなみと入っていて、持ち上げるのも一苦労。
 エレンは両手でそれを抱きかかえると、カップを傾けて中身を捨てました。しかしもうほとんど出し切って、あとはへばりついている汚れだけかと思われたそのとき、底に何かがあるのに気がつきました。
 それはテニスボールくらいの小さな玉で、どろどろが流れ落ちた部分が、ガス灯のような温かみのある光を放っています。エレンは優勝カップを取り落とすと、両手でその玉を救い上げました。
 まるで防水スプレーをかけていたかのように、するんとどろどろを落とすと、その玉は本来の姿をあらわしました。それは目の眩むようなオレンジ色に輝くランプ星でした。太陽よりはずっと暗いですが、それでも闇に慣れたエレンの目には染みます。エレンは目を細めました。
「ランプ星! あぁ僕らはやったんだ、フラッフィ! でもどうやって空に戻せばいいんだろう」
エレンがこう言うと、にゃーと鳴く声がしました。それは沼に浮かんだ宝箱の上で心細そうにしているレネでした。元の子猫の大きさに戻っています。ランプ星をそっとポケットにしまうと、エレンはレネの救出に向かいました。

 エレンが抱き上げると、レネは嬉しそうにしっぽをくるんと丸めました。
「全部吐いたんだね。偉いよ。レネ」
エレンはレネの背中を優しく撫でてやりました。しかしレネはそれでは不満なようで、後ろ足で立ち上がると、何かを訴えるように、みゃーみゃーとエレンの胸のあたりを引っ掻いてきます。見れば、レネは青いリボンを首につけています。
 リボンを最後に持っていたフラッフィを思い出して、エレンはまた泣きそうになりました。しかしリボンに結びつけられていたものを見て、エレンは困惑しました。それはクリーニング屋のケーニヒが愛用し、脱毛症のフォルトゥーナに笑顔を取り戻させた、あの毛生え薬の入った瓶でした。これはずっとリンが管理していましたが、ケーニヒの被害者であったフラッフィが権利を主張して、あるときから持つようになっていました。フラッフィは縮んだウールを元に戻す研究に役立てようとしていたのです。しかしフラッフィはもう洗濯の研究もできないんでしたっけ。
「これで僕に、縮んだウールを元に戻す研究をしろって?」
エレンはこれがフラッフィの遺言とは信じられなかったので、しゃべれないレネに確認しました。するとレネはエレンのポケットをひっかきました。

 エレンはポケットに入っていたランプ星を見た瞬間、自分がとんでもない勘違いをしていたことに気がつきました。フラッフィの考えは、音にして聞かなくても分かります。
 エレンは迷わず、毛生え薬をランプ星にふりかけました。するとそれまでただの光る玉だったランプ星は、着火したロケットのように光る尾を噴き出して、あっという間に、どこまでもまっすぐ昇っていきます。しかもその明るさはどんどん増しています。エレンは極夜を照らすランプ星という名前がやっとしっくりきました。



 ランプ星が地球を飛び出して本来の場所に戻った頃、エレンは別の光り輝くものに目をくらませました。その光は、どろどろ沼に半分浸かったドラゴンのたまごから出ていて、水面から飛び出している部分が、ランプ星と同じように、するりと黒い液体を撥じいています。
 エレンとレネが固唾を飲んで見守っていると、ふいにたまごにひびが入って、中から金のドラゴンが躍り出ました。それは最初たまごに収まっていたことが納得できるほどの小さな子どもでしたが、みるみる大きくなって、気づけばヴァイキングの島で見た大人の大きさになっていました。
「許してください。悪気はなかったんです。それに僕は三つの問に答えたでしょう」
レネを庇うようにきつく抱きしめたエレンがこう言うと、若いドラゴンはせせら笑いました。
「いや、お前はたしかこう言った。半人前二人で試練を受けさせてくれ、と」
エレンは頭の中が真っ白になりました。たしかにエレンは十七に足りていなかったので、レネと二人で試練を受けると言ったのです。しかもドラゴンは融通が聞きません。エレンはこのまま逃げようかとも思いましたが、大地が冷えて固まる前から生きているドラゴンに敵うわけがありません。

 エレンがどうすることもできず、ぎりぎりと神経をすり減らせていると、ドラゴンは突然笑い出しました。
「お前はまだ試練が終わっていないと思っているようだが、お前の妹は見事に試練を乗り越えた」
エレンは耳を疑いました。レネが試練を終えたですって。
「お前は三つの問に『答えた』が、この娘は私を飲み込んでも『堪えた』のだ。普通の人間ならすぐに不安に飲み込まれて精神に支障をきたすか、そのせいで死んでしまうが、この娘はなんとまあ図太く耐えた。こんなに強い心を持った人間も珍しい」
エレンは天にも昇る気持ちでした。だってドラゴンが、レネに強い心があると言ったのです。しかもドラゴンはレネのことを人間だと言いました。きっと魔法が解ける日も遠くありません。
「まったく愉快な試練だった。こんなに興奮したのは久しぶりだ。しかしお前たちのおかげで、来るべきものの試練が免じられたわけではない。あの者に会ったら、きちんと受けにくるよう伝えろ」
エレンがきっと、と言ったとき、ドラゴンはもう空高く舞い上がっていて、その姿はさながら黄金の虹のようにきらきら輝くのでした。 
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