スコウキャッタ・ターミナル

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終章 スコウキャッタ・ターミナル再び

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 ロイヤルブルーの王室専用列車に乗った、エレンはこれまでのことを思い出していました。
 エレンの誕生日の晩、突如現われた猫。それにその猫を追う二人組。彼らから逃げるためにトラムに飛び乗ったのは、ずいぶん昔のことのようです。
 エレンは膝で眠っているレネを撫でました。すると隣にいたキルステンがわっと泣き出しました。
「さよならも言わずに行ってしまうなんて、フラッフィが可哀想」

 エレンとレネが帰ることを、エレンはフラッフィに言っていませんでした。フラッフィは、エレンたちが帰るといえば絶対に一緒に来ますが、せっかくこちらで楽しくやっているのに、また苦労をかけるのが嫌だったのです。それにドラゴンはレネが強い心の持ち主だと言っていました。紆余曲折あるはずですが、きっとレネはやれるはずです。
「本当にいいの? いまなら間に合うのに」
リンは列車を出すのを先延ばしにしていました。しかしエレンが固い意志を持って、首を横に振ったので、列車はまもなく動き出しました。



 三人と一匹を乗せた列車が、まもなくターミナルというところまでやってくると、キルステンはもうすぐスコウキャッタ・ターミナルだ、と教えてくれました。オレグたちが平行諸島と呼んでいたプラットホーム群は、王都では「スコウキャッタ・ターミナル」と呼ばれているのです。
「スコウキャッタは『森の猫』という意味なの。どうしてこんな名前がついたのかは、私も知らないのだけれど」
キルステンがこう言うと、レネ猫は目をつぶったまま、耳をくるくる動かしました。何か言いたいことがあるようです。
 レネが人間に戻ったら、最初にこのことを聞かなきゃ。そういえばレネとはずっと話をしないんだっけ。
 エレンが優しくのどをかいてやると、レネ猫は喉をごろごろ鳴らしました。


 かつてターミナルを取り囲み、オレグとロロの船を運んできた水はすっかり引いていました。そしてヴァイキング船の代わりに、ホームとホームをつなぐように列車が待ち構えています。これは滅多にないことで、このときでないと出口や階段のないこのターミナルで乗継ぎすることはできないのだ、とリンは言いました。

 しかし王室専用列車が十二番ホーム入って、エレンがすべての列車のドアを通り、一番線のトラムに乗るのも時間の問題というところで、何本かの列車がカタタンと音を出して発車してしまいました。
「これじゃ一番線に行けないわ」
キルステンがおろおろすると、リンは自分を責めました。
「くそ。僕がいつまでも列車を出さなかったから」
「いいんだ、二人とも。どうにかなるよ」
 エレンがどうやって一番ホームに行くか考えていると、チンチンという音がしました。
「あれを見ろ!」
リンは、エレンの肩を痛いくらいぐっと掴みました。
 それはエレンにお別れを言いにきた人たちの乗った様々な乗物でした。同じ線路を走っているのが信じられないくらい多様な乗り物たちが、次々にやってきます。


 空いていたホームにそれぞれの乗物が乗り入れ、整然と肩を並べると、見事な七本の架け橋ができました。しかもそれぞれ全然違うデザインなのに、エレンの前のドアだけぴしっと揃って、ベルゲン行きの列車まで一直線なのです。エレンは迷わず、最初の列車に乗り込みました。

 十一番線の、ウォーホランディのトマト色の列車から飛び出してきたのは、ダイナーのおかみさん。
「勝手に帰っちゃうなんて淋しいじゃない」
「おばさん!」
おかみさんに抱きしめられて、エレンはもう泣いてもいいやと思いました。
「ウォーホランディは結局ケチャップの街として生きることになったのよ。もちろんちゃんと洗えるやつですけどね。でもおかげで私のスパイスの売上はいまいちなの」

おばさんがエレンの涙を拭いていると、リンをスカウトした若手リポーターが顔を出しました。
「エレン。誰が来ていると思う?」
エレンが首を傾げていると、リポーターはなんとあのケーニヒを引っ張ってきました。大きな体を申し訳なさそうに小さくしたケーニヒは、手錠こそされていませんが、彼のすぐ後ろには見張りの警官がついています。
「ちゃんとお詫びしたくて。それにお礼も。君らは僕のこころを洗濯してくれた」
ケーニヒは明らかにフラッフィを探していました。しかしエレンが訳ありげに握手を求めると、彼はそれに応じて、フラッフィにもよろしくと言いました。
「あまり時間がないんだ。急ぎなさい」
ちゃっかりカメラを回していたリポーターは腕時計を見ました。エレンはおばさんともう一度手短にハグをすると、リポーターと握手して、次の列車へ急ぎました。
 

 次に二人を迎えてくれたのは、アウディとウィデの平和列車で、ここには負けん気の強い看護師ニカや、エレンと友達になった博士少年や軍曹、それにヤギのドクター・ブッシュも駆けつけていました。
「あんた、まったく大したものよ。私は長くナースをしているから分かるんだけど、長く付き合うっていうのは本当に大変なこと。でもこの子なら大丈夫」
ニカはレネに頬ずりをすると、エレンに似ていると言いました。すると、奥の方から背の高い女性に付き添われた一人の老人が道をあけてくれと言いました。それはこのカラフルな電車のデザイナーのターセと、娘とその作品に乗ってご満悦な様子のディケーレ老人でした。

「活躍は聞いたわ。闇に光を見いだすのは一番難しいこと。でも忘れないで。光がなければ色は失われてしまうし、逆に光さえあれば取り戻せる。あなたのカンバスをあなた色に仕上げて」
ターセはその芸術の手を、エレンの頭に載せました。
「人生は山あり谷あり。こんなはずじゃなかったと思うことが、この先何度もあるだろう。しかしそれを続けることにこそ意味がある。ときには負けてもいい。負けるが勝ちということもある。大丈夫。君ならどこでだってやっていける」
死にたいと言っていたのが嘘のように、穏やかで力強い老人のことばを聞きながら、エレンはその手を握って、何度も頷きました。


 元から停まっていた列車を何台か通り抜けたあとに出迎えたのは、極夜を思わせる美しい紺色の寝台列車。エレンは入ってすぐに、神々しい犬たちに取り囲まれたので何事かと思いました。しかしそんなエレンを見て嬉しそうに笑う人物がありました。それは氷の民の兄妹アドゥラルトクとイクニクでした。
「北極から来てくれたの。遠かっただろうに」
エレンがお礼を言うと、ゾフィを抱いていた男の子は照れて、そんなに遠くないやいと言いました。
「お兄ちゃんたらあれ以来、ずっとああなのよ。最近では犬たちより可愛がっているくらい」
妹がくすくす笑うと、男の子は目を白黒させて、アルベルトにゾフィを押しつけました。
「びっくりしただろ、エレン。まさか列車に犬がのっているとは思わないものなぁ」
アルベルトはそう言うと、これは近く開通する北極特急で、人間だけでなく動物たちも乗れるのだと教えてくれました。
「将来的には地下のものたちも乗れるようにしたいんだ」
アルベルトは目を輝かせました。飛行船を訪ねてきた雪男のような恐ろしさは跡形もありません。

「ちょっとそろそろエレンを貸してくださらない?」
大きなアルベルトの後ろから現われたのは、なんと対人恐怖症だったフォルトゥーナ。長かった髪は、かなり大胆なボブヘアーになって、印象ががらりと違います。
「フォルトゥーナ、君も来てくれたの? でも人に会うの、大丈夫だった?」
エレンがこう言うと、フォルトゥーナはおかしそうに口を押さえて、こう言いました。
「前髪が生え揃っただけで全然気分が違うの。いまでは人に見られたいと思うことすらあるわ。でも今日は一本あなたにあげなくてはと思って」
フォルトゥーナはそういって前髪に手を伸ばしましたが、エレンは慌てて止めました。一本抜いたら止まらなくなってしまうのが目に見えていたのです。
「そんな大事なもの、もらえないよ。それから今後一切髪の毛は誰にもあげないで。君の美しさが損なわれるのは心が痛むから」
するとここで、アルベルトにひっついていたゾフィがピーピー鳴きはじめました。時間がないから急げというのです。エレンは、アルベルトごとゾフィを抱きしめました。
「みんな、ありがとう。世界で一番寒いところに、世界で一番温かい人たちがいること、僕、忘れない」
 それまで明るかったアルベルトは、急に思いがいっぱいになったのか、悪い癖で、エレンの手を離そうとしませんでした。しかしやがて一言、元気でなと言うと、泣くのを見られないように横を向き、手をひらひら振って送り出してくれました。


 残りのプラットホームと乗物より、渡り歩いてきた方が多くなってきた頃、エレンは次の足場がないと思いました。しかしエレンが困って下を見ていると、頭上から声がしました。
「おったまげられましたこと?」
それは女装していたときのオレグの口まねをした、ロロの声でした。
 見上げてすぐ、エレンは息を飲みました。それはあの金のドラゴンの背に乗ったヴァイキングの子どもたちでした。
「オレグ! ロロ!」
ドラゴンが高度を下げてくれたので、エレンは二人と熱い抱擁を交わしました。
「水がないっていうから困っていたんだ。そしたらドラゴンが乗れって言ってくれて。もう興奮しっぱなしさ」
オレグは鼻の穴を膨らました。しかしロロが、オレグの口真似で「お兄様はびびっておいでなのよ」と言ったので、お兄さんは弟を小突きました。
「オーロフじいさんも来たがっていたんだけど、色々準備があってね。近く、リンさんが結婚相手を連れてくるんだって。でも結婚するってことは呪いが解けたってことだよね。それとも呪いを解くために結婚するのかな」
小声で話していたオレグは、十二番線でこちらを見守っているリンと隣のキルステンを見ました。
「綺麗な人なのに可哀想だね」
ロロがこう言ったので、エレンはあの人が呪いを解いたのだと教えてやりました。すると二人はもっと詳しく知りたがりましたが、エレンには話している時間がありません。
「詳しくは本人たちに聞いて。君から借りた服も忘れずにもらってよ!」
そういうと、エレンとレネは最後のホームに向かいました。


 しかし今度こそ足場はありません。エレンは上も下も何度も確認しましたが、まったく何もありません。しかもベルゲン行きのトラムは、当然のように、ブオンとエンジンをかけはじめたではありませんか。エレンが今度こそ嫌な汗をかくのを覚悟した瞬間、誰かが遠くから呼びました。
「エレーン!」
それはこちらに向かって走ってくる、セレブ御用達リムジンに乗ったアルフォンスとガストンでした。
「二人とも! どうして?」
 リムジンがちょうどエレンの前に停車すると、ガストンはまるで自分で走ったかのようにひーひー言いました。
「間に合ってよかった!」
「少し遅かったらどうなっていたことか! まったくこんな大事なときに何をしていたんだ!」
しどろもどろする相棒に、大スター・アルフォンスは追い打ちをかけました。
「私が悪いの。ガストンに忘れ物をとってきてって頼んだから」
いつのまにか渡ってきたキルステンが擁護すると、リンも続けます。
「そうそう。むしろ褒められてもいいくらい」
「ふん。よっぽど大事なものだったんだろうな?」
アルフォンスが捨て台詞を吐くと、車の中から聞き覚えのある声がしました。
「そうでしょうとも!」
それはご立腹の洗濯くまさん、フラッフィでした。
「フラッフィ! どうして?」
「置いて行くなんてひどいよ。レネのお腹の中では一緒に頑張ろうって言ったのに」
「ごめんよ。でも君のためだと思ったんだ」
フラッフィの伸ばした腕をエレンがとると、今度はそのエレンの腕をリンがつかみました。
「言い訳はあとあと。早くしないと電車に遅れるよ」


 せっかくの白リムジンを、アルフォンスが男前にも足場にしてくれたおかげで、エレンとレネ猫とフラッフィはとうとう一番ホームにたどり着きました。
「さぁ後生だから乗った乗った」
リンにつつかれながらも、みんなと本当に最後の抱擁をすると、エレンたちは最終車両の、一番後方の座席に陣取りました。
 すると窓を開けてとばかりに、リンはガラスをこつこつ叩きました。しかしエレンが窓を上にずらし開けると、覗き込んできたのはいまや素敵な女性の顔つきをしたキルステンでした。
「エレン、それからレネちゃん。フラッフィを誘拐したりしてごめんなさい。いままでずっと謝らなきゃと思っていたんだけど、なかなか言い出せなくて」
キルステンが目をまっ赤にしているので、エレンもフラッフィもおちゃらけないと泣いてしまいそうでした。
「また大きくなったんじゃない」
キルステンはもうと言って、泣き笑いしました。しかしそうこうしているうちに発車の汽笛が鳴りました。


 カタタタン、カタタタンとトラムが動き始め、オレグやロロ、ディケーレ老人やニカ、アルベルトたちが一斉にさようならと手を振り出しました。しかしリンは、エレンと目を合わせようとしません。
 けれどトラムがだいぶ調子をつかんできて、もうあとはスピードに乗せるだけというとき、リンは突然走り出しました。キルステンは注意しましたが、リンは走るのをやめません。
 それどころか走る速度をぐんぐん上げて、やがてエレンたちの窓のところに追いつくと、並走しながらぐっと拳を突き出しました。そこでエレンも、同じように拳を突き出して、リンのそれとゴツンとやりました。するとリンは、それまで見たことのないような屈託のない笑顔でたった一言、こう言いました。
「またな」
急に色んな思いが込み上げてきて、エレンはことばを失いました。話したいことは山のようにあるのです。しかしいまはもうそのときではありません。
「またねー!」
エレンがあらん限りの声で叫ぶと、みんなもエレンに負けない大声で応えます。

 エレンはいつまでもいつまでも手を振り続けました。しかし物語の常で、みんなの顔も声もどんどん小さくなり、やがて列車も、ホーム群も見えなくなりました。しかし遠くなればなるほど、みんなが近くにいるような気がして、エレンは背筋の伸びる思いがするのでした。



*     *     *



 いつの間にか眠ってしまったエレンは、車窓に差し込む朝日で目を覚ましました。
 トラムはもう止まっていて、レネは猫としても人間としてもいないし、フラッフィの姿も見えません。エレンはまだうす暗い外の様子を見ようと、窓に目を凝らしました。するとすぐ近くのドアが開いて、駅員さんが入ってきました。
「おやおや、迷子かな。一体どうやって入り込んだんだろう」
駅員は目をぱちくりさせました。エレンは、ここはどこか尋ねました。
「駅さ。ベルゲン駅。君、お家はどこかね?」
おじさんは小さい子どもに聞くように、目線を合わせて聞きました。そこでエレンは坂の上のやりかけ線路の近くだと答えました。
「大学の方か。それなら隣の電車に乗るといい」
「でも僕、お金を持っていないんです」
エレンがこういうと、おじさんは、今日はいいから、と言いました。けれどエレンはムキになってポケットを探りました。しかしでてきたのはスコウキャッタ・ターミナルについたときに拾ったチョコレート金貨だけでした。
「ははは。今日のあの列車の運転手が私でよかったな。さあもう出発の時間だ。おや。これは君のかい?」
駅員は座席の下から何かを引っ張り上げました。それはもう動かなくなったフラッフィでした。

 エレンがフラッフィを受け取ると、駅員は時計を見ました。
「大切な物は落とさないようにしないとな。しかし急ごう。駅員は十秒でも遅れるとまずいんだ」
「あの僕、やっぱり自分で帰ります。そんなに遠いところじゃないし」
「なに。お金のことなら心配いらないよ。始発でどうせ客もいないんだ。無駄運転になるよりは乗ってくれた方がおじさんも嬉しいし」
しかしエレンは首を横に振りました。
「僕、自分で帰りたいんです。それに道は分かっていますから」
引き止める駅員にすばやく会釈すると、エレンはトラムから軽やかに降りました。

 まだお母さんもお父さんも寝ているはずです。二人を起こさないように、家にはそっと入らなくちゃ。それにレネも。
 フラッフィを抱いて、エレンは夜明けのベルゲンの街に踏み出しました。




                                  終わり 
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感想 1

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みんなの感想(1件)

Venere
2018.06.13 Venere

(私の勘違いなら申し訳ありませんが、)兄と妹の名前がローマ字のアナグラムになっていて面白いです。
EREN→RENE
偶然見つけました。

解除

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