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悪役令嬢は、夜桜を見上げる

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 自転車はゆっくりと、坂を下っていった。
 夜風が気持ちいい。目を閉じたまま、春のにおいを吸い込む。

(久しぶりだな、こんなの)

 そもそも自転車の二人乗りなんて、何年振りだろう。前世で高校生か、大学生やってたとき振りくらい、か。

(そもそも高校生からしてセカンド彼女にされてたんだけど……私って一体)

 少しばかり感傷に浸っていると、横を走っていたらしいアキラくんが「お、綺麗やん」と呟いた。

「桜か」
「行きしは気付かんかったな」
「まぁ、それどころじゃなかったからな」

 2人の会話に、少しだけ羨ましくなる。

(夜桜かぁ)

 とても羨ましくなってしまってーー私はつい、目を開けた。

「わ、あ」

 頭上を覆い尽くす、桜、桜、桜。満月の光が、ぼんやりと桜を照らし出してふんわりと、光る。桜の霞の中を通り抜けているようで。
 桜と桜の合間に、皓々と光る、青白い満月。
 その他に見えるのは、黒田くんの背中と、横を走りながら同じように桜を見上げるアキラくん。まるで、それだけの世界かのように。

「きれい」
「お、華、目ぇ開けれたん?」
「うん」

 微笑んでアキラくんを見た。

「満開だな」

 黒田くんも、ぽつりと言う。

「うん」

 私は、まだ子供らしい背中に、そう答える。

「ほんま、きれいやんなぁ」
「ね」

 それだけ話して、ぼんやりと桜を眺める。
 しかしすぐに、桜並木が終わって、私は再び目を閉じた。怖くなってしまったから。
 黒田くんに掴まる手に力を入れようとして、ためらう。

(好きな女の子がいる人に、こんなことしていいのかな)

 少しの迷い。
 その迷いを感じ取ったかのように、黒田くんが振り返らずに口を開いた。

「設楽、しっかり掴まっとけ」
「う、うん」
「絶対離すなよ」
「迷惑じゃない?」
「頼られねぇ方が迷惑」
「うん……ありがと」

(今は、甘えよう)

 そう決めて、その背中にまた、ぎゅっとしがみついた。
 しばらく走ると、道が平坦になって、車が行き交う音もし始めた。

「家まで送る。多分こっからなら15分くらいだ」

 もうここは最後までお言葉に甘えよう、と「お願いします」と答える。
 なんやかんやと、ひよりちゃんと黒田くんは家まで来てくれることがあるので家の場所は分かってくれているらしい。
 
「あ、えっと、アキラくんは」
「新幹線、最終乗れたらええから。俺も送るわ」
「ごめん」
「謝られたくないねんけど」
「えっと」
「ありがとうでええやん」
「えへ」

 私は目を閉じたまま、笑う。

「ありがと」
「……おう」

 少し照れたようなアキラくんの声。
 自転車を漕ぎながら、黒田くんが「家、もう誰かいんのか」と言う。

「多分、まだ」
「……大丈夫なのか、家に潜んでたりとか」

 想像してしまう。それは怖い。かなり。

(でも)

「大丈夫だと思う、ウチ、セキュリティすごいから」
「そうなのか?」
「久保でも松影ルナでも、侵入しようとしてたりしたら、今頃大騒ぎだと思う……」

 なんでも5分以内に警備員が駆けつける仕様になっている、らしい。

「なんか変だなってなったら、警備員さん呼ぶから」
「……そうか」

 黒田くんは、まだ少し心配げな声で返事をした。

「着いたぞ」
「華んち!? これ華の家!? でかっ」
「今度はゆっくり来てね」

 そう言いながら、なんとか目を開ける。さすがに鍵を開けなくてはならない。
 予想通り、家は電気もついていない。

(良かった、まだだった)

 携帯の方にも、着信もない。
 ポシェットから鍵を取り出し、ドアを開けると、自動的に電気がついた。

「勝手に電気つくやーん」
「あは」

 私は玄関先で、ほっと息をついた。やはり室内は落ち着く。
 靴箱の上の置き時計は、午後8時前を指していた。
 すぐに、2人も玄関まで入ってきてくれる。

「玄関広いねんけど~これ住めるんですけど~~」

 テンションが上がっているアキラくんをちらりと視線だけで見て、黒田くんは鍵を指差した。

「けど、コレは変えた方がいいかもしんねぇな」

 黒田くんはそう言う。

「合鍵、作られてたら入られるぞ」
「あ、それも大丈夫」

 私は鍵を振ってみせる。

「これ、電子キーにもなってて、合鍵は作れないやつだから」
「ハイテクやなぁ~~」

 アキラくんがしげしげと鍵を眺めた。

「触らせて」
「いいよ」

 渡したはいいものの、触ってどうするんだろう。
 アキラくんは少し嬉しそうに矯めつ眇めつしてから「ええなぁうちもコレにせえへんかなぁ」とうっとりした。それから少し名残惜しそうに、私に鍵を返す。

「じゃあ、何かあったら連絡しろよ。俺はこの小5を駅まで送って帰るわ」
「うん……本当に、ありがとう」
「華、ばあちゃん以外にドア開けたらあかんで」
「うん。気をつけてね、ありがとうね」

 そうやって、2人は玄関を出ようとしてーー黒田くんが「あ」と呟き、ポケットを探った。

「お前から返しとけ」
「ん? ああ、これ」

 アキラくんは黒田くんから何かを受け取り振り向いて、私にそれを渡した。

「あ、お守り」
「華守ってくれてありがとう、やでほんま」

 アキラくんはお守りを拝むそぶりをする。

「本当に効いたな。それ。そういうの信じてなかったけど」

 一歩離れたところで、黒田くんは片頬を上げて、少し面白そうに笑う。

「……うん」

 私は微笑んで、それから、お守りをぎゅうっと握りしめた。
 それから改めて、2人にぺこりと頭を下げる。

「ほんとにほんとにほんとに、ありがとう!」

(秋月くんにも早めにお礼を言わなきゃだ)

「まぁ……ケーサツ行くかどうか、早めに決めろよ」
「うん」

 黒田くんはちらりと私をみて、それから肩をすくめて「早めに寝ろよ」と言って踵を返す。

「ほな、華……あ」

 アキラくんも続こうとして、すぐに戻ってきた。

「やりなおし」

 そう言って、私の前髪を上げて、おでこにキスをする。

「今度はよう寝れるおまじない、や」
「あは、ありがとう」

 笑って答えると、アキラくんの背後に眉根を寄せた黒田くんが立っていた。

「小5、マセてんじゃねーぞ」
「シットは見苦しいで小6! ほなな、華~」
「戸締まりしっかりしとけよ!」

 2人は騒ぎながら玄関のドアを閉め、出て行った。
 私はきちんと鍵を閉めて、それからドアに向かってもう一度、頭を下げた。

(無事で、生きてる)

 そう思うと、また震えが襲ってくる。

(私、無事で、生きてる)

 涙がまた、出てきた。
 今はただ、家に帰ることができたことだけが、嬉しかった。
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