【本編完結】セカンド彼女になりがちアラサー、悪役令嬢に転生する

にしのムラサキ

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黒猫お兄様は豚さんのお散歩をする

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 5月。初夏の風がふんわりと心地よいその日、私は千晶ちゃんの家でマカロンを頬張っていた。

「シェフを……シェフを呼んで……」
「あは、後でまたノゾミさんに美味しかったって言ったげて」

 千晶ちゃんは微笑みながら紅茶を口に含む。多分ダージリン。きっと多分。

「ねえところでね」
「ん?」

 私が話しかけると、千晶ちゃんは目線を上げた。

「千晶ちゃん家って、犬? 飼ってるの?」
「犬? 飼ってないよ」
「え、だってあれ」

 私は窓から見えるソレを指差した。
 千晶ちゃんのお兄さん、まことさんが何か大きな生き物をリードで連れて、鍋島家の広いお庭、その芝生の上を散歩している。四足歩行のようだが、なんだか動きがぎこちない。

「お兄さんって、動物にお洋服着せる派なんだね」

 千晶ちゃんはしげしげとソレを眺めた後、絶句した。それから絞り出すようにこう告げる。

「……華ちゃん、ごめんあれ、元カレ……」
「もとかれ? なにそれそういう犬種?」
「以前お付き合いをしていた人、って意味です……」
「あーうんうん、以前お付き合いをををを!?」

 私は立ち上がって窓からソレをもう一度確認し、それから部屋を飛び出していった千晶ちゃんを追って走り出した。

 庭に着くと、千晶ちゃんと真さんはにらみ合っていた。

「お兄様、それはなんですの?」
「それ?」

 きょとん、とする真さん。きょとんとする様すら美しい。

「それですっ!」

 千晶ちゃんが元カレくんを指差す。

(うわぁ、ボールギャグ噛まされてる)

 マンガとかテレビとかでたまに見かける、SMプレイでMの方が口に入れられてる、バンド付きのボールみたいな猿ぐつわというか、そんなやつ。
 その上四つん這いにされ、リードまでつけられて、本当にイヌ扱……犬はボールギャグかまされないか……。

「ああ、コレ」

 千晶ちゃんが怒っているのも、私がその背後で「うわぁ」って顔をしているのも一切気にかけず、真さんは優美に微笑んだ。

「コレね、ブタ。ね? ブタだよね」

 そう言って微笑む。

「ぶーぶー」

 元カレくんは必死で鼻を鳴らした。

「ブタではありませんっ! 一応人間です!」

 心やさしき千晶ちゃんは、元カレくんのボールギャグを外そうと彼の頭部に触れる。

「な、なんでボールギャグなんてしてるんですかっ、どうやって外すのこれっ」
「ちょっと待ちなさい千晶、それの名称をどこで知ったのかな」
「そんなことはどうでも良いのですお兄様」

 外したボールギャグ片手に、千晶ちゃんはキリッと言う。

「ヒトにはヒトの尊厳というものがあります!」
「ヒト? ヒトだっけお前?」

 ボールギャグを外され、会話できるようになった元カレくんはなんの迷いもなくこう言った。

「イエ僕ハ真様ノ忠実ナ豚デゴザイマス、ブーブー」
「ブタだってよ?」
「お兄様、この人に一体何をしたのです!?」
「何をって」

 真さんはいっそ凄惨に笑った。

「コイツがお前にしたことを思えば大したことはしてないよ、千晶」

 ほとんど場に参加していない私ですら、背中に冷や汗をかきそうなほどの微笑みだった。

「だいたいお爺様もお父様もお前に冷たいんだよな、千晶。だからその分、僕はお前に甘くしてやろうと思っているんだよ、千晶」

 千晶ちゃんの名前を呼びながら、指先まで美しい動きで彼女の頬に触れる。

「ね?」
「……触らないでいただけます?」
「反抗期かな、冷たい妹だ」

 真さんはくすくすと笑った。

「そろそろ千晶も、コレの顔を見ても大丈夫なころかなって。そう思って先月くらいかな? 色々コレとお話してね、ブタさんになってもらったんだよ。ね」
「ブーブー」

 千晶ちゃんは何とも言えない表情で元カレを見る。

「意味が分かりませんし、大体小学生にこんなことを……」
「小学生だろうと関係ないね。年齢なんか知ったことか、だよ。僕にある基準は千晶に害があるかどうか、そのただ一点」

 真さんは少し目を細めて、元カレくんを見る。

「このブタさんは知ってたはずだよね? 千晶のこころが、他人より少しばかり繊細にできてるって?」
「それは」
「なのに、平気で裏切ったね。よくないね。良くない子には、お仕置きしなきゃね」

 そう言って微笑む。
 気品にあふれた唇の上げ方。
 そして続けた。

「松影ルナはね」

 真さんが出したその名前に、私はびくりと彼を見つめる。

「あの子には、色々用意してたのに。色々。いーろーいーろー。せっかく用意してたのに、死んじゃったんだなぁ」

 酷く残念そうに真さんは言う。色々の内容はちょっと知りたくない。

「お、お兄様っ」

 千晶ちゃんはぷるぷると震えた。妹だし、もしかしたら「色々」の中身に想像がついてしまったのかもしれない。

「やっていいことと、悪いことがっ」
「じゃあ千晶」

 真さんは首を傾げた。

「大事な妹を自殺未遂まで追い込んだコイツを、僕が放っておけると君は本気で思っているの?」
「……、彼のお父様は閑職へ異動になったと聞きました、それでいいではないですか」
「それは彼の保護者に対するペナルティで、コイツは無傷デショ? 良くないよね、千晶は傷痕まで残ってるのに」

 鋭い目線で、千晶ちゃんの手首を見つめる。

「……それ、は、わたしが勝手にしたこと、で」
「ふふ、千晶、可愛い妹」

 真さんは笑った。

「僕も忙しい身でね、可愛い妹と楽しく意見交換をしていたい気持ちは十分あるのだけど、もう行かなくては」

 そう言って真さんは首を傾けた。

「最後に僕に何か言いたいことはあるかい?」
「真性ドクズ変態シスコン野郎」
「いいね、最高だ」

 真さんは、ものすごく嬉しそうにサムズアップして「さて僕たちは散歩の続きをしよう」と元カレくんを連れて歩いて行ってしまった。
 それを眺めながら、ガクリと肩を落とす千晶ちゃん。

「あ、あの、千晶ちゃん……」
「もうヤダ、あの変態」
「だ、大丈夫……?」
「"ゲーム"ではあいつに惚れてたってマジヤバくない?」
「まじやばい」

 そうおうむ返しするしかなかった。千晶ちゃんの口調が完全に変わってしまっている。

「てか"ゲーム"でもあんな感じだったの?」
「あそこまでじゃなかった、っていうか言ったでしょ、外ヅラいいのよアレ。アレは身内にしか見せないカオ

(身内用のお顔見てしまった……)

 ちょっと青ざめる私。

(く、口封じとかされないよね!?)

「華ちゃんには手を出さないと思う。多分あの変態、華ちゃん気に入ってる感じする」
「ええええ」

(とってもとっても遠慮したい……)

 好かれる方が怖い人種って、存在するんだなぁ……。

「あと、気は進まないけどお父様に、変態野郎にアレ辞めさせるよう進言しなきゃ……なんで妹の私が尻拭いを」

 千晶ちゃんはブツブツ言いながら、持っていたボールギャグを植え込みに投げ込み「ノゾミさんにフルーツサンド作ってもらわない?」ときびすを返した。
 私も頷いてそれに続く。

 まあ、とりあえず生クリームですよね、こんな時は。
 甘いもの食べて、忘れよう。うん。
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