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8(中学編)
許婚殿は素数を数える(side樹)
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鍋島真の父親の選挙の件を華に話すと、ぽかんという顔をした。
あれから数日後、もうすぐゴールデンウイークが始まろうとする四月の終わり。俺のサッカーが午前練だけで終わった土曜日、華は俺の部屋のローテーブルでショートケーキを食べていた。いちごがたっぷり乗っている。俺は向かいに座り、紅茶だけをいただいていた。
「え、真さんそんなこと言ってなかったけど」
「それは言わないだろう」
今から口説こうというのだ、そんな思惑は口にしないだろう。
「でもけっこう、明け透けだったよ。千晶ちゃんと仲良いほうがいいとか、なんとか」
「……差し支えなければ、だが、華。あの人とどんな話をしたんだ?」
「うーん?」
華は、ぱくりとケーキを一口食べてから首を傾げた。
「ええとね、なんだっけ……性的な」
「性的?」
俺は眉をしかめた。何を華に言った? あの男は。
「ええとね、リビドーがどうの?」
華は大きく首を傾げた。
「フロイト?」
詳しくはないが、確かフロイトが提唱した説ではなかっただろうか。
「なんか聞いたことある」
「ユング?」
「それは知らない」
答えながら、もくもくとケーキを食べ進める華。
「……俺が言うのもなんだが、精神分析学の話で女性が口説けると思っているのか、あの人は?」
華はううん、と眉を寄せてから「普段は口説けてるんじゃなーい?」と口を尖らせた。
「もう、彼女とっかえひっかえ、らしいよ」
「……あの噂、本当だったのか」
「あ、やっぱ噂自体は知ってるんだ?」
何か納得するように華は頷いてから、続けた。
「染色体XXなら見境い無いらしいよ」
「それはまた、ある意味平等だな」
「でも年下には手を出さないんだって。妹に手を出した気分になるから」
「……」
シスコン気味であるような気はしていたが、なんだかアウトじゃないだろうか、その発言は。
「まぁ、そんな感じの会話してた」
「……そうか」
俺は眉間を指で押さえた。考えている以上に、あのヒトは読めなさそうだ。
華はケーキを綺麗に食べ終わり、紅茶をひとくち口に含んでから、唐突に立ち上がり、俺の横にぽすんと座りなおす。
「華?」
華は俯き具合に、俺の服の裾を、少しだけ掴んだ。
(可愛い)
俯いていて表情は見えないが、動作が可愛い。いや、何をしていても可愛らしいのだが、というか、なんだこれは。急に。
俺が一人で固まっていると、華は「ごめんね」と小さく言った。
「心配かけて、ごめんなさい」
「華」
俺は彼女を抱きしめたい衝動をぐっと押さえた。こんな密室でそんなことをしてみろ、俺は自分の理性に自信がない。
「そんなつもりでこの話を蒸し返した訳ではない」
「分かってるけど、……ごめん。信用すべきじゃないヒトについて行った。こんなに心配かけることになると、思わなかった」
華の頬に手を当て、そっと顔を上げさせる。本気で申し訳なさそうな顔をしていて、こちらまで切なくなる。
(華に、こんな顔を)
鍋島真に対する怒りがふつり、と湧く。
「……俺が怒っているのは華に対してじゃない、だから華に謝られる謂れはない」
「でも」
俺は華の口を人差し指で押さえた。本当はキスしてしまいたいような気持ちだったが、それはぐっと我慢する。
翼にも「そういう子はあまりグイグイ行かないほうがいいんじゃないか」と言われている。もとより、嫌われては元も子もない。焦りは禁物だ。
「?」
「これで終いだ、華。言わなくていい」
「……うん」
華は少し納得していない表情だったが、大人しく頷いた。
「……婚約披露パーティー、もうすぐだな」
話をかえようと、6月に迫ったパーティーの話をする。パーティーといっても、身内だけの小さなものだ。さすがに両親も帰国するそうで、華に会うのを楽しみにしているようだった。
「ああ、うん」
華は複雑な顔をした。この話をすると大抵この顔をする。
「はぁあ、あの親戚たち、くるんだよなぁあ……」
よほど顔を合わせたくないのか、可愛らしい眉間に深くシワを寄せ唇を尖らせる。
「朱里ちゃん、今年も怖かったんだよなぁ」
「相変わらずみたいだな」
「大伯父様は相変わらず頭固いし」
「あのヒトはなぁ」
俺は苦笑して今年の正月を思い出す。新年祝賀、挨拶に顔を出したときには、華はまた怒っているし、圭は何がツボだったのか爆笑しているし、敦子さんはもっとやれと囃し立てていた。何があったんだろうか。未だに教えてもらっていないが。
「まぁ、その辺は俺が適当に相手をするから、良ければ華は俺の両親と少し話してやってくれ」
「初めてお会いするんだよねー」
華は笑って「楽しみ」と言ってくれた。
「俺も3ヶ月ぶりくらいだな」
「そういえば会いに行ってたねイタリア」
「今はニューヨークにいるらしい」
「お忙しいんだねぇ」
華は少し心配気な顔で俺を覗き込んだ。
「寂しくない?」
「寂しくないぞ」
「ほんとー?」
少しだけ、眉を寄せてぐいぐいと寄ってくる。かなり身体が密着している。いい匂いがする、華の体温が近い。生殺しだ。思春期男子を何だと思っているんだ、華は。
(本当に無自覚だ)
部屋に2人きりだと、分かっているのか?
(分かっていない、な、これは)
俺は苦笑して「落ち着け」と言って華からさりげなく距離をとった。
「毎日連絡もとっているし、……華もいる。寂しくなんかない」
「そーう?」
訝し気に首をかしげる華。
「まぁ、寂しくなったら言って」
「言ってどうなる」
「おねーさんがハグしてあげよう」
ほら、と両手を広げる華。
俺の脳内で悪魔と天使が囁いた。寂しいフリして、抱きしめてもらえば? いやいやそんな破廉恥な真似はできない。でも華からハグなんて、千載一遇のチャンスだぞ、逃していいのか? ハグしたとして、お前の理性はちゃんと保つんだろうな樹?
というか、おねーさんて何だ、同じ年だしなんなら誕生日も俺の方が早い。
結局俺は「紅茶のお代わりをもらってくる」と言ってポット片手に廊下へ逃げた。
(うむ、俺は正しい)
おそらく最適解。しかし、惜しいことをしたという後悔がものすごい。自分がこんなにグダグダな人間だとは思わなかった。少なくとも、ある程度冷静で、分別のある人間だと。
ふう、とため息をついて廊下の窓を開け、少し外の空気を吸う。
(素数でも数えるか……)
とにかく落ち着かないと。多分顔が赤い。
しかし、あれで無自覚というのが本当に恐ろしい、と思う。
もう一度ため息をついてから、俺はポット片手に歩き出す。落ち着くためにも、自分で紅茶を淹れよう、と、そう思いながら。
あれから数日後、もうすぐゴールデンウイークが始まろうとする四月の終わり。俺のサッカーが午前練だけで終わった土曜日、華は俺の部屋のローテーブルでショートケーキを食べていた。いちごがたっぷり乗っている。俺は向かいに座り、紅茶だけをいただいていた。
「え、真さんそんなこと言ってなかったけど」
「それは言わないだろう」
今から口説こうというのだ、そんな思惑は口にしないだろう。
「でもけっこう、明け透けだったよ。千晶ちゃんと仲良いほうがいいとか、なんとか」
「……差し支えなければ、だが、華。あの人とどんな話をしたんだ?」
「うーん?」
華は、ぱくりとケーキを一口食べてから首を傾げた。
「ええとね、なんだっけ……性的な」
「性的?」
俺は眉をしかめた。何を華に言った? あの男は。
「ええとね、リビドーがどうの?」
華は大きく首を傾げた。
「フロイト?」
詳しくはないが、確かフロイトが提唱した説ではなかっただろうか。
「なんか聞いたことある」
「ユング?」
「それは知らない」
答えながら、もくもくとケーキを食べ進める華。
「……俺が言うのもなんだが、精神分析学の話で女性が口説けると思っているのか、あの人は?」
華はううん、と眉を寄せてから「普段は口説けてるんじゃなーい?」と口を尖らせた。
「もう、彼女とっかえひっかえ、らしいよ」
「……あの噂、本当だったのか」
「あ、やっぱ噂自体は知ってるんだ?」
何か納得するように華は頷いてから、続けた。
「染色体XXなら見境い無いらしいよ」
「それはまた、ある意味平等だな」
「でも年下には手を出さないんだって。妹に手を出した気分になるから」
「……」
シスコン気味であるような気はしていたが、なんだかアウトじゃないだろうか、その発言は。
「まぁ、そんな感じの会話してた」
「……そうか」
俺は眉間を指で押さえた。考えている以上に、あのヒトは読めなさそうだ。
華はケーキを綺麗に食べ終わり、紅茶をひとくち口に含んでから、唐突に立ち上がり、俺の横にぽすんと座りなおす。
「華?」
華は俯き具合に、俺の服の裾を、少しだけ掴んだ。
(可愛い)
俯いていて表情は見えないが、動作が可愛い。いや、何をしていても可愛らしいのだが、というか、なんだこれは。急に。
俺が一人で固まっていると、華は「ごめんね」と小さく言った。
「心配かけて、ごめんなさい」
「華」
俺は彼女を抱きしめたい衝動をぐっと押さえた。こんな密室でそんなことをしてみろ、俺は自分の理性に自信がない。
「そんなつもりでこの話を蒸し返した訳ではない」
「分かってるけど、……ごめん。信用すべきじゃないヒトについて行った。こんなに心配かけることになると、思わなかった」
華の頬に手を当て、そっと顔を上げさせる。本気で申し訳なさそうな顔をしていて、こちらまで切なくなる。
(華に、こんな顔を)
鍋島真に対する怒りがふつり、と湧く。
「……俺が怒っているのは華に対してじゃない、だから華に謝られる謂れはない」
「でも」
俺は華の口を人差し指で押さえた。本当はキスしてしまいたいような気持ちだったが、それはぐっと我慢する。
翼にも「そういう子はあまりグイグイ行かないほうがいいんじゃないか」と言われている。もとより、嫌われては元も子もない。焦りは禁物だ。
「?」
「これで終いだ、華。言わなくていい」
「……うん」
華は少し納得していない表情だったが、大人しく頷いた。
「……婚約披露パーティー、もうすぐだな」
話をかえようと、6月に迫ったパーティーの話をする。パーティーといっても、身内だけの小さなものだ。さすがに両親も帰国するそうで、華に会うのを楽しみにしているようだった。
「ああ、うん」
華は複雑な顔をした。この話をすると大抵この顔をする。
「はぁあ、あの親戚たち、くるんだよなぁあ……」
よほど顔を合わせたくないのか、可愛らしい眉間に深くシワを寄せ唇を尖らせる。
「朱里ちゃん、今年も怖かったんだよなぁ」
「相変わらずみたいだな」
「大伯父様は相変わらず頭固いし」
「あのヒトはなぁ」
俺は苦笑して今年の正月を思い出す。新年祝賀、挨拶に顔を出したときには、華はまた怒っているし、圭は何がツボだったのか爆笑しているし、敦子さんはもっとやれと囃し立てていた。何があったんだろうか。未だに教えてもらっていないが。
「まぁ、その辺は俺が適当に相手をするから、良ければ華は俺の両親と少し話してやってくれ」
「初めてお会いするんだよねー」
華は笑って「楽しみ」と言ってくれた。
「俺も3ヶ月ぶりくらいだな」
「そういえば会いに行ってたねイタリア」
「今はニューヨークにいるらしい」
「お忙しいんだねぇ」
華は少し心配気な顔で俺を覗き込んだ。
「寂しくない?」
「寂しくないぞ」
「ほんとー?」
少しだけ、眉を寄せてぐいぐいと寄ってくる。かなり身体が密着している。いい匂いがする、華の体温が近い。生殺しだ。思春期男子を何だと思っているんだ、華は。
(本当に無自覚だ)
部屋に2人きりだと、分かっているのか?
(分かっていない、な、これは)
俺は苦笑して「落ち着け」と言って華からさりげなく距離をとった。
「毎日連絡もとっているし、……華もいる。寂しくなんかない」
「そーう?」
訝し気に首をかしげる華。
「まぁ、寂しくなったら言って」
「言ってどうなる」
「おねーさんがハグしてあげよう」
ほら、と両手を広げる華。
俺の脳内で悪魔と天使が囁いた。寂しいフリして、抱きしめてもらえば? いやいやそんな破廉恥な真似はできない。でも華からハグなんて、千載一遇のチャンスだぞ、逃していいのか? ハグしたとして、お前の理性はちゃんと保つんだろうな樹?
というか、おねーさんて何だ、同じ年だしなんなら誕生日も俺の方が早い。
結局俺は「紅茶のお代わりをもらってくる」と言ってポット片手に廊下へ逃げた。
(うむ、俺は正しい)
おそらく最適解。しかし、惜しいことをしたという後悔がものすごい。自分がこんなにグダグダな人間だとは思わなかった。少なくとも、ある程度冷静で、分別のある人間だと。
ふう、とため息をついて廊下の窓を開け、少し外の空気を吸う。
(素数でも数えるか……)
とにかく落ち着かないと。多分顔が赤い。
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