【本編完結】セカンド彼女になりがちアラサー、悪役令嬢に転生する

にしのムラサキ

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分岐・鹿王院樹

拗ねる許婚(side樹)

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 優勝して、さすがに翌日は休みになった。夜まで友人の家で騒いだせいで、まだ少し眠い午前9時頃、遅めの朝食を食べていると祖母が苦笑いしながら俺に言った。

「あなた、華ちゃんに何したの」
「……は?」
「昨日あなたの試合観に行って、帰ってきてから部屋から出てこないそうよ。食事も食べずに」
「は!?」

 俺は箸を落とした。

「華が、食事も?」
「華ちゃんが、食事も」

 俺の中で不安が急速に大きくなる。

(何があった?)

 もしかして、応援の生徒たちのバスに、無理矢理乗せたのがマズかったか? あそこで何か嫌なことでもあったのだろうか?

「……とりあえず、あなた行って来なさい」

 祖母の言葉にすぐ立ち上がる。無論、最初からそのつもりだった。

 華の家に着くと、お手伝いの八重子さんが苦笑いしていた。

「鍵までは閉まってないんだけど、敦子が何言っても出てこなくて、圭くんの泣き落としでもダメだったの」
「圭の?」

 それはかなり、いや非常に、深刻なのではないだろうか。華は圭を異常に可愛がっているので、圭のお願いは大抵何でも聞くのだが。

「圭は?」
「イツキ来るならシャーナシで譲ったげる、と言って部活に」
「しゃーなし」

 どこでそんな日本語を覚えてくるんだろうか、あいつは。
 八重子さんがリビングに消え、俺はとりあえず華の部屋のドアをノックする。

「華」

 部屋の中で何か物音がしたが、返事はない。

「華?」
「……、帰って」

 掠れた声。

「何があった?」

 返答は無し。

「それだけでも教えてくれないか」

 やはり、無言。
 俺は眉を寄せた。気がつくとドアを開けていた。怒られようと構わん。やや乱暴にドアを閉める。
 華はベッドにいた。俺の顔を見て布団に潜り込む。

「乙女の部屋に! 勝手に入ってくるなんて!」
「……乙女」

 華が自分をそう形容するのを初めて聞いたせいで、ちょっと面白くなる。
 ベッドサイドに座り込み、布団越しに華に触れた。

「何かされたのか」
「……」

 布団の中で、ぴくりと華が動いた。

「……、何があった」

 知らず、声が低くなる。

「誰に、何をされた?」
「……樹くんが黙ってた」

 返ってきた返答に、俺は一瞬ぽかんとする。俺?

(俺が、何を?)

 必死で考える。まさか華がこうなっている理由が自分だと思わなかった。しかも、「黙っていた」から怒っている。布団から出てこないくらいに。食事も摂らないくらいに。

「……すまない」

 自分でも、情けない声が出たと思う。

「教えてくれ、華。言ってもらわなくては分からない」
「留学」

 華のつっけんどんな声。その声は涙で滲んでいた。

「そんな大事なこと、なんで言ってくれなかったの」
「留学」

 俺は思わず繰り返す。そのことか!

(昨日誰かから聞いたのか?)

 思わず動きを止めた俺に、華は言う。

「そりゃ、私、ただのお飾りの許婚、かもしれない、けどっ、り、留学とかっ、そういうことは言って欲しかったっ」

 泣きながら、彼女は言う。
 俺は申し訳なさと、切なさと、そして何より……泣いている華には本当に申し訳ないのだが、嬉しくて仕方ない。
 華が、そんな風に俺のことで泣いてくれるのが、嬉しくて仕方ない。自分でも人間的にどうかとは思う。
 夏の薄い布団越しに、上半身だけで華を抱きしめる。

「華?」

 自分でも驚くほど甘い声が出た。友人達が聞いたら卒倒するかもしれない。

「……ん」

 華が布団越しにもぞりと動くのが分かった。

「まだ本決まりじゃないんだ、小学校の頃に練習に参加したクラブチームから、短期留学プログラムに参加しないか、と打診があっただけで」

 短期とはいえ、世界的なクラブの正式なプログラム。かなりの狭き門で、まだ決定ではない。名前を挙げてもらっているだけだ。

「……短期?」
「2週間だ」

 ふと、華から力が抜けた。

「も、もう、なかなか会えなくなるんじゃないかって、さみしく、て」

 くぐもった声で言って、安心したように泣き出す。素直に愛しいと思うし、心配させたことを申し訳なく思う。

「すまない、次からは最初に華に話そう」
「……しぶしぶなら、いい」

 まだ少し拗ねている。俺は笑う。

「華を不安にさせたくないからだ。俺の意思だ」
「じゃあ、うん……そうして、もらう」

 落ち着き始めた華を布団越しにもう一度ぎゅうっと抱きしめて、そこで俺ははたと気づく。

(これは、……マズいな)

 何がマズいって、色々マズい。
 離れようとすると、布団の隙間から華の手が少し出て、俺の服をつかむ。

「樹くん?」

 可愛い声で呼ぶから。

(……華が悪い)

 これは誰に聞いても俺のせいじゃないと言うのではないか、と無理矢理自己を正当化した時ーードアが勢いよく開く。

「落ち着いた?」
「八重子さん」

 華が布団から顔を出す。髪はぼさぼさだし、目が少し腫れている。それすらも可愛らしいと思う。

「うん」

 申し訳なさそうな声で言うと、八重子さんは笑った。

「じゃあご飯にしましょう。早めのお昼ご飯。着替えておいで。あ、そうだ、樹くんちょっと手伝って」
「? はい」

 そう言われて、八重子さんに続いて部屋を出る。ぱたりとドアが閉まって、八重子さんはニヤリと笑った。

「敦子から伝言」
「はい」
「キスまでは許す」
「……は!?」
「以上でーす。ついでに食器並べて」

 いたずらっぽく八重子さんは言ってさっさとリビングにはいる。

(釘をさされてしまった……いやそんな、そんなつもりでは)

 頭の中で言い訳するが、それを聞いてくれる人はここにいない。
 はぁ、とため息をついて廊下に座り込む。

(まだまだ子供だ、俺は)

 ブラックコーヒーも飲めないし、大人は行動を先回りして釘を刺してくる。
 少しだけ落ち込んでいると、華の部屋のドアが少しだけ開いた。

「ごめん、樹くん、八重子さん呼んでくれる……?」

 少し心細そうな声。

「? どうした」
「えーと、大丈夫なので、とりあえず八重子さん」

 言われた通りに呼ぶと、八重子さんは部屋の入り口で二言三言会話した後、「あらあら」と笑いながら部屋に入っていってしまった。
 手持ち無沙汰になって、食器を並べる。まだ2人は来ない。キッチンで途中まで準備されていた緑茶を淹れることにした。
 淹れ終わったころに、2人はリビングに入ってきた。八重子さんはなんだかニコニコしていて、華は少しバツの悪そうな顔をしていた。

「あら、お茶淹れてくれたの~」
「見様見真似ですが」
「いーのいーの、こんなの味と色がついてりゃそれで。この家でこだわるの敦子くらいよ」

 八重子さんはそう言って笑う。

「そうだ樹くん晩御飯食べていく? お赤飯炊かなきゃで」
「やっえっこさんっ」

 華が本気でムッとした顔をする。珍しい。

「はいはいごめんなさい、ほらデザート、メロンクリームソーダにするから許して」

 華はむう、と考えて「それならいい」と答えた。

「? どうした?」
「なんっでもない、ご飯食べよっ」

 華はさっさとテーブルについてしまう。俺も首を傾げながら横に座って、手を合わせる。いただきます。
 華はよく食べた。いつもより。それはそうだ、食べるのが何より好きなくせにハンガーストライキなんかするから。そうさせたのは俺の浅慮のせいなのだが。
 幸せそうに食べるので、俺まで幸せになる。
 食後、庭の日陰に椅子を出して、タライに水をはって足だけつけた。

「はーい、お待たせ」
「ありがとうっ」

 サクランボが乗ったバニラアイスが浮かぶ、メロンクリームソーダ。華の好きな食べ物……いや、飲み物だろうか?

「美味しいよねぇ、これに乗ってるサクランボはやっぱり缶詰がいいの」
「そういうものか」
「分かってないなぁ~」

 華はやっぱり幸せそうに食べる。
 さっきの、辛そうな華を思い返して苦しくなる。あの瞬間には、たしかに嬉しくもあったが、……もう、あんな思いはさせてはいけない。させたくない。

「そういえば、何かお祝い事でもあったのか?」
「え?」
「赤飯がどうのと」

 ばしゃり! と水が飛んできた。華が足でタライの水を俺にかけてきたのだ。

「デリカシー!」
「え、いや、すまん、話が見えん」
「もー! 秘密!」

 華は口を尖らせて俺を睨む。でもすぐにふっと笑う。華には笑顔が似合うと思う。俺はそれを見て幸せな気持ちになるし、華もまたそうであって欲しいと思う。心から思う。
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